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100のエッセイ・第10期・85 写真の楽しみ(3) トリミング

2016-05-21 11:27:33 | 100のエッセイ・第10期

85 写真の楽しみ(3)トリミング

2016.5.21


 

 ネットに写真を載せる人の「調整してません! 自然のままです!」が、無意味であることを最初の回で書いたのだが、それに続いて、あるいはそれ以上に多くて、実際には無意味なのは「トリミングしてません!」だ。

 トリミングというのは、今では犬や猫の毛をきれいに刈ることを意味する場面が多いようだが、写真では、実際に撮れた写真画像の一部を切り取ることを言う。それを「やっちゃいけないこと」だと思っている人が案外多いようなのだ。

 もっとも、こういう言い方が多く見られるのは、「価格コム」などのカメラやレンズのサイトで、参考としてアップされている写真に関してである。そういう場所でならそれはもちろん無意味ではない。つまり、そこではレンズの画角(どの範囲まで撮れるか)がどういうものかの「証拠」となるわけだ。広角レンズで撮ったのに、それをトリミングしてしまっては、画角が分からなくなってしまう。「トリミングしてません!」は、いわばレンズのテストとしての報告なのだ。

 それと同じことが「調整してません!」にもある程度言える。そういうサイトで、あるカメラで撮った写真をアップする際に、色彩やコントラストを「調整」してしまうと、そのカメラの特徴が分からなくなってしまう。だからあえて「調整してません。」と言うわけである。

 つまり、これらの言葉は、ある専門的な目的のために使っている言葉で、ぼくらが普通に写真を撮るときの、あるいは写真表現をするときの「お約束」ではないのである。ところが、こうした言葉を、カメラの初心者がみると、ああ、「調整」とか「トリミング」なんてしちゃいけないんだと早合点してしまうのだ。それが問題なのである。

 トリミングが嫌がられるのは、それをすると、画像の一部だけを使うことになるので、それだけ解像度が落ちてしまうということがある。写真展などに大きなサイズで出品するときに、特殊な目的がない限り、画像はできるだけ鮮明な方がいい。粒子のあれた画像では汚らしい。それなら撮ったままのサイズでプリントしたほうがいいということになるわけである。

 けれども、これも昔の話。今ではデジタルカメラの映像素子も当初からは考えられないような高密度となっている。撮った画像の四分の一しか使わなかったとしても、A4とかA3とかいった大きさにプリントしてもなんら問題はないのである。(厳密にいえば粒子は粗くなっているから問題だという人もいるだろうが。)

 話が専門的になるとメンドクサイと思われる読者も多いだろうから、簡潔にまとめると、「トリミングがダメ」という場合は、レンズの画角テストの場合、そして解像度を下げたくない場合の二つとなるはずである。前者は、特殊な場合だから普通は問題外。後者は、カメラの画質が進歩したからこれも普通はほとんど問題にならない。つまり、「トリミングはダメ」という根拠は、普通はない、ということになるわけだ。

 ところが、ここに変な「精神主義」が混入してくる。実際にそういう指導を受けたことはないが(ぼくは写真に関しては誰に師事するなんてことはしていない)、どうも察するに、写真というものは、撮った時点で、最高の構図を決めるべきだというような考えがあるように思うのだ。あとからトリミングして構図を変えるなどというのは邪道だとでもいいかねない人もいそうだ。しかし、そういう考えがどこから来たかを考えてみると、これもやはり、35ミリのフィルムで撮っていたころの名残で、できるだけ解像度を落とさないために、トリミングをせずにすませたい。そのためには、撮った時点で構図をバッチリ決めておこう、ということだろうと思う。

 ぼくの家内の父が、35ミリをやめて、大判のブローニーのフィルムをもっぱら使ったのも、トリミングがどうしても必要だったからであり、そのためには、解像度を稼ぐ必要があったからだと言えるだろう。

 実際のところ、二科展の写真部に毎年出展していた義父は、師匠の指導を受けながら、どうトリミングするかに苦辛惨憺していた。写真を撮ることはまず第一段階で、これがもっとも大事なことだが、撮った写真をどうトリミングするかが、写真を撮ることと同等ぐらいに大事なことだった。同じ写真をああでもない、こうでもないとトリミングして、その仕上がりを検討し、いちばんいいものを出品していた。それが当然だと思うのだ。

