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Yoz Art Space

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100のエッセイ・第10期・80 幸福な時間

2016-04-07 15:43:56 | 100のエッセイ・第10期

80 幸福な時間

2016.4.7


 

 鶴見川へ、桜の写真を撮りに出かけた。詳しくいうと、青葉区の市が尾を流れる鶴見川へ、センダイヤザクラというヤマザクラの写真を撮りに出かけたのである。ちょうどソメイヨシノが満開で、天気もよくて、これが「お花見」のラストチャンスという昨日、「お花見」で有名な大岡川へは行かないで、なんでそんなところへ行ったのかというと、たまたま1週間ほど前、フェイスブックで「センダイヤザクラ」という耳慣れないサクラのことを知ったからだ。

 耳慣れないサクラといえば、それより更に1週間ほど前に、ヨコハマヒザクラというサクラのことをこれもやはりフェイスブックで知り、それが、みなとみらい地区で満開であるということも知って、そのサクラを求めて車を駆って写真を撮りにいったのだが、更にその後、そのサクラの原木が、本牧頂上公園というこれまた耳慣れない公園にあると知り、またまた車を駆って出かけて行き、その見事なピンク色のサクラを心ゆくまで撮影することができたのであった。

 そこへこのセンダイヤである。息つく暇もありゃしない。満開のソメイヨシノなんて目じゃなくなってしまった。

 鶴見川は、下流の方は、電車でそれこそ何百回と渡ってきた川だが、そのちょっと上流の方にはとんと縁がなく、今までまったく行ったことがなかった。青葉区なんていうと、今でこそ横浜では人気の区だが、昔は港北区の一部で、横浜のハズレもいいとこ、ぼくのように横浜の中心部に生まれ育ったものからすると「横浜じゃない」ぐらいの認識で、なんでそんなところに人気があるのかさっぱり分からなかったし、鶴見川の上流っていったって、そもそも下流の鶴見川はキタナイ川という認識しかなくて、行く気にもならなかったのだ。

 けれども、高知県の「仙台屋」というお店の前に植えられていたヤマザクラが他のとはちょっと違っていたのか、それに目をつけたかの牧野富太郎博士によって「センダイヤザクラ」と命名されたというそのサクラが、地元もボランティアの方々によって80本あまりが川の土手に植えられているということをネット検索で知ったのだ。普通ならソメイヨシノを植えるところだが、それじゃ芸がないというか、ここはひとつヤマザクラで行こうじゃないかと思ったらしく、その中でもこの由緒の面白い、そしてピンクの濃いセンダイヤに目を付けたということらしい。

 とにかく、50分ほど電車に乗って、その鶴見川に辿りついて驚いた。川沿いには、なんとものどかな田園風景が広がり、その土手に植樹からまだ10年ほどしか経っていない小ぶりのセンダイヤが今まさに満開の枝を連ねている。こんなきれいな場所のあるのが青葉区なんだと思ったら、今まで田舎呼ばわりしていたのが申し訳ない気分になってしまった。

 お目当てのセンダイヤの写真を撮ったり、土手に咲く野草を撮ったりしていると、その昔、そう、中学生のころに、昆虫採集のために訪れた相模川を思い出した。冬に行ったり春に行ったりしたものだが、特に春は、採集を一休みして、同行した友人と土手でお弁当を食べたり、寝っ転がって雲雀の声を聞いたりしたあのなんともいえない幸福な気分が蘇ってくるような気がした。

 あれからもう半世紀経ってしまったが、やっぱり人間というものは、「好き」なことは変わらないものなのだとつくづく思った。あの頃、とにかく生物が好きで、生物の研究を一生の仕事としよう思っていたのに、気がついてみれば、まったく違った方向へ向かい、そこで生きてきたけれど、ぼくがほんとうに幸福を感じるのは、こういう時間なのだった。

 ほんとうに、中学3年生の1年間は、ぼくが繰り返し書いてきたことだが、ぼくの人生の中でもっとも幸福な1年間、まさに「黄金の時間」だった。勉強もほっぽり出して(といっても、小心者だからいちおうすることはしたのだが)、山や川や海へ昆虫を求めて出かける日々だった。その1年間というのは、時間の隅から隅までが幸福に満たされ、すべての瞬間が楽しいという、ほんとうに稀な1年間だったのだ。その後、ぼくが別に不幸な人生を歩んできたわけではないが、それでも鬱屈し、悩み、こんな人生のはずじゃなかったと思った時にも、この1年間があったからこそ、何とか乗り越えることができたような気がするのだ。

