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木洩れ日抄 90  アタマのいい人にはかなわない

2022-09-08 10:18:24 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 90  アタマのいい人にはかなわない

2022.9.8


 

 アタマのいい人にはかなわないなあとよく思う。ぼくは、アタマが悪いから、はんぶん嫉妬が入っているけど、やっぱり、現代思想なんかの本を読んで、ドゥルーズはこう言ってるけど、まあ、あれは、あれだから、みたいに軽くしゃべることができる人って、心底うらやましい。

 もっとも、そういうふうに、なんでも知ったふうに軽やかにしゃべるからといって、その人がアタマがいいのかどうかも実は分からないし、そもそもアタマがいいってどういうことなのかもよく分からない。けれども、山田詠美の「ぼくは勉強ができない」じゃないけど、「ぼくはアタマが悪い」ことは、断言できる。

 先日、仕事の関係で、國分功一郎と千葉雅也の対談「言語が消滅する前に」(幻冬舎新書 2021)を読んでいたら、千葉雅也のこんな発言があって、びっくりしてしまった。千葉雅也が詩をよく書いているし好きだということが話題になったあと、國分が「いま聞いてて思ったんだけど、千葉君って、あんまり小説の話はしないよね。」と言ったことへの発言である。

 

 小説、苦手なんです。というか、人間と人間のあいだにトラブルが起きることによって、行為が連鎖していくというのがアホらしくてしょうがない。だって、人と人のあいだにトラブルが起きるって、バカだってことでしょ。バカだからトラプルが起きるのであって、もしすべての人の魂のステージが上がれば、トラブルは起きないんだから、物語なんて必要ないわけです。つまり、魂のステージが低いという前提で書いているから、すべての小説は愚かなんですよ。だから、僕は小説を読む必要がないと思ってるの。

 

 國分は、「ここでいきなりものすごいラディカルなテーゼが出たね。」と笑いながら、「千葉君が言ってるのは、いわゆる近代小説のことだよね。」と確認した。千葉は「そう。近代小説じゃなくて、もっと実験的な小説とかもっと古いやつだったら、僕も面白いと思う。」と応じていた。
それにしても、アタマがいい奴にはかなわないなあと、その時、つくづく思ったわけである。

 もっとも、千葉は、この本の「あとがき」で、「この箇所は一種のユーモアとしての誇張的な言い方なので、ギョッとする読者もいるかもしれない。その後、小説に対する考えはある面では変わり、ある面では変わっていない。人間ドラマのただなかに、現代詩にも似た抽象的な幾何学を見出すことができるようになった、と言えるかもしれない。それは、人間の愚かさを描くことを受け入れないままで受け入れるような、奇妙な弁証法である。小説はすばらしい、だからいつか書きたいと願っていて書くに至ったのではない。小説に対する、僕なりに根本的だと思う違和感を通して、小説とは何かという問い自体を含む小説を書くことになった。だからその経緯を残している。」と補足している。

 調べてみると、彼の書いた小説は、芥川賞候補にもなっている。よけいかなわないなあと、またまた嘆息である。

 千葉は要するに、言葉は「もの」だと思っていて、その言葉を使って、作品を構成することのできる詩というものが魅力だということらしいのだ。しかし、「近代小説」ときたら、もう、バカのオンパレードで、アタマさえよければ避けられる人間関係のトラブルをえんえん追いかけている。そんなものは読む必要なんかないんだ、と、まあ、そんなところだろう。

 だからたとえば、岩野泡鳴の小説なんか、おそらく1ページだって読めないだろうし、最近では、惜しくも亡くなってしまった西村賢太の小説なども、1ページ読んだだけで(読んだらの話だが)、すぐに放り投げてしまうに違いない。

 彼は、小説に対する考えは「ある面では変わり、ある面では変わっていない。」と言っているが、その二つの「ある面」とは何だろうか。その後の言葉から推測すれば、小説でも「抽象的な幾何学」を描けるようになったという行為の面では変わり、「近代小説」がバカな話ばかりだという認識の面では変わっていないということだろうか。彼の書いた小説を、一度読んでみたいと思う。

 「幾何学」と言えば、スタンダールの影響を受けた大岡昇平が、恋愛心理をまるでチェスの駒を動かすように描きたい、だか、描いただか、そんなことを言っていたのを思い出す。そういう小説なのだろうか。