 たとえば、公園で花の写真を撮るとする。構図をばっちり決めようと思ったら、まず三脚にカメラを据えて、じっくりファインダーやらビューモニターやらを眺めて、あれこれ考えなければならない。手持ちであっちへフラフラ、こっちへフラフラしていたのでは、しっかりした構図を持った写真にならないわけである。実は、ぼくもこういうふうに、三脚を据えてじっくりと撮影したいものだと思わないわけではないのだ。けれども、ただでさえ重たいカメラとレンズにめげそうになっているのに、そのうえ、3キロ以上もある三脚を担いでいく体力はないし、そもそも写真だけが趣味ではないので、そんな時間的余裕もないのだ。

 で、ぼくは、三脚は使わない。ありがたいことに最近のレンズ、あるいはカメラにはたいていは手振れ補正という機能がついているし、感度もいいから速いシャッタースピードでとれる。だから慣れればまず手振れはせずにクローズアップの写真も撮れる。三脚は使わなくてもすむのだ。どうしても三脚が必要なのは、「鳥屋」さんたちで、400ミリとか500ミリとかいった大砲みたいなレンズを使うには、とても手持ちは無理だ。スポーツ写真も同様だろう。これは、「構図」の問題ではなくて、「体力・腕力」の問題だ。

 では、構図はどうするか。もちろん、考えて撮る。けれども、あんまり厳密には考えない。あとでトリミングすればいいのだと割り切るわけだ。

 後はひたすら枚数を撮る。撮りまくる。素材がなければ、加工することもできない。こんなの撮ってもしょうもないと思っても、「現像」でどうなるか分からない。だから撮る。最近、植物を撮ることが多いが、2~3時間の撮影で、300~400枚は撮る。(何百枚撮ろうと、金がかからない。これがデジタル時代の最大の恩恵である。)それを家のパソコンで、処理する。コントラストを変える、色調を変える、トリミングする、こうした一連の作業自体がとても楽しい。楽しくて仕方がない。

 「調整してません。」「トリミングしてません。」と誇らしげに言う人は、この楽しみを放棄していることになる。デジタル時代になったからこそ味わえる写真の楽しみを存分に味わえばいいのにと、他人事ながら思うのである。


 


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100のエッセイ・第10期・84 写真の楽しみ(2) レンズという魔物、あるいはボケの魔力

2016-05-10 16:55:19 | 100のエッセイ・第10期

84 写真の楽しみ(2) レンズという魔物、あるいはボケの魔力

2016.5.10


 

 透明なもの、澄んだものが好きだ。秋の空、山中に湧き出る清水、太陽の光に透きとおる若葉、シャボン玉、窓ガラス、ガラス、レンズ。

 レンズを見ていると、吸い込まれていってしまいそうだ。レンズは無色ではない。何枚も組み合わされたカメラのレンズは、紫、緑、ピンクなど、さまざまな複雑な色をしている。けれども、それはあくまで透明で、光を集め、光を捉え、光を表現する。そのレンズは、単眼と呼ばれる固定焦点レンズと、ズームレンズがあるが、それぞれに多彩な商品がとりそろえられ、カメラマニアを誘惑し続ける。彼らはその魅力にはまると、そこからなかなか抜け出ることができない。彼らはそれを自虐的に「レンズ沼」と呼んでいる。ぼくは、そうした「通」にしか通じないような言葉はあまり使いたくないが、まことに言い得て妙である。

 たくさんのレンズを買い集めることが写真好きなら誰でも抱く共通の夢だが、「夢」を抱かせるようなレンズはひどく高価だ。

 以前、舞岡公園に野鳥を撮影するために足繁く通ったことがあるが、そこに集まるいわゆる「鳥屋」さんたちは、ほとんどが定年退職したジイサンたちで、しかも、「年金暮らしだから倹約しなくちゃ」なんてお決まりのセリフとは無縁の人たちらしく、いったいどこからそんなお金が出てくるの? って聞きたくなるくらい高価なレンズをこれ見よがしにカメラに装着して、三脚を立ててずらっと並んで珍しい鳥を狙っている。彼らの持っているレンズは、たいてい、400ミリとか800ミリとかいった超望遠レンズで、ニコンでもキャノンでも、まあ、100万円はくだらないというシロモノである。