 その「幸福な時間」が、どのように具体的に作用したのかはしらない。けれども、かつてこんな「幸福な時間」があったという記憶は、人間が長くて辛い人生を生きていくための、基本的なエネルギー源となるものなのかもしれない。

 まだ始まったばかりの朝ドラの『とと姉ちゃん』を見ていても、はやくに父を亡くしても、その父と過ごした「幸福な時間」が、この子供たちのその後の人生の支えになっていくのだろうということがよく分かる。

 ぼくはもう高齢者だから、今更、新たな「幸福な時間」を作れなくてもいい。今回のことでいえば、昨日の「幸福な時間」は、どこかかつての「幸福な時間」のコピーのような気がする。それでいいと思っている。けれども、これからの人は、まだ若い人は、どこかでこういう若い日々の特権的な「幸福な時間」を何としても味わっておいてほしいものだと、おせっかいにも思っているのである。


 



 

センダイヤザクラ 

 

 

ヨコハマヒザクラ 


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100のエッセイ・第10期・79 「価値」はどこに?

2016-03-30 17:16:28 | 100のエッセイ・第10期

79 「価値」はどこに?

2016.3.30


 

 横浜美術館で「村上隆のスーパーフラット・コレクション」を見てきた。あまり気が進まなかったのだが、去年「コレクションフレンズ」というのになぜか入会してしまったので、招待券が来たのだ。年会費1万円も払っているので、見ないともったいないというわけで会期も終わりころになって出かけたのだった。

 展覧会は、村上隆の作品ではなくて、村上隆のコレクションを展示するというもので、いったいこの人はどれだけ金があってこれだけのものを買い集めることができるのだろうと驚いた、というのもあまりに村上隆のことを知らなさすぎるトンマさを露呈するだけの話だが、「知らない」というのは、ある意味、先入観なしに勝手な感想を書けるという点ではいいのかもしれない。

 コレクションは多岐にわたっていて、「蕭白、魯山人からキーファーまで」というサブタイトルが示すとおり、陶磁器、書、絵画、日用品、フィギュアなど、超一流の作品から、よく分からないものまでが、所狭しと展示されていた。

 書では、夏目漱石や豊臣秀吉の手紙があるかと思えば、白隠や一休の書もある。そうした中に現代書家の井上有一のパステルで書いた宮沢賢治の「よだかの星」も展示されていた。一見、子どもの落書きのように見える書である。実際、それを見た若い女性が「これ、子どもが書いたの?」なんて連れの男性に言い、男性は「違うみたいよ。井上有一って、どこかで聞いたことある。」なんて答えていた。こんな会話を井上有一ファンが聞いたら、激怒するだろうか、それとも、笑ってすますだろうか、それともかえって喜ぶのだろうか。ぼくは、井上有一のことを多少は知っているし、その書や書に対する姿勢に敬意を払う者だから、その男女に対してではなくて、こういう展示の仕方にちょっとムッとしたのだった。

 村上のいう「スーパーフラット」というのは、よく知らないが、少なくともこの展示を見れば、世俗の価値の無化を志しているのだろうと推察される。ゴッホの絵が数億円する一方で、無名の画家の絵が1万円でも売れない、という現実は、確かにおかしい。芸術に値段などつけられはしないのだ。自分が「好き」なものが「価値のある芸術」なのであって、それ以外に価値の上下を決める基準なんてない、ということなのかもしれない。

 だから白隠の書と、どこにでもある雑巾が、同列に並ぶ。魯山人の器と女の子のフィギュアも同列に並ぶ。どっちも好きなんだからいいじゃないか。ジャンルなんか無視したっていいじゃないか。むしろ、ジャンルを超えて、好きなものは好きで通したい、ということなのかもしれない。

 頭を柔軟にすれば、こうした村上の価値観は、芸術に対する偏狭な考えからぼくらを解放して、より自由な観賞態度へと導いてくれるものとして理解することができるのだろうが、どうも、ぼくには不快感が最後まで拭えなかった。