 しかし「変わった」のか「変わってない」のか知らないけど、いったい「魂のステージ」って何だろう? いったいどこからこんな言葉がとび出てきたのだろうか。なにやら怪しい宗教の匂いすら漂う「魂のステージ」って、何? 対談だからとっさに出た半分冗談なのだということかもしれないが、それにしても奇っ怪な言葉である。

 別にそんな言葉を持ち出さなくても、「もしすべての人がアタマがよくなれば、トラブルは起きない」でいいのではないか。で、そのことに関しては恐らく千葉は「変わってない」に違いない(と思う)。「あとがき」では、「人間の愚かさを描くことを受け入れないままで受け入れるような、奇妙な弁証法である。」と、アタマの悪いぼくにはさっぱり分からないことを言っているのだが、結局は、「人間は所詮バカなんだという前提では書かないぞ」ということだろう。

 まあ、いずれにしても、書きたいように書けばいいわけだが、バカなぼくでも、言っておきたいことはある。

 人間というものが愚かなものだということは、「前提」などではなく、「事実」なのである。事実だからしょうがないのである。ぼくは、人間が愚かなものだということを「前提」としてものを考えたり書いているのではなくて、事実として愚かであり、バカであるぼくという人間が、考えたり書いたりしているだけのことである。

 ぼくはバカだから、日々人間関係においてトラブルを起こしているのである。むしろ、日々の人間関係でトラブルのない人間なんて、この世に存在するはずもないとさえ思っている。存在するとしたら、それこそ「魂のステージ」が「特上」の天使みたいな存在だろう。

 ぼくはバカだから、「人間と人間のあいだにトラブルが起きることによって、行為が連鎖していくという」近代小説が、「アホらしくてしょうがない」どころか、「おもしろくてしょうがない」し、生きて行くうえでとても役にたっている。まさに「おもしろくてタメになる」わけである。しかし、いくらタメになったところで、それを生かすこともできずに、またぞろ人間関係の泥沼に足を突っ込んでいることに変わりはない。

 別に変に卑下しているわけでもなく、いじけているわけでもない。これは、ぼく個人の問題にとどまらず、人間はバカだということは、人間の歴史そのものが証明してきたところだし、いまもまさに証明されつつあることだ。

 そのバカな人間が、人間関係のトラブルに巻き込まれながらも、懸命に生きている。その様を、岩野泡鳴も西村賢太も、懸命に描いている。そこに、えもいわれぬ「哀愁」が漂うのだ。その「哀愁」こそが、文学の本質であろう。

 アタマのいい人が書く小説は、おそらくその「哀愁」が描けないだろう。もっとも、「哀愁」は、作品そのものに「内在」するというよりも、読む人のアタマのなかに生じるものだろうから、千葉雅也の小説を読んで、ぼくが「哀愁」を感じない保証はない。やっぱり、読むしかないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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木洩れ日抄 89 井上ひさし「父と暮せば」を観て  劇団キンダースペース@キンダースペースアトリエ 2017.12.7

2022-08-08 17:26:29 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 89  井上ひさし「父と暮せば」を観て  

               劇団キンダースペース@キンダースペースアトリエ 2017.12.7

2022.8.8


★この「劇評」は、2017年12月8日に、フェイスブックに投稿したものですが、こちらに再掲します。

 

 演劇を愛する者として、恥ずかしいことだが、この芝居、初見だった。やはり名作だなあとの感を深くした。
いろいろと考えたことはあるが、まずは、演者の小林さんと深町さんと、こうして続々と名作を舞台に送りつづけるキンダースペースに感謝したい。

 被爆体験は、今でも、各地で語り継がれているのだろうが、そして、広島・長崎では、語り手が高齢化したとはいえ、今なお実体験者の方々が懸命に語り継いでいるだろう。だろう、としか言えないのは、ぼくがそれを聞いていないからだ。
この芝居の成立の事情を詳しく知っているわけではないが、井上ひさしが被爆者の体験手記などを丹念に読んで、その体験を、語りとして舞台に現出させていることがよく分かる。

 いつか、被爆体験者はこの世からいなくなる。その時、誰が、その体験を語るのか。その答のひとつがここにある。

 今回の舞台を見ながら、「被爆体験」が、西川口の小さな劇場空間の中に、くっきりとした輪郭をもって立ち現れるのを感動をもって「体験」した。それは、鍛え抜かれた深町さんの演技力によるものでもあるが、また同時に、言葉が本質的に持つ力にもよるのだ。

 「言語化」することは、なんと大事なことだろうと、見ていて何度も思った。その「言語」を、空間の中に解き放ち、他者の心へしっかりと届ける「役者」というものは、なんとスゴイものなのだろうと、それも何度も思った。