 その頃、ぼくは、カメラもニコンのD40あたりに、6万円ぐらいの望遠ズームレンズを付けて、三脚も立てずに嬉々として撮っていたのだが、たまたま、大きなレンズを持ったジイサンに撮った写真を見せてもらったら、もう呆れるくらいキレイに大きく撮れているので、これじゃあ、勝負になんないやとすっかり白けてしまって、「鳥屋」さんからあっさり身を引いた。別に「勝負」なんかしなくてもいいのに、案外ぼくは負けず嫌いらしい。あんなの見なきゃよかったんだ。「比較は不幸の元」である。

 そう、「比較」が、一時、ぼくを写真そのものから遠ざけたこともあった。30年以上も前のことだが、家内の父が突然写真に凝り出した。初めのうちは、35ミリカメラで、風景写真を撮り、四つ切りぐらいにプリントしてひとり悦に入っているのを見て、よせばいいのに、ぼくは「オトウサン、大きく引き伸ばすなら、なんといっても大判のフィルムがいいですよ。」とけしかけたのだ。すると、それから何ヶ月もしないうちに、アサヒペンタックスの6×7やら、ゼンザブロニカやら、とにかくすごいカメラを買いまくり、やがて、二科展の写真部の常連となり、果ては個展も何回となくやるようになってしまったのだった。

 大判のフィルムで撮った写真は、全紙サイズにプリントしても、ちっとも粒子が荒れることなく、ピントはあくまでシャープで、35ミリフィルムでは、どう逆立ちしたってかないっこなかった。そういう写真を日常的に目にするようになって、ぼくの写真への興味はほとんど消えかかった。ぼくも風景写真を主に撮っていたから、35ミリなんかで撮った写真なんてミジメでならなかったのである。これも「比較」が生んだ不幸であった。

 それでも細々と風景写真を撮っていたのは、水彩画の素材にするためだった。そのため、絵になるような風景を、絵になるような構図でしか撮らなかったし、ピントは画面全部にあう(専門的にはパンフォーカスという)ような写し方しかしなかった。写真そのものを表現とはしなかったのだ。

 そのうち、書道をやりはじめ、ひょんなきっかけから「コラ書」と自称するものを作り始めた。自分の書いた書と写真を合成するというもので、そのための写真を意識的に撮るようになった。そうなると、あまり説明的な写真では書と合わないし、ピントが合いすぎている写真も字とまざってしまって具合がわるい。そこで、半分ぐらいボケている写真を撮るようになった。ここで、初めて、「ボケ」を意識するようになったわけである。

 鳥を撮っても、いかにして鳥にピントを合わせるかが最大の問題だった。望遠レンズで、鳥にピントがあえば背景は当然ボケるのだが、そのボケは「結果」であって、「目的」ではない。しかし、コラ書の背景としての写真は、ボケそのものが目的となったわけだ。

 そのうち、コラ書にも飽きてきた。もう写真を撮る必要もなくなり、カメラもレンズも、最低限のものがあればいいやということになった。もう二度と新しいレンズなど買うこともないだろうと思っていた。

 それなのに、転機が突然訪れた。きっかけは、フェイスブックだった。たまたま、「友だち」になった、母方の従妹の投稿を見ていたら、そこに彼女のご主人の写真が載っていた(あるいはリンクが張られていた。こちらがそのブログ。またお店(美容室)のホームページにもたくさんの写真があります。どうぞご覧ください)。その写真を見て、驚いた。画面のほんの一部しかピントがあっていないのである。しかも、使用しているレンズが、聞いたこともないメーカーのもので、F値が1.1とか、0.95という、ぼくが生まれ初めて知る明るさのレンズだった。「1.1」すら聞いたこともない値で、「0.95」となると、その数字を見たとき、それがF値だとすら気づかなかったくらいなのだ。そんなレンズがあるのかと、ネットで調べてみると、ちゃんとある。びっくりした。

 しかも、彼は、そのレンズを開放値(つまり0.95)で撮影しているのだ。それなら、ピントはごく一部にしか合うはずはない。画面全体に広がるのはほとんどボケばかり。まさに究極の「ボケ写真」である。

 風景を撮るにしても、電車を撮る(そうだ、撮り鉄でもあったっけ)にしても、鳥を撮るにしても、とにかく「ビシッとピントがあうこと」「シャープであること」をひたすら追求してきた。だから、どんなに明るいレンズを使っても、絞りはなるべく絞って使ってきた。コラ書の写真だけは例外だったけれど、「絞り開放」で撮ることなど滅多になかったのだ。そうである以上、実は「明るいレンズ」がなぜあんなにも皆がほしがるのか、よく分からなかったのも当然だったのだ。レンズの明るさは、「いいボケ」に必須なのだということに、あまり重要性を感じなかったわけだ。