 それは何といったらいいのだろか。たとえば、同じステージで、美空ひばりが「リンゴ追分」を歌っているそばで、フィッシャー・ディスカウが「冬の旅」を同時に歌っているのを聴くような気分と言ったらいいのだろうか。それぞれを別に聴けば、それぞれ素晴らしいのに、同時に聴いたら、それこそ「歌」はどこかへ消えてしまう。そこへ義太夫だの、浪曲だの、ジャズだのが更に交じったらどうなるかを想像してみればいい。いくらコラボだ、フュージョンだといっても、そこにはもう「音楽」は存在しえないだろう。

 これは古い感じ方なのだろうか。

 美空ひばりの歌は、やはり「美空ひばり」という文脈の中でこそ真に味わえるだろう。まして井上有一の書は、「井上有一」という文脈、あるいは「書の歴史」という文脈抜きでは味わうことすらできないのではなかろうか。

 いや、作品こそがすべてで、その背景や歴史などは関係ないのだという考えもあることは知っている。ものの背景や歴史を度外視して、ものそのものの美を感じ取ればいいのだという考えもあるだろう。けれども、日本を知らない外国人が、骨董屋に並んでいる和式便器の形に魅せられて買い求め、本国へ持ち帰ってそれを食卓に飾ったとしても、「それはそれでいい」のだろうか。それが「クールジャパン」だろうか。

 違うだろうと思う。

 それが「便器」であることを知らない外国人が、それを「オブジェ」として愛でて食卓に飾ろうとしたら、「それは間違いですよ」と言うのが、正しい道ではないのだろうか。

 昨今のなんでもかんでも「カワイイ」の一言で評価し、それを「クールジャパン」として闇雲に海外に売り込もうとする風潮は、やはり苦々しい。「カワイイ」は、結局、ものの「表層」にしか現れないもので、その奥へと向かう契機を含まない。村上の「スーパーフラット」もその一貫でしかないというのでは、あまりに保守的だろうか。

 そういえば、つい先日、新国立劇場でダンス公演を見た。平山素子の演出、振り付け、出演の「HYBRID Rhythm & Dance」。モダンダンスの公演を生で見たのは始めてだったが、この舞台には、長い間の鍛錬によってしか表現できないものしか存在しなかった。ちらっとみて「カワイイ」なんて感想が洩れるものなどどこにもなかった。こういうところにこそ、ほんとうの芸術があるのだろう。「ほんもの」とはこういうものをこそいうのだろう。そしてそれをほんとうに味わうには、他を排除した、けっして他を並列しようとしない、「閉ざされた場所」をどうしても必要とする。それは、今回の横浜美術館の「一見開かれた場所」の対極にあるものだったといえよう。

 いま、「一見開かれた場所」と書いたのは、そこがジャンルを軽やかに超えた自由な「開かれた空間」のように見えて、実は、村上隆という人によって「閉ざされた場所」のようにぼくは感じたからだ。


 



 

 

横浜美術館に展示中の井上有一の書 


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100のエッセイ・第10期・78 「痛みと苦悩」そして「希望」

2016-03-23 15:23:24 | 100のエッセイ・第10期

78 「痛みと苦悩」そして「希望」

2016.3.23


 

 先日、矢代静一の『夜明けに消えた』の舞台をみることができた。キンダースペース主宰の原田一樹の演出で、スターダス21の研修科1年の修了公演だった。当然、役者たちはまだ若く、演劇の経験も浅く、演技も未熟な点も少なくなかったのだが、演出家の技倆故かそれに必死に応えようと努力した役者たちの故か、非常に感動的な舞台になっていた。

 この芝居の初演は1968年で、ちょうどぼくは大学1年生。その初演の舞台を確かにぼくは見たという記憶がある。けれども、その時うけた印象はまったく残っていない。何年か前、彩の国さいたま芸術劇場で、原田一樹演出・瀬田ひろ美出演で上演されたのだが、その時は、なぜか見逃してしまったのだった。上演される機会の少ないこの戯曲は、矢代静一のカトリック信仰に深くかかわることだけは覚えていたので、今回、何はともあれ見にいったのだった。

 ほぼ50年ぶりに見たこの芝居は、矢代静一がどのようにカトリック信仰を理解しようとし、どのように入信するに至ったかを、まるで私小説のようにこと細かに語っている芝居なのだと分かった。事実、早くからカトリックに深い思い入れがあったにせよ、この戯曲の完成後に矢代は受洗している。