 深町さんの透明で芯のある声が、次々と悲惨な光景を観客の心のなかに描き、小林さんのあたたかく包みこむような声が、その悲惨さを「むごいことじゃのう」と受け止める。観客も、小林さんとともに、深くうなずく。共感とは、こういうことだろう。

 葛藤はすべて生きている者の中にあり、死者は、ひたすら許す者、応援する者として存在する。許し、応援するものとしての死者。しかも、その死者は、生きている者の夢と希望によって「成り立っている」。生者の希望が、死者を存在させる。だとしたら、生きる者にとって、希望は、むしろ義務である。

 見事な戯曲、そして見事な舞台だった。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 


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木洩れ日抄 88  写真とは何か? ──「東慶寺境内における撮影禁止」を巡って

2022-06-27 10:40:05 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 88  写真とは何か? ──「東慶寺境内における撮影禁止」を巡って

2022.6.27


 

 北鎌倉にある東慶寺が、数年前に、「一眼レフカメラ」での撮影を禁止するとのお触れをだした。いつものように、重いカメラを抱えて嬉々として東慶寺門前に着いたとたん、その御触書を見て、愕然とした。そして、悄然として門前を去った。

 そこには、「当分の間」とはあったので、いずれ事態が改善したら、禁止も解けるかなあと思っていたのだが、今年になって、それが更に「悪化」して、全面的に撮影禁止となったことが、ホームページに掲載された。

 そのお触れをいちおうここに掲載しておきたい。


境内における撮影禁止について  2022年06月07日

カメラ、スマートフォンを問わず、境内における、一般参拝者の撮影行為はご遠慮ください。
携帯電話とスマートフォンが普及して以降、写真や動画の撮影がとても身近なものになり、我々の生活は大変便利になりました。
一眼レフカメラも求めやすくなり、本格的な撮影に臨まれる参拝者も増えました。
そんな中には、お寺であることを忘れ、本堂をお参りしない方も多く、足元に咲いている花や苔を踏みつけ、進入禁止の場所に入り込んだり、勝手に物を動かしたり、見境がない人も出始めました。
なにより残念なことは、特に考えもなく、とりあえず撮影してしまう癖がつき、目の前のことに対して、「心」で感じるのを忘れてしまったことです。
東慶寺では2年前より、境内環境の向上を目指し、水脈などの改善活動「大地の再生」に取り組み始めました。その成果は如実に表れており、植物の表情はもちろんのこと、境内の空気が明らかに変わり、参拝者や寺に住む我々の心までも穏やかにさせてくれます。
神社仏閣の境内が美しく、豊かであるべきなのはこの為なのだとはっきり分かったのでした。
参拝者の皆様にも、この空気の変化を肌で感じ、ご自身の心のあり方を大切にしていただきたいのです。
心を育むのも寺の重要な役目と思い、決断いたしました。
何卒ご理解いただきたく、お願い申し上げます。

東慶寺住職


 最初のお触れでは、「一眼レフカメラ」での撮影禁止だったので、じゃあ、ミラーレスならいいのか、じゃあ、スマホならいいのか、というような問い合わせが「殺到」したのではなかろうか。ぼくだって、そのくらいのイチャモンはつけたくなったから。それで、いろいろ検討した結果、今回のような決定に至ったということのようだ。

 境内での撮影禁止ということ自体は、ぼくが何か文句をいう筋合いのことではない。たしか、極楽寺などはずっと前からそうだし、寿福寺などは境内にすら入れてくれない。だから、それはどうでもいいのだ。

 どうでもいいとはいっても、東慶寺は、もう十数年も前から、ぼくの大事な撮影スポットだったから、残念でしょうがないということはある。あるけれども、だから、どうしろというわけでもない。

 このお知らせを読んで、ずっと心の中にわだかまっていた思いは、「ああ、またか。」という一種の嘆きだった。それは、「なにより残念なことは、特に考えもなく、とりあえず撮影してしまう癖がつき、目の前のことに対して、「心」で感じるのを忘れてしまったことです。」という一節にある。

 これはいったい誰に向けて発せられた言葉なのだろうか。「特に考えもなく、とりあえず撮影してしまう癖」がついたのは誰なのか? 「目の前のことに対して、『心』で感じるのを忘れてしまった」のは誰だというのだろうか?