 フィルムの時代は、フィルムの感度(ISO感度。昔はASA感度と言ったなあ。)が低かったから、暗い所で撮るためにはどうしても明るいレンズが必要だった。それはよく知っていた。昔のフィルムの感度はせいぜい600ぐらいが限度で(よく覚えてない。ぼくが使った白黒の「高感度フィルム」は200ぐらいだ。)、あとは「増感現像」といって、現像時に特別な処理をしたのだが、それは、画面の解像度を犠牲にせざるを得なかったのだ。昨今のデジタルカメラでは、ISO12800などという昔では考えられない感度も普通になっているから、そういう意味では明るいレンズである必要なんてないのだ。

 ぼくは、改めて自分が持っているレンズの「明るさ」を調べてみた。古いレンズだが、一番明るいものでニコンの1.2というのがあった。10年ほど前にずいぶん高いなあと思いつつも買った105ミリのマクロレンズも2.8の明るさだった。そうか、だから高かったんだ、と今更ながら納得した。それらの明るいレンズを使って「絞り開放」で撮ってみた。そうか、そうだったのか、と膝を打つ思いだった。なんというボケ方だろう。なんという美しいボケだろう。ここからまたぼくの写真狂い、あるいはレンズ狂いが始まったのだった。

 小学生の頃からカメラを持ち、その後、様々な写真を撮り続けてきて、いっぱしのカメラマン気取りで生きてきたのに、実はこんなにもいい加減な撮り方しかしてこなかったとは我ながら驚きだった。もちろん、絞りを明ければ、背景がボケることぐらい基本中の基本だからよく知っていた。けれども、絞りを「5.6」で撮るのと、「1.2」で撮るのがこんなにも違う世界が広がるとは思わなかった。いやそれも正確な言い方じゃない。しつこいようだが、違うことは知っていたのだ。けれども、それを作品に生かすことをちっとも考えてなかった、ということなのである。

 「ボケ味」に目覚めたぼくは、必然的に「レンズ沼」に引きずりこまれてしまい、いくつかのレンズを買うはめになったが、今ではもうこれ以上レンズを買う金もないから、ようやく沼から這い出して、持っているレンズで、いかに「ボケた」写真を撮るかに熱中しているというわけである。ぼくのことだから、そのうち飽きるだろうが、それまでは当分退屈しそうにない。

 あるいは飽きる前に、ぼくの方がボケてしまうかもしれない。いずれにしても、あしたのことは、分からない。



 

絞り値(f値)の違いによる、ボケ方の例です。 

3枚は、ほぼ同じ位置から同じ焦点距離のレンズで撮っています。

ちなみに、この花は「ヒメツルソバ」と言います。

 

Nikon D750
AF-S MICRO NIKKOR 105mm 1:28G ED

 

 

 f  36

 

「36」が、どうもこのレンズの一番絞った値。

それでも105ミリの望遠マクロレンズなので、前と後ろはボケます。 

 

 

 f 5.6

 

「5.6」あたりは、スナップ写真などでよく使う絞り。

これでも結構いい感じにボケています。

 

 

 f 3.0

 

レンズを見ると、「2.8」が開放のレンズなのですが

どうも、このカメラでは「3.0」になるようです。

こうなると、ほとんど中央の1点にしかピントが合っていません。

 

この写真を、現像ソフトで更に調整していくと

こんなふうになります。

こうなると、後ろの崖なんか、もう判別不可能です。

つまり「非現実的」になっていくわけです。

 

 

 

 


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100のエッセイ・第10期・83 写真の楽しみ(1)「調整」について

2016-05-03 14:35:33 | 100のエッセイ・第10期

83 写真の楽しみ(1)「調整」について

愛用の現像ソフト、Adobe Lightroom

2016.5.3


 

 先日金沢文庫へ行った折、隣接する称名寺の境内で、野草の写真をうずくまって撮っていたら、初老の男性が近づいてきて、何を撮ってるんですかと聞いてきたので、この草を撮っているんですよ、最近のデジカメはモニターが傾くので、草を横から撮れるので面白いですね、なんて話しているうち、その人も、写真好きと見えて、いろいろな話をした。その中で、やはりデジカメになって写真も楽しくなりましたね、特に、RAWで撮って、パソコンで現像するのは楽しいですよね、といったら、「ああ」と残念そうな返事をした。ああ、この人もやっぱりかと思って、ちょっとガッカリした。