 ポイントは二つあって、「神」あるいは「キリスト」を、どのようにとらえるかという点がまずひとつ。「ノッポ」は、キリスト教に反発しその教えを受け入れようとしないが、やがて、どうしてもキリスト教から離れられなくなる。それは、神やイエスを信じた、というのではなく、「神が、心の中にすみついてしまった。」からだという。これは非常に重要なことで、信仰というものが、「神」や「イエス」を自分の外に「存在」するものとして、それを「信じる」という行為ではなく、自分の心が「神」や「イエス」によって変容していることを受け入れるということなのだということが示唆されている。

 「ノッポ」は、言葉を選び、言葉を内部から絞り出すように、信仰告白をするのだが(ここの演技は素晴らしかった)、それは、「小さきものは神なのだ。」という一点に集約されていく。幼い子どもが殺されようとしているとき、だれだってわが身を顧みずに救おうとするだろう。それは「幼い子ども」が、まだ人間にはなっていない「神」だからだ、というのだ。

 孟子もこれと同じ例をあげて、どんな人間でも、子どもが井戸に落ちようとしていたら手を差し伸べるだろうと言い、そこに人間の「性善」の根拠をみている。キリスト教は、そこから一歩進んで、「なぜ救おうとするのか」と問い、それは人間にはもともと「良き心」が備わっているからという理由ではなくて、「幼い子」は、実は「神性を宿している」からなのだというのである。

 「幼い子」が「神性を宿している」なら、人間はもともと「神」を宿していることになる。人間は「神の似姿」として創られたと聖書にあるとおりである。それならもう、「信じる」も「信じない」もない。人間がどうあがこうと、人間はすでに神によって、あるいはイエスによって、「救われている」存在なのだということになる。

 しかし、それなら、信仰は、何もしなくても自動的に人間に与えられていることになって、何の苦労もないはずではないか。それなのに、どうして人間は、信仰をめぐって、あれこれと苦労することになるのだろうか。

 そこにもう一つのポイントがある。それは、もともと神に愛され、イエスによって救われている人間は、なぜか、神を裏切る存在だということなのだ。その裏切りにはいろいろな形がある。この芝居では、有名な「ペトロの否認」の話が出てくる。イエスにもっとも愛され、もっとも信頼の厚かったペトロは、イエス処刑の日、イエス自身によって「あなたは夜明けの鳥が鳴く前に三度私を否むであろう。」と予言される。ペトロは懸命にそんなことはないと否定するのだが、実際には、その通りになってしまう。ここにキリスト教のいわば「芯」のようなものがある。

 『夜明けに消えた』においては、聖女のようにイエスの教えて従う「ぐず」と呼ばれる女は、火あぶりの刑の最中に「熱い! 助けて!」と叫んでしまう。これもまた「裏切り」である。心は信じていても、肉体が裏切るのだ。この「ぐず」は、被差別部落出身の「熊」と呼ばれる男を、心では受け入れながら、やはり肉体が拒否してしまうことで、「熊」を裏切り、「熊」はそれまでの信仰を捨てて、キリスト教迫害者へと変貌してしまう。

 すでに「救われている人間」は、なぜ「裏切る」ことになってしまうのか。これが人間の最大の問題だと言えるだろう。けれども、この「裏切り」を、キリスト教では、けっして排除しない。そればかりか、何度も何度もその「裏切り」をテーマにして、「キリストの受難」を語りついできたのである。

 『夜明けに消えた』を見た数日後に、栄光学園の聖堂で聴いたバッハの『マタイ受難曲』の前半で、もっとも感動的なのは、やはりこの「ペトロの否認」の部分だった。復活祭を前に、繰り返し上演されてきた「受難曲」あるいは「受難劇」のテーマは、もちろんイエスの復活だが、それ以上に心に染みるのは、このペテロの裏切りであり、ユダの裏切りである。そればかりではない。イエスの弟子のほとんどは、イエスの処刑の場から逃げてしまうのである。