 文脈からいえば、東慶寺にやってきて、写真を撮る人すべて、がその「主語」ととれる。べつの言い方をすれば、「あなたたちは」ということになるだろう。そしてその後の文面を総合すれば、

あなたたちは、特に考えもなく、とりあえず撮影してしまう癖がつき、目の前のことに対して、「心」で感じるのを忘れてしまったのです。どうぞ、ご自身の心のあり方を大切にしていただきたい。私どもは、あなたたちの心を育むのも寺の重要な役目と考えております。

ということになる。

 お寺というものが、人々を教え導く使命を持っていることを疑うものではない。その使命感が強いからこそ、こうしたものいいとなるのもうなずける。

 しかしだ。写真を撮っている者が、「目の前のことに対して、『心』で感じるのを忘れてしまっている」と、どうして断定できるのだろうか。あまりに勝手な断定ではないのか。その勝手な断定のうえに、「あなたたちの心を育んでやりたい」と言う。「お寺だから」といって済ますには、あまりに尊大な態度ではあるまいか。

 そもそも「目の前のことに対して『心』で感じる」とは、いったいどういうことなのだろうか。それは、今自分が生きているこの時間と場所を、全身で感じ取るということだろう。お寺の境内にいれば、花も木も本堂の屋根も目に入るだろうが、そうした「目にはいる」ものだけではない。小鳥のさえずりや、人々の話し声や足音、さらには鐘の音や、読経の声さえ聞こえてくるかもしれない。音だけじゃない。空気の冷たさとか、風のながれとか、線香の香りとか、そういった触覚、嗅覚にも訴えてくるものも多かろう。それらを、全身で、全感覚で受け止め、今という時間を十分に味わい、生きて欲しい、ということだろうと思う。それにまったく異論はないし、むしろ大賛成だ。

 ただ、そのことが、「カメラで写す」と、できなくなってしまったり、忘れたりしてしまったりする、というのは、直接の関係がないことだ。

 せっかく東慶寺まで足を運んだのに、その境内にいることを全身で味わおうともせずに、「いちおう撮っておいたから、後で写真を見ればいいや」と考えて、さっさと帰っていく人がそんなにたくさんいるものだろうか。ほとんどの人が、十分に東慶寺の境内に流れる時間を感じ取り、見たいものを見て、あとはその記念にスマホで写真をとっておく、というのが普通ではなかろうか。

 だから、問題はやはり、「一眼レフ」なのだ。一眼レフカメラ(含む、ミラーレス一眼カメラ)で写真を撮る人というのは、「写真を撮る」ことが目的で東慶寺に行くわけだから、ごくまれに「肉眼じゃ見ない」という人もいるかもしれない。肉眼で見る人でも、写真に撮るものや場所を探す目的で見るので、「全身で感じ取る」ヒマはないかもしれない。

 しかし、「一眼レフ」カメラで撮る人が全員そうだというわけじゃない。写真を撮る人は、「見ない」人じゃない。むしろ、「よりよく見る」あるいは「よりよく見よう」とする人である。「とりあえず撮っておけばいい」という人が、わざわざ重いカメラを担いで東慶寺くんだりまで出向くわけがないではないか。

 東慶寺で、1枚の写真を撮るということは、東慶寺という場所のすべてを感じ取って、それを1枚の写真に集約しようとすることだ。その写真に、東慶寺の空気を取り込もうとすることだ。だから、とことん「見る」、そして「感じる」。音も、風のすずしさも、匂いも、なにも写真には写らないと思ったら大間違いだ。写真は「見える」ものだけを写すのではない。「見えない」ものも写すものだ。

 だからこそ、しつこくいつまでも撮り続ける。その人の姿が、偏執的に見え、オタクっぽく見えるのも致し方のないことなのだ。そして、時として、そういう意味での「いい写真」を撮ろうと熱中するあまり、「足元に咲いている花や苔を踏みつけ、進入禁止の場所に入り込んだり、勝手に物を動かしたり、見境がない人も出始め」るという言語道断な仕儀に至るわけである。
そういうとんでもないヤツに腹を立てるご住職の気持ちはよく分かる。そんなやつは、ホウキを持って追い出してもいい。

 ただ、そのことと、「特に考えもなく、とりあえず撮影してしまう癖がつき、目の前のことに対して、「心」で感じるのを忘れてしまった」こととは、区別して考えてもらわないと困るのだ。

 カメラが発明されたときから、おそらく、人々の間に根付いた偏見は、「写真というのは、人間の目で見ないで、機械の目で見た映像にすぎない。」ということだろう。最初のほうに、ぼくが「ああ、またか。」と思ったと書いたのは、その偏見がぜんぜんなくならず、依然としてある種の「説得力」をもってまかり通っているという現実への失望と怒りがあるからだ。