 この前、ネットで、自然の写真などを撮ってアップしているひとのブログなどを見ていたら、「この写真は、調整してません。自然のままです!」と得意そうに書いている人がいた。こういう記事を読むと、やっぱりガッカリする。

 写真は、誤解されている。

 「写真」つまり「真を写す」という名前がいけないのかもしれないけれど、写真は、「ありのままの」「自然のままの」画像だと思い込んでいる人が多いのである。さらにデジカメの時代になって、気軽にカラー写真を撮れるようになったのはいいのだが、カメラで撮って、それに一切手を加えない写真がいいのだと思い込んでいる人も多いような気がする。

 ぼくは、写真の専門家ではないが、「写真歴」だけは長い。初めてカメラを買ってもらったのは小学2年ぐらいだったから、もう半世紀以上写真をとり続けてきたことになる。だから多少の知識と経験はある。そんなわけで、昨今の写真をめぐる言説に、ときどきいらつくので、ここらあたりで、まとめて言いたいことを言っておきたいと思う。ただ、えんえんと長くなるのもナンだから、何回かに分けて書くことにしたい。

 まず、「調整してません。だから自然のまんまです。」ということの誤りについて。

 ここでまず問題なのは「自然のまんま」って何かということである。目の前の丘の木々が若葉に萌えているとして、その美しさを「見たまま」に表現したということなのだろうが、眼前にある景色と、写真に撮った景色が、あまりに違うことにガッカリしたことのない人はいないだろう。とくに若葉の色などは微妙な緑の差異が、ほとんど信じられないほどの美しさを持っているのだから、それを写真に「正確に写し取る」ことなどそもそも不可能なのだ。しかも、自然は「奥行き」を持っている。つまり3D映像なのだ。4Kとか8Kとか言ってるけど、そんなもの目じゃないのだ。しかも、左右も天地もほとんど無限といっていいくらい広がっている。それをたかだか数十センチの画面に定着しようってんだから、無理すぎるわけだ。だから、自然の景色を(町の景色だっていいが)、「自然のまんま」写真に撮るなんてことは絶望的に無理な話なのであって、写真というものは、この「絶望」から出発するのだ。

 なんてご託を並べていると、キリがないので、先へ行くが、問題の「調整」だ。

 この人が言っている「調整」っていうのは、パソコン(今ではスマホでもできるが)で、コントラストや、ホワイトバランスや、明るさや、色味などを「調整」することを指しているのだろう。つまり、デジカメで撮った写真を、なにも手を加えずにブログに載せています、ということなのだと思う。件の称名寺で出会ったオッサンも、パソコンでの「調整」は「邪道」だとどこかで吹き込まれたに違いない。そんなことを言う写真の「指導者」はいくらでもいそうである。

 しかし、彼らの根本的な誤りは、「デジカメで撮った」時点で、すでに「調整」されているということを忘れている(あるいは知らない)というところにある。詳しい人には何を今更というような簡単な話だが、デジカメでは、レンズから入ってきた光を感受して画像を作るわけだが、その時点で、なんらかの「調整」をしているのである。カメラのメニューによくある様々な撮影メニュー(風景とか、人物とか、ソフトとか、ビビッドとか)がそれだ。そこを何にもいじらなければ、「標準」ということになるが、それだって、「標準的な画質調整」をしているわけである。

 カメラにそういう調整を任せないで、入ってきた光の情報をそのまま記録するのがRAWと呼ばれる撮影モードで、これは、特別なパソコンのソフトを使わないと画像にならない。そのソフトを使って画像にすることを「現像」という。(知ったかぶりをして、いい気になって説明してますが、それほど正確な記述ではありません。悪しからず。)この「現像」作業では、さまざまな「調整」が可能になる。露出オーバーで白っぽくなっていても、それを適性な露出にすることもできるし、全体に赤みが強くなってしまっている画像を「自然」な色味にすることもできる。実際の風景よりも、コントラストを強くしてより印象的な画像にすることもできる。これをみな手動でやることができるのである。(自動モードもあります。)