 なぜ、考えようによっては「汚点」ともいえる「裏切り」を、キリスト教ではこんなにも大事にしているのだろうか。人間は、そうした愚かな弱い存在だが、それにもかかわらず神は、イエスは、人間を愛しておられるのだ、ということを強調したいのだろうか。もちろん、それもあるだろう。しかし、スペインの宗教思想家ウナムーノについての論考の中で、佐々木孝は次のように述べているのだ。

 

〈ウナムーノにとって、人間には二つのタイプがある。すなわちありのままの自分に満足する人間と、おのれを不滅のものにしたいと希求する人間とである。それは日常的、たそがれどきの、外見だけの人間と、悲劇的で実体的な人間である。すなわち、自己の永続性という問題に無関心をよそおい、苦悩を避け、自己の存在の深みに生きようとしない非実体的な人間の生と、自己の存在についての悲劇的感情を有し、自己の永続のために生身を賭けて苦闘する真正な人間の生である。
 真正な生が自己を表わす二つの形態、それは痛みと苦悩である。現実は苦しむことにおいて十全に所有される。われわれの生が一過性のものであるという事実によって喚起される苦痛は、意識の最高形態である。そして苦悩は苦痛の極致、もしくは徹底化であり、生の悲劇的感情が湧き出てくる泉である。
 生は過程にある現実、転変である。生は夢もしくは現実ごときものである。そして今まさに過去の薄明のなかに消失してゆくその現在の瞬間を、絶えず超え出ることによって生は成り立つ。すなわち存在は、現実的に《ある》ことではなく、《あり続けよう》と欲することなのだ。〉『ドン・キホーテの哲学』134p 佐々木孝・講談社現代新書

 

 ここにある「真正な生が自己を表わす二つの形態、それは痛みと苦悩である。」という一文は重要だ。

 「裏切り」はもちろん「痛みと苦悩」を生む。その「痛みと苦悩」の中でこそ、人間にとって信仰は「生きたもの」となる。あるいは切実なものとして「獲得」される。

 幼稚園の子どもが、「この世界を創った神様」を素朴に信じるようには、ぼくら大人は、あるいは現代人は、神を信じることなどできはしない。NHKの「のど自慢」で、「死んだおじいちゃんに届けたい」といって歌を歌って、「届いたと思います」と言うのは勝手だし微笑ましいが、それならほんとに「死んだおじいちゃん」は「天国」にいるのか? と聞かれて、「はい」と自信を持って答えられる大人は、たとえキリスト教信者にさえいないだろう。

 死んだ後のことなんか、誰にも分かりはしない。けれども、「死んだら灰になる。それだけだ。」で済まされる問題でもない。そうかといって、キリスト教の洗礼を受ければ、天国に行けるチケットがもらえるわけでもない。何もかも分からないのだ。

 けれども、そういうはかなくもろい人間の生を生きるぼくらは、何とか永遠に生きたいと願わずにはいられない。

 佐々木孝は、ウナムーノの言葉を借りて言う。「生は夢もしくは現実ごときものである。そして今まさに過去の薄明のなかに消失してゆくその現在の瞬間を、絶えず超え出ることによって生は成り立つ。すなわち存在は、現実的に《ある》ことではなく、《あり続けよう》と欲することなのだ。」

 つまり、「死んでも生き続けよう」と欲することこそ、ほんとうに「生きる」ということなのだ。ウナムーノは、更に過激に訴える。「信じるとは、神を創ることなんだ。」と。佐々木孝は、それは正統的なキリスト教にとっては危険な思想だというけれど、そうでも考えない限り、この現代という時代で、「神を信じる」ことなどできないだろう。

 「痛みと苦悩」は、人間がもっとも避けたいことだ。「痛みと苦悩」のない日常の中で、ぬくぬくと生きていたいというのが、ぼくのような臆病な人間の切なる願いでもある。けれども、よく考えてみれば、そうした日常は、いつまでも続くわけではない。ウナムーノ風にいえば、「日常的、たそがれどきの、外見だけの人間」ということになる。そうした人間である時間も悪くないけれど、やがて早晩「苦しみ」はやってくる。そのとき、「生が一過性のものであるという事実によって喚起される苦痛は、意識の最高形態である。」という断定的な言葉は、どれだけぼくらの励みになるかしれない。