 写真に興味のない人は、写真というのは実に「安直」なものである、と思い込んでいる。とにかく、カメラのシャッターを押せば誰でも撮れる、という安直さ。その昔「写るんです」というカメラがあったり、誰でも簡単に撮れるからというので、ヒドイ差別語の名称で呼ばれたカメラもある。そういう人たちは、写真を撮るということがなかなか難しいと思っていたのに、それが簡単に撮れるカメラが出てきたということへの一種の驚きからそういうネーミングをしたり、安直なものだと思い込んだりしたわけだ。そして、そのことで、「写真=安直」という図式がひろく行き渡ったのだ。

 しかし、それはもう何十年も前の話だ。それから時代は大きく変わった。写真というものも、その意味とか役割が激変した。「誰でも撮れる」という方向は、スマホのカメラによってそれこそ「写るんです」の比ではなくなった。そしてそれ以上に、写真の概念を根本から変えたのは「共有」という概念である。

 写した写真を、瞬時に友達におくり、「共有」する。あるいは、インスタグラムに投稿することで、それこそ世界中の人に瞬時に発信できる。写真は、「とりあえず撮って、後から自分が見る」ものじゃなくなったのだ。

 たとえば、寝たきりになって、どこへも出かけられなくなった母親が、東慶寺を懐かしんで、梅を見たいと言う。親孝行な娘が、それならかわりに私が行ってきてあげるわ。梅の写真を送るから、見てね、といって、スマホを持ってでかける、といったシーンはごく当たり前のことになっているだろう。

 「インスタ映え」などという言葉が大流行し、それもすでに廃れ、単に「映える」というヘンテコな言葉になっているけど、写真は、今までのカメラではできなかった分野を開拓して、コミュニケーションの大事なツールとなっているのだ。

 その一方で、「一眼レフ」のほうはどうかというと、実際には、一部のマニアのものとなっている。もちろん、メーカーとしても、「スマホじゃ撮れない画質」を宣伝して、なんとか、カメラに誘導しようと懸命だが、もはや昔の市場規模を回復することはできないだろう。東慶寺のご住職は、「一眼レフカメラも求めやすくなり、本格的な撮影に臨まれる参拝者も増えました。」と言われるが、「一眼レフ」は決して「求めやすく」なっているわけではない。デジタルになってから、「一眼レフカメラ」や「ミラーレス一眼カメラ」は、むしろ高価なものとなっている。しかも、それらは、カメラを買っておしまいとはならず、多くのレンズを揃えることにこそ意味があるわけだから、ますます一般の人は手がでない。そのうえ、スマホの画質が、ともすれば、半端な一眼レフを超えかねないという昨今では、よほどレンズにこだわる人じゃないと買う気になれない。というか、買えない。

 では、なぜ、東慶寺のご住職は「一眼レフカメラを持った人が増えた」と感じるのか。それは、主に、退職して金に余裕ができた高齢者が買うからである。その高齢者の中心にいるのがいわゆる団塊の世代であって、数がやたら多い。そういう層は、退職金もたんまりもらっている人も多いから、何百万という金をカメラやレンズにつぎ込むことができるのだ。そして、そういう人たちというのは、会社でエライ人だったりするから、超我儘で、人の言うことを聞かない。見栄っ張りも多いから、カメラ雑誌に投稿して入賞しようなんて思ったりする。そのためには、先生から教わった「構図」のためなら、どこへでも入ってしまう。苔を踏みつけても、そんなものはいくらでも生えてくるものだと勘違いしたりする。これで、言語道断な連中がメデタク誕生するわけで、そういう連中が、東慶寺のご住職を怒らせるということとなるわけである。

 かく言うぼくも、その団塊の世代の一翼を担う者で、薄給の教職に長くあったために、金は湯水のようにはとてもじゃないけど使えないが、それでも、カメラやレンズに、普通の人よりは多額の金を使うマニアの一員でもあることを認めるにやぶさかではない。その証拠に、数年前、海蔵寺で、リンドウの花を撮るのに夢中になって、庭と道との境を示す縄の数センチ内側に靴のつま先を侵入させたところを、ご住職ではない、ジイサンに、「おい、そこ、入っちゃだめだよ!」と冷たく叱責された「実績」がある。そのジイサンは、ずっとぼくの行動を監視し続け、ついに、「違反」を見つけて、ここぞとばかりに注意喚起を決行したのであろう。そこには、「なんだ、こいつ、いい歳しやがって!」という冷たさしか感じなかった。もちろん、ぼくは、丁重に謝ったけれど。