 これを「人工的だ」といって嫌がる人もいるわけである。そんなに手を加えずに「自然」でいいじゃないか、というわけだ。

 しかし、もともと写真というものは、極めて「人工的」なものなのだ。メンドクサイからくどくど言わないが、写真の初期のころは、もちろん白黒写真だったわけで、これほど「人工的」あるいは「反自然的」なものはない。その白黒写真は、フィルムで撮ったのだが、どのフィルムで撮るかによって画像はまるで違ったものになる。コントラストの強い(硬調)というフィルムを使えば、白黒の差が強いクッキリした写真になるし、その反対の軟調のフィルムを使えば、やわらかい写真になる。しかも、そのフィルムの現像段階でも、現像液の温度とか、現像液に浸けておく時間とかによって、画質に差が出る。そうやって現像したフィルムを今度は「印画紙」に「焼き付ける」わけだが、その焼き付け作業によっても、無限に画質が変化するわけである。

 つまり、写真というのは、その当初から「撮ったままの自然」などとはほど遠い、極めて「人工的」なモノだったのだ。

 ぼくは高校生のころに、この白黒写真の現像や焼き付け作業に熱中した時期があって、ほんとに楽しい思いをした。そのころ、丁度カラー写真も普及してきたころだったが、これは自分でそういう作業をすることができず、写真屋任せにするしかなかった。こっちで出来るのは、フィルム選びぐらいのもので、自分の好みのカラー画像など、夢のまた夢だった。

 それが、デジカメの登場によって可能になった。これはぼくにとっては文字通り「夢のような」ことだったわけだ。デジカメも当初は、画素も少なく、プリンターで印刷しても粒子がモロ見えというシロモノだったが、それでもぼくは感動したものだ。
それから20年も経たないうちに、「RAW現像」など当たり前になってしまったが、それでも、白黒時代の「現像作業」の心躍るような楽しさを思い出しながらの至福の時間となっているわけなのだ。

 結論は、もう、言わずもがなだろう。「RAW現像」など面倒だといって、jpegで撮るのはちっともかまわないことだが、自分の気に入るように画質を「調整」することに何の「罪の意識」を感じる必要はないということ。変な「とらわれ」からは一日も早く解放された方が、人生も趣味も楽しいはずである。




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100のエッセイ・第10期・82 「粋」は、どこに?

2016-04-26 14:08:40 | 100のエッセイ・第10期

82 「粋」は、どこに?

2016.4.26


 

 何でもかんでも商売のネタにする世の中である。

 オリンピックのエンブレムがどうのこうので大騒ぎしているから、なんで、エンブレムなんか必要なのかと思ったら、「使用料収入」があるからという理由もあるらしい。なるほど、オリンピックがらみで商品を出そうとすると、そのエンブレムを使いたくなり、そうなるとオリンピック委員会だか何だかしらないが、そういうところへ「使用料」を払わねばならぬ、ということか。なんだかガックリくる。

 今度採用されたエンブレムは藍色の市松模様で、「日本の粋」や「伝統」を表現しているというのだが、え? 「粋」ってどういうことだっけと、思わず九鬼周造の『「いき」の構造』を読みたくなった。悔しいのは、ここで「読み返したくなった」と書けないことで、こんな有名な本を、題だけ知っていて読んでないというのは、恥ずかしいことこの上もないのだが、といって、このエッセイを書くために読んでいたら、いつまでたってもエッセイを書けないので、すっとばすが、いずれにしても、「今の日本って、そんなに粋かい?」って、朝ドラ『とと姉ちゃん』の大地真央みたいに変なカッコをつけて宝塚的発声で言ってみたくもなるじゃあないか。

 そう啖呵切ったところで、「粋」ってなあにというところが判然しないのではしょうがないので、『日本国語大辞典』を引用すれば、

「粋」(1)気風、容姿、身なりなどがさっぱりとし、洗練されていて、しゃれた色気をもっていること。また、そのさま。主として近世後期以降発展した一種の美的理念。(2)遊里、遊興に精通していること。