 仏教的な無常観を何となく情緒的に受け入れて、「むなしい」と嘆くより(それを否定するつもりはない。むしろ、ぼくはそんなふうにしか生きていないのだ。でも。)、「おれは死なない!」というドン・キホーテ的な冒険主義・ロマン主義に、希望はある。いや、そのようにして「希望」をこそ「創って」いかねばならないのだ。

 

 


 

 

 


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100のエッセイ・第10期・77 ドン・キホーテの生き方

2016-03-15 16:31:35 | 100のエッセイ・第10期

77 ドン・キホーテの生き方

2016.3.15


 

 「世界の長編小説読破計画」という一見ぶっそうな字面だが、よくみると極めて穏当な計画を自分の中でたてて、2014年の12月以来、毎日少しずつ読んできて、その結果、現在までに、プルースト『失われた時を求めて』、トルストイ『アンナ・カレーニナ』、ドストエフスキー『白痴』、ゴンチャロフ『オブローモフ』、スタンダール『赤と黒』、スタンダール『パルムの僧院』と読んできて、現在はセルバンテス『ドン・キホーテ』の最終巻まで到達している。

 読んだことは確かなのだが、その詳しい内容はかなり忘れてしまっているので、どれが一番よかったかなどと言われても、正直うまく答えられない。しいていえばやっぱり『失われた時を求めて』ということになるのだろう。ただ、この膨大な小説は、とても一度通読したぐらいでは、その話の構造すらよくわからず、どうしても、何回も精読することが必要だろうし、またそれをしたくなる小説でもある。

 それに比べて、今読み終わらんとしている『ドン・キホーテ』は、さすがに、しばらくいいやという感じで、これをかのスタンダールが何度も読み返して飽きなかったというのがどうにも信じられない思いがする。

 けれども、いろいろな『ドン・キホーテ』に関する本やら解説やらを読んでいると、そういうことだったのかとか、そう読めばいいのかとか、目を開かれる思いがして、なるほどこれはやはり世界文学の古典なのだと納得しつつあるのである。

 岩波文庫の訳者牛島信明が書いた解説の中にこんな一文があった。

 端的に言えば、遍歴の騎士が冒険を求めて旅をする『ドン・キホーテ』は、実は騎士の武勇の語られる冒険の物語ではない。ドン・キホーテが槍や太刀ををふるって敵(例えば、巨人と見なした風車)に襲いかかる場面の記述など、全体から見れば微々たるものだからである。そうではなくて、これはむしろ数々の愉快なエピソードと対話からなる書であって、ここでは登場人物がとめどもなくおしゃべりをする。無論、ドン・キホーテとサンチョの会話が中核をなすが、それと同時に、この主従を相手どって、あるいは主従をめぐって、おびただしい数の人物がさかんに言辞を弄する。
 そのなかで話し相手としての従士サンチョ・パンサの役割は(少なくとも「前篇」においては)はっきりしていて、彼は主人に対する忠告者を演じる。つまり、騎士道の妄想で頭が一杯になった主人、騎士道物語の記号でもって世界を解読しながら事あるごとに冒険を見出してゆくドン・キホーテを、現実に引き戻すという役割である。

 ここでとりわけぼくに興味深く思われたのは、最後の方に書かれている「騎士道の妄想で頭が一杯になった主人、騎士道物語の記号でもって世界を解読しながら事あるごとに冒険を見出してゆくドン・キホーテ」という箇所である。

 この小説の中では、ドン・キホーテは「狂っている」と周囲の人たちから思われていて、さんざんに愚弄されるのだが、それでもドン・キホーテは絶対にめげない。サンチョも、自分の主人の狂気を知っていて、牛島が言うようにいつもドン・キホーテを現実に引き戻そうとする。しかし、そのサンチョもいつの間にかドン・キホーテの狂気に巻き込まれてしまうのである。物語の最後の方では、ドン・キホーテの狂気は次第に治っていき、前半の有名な「風車への突撃」というような事態は蔭を潜めてしまうのだが、それはすでにドン・キホーテの最期を暗示しているわけで、ドン・キホーテがドン・キホーテらしくその魅力を存分に発揮するのは、「つまらない現実」を「騎士道物語の記号でもって世界を解読しながら事あるごとに冒険を見出してゆく」ところにある。ドン・キホーテにとっては、ちょっとした行為も、みな「冒険」となるのである。