 こんなことをずらずら書き連ねていても、だんだん愚痴になっていくので、そろそろやめるが、言いたいことはただ一つ。写真撮るのも楽じゃないということだ。そして、多くの写真を愛する者は、さまざまな思いで、撮影している。決して「とりあえず撮って、後で見ればいいや」と思って、その瞬間を疎かにしている人ばかりではない、いや、むしろそういう人は少ないはずだ、ということだ。

 東慶寺のご住職には、できればその辺を分かってほしいものだ。撮影禁止そのものは、異論はないし、そういう連中が跋扈するなら、むしろ当然と受け止めているが、その「理由」に、少々問題を感じたというまでである。

 

 


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木洩れ日抄 87 「不可能」を超えて──劇団キンダースペース公演「夜明けに消えた」(Bプロ)を観て

2022-06-24 09:35:58 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 87 「不可能」を超えて──劇団キンダースペース公演「夜明けに消えた」(Bプロ)を観て

2022.6.24


 

 演出の原田一樹さんは、上演パンフレットで、「この宗教(キリスト教)は不可能が前提になっている。」として、こう続けている。

 

一方、「文学」も又、たどり着けないものにたどり着こうとする行為である。(中略)私自身が初めてこの作品に触れたのは、他の戦後劇作家も、矢代作品も、何も知らない頃だった。で単純に「そうか、芝居とはこういうものか!」と思った。同時に「これは大変だ」と思った。しかしその後、文学が「言語」では描けないものを描こうとするのならば、演劇も又、他者を生きるなどという「不可能」にのたうちながら作り上げる世界であると、思い至った。すくなくとも「戯曲」はそのように読みたいし、そのことに耐える作品を求めたい。


 劇団キンダースペースが、矢代静一の「夜明けに消えた」を取り上げたのは、1999年の第21回公演(シアターX)ということだが、残念なことに、ぼくはそれを見ていない。しかし、瀬田ひろ美さんと話していると、ときどき、その公演のことが話題になり、キンダースペースにとっては、大事な芝居なのだなと思いつつ、どうして、そこまで大事に思うのか不思議にも思ってきた。

 その「夜明けに消えた」を原田さんが次に手がけたのは、2016年3月、スターダス21の修了公演で、ぼくはそれを感動をもって見たのだが、それでもなお、原田さんが、なぜこの芝居にこだわるのかを、その時はよく理解していなかったように思う。

 というのも、ぼくは、不真面目ながらカトリックの信者であり、そうした信者の目からみると、どうもこの芝居は、どこか「こそばゆい」ところがあったのだろうと思う。原田さんが高く評価してくれるのは、宗教的な「身内」としてはありがたいが、「外」から見たらどうなんだろうという疑問だった。

 この芝居を書いた後、矢代静一は、カトリックの洗礼を受けたわけだが、そういう事情を考えれば(あるいは考えなくても)、この芝居を通じて、矢代静一は、自らが信仰に至るまでの内面の葛藤を過程を克明に辿り、それを複数の登場人物に仮託して演劇空間を作り上げたのだということが、「わかりすぎる」ほど分かってしまう。

 最後のほうの、主人公たる「ノッポ」の舞台へむかっての独白は、まさに、矢代静一の生々しい信仰告白となっているわけだが、そうした告白が、切実であればあるほど、観客は戸惑ってしまうだろう。信者でない観客は、信仰をどこか強要されているように感じてしまって、身構えることになるかもしれないし、なまくら信者たるぼくなどは、むしろ、自分の中途半端な信仰のありかたを責められているかのように感じてしまい、逃げたいような気持ちになってしまうのではないか。そんな気分が、感動の一方ではあったのではなかったか。

 そういう一種の戸惑いを残しつつも、原田さんがこの芝居を大事に思って手がけていることがことさら強く記憶に残ったのだった。そこへ、今回、キンダースペースで再び上演するということを聞いて、「なぜ、そこまで?」の思いはさらに強まり、もういちど、虚心にこの芝居に向かい合わねばならないと思ったのだった。

 アトリエの席に座って、原田さんのパンフレットの文章を読んで、これまでの疑問がすっと溶けていくのを感じた。そうか、そういうことだったのか、と。

 それと同時に、今までのキンダースペースが、そして原田さんが、何を大事に考え、何を表現しようとして心血を注いで来たのかということも、はっきりと分かったような気がした。