となっている。この反対語が「野暮」で、これもかの辞典によればこうだ。

「野暮」遊里の事情に暗いこと。性行、言動が洗練されないでいて田舎くさいこと。世態、人情の機微に通じないこと。気がきかないこと。不粋。また、その人やさま。


「遊里」のことはさておき(ちなみに、こうした「遊里」で「粋人」を気取るやに下がった男もぼくは嫌いである)、「さっぱりとしていて、洗練されて、しゃれた色気を持っている」のが「粋」で、「言動が洗練されてなくて、田舎くさくて、人情の機微が分からなくて、気がきかない。」のが「野暮」だとすれば、今の日本が、どっち側にあるかなんて、小学生にでも分かることではないか。(いや、小学生にはちと無理か。小学生は「野暮」でいいし、そうでしかありえない。「粋な小学生」なんていたら気持ちが悪い。)

 「野暮」というのは、結局何がなんでも「金!金!」ということに尽きる。金や権力をひけらかす田舎者が徹底的にバカにされる落語を聞いてみればすぐに分かる。それが野暮だ。

 エンブレムを大金かけて作って、その作る過程にもいろいろ金とか権力がからみ、それで作り直しになるなんてこと自体が野暮の極みなのに、その野暮なドサクサの挙げ句に出てきたのが「粋」なエンブレムというわけで、その「粋」なエンブレムが、金まみれになるってわけなんだから、もうどう表現したらいいのかわかんない。

 別にエンブレムを親の敵だと思っているわけではない。ほんとは、どうでもいいのである。オリンピックだってどうでもいい。どうでもよくないのは、いまだに、この「日本の伝統」が「粋」だと思い込んでいる人、思いたがる人が多すぎるということだ。「粋な人」はそれこそたくさんいる。けれども、それは日本にしかいないわけではない。粋な外国人だってたくさんいる。行ったことがないからよくは知らないが、ヨーロッパあたりの田舎に行くと、粋なオジイサンやオバアサンがたくさんいるような気がする。(そんなテレビの旅番組をよく見る。)

 しかし、この日本が、今、「粋な国」だなんて、ぼくはどうしても思えない。「粋」が「伝統」として、生き生きと生きている国だなんて絶対に思えない。いや、そもそも「粋」は、「国」と相容れないのだろう。「金だって? あたしゃそんなものに、興味はないよ。」なんて大店の若旦那みたいなことを国が言っていたら、それこそ「国」は成り立たない。それは重々分かっている。分かっているけど、ぜんぜん「粋」じゃない政治家や実業家なんかが、「日本の伝統である粋をアピールしましょう。」みたいなセリフを言うのを聞くと、「てやんでえ!」って思うわけである。

 つい先日、NHK-BSの火野正平の『こころ旅』を見ていたら、山梨県の勝沼あたりを自転車で走っていて、道路の周辺にピンクの桃の花が満開だった。その美しさは、ソメイヨシノの及ぶ所ではない。そういう風景をテレビでみながら、陶淵明の「桃花源記」や、老子の「小国寡民」の話を思い出していた。それこそ本物の「粋」じゃないかと、つぶやいてみる昨今であるが、こんなことを書いて老後の憂さを晴らしているというのも、なんとも野暮な話である。




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100のエッセイ・第10期・81 細切れの時間

2016-04-17 16:59:46 | 100のエッセイ・第10期

81 細切れの時間

2016.4.17


 

 長いこと教師をやってきたからだろうか、時間を細切れにする習性が身についてしまっているようだ。

 教師の場合、授業を中心に一日の仕事が展開するわけだから、50分とか45分とかが一単位となる。学校によっては90分なんて恐ろしげな授業もあるようだが、中高生の場合、普通の講義形式の授業なら50分でも長いくらいだ。彼らの集中力が持続するのはせいぜい20分。長くても30分だ。だから、というわけでもないが、現役の頃は、ぼくはひたすら古典的な講義式の授業をやっていたから、ほんとの中身はせいぜい20分ぐらいで、あとの30分ぐらいは「雑談」というようなことが多かった。いつも、全部、というわけじゃないが、生徒にとってみれば、そういう授業ばかりが印象に残るから、あの人はまともな授業をしないと思っていただろうと思う。それはおおむね正しい。

 今では、アクティブラーニングとかがトレンドで、ただ教師が教壇で雑談混じりにしゃべっていればいいという時代ではないらしく、その点でも、いい時に退職になったものだ。ぼくは、アクティブラーニングなどというメンドクサイ授業は金輪際やりたくない。だから、今ではもう、「使い物にならない教師」であり、「昭和な教師」であろう。

 とにかく、50分の授業を4コマやって、その日の仕事とするという日々が42年も続けば、日常の生活においても、あ、3時から4時まではアレをやって、5時から6時まではアレをやろう、なんて自然に思ってしまうわけで、これを称して「細切れの時間」の使い方といっているわけである。