 冒頭近くの「風車」の件も、丘の上に立っている風車を巨人だと思い込んでしまい、ひとりで風車に突撃をして、その羽にあたってふっ飛ばされて大けがをしてしまうというだけの、単なる「狂気の沙汰」にすぎないのである。しかし、その「狂気の沙汰」がその後も一貫して演じられ、文庫本で6冊読んでも、似たような「狂気の沙汰=冒険」がくり返されるとなると、これは、もう「狂気の沙汰」ではすまされない、何か異様な迫力というか説得力をもってしまうのだ。

 で、ふと思ったのだが、実におおざっぱで乱暴な言い方ではあるが、キリスト教の信仰というものも、これに似たところがあるのではないかということだ。つまり先ほどの牛島の言葉を借りて言い換えれば、キリスト教の信者というものは、「聖書の記号でもって世界を解読しながら事あるごとに冒険を見出してゆく」者のことではないかということだ。

 ここで言う「冒険」とは、「意味ある行為」に置き換えてみれば分かりやすい。

 例えば聖書には、「この小さき者にした行為は、私にした行為だ。」というようなイエスの言葉がある。「小さき者」「貧しい者」「差別される者」などはみな「聖書の記号」では、「イエス」につながると言えるだろう。だとすれば、世界の中に無数に存在するそうした人々への共感とか、寄り添いとか、奉仕とかいった人間の行為は、「信仰的に意味ある行為」となるだろう。そして、時にそうした行為は、世俗からは「狂気の沙汰」と嘲られることもあるに違いない。そうかんがえてみると、ドン・キホーテの生き方は、信仰者の生き方と非常に近いということができるように思えるのだ。

 ドン・キホーテといえば、現実をみずに夢の世界を信じて向こう見ずの冒険をくり返す愚か者の象徴のように見られがちだが、実は、どんなに周囲からバカにされようと、愚弄されようと、自らの信念によって、現実そのものを変容させてしまう意志を持つ者のことではなかろうか。

 もっとも「現実の変容」といっても、客観的な現実が変容するわけではない。それはあくまで個人の心の中での変容に過ぎないことも事実である。けれども、それなら「現実」とはなんだろうか。「客観的な現実」というものは確かに存在しているのかもしれないが、ぼくらが生きるのは、実はその「客観的な現実」の中ではないのではないだろうか。

 たとえば大学入試に落ちたとする。それは動かしようのない「客観的な現実」だ。自分の頭の中で「受かったことにする」ことなんてできない。けれども、ぼくらがその現実を生きるとき、単なる「大学入試に落ちた」というだけにとどまらない。「これからは来年に向けて再起動しなくてはならない」という「現実」だと、自分の頭の中で「変容」させる必要がある。それをしないで目の前にある「客観的な現実」にとどまっているかぎり、「落ちてしまった」という「事実」にうちひしがれていることしかできないだろう。

 ドン・キホーテなら、「そうか、これは騎士たる拙者に神が与えてくださった試練なのだ。闘わねばならない。」と思うだろう。更には「拙者が読んだ騎士道物語にはこれにまさるとも劣らぬ試練に雄々しく立ち向かい、名声を獲得した騎士がごまんとおる。」と思うだろう。

 ドン・キホーテはどんな窮地に陥っても希望を失わない。それは、彼が読み浸った騎士道物語に、「前例」がいくらでも見いだせるからだ。そのことの大切さを、現代に生きるぼくらも、もういちど確認しなくてはならないような気がしている。




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100のエッセイ・第10期・76 「時間をかける」ということ

2016-03-06 17:56:17 | 100のエッセイ・第10期

76 「時間をかける」ということ

2016.3.6


 

 水墨画を習いたいというのが長い間の夢だった。絵の方は、学生時代から水彩画を自己流で描いてきたのだが、書道をやるようになって墨に親しむようになってから、やっぱりこの墨で絵を描きたいものだと思うようになったのだ。

 水墨画入門といった本を買い込み、それを参考に描いたこともあったのだが、どうにもうまく描けない。抽象的な図像なら、墨のぼかしなどを利用して、面白いものがいくらでもできるが、鳥なら鳥をお手本どおりにちゃんとそれらしく描くとなると、これがなかなか出来ない。何度も描いてはみたが、あまりにうまくいかないので嫌気がさしてしまい、いつもそのままほっぽり出すということになっていた。