 「キリスト教は不可能を前提にしている。」という原田さんの一言は、まさにキリスト教の本質を突いている。「キリストの復活」というひとことを例にしても、その「不可能」は誰の目にもあきらかだ。「ぐず」がいくら、「復活した主を見た。」と言い張っても、だれもそれを「信じる」ことは「できない」。「いや、信じるのが信者でしょう。」と言われても、実はそうではないのだ。このあたりは難しいことで、この難しいことを巡って、数百年も思索を重ねてきたのだ。
世界中でもっとも多くの人に読まれてきた「本」だと言われる「聖書」は、しかし、もっとも多くの誤解を生んだ「本」でもある。いや「誤解」という言葉もここではふさわしくない。「誤解」は、対概念として「正解」の存在を匂わせるからだ。「正解」は、ないのだ。いや、そうじゃない。「正解」が「ない」ことを知りつつ、それでも「正解」(あるいは自分なりの「正解」)を求め続けることが、すなわち「信仰」というものだというしかないのだろう。

 イエスの言葉だけをとってみても、矛盾だらけだ。「情欲を持って女を見れば、それは姦淫したと同じだ。天国に行きたければ、その目をえぐり出して捨てよ。」といいながら、売春婦を責める人々に、「お前達の中で罪のない者は、この女に石を投げよ。」という。いやらしい目で女をみた「だけ」で、地獄に落ちるぞ、と言っているかのように見えるイエスなのに、売春をこととする女を誰が裁けるか? と人々に問う。こうした矛盾する言葉を、そのままに受け取って生きようとすることは、それこそ「不可能」なことだ。だからこそ、これまで人々は、自分(たち)に都合のいいイエスの言葉だけを受け取って、自分の「信仰」だと勘違いしてきたのだ。そこに「宗教戦争」などという、およそ「信仰」とはかけ離れた愚行が繰り返されてきた原因があるだろう。

 しかし、一人の人間が、「信仰」に向かおうとするとき、そこには必然的に、葛藤が生じるものなのだ。「信じる」ことと「信じない」こと、「愛すること」と「憎悪する」こと、「許す」ことと、「許さない」こと、そうした二つの心が、常に対立して、せめぎあう。そのせめぎ合いのなかから、そのドラマの中から、少しずつ見えてくるものがある。あるいは、見えてくるはずだと思うことが、すなわち「信仰」というものの本質だろう。

 「夜明けに消えた」が描く世界は、そうした一人の人間の「中」に、「内面」に渦巻き続ける対立、つまりはドラマそのものなのだ。

 

 

 この芝居は、三重の入れ子構造になっている。

 将来を嘱望されていた新進のデザイナーだった「ノッポ」と呼ばれる男が、、忽然と姿を消して(「蒸発」して)しまう。それからしばらくして、その「ノッポ」が書いた戯曲が発見される。まずは、幕開きと同時に、「ノッポの蒸発」を語る男が登場する、それが、一番外側の「層」である。その後、舞台では「ノッポ」が書いた戯曲が上演される。それが二番目の「層」である。そして、その戯曲の中に、もう一つの「層」が入っている。それが、「聖書」の中の言葉である。その言葉は、説教としての言葉ではなく、「ドラマ」としての言葉だ。特に、最後のほうで「ノッポ」が語る、有名な「ペトロの否み」は、聖書の中でももっとも劇的なシーンだが、そのシーンを、「ノッポ」が語るとき、舞台には、イエスとペトロが「現れる」。その「現れた」ペトロとイエスに対して、「ノッポ」が「嫉妬」する。ここに時空を越えた、演劇空間が生まれる。

 しかし、こんな難しい芝居があるだろうか。これを、この通りに「演じる」ことは可能だろうか。下手をすれば、キリスト教のプロパガンダに堕してしまいかねない危うい台詞を、生々しい、生きた「言葉」として、舞台で「発声」できるだろうか。

 こうした難題が、演出家、役者、そして他のスタッフたちのうえにのしかかったはずだ。まさに、原田さんの言うように「不可能」にのたうちまわったことだろう。

 しかし、驚くべきことに、今回の芝居では、それが可能となった。それが言い過ぎなら、可能になったかにみえた。ぼくには、イエスの声が、ペトロの泣き声が聞こえた、なんていえば、神がかってるように聞こえるかもしれないけれど、そう言ってもいいくらいの舞台だった。