 この「細切れの時間」の使い方は、一概に悪いとも言えなくて、ぼくが去年から始めた「海外長編小説読破計画」などは、こうした時間の使い方を徹底することで、順調に進行しているのである。一日に30分とか、15分とか、とにかくわずかな時間を、読書に当てること、そしてそれを決して一日もサボらないこと、これを実行すると、どんなに長い小説でも最後まで読み切ることができる。なんて力まないでも、当然すぎることである。

 この「細切れにする」ということは、別の言い方をすると「分割する」ということで、これは、井上ひさしの短編小説「指」に出てくるイエズス会のルロイ神父の教え「困難は分割せよ」に見られるように、イエズス会的現実主義を象徴するような言葉である。イエズス会は、ドストエフスキーが目の敵にしてその小説で批判している修道会で、どうしてそこまで嫌われるのか、いまいちきちんと理解できてないのだが、少なくともカトリックの合理主義的な傾向を極端に推し進めた思想としてイエズス会をとらえているのではないかと思う。まあ、これは今後の面白い「研究課題」となりそうなのだが、それはそれとして、このルロイ神父の教えは、現実を生きていく上で非常に有効である。

 たとえば、目の前に1トンもある大きな岩があるとする。これを、1人でしかも自力でそこからどかせと言われたらどうするか。押しても動きっこない。重機を使うこともできない。無理だ、と誰でも思うだろう。けれども、出来るのである。それは、ハンマーなり、シャベルなりで、その岩を少しずつ砕いていけばいい。(砕けないほど固かったらダメだけど。)一日に1キログラムでも、砕いて「小さい岩」にできれば、後は何日もかけてそれを続けていけば、いつかはなくなることは確実なのだ。

 「分割する」ということが「デジタル化」するということだ。つまり、現代の世の中は、この意味での「細分化=デジタル化」によって出来上がっているわけで、そのおおもとを辿ると、ひょっとするとイエズス会に辿り着くのかもしれない。

 栄光学園はイエズス会の学校だ。ぼくらが在学したころは、イエズス会士がごまんといて、イエズス会士から多大な影響を受けた。グスタフ・フォスというドイツ人神父の校長が、毎日のように「やるべきことを、やるべきときに、しっかりやれ」と檄をとばした。これもよく考えてみれば「細分化」である。のっぺらぼうのような日常から「やるべきこと」を「切り分けて=分割して」、のっぺらぼうのようにダラダラ流れる時間から「やるべきとき」を「切り分ける=分割する」。そして、その分割された時間に自分の全力を注ぐ、というわけなのだから。

 そう考えてくると、ぼくが時間を「細切れ」にしてしまうのは、教師をやってきたという以前に、イエズス会士の薫陶の結果だと言ったほうがいいのかもしれないと思えてくる。

 その「薫陶の結果」は、現役のときには有効だったかもしれないが、こうして退職してたいした仕事もなくなり、時間をどう使おうと自由になった身には、下手をすると有害ともなりかねない。自由な時間は、のっぺらぼうに悠々と流れ、切れ目もなく続く、アナログ的な時間のはずである。朝、定時に起きなくていいのなら、朝や夜で日々を区切らなくてもいいはずである。滔々と流れる大河のような時間の中で、ゆっくりと息をして、ゆったりと食事して、ゆったりと書画をかけばいいはずである。

 それなのに、今日は、午前中は、書を1時間書いて、その後水墨画を1時間描いて、午後からは花の写真を撮って、夜は、友だちと飲みに行ってというように、一見充実しているかにみえる時間の使い方をしているのが昨今のぼくである。けれども、これは充実と「見える」だけで、実は、どこか間違っているのではないかと近ごろでは疑っている。

 いろいろやるのは、それはそれでいいのだが、どこか心に余裕がない。それは、「悠久の時間」に身を浸すことを忘れているからだ。自分が「やるべきこと」だと思っていること、自分が「やるべきとき」だと思っていること、そして「しっかりやらなきゃ」と思っていること、それらがみんな実は「どうでもいいこと」に思えるような、そんな「悠久の時間」あるいは「永遠」を、いつも目の前に意識しなければダメなんじゃないか。

 などと、思うのだが、実は、そのへんのこともよく分からない。分からないままに、時間だけは、流れていく。





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