 水墨画のように伝統のあるものは、書道と同じように、ちゃんと先生に就いて習わなければダメだと痛感しつつ、その時間がとれなかった。いや、時間は、定年退職後の人生だからいくらでもあるのだが、行きたいと思う水墨画教室の開催される時間が、金曜日だけで、その金曜日には唯一残っている仕事が入っていたので、通うことができなかったのだ。

 しかし、今年にはいって、金曜日の仕事もなくなり、時間ができた。それで、この前の金曜日に、思い切って出かけてみた。

 桜木町の駅前にあるビルの5階に教室がある。先生は、中国の方で姚(よう)小全というおそらく50代の男の先生。以前、書展でお目にかかり、いつか行きますからと言ったことがあるのだが、先生は、もちろん覚えていなかった。あれから半年も経つのだから当然である。それに先生が生徒のことを覚えてないのは、ぼく自身が証ししているではないか。しかも、まだ「生徒」ですらなかったわけだから。

 その日は、見学だけのつもりで、何も持っていかなかったのだが、教室にはぼくより高齢と思われる男性が3人ほどと女性がひとり。開放的で実に自由な空間だった。せっかくだから何か描いてみてくださいと言われて、お手本を二枚渡された。ツバキのような花の絵と、竹にすずめがとまっている絵だった。筆は、隣に座った女性から借りた。その他の道具は全部教室に備え付けてある。

 描いていると、先生が、いろいろと話してくれる。完全な日本語ではないので、ときどきよく分からないことはあるが、その話の内容はとても新鮮で興味深いものだった。

 ぼくは書道は10年ほどで、絵は水彩画をずっと描いてきました、と言うと、水彩画というのは、西洋ではもともと油絵の習作として描かれたものだから芸術のジャンルとしては確立していない。それに対して水墨画は中国では古くから重要な芸術のジャンルとして確立してきたものだ。水彩画と水墨画は、ぜんぜん違うものなので、その点を理解しなければいけない、と言う。

 水彩画は現在では、もちろんジャンルとして確立している。しかし、同じ作者で、同じ大きさなら、油絵のほうが断然高値がつくのも事実だ。その理由はいろいろあるだろうが、先生の話から気づいたのは、その絵の制作にかかる時間の問題がある、ということだ。

 ぼくが描いてきた水彩画は、せいぜいA4版ぐらいの大きさで、どんなにかかっても2時間とかからないで「完成」してしまう。チャチャッと描いて終わり、それがぼくの水彩画だ。その手軽さがぼくは好きで、描いてきた。

 水墨画も、それをただ墨でやるだけの話だから、かかる時間も同じくらい、いやひょっとしたらもっと短いのかもしれないと思っていた。紙の上に、墨でササッと描く。それが水墨画だと漠然と思い込んできた。

 それが大間違いだった。先生が、何を描きたいんですか? というので、そうですね、花鳥画や人物画も描きたいんですが、一番描きたいのは山水画です、というと、先生は、ああ、山水画はね、時間をかけて描くんですよ、一ヶ月とか二ヶ月とかね、という。どこに山を描いて、どこに木を描いて、どこに川を描いて、というふうに計画を立てて、それを時間をかけて描いていくんです、というのだ。

 ササッと簡単にできるものなんて芸術じゃありません。時間をかけて作るものこそ芸術的な価値があるんです、と先生は言う。

 そうか、そういうことか、と深く考えさせられた。

 ぼくは、今まで、何でも簡単にササッとできるものが好きだった。「時間をかける」ことが苦手だった。書道でも、とにかく筆がはやすぎると師匠にこの十年の間、注意され続けてきた。それでも、そのクセはなかなか治らない。

 水墨画は、書よりも、もっとはやく筆を動かすのだと思っていたのに、まったく逆だった。鳥一羽描くのに、文字一字書く何十倍もの時間がかかる、いや時間をかけてゆっくり描かないとまったく描けないことが分かった。

 何でもはやければいいということではない。仕事がはやいと褒めらたことは幾度となくあるが、それも粗製濫造の気味がある。お風呂もすぐに出てしまい家内がいつも呆れるほどだ。ここらで、腰を落ち着けて、何事にもじっくり時間をかけて取り組むことを心がけたいものである。

 

 

 


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