 その上、さらにぼくの心を打ったのは、最後の「ノッポ」の独白的信仰告白だった。「神とはなにか?」という、窮極の問に、「ノッポ」が魂を絞りだすようにして迫っていく言葉の数々。そして、最後に「小さき者は、まだ、人間らしい形をしているが、人間でなくて……尊い宝物で、いってみりゃ、神の子だからだ。」という「言葉」に至るまでの演技の、言葉の紡ぎ方の見事さ。

 小さな赤ん坊が「神の子」である、という断言は、それこそキリスト教の神髄を表す言葉で、それを、観客に向かった形で、独白の形で、「発声」する。それは尋常の技ではできないことだ。この難しい役を見事に演じきった関戸滉生には感服した。

 「ノッポ」だけではない。他のすべての役者が、それぞれの役柄を演じるのは当たり前のことだが、「役」の「層」の下には、役者自身の人間としての「層」がある。その「層」が、「役」とどういう関係で浮かび上がってくるのかということも芝居の上では重要だろう。役者自身の「層」が、「役」を食い破るのか、「役」に溶け込むのか、「役」を支えるのか、いろいろなあり方があるだろう。

 ざっとした印象だが、「食い破った」感のあるのが、森下高志、そして、「ぐず」を演じた山崎稚葉。森下は、「熊」の持つ、荒々しい情熱を激しい振幅で演じ、人間というものの底知れない闇を覗かせてくれた。山崎は、ともすれば「偽善性」の匂いかねないセリフを、「自分」の言葉として内面に取り込んで発するのと同時に、肉体が、それを裏切っていく必然性を、思いがけないほど見事に演じてみせた。

 「溶け込んだ」感のあるのが、深町麻子と小林もと果。深町は、「溶け込む」どころか、自分の持ち味を楽しむかのように、「役」に溶け込ませていき、抜群の存在感と時代感を醸し出した。小林は、「溶け込む」というよりは、老婆という「役」そのものと化して、「言葉そのもの」になったとも言える。

 この芝居の中で、実は非常に重要な役割を果たすのが「ひばり」で、ある意味、この役がいちばん難しい。なぜなら「ひばり」は、「無垢」そのものだからだ。赤ん坊ならともかく、成人した大人はもはや「無垢」ではありえない。その「無垢」を失った人間が、「無垢」を演じることは、それこそ不可能に近い。「無垢」な者の発する言葉を、「人間の言葉」として、空間に定着させるという難題に、原田祈吹は、果敢に、誠実に取り組んでいたことに拍手を送りたい。

 世俗の価値観を代表する者としての「けち」と「弱虫」を演じた丹羽彩夏、と杉山賢。「現代」の人間として出てくる。「男」を演じた林修司と「助教授」を演じた谷口就平(スターダス21Neu)。それぞれの役者が、「役」と「自分」との関係のあり方を探りながら、自信を持って演じたことで、芝居全体の密度が極めて高いものとなった。

 その芝居の密度を、鬱陶しいものと感じさせることなく、キンダーのアトリエという狭い舞台空間を、外側に向かって解き放つような透明感を持った音楽は、和田啓ならではのものだろう。キンダーの魅力の一つである照明とともに、「光」と「音」は、キンダースペースの命でもある。

 原田さんは、パンフの文章の最後に言っている。演劇は、「不可能」にのたうちながら作り上げる世界だが、「そのような作品がどれだけあるだろうか。」と。(今はもうない)、だから時には、「夜明けに消えた」に戻らねばならないのだと。アフタートークでも原田さんはそうした趣旨の発言をし、「まあ、井上ひさしまでかな。」と付け加えていた。それに対して、対談者の矢代さんの娘、矢代朝子さんは、「今だってありますよ。」とやさしく反論していたけれど、ぼくには分からない。あまりにぼくの見ている芝居は限られているから。けれども、こういう芝居をこういう姿勢で、演じ続けることのできる劇団が、今どれだけあるだろうか、と思うのだ。きっとあるとは思うけれど、キンダースペースは、今の日本には稀有な劇団であることだけは間違いないことだ。

 

 

 ここまで書いてきて、改めて、2016年のスターダス21修了公演を見てのぼくの「感想文」を読んでみた。6年前の自分の文章のほうが、いい。歳はとりたくないものだ。今のぼくには、ウナムーノを引き合いにだす力がないし、文章もダラダラとして歯切れが悪い。けれども、少しは、芝居の本質が(井上やすし風に言うなら、「演劇の機知」のことが)分かってきたのかもしれない。もって瞑すべしか。

 しかし、それよりも何よりも、いちばん驚いたのは(何を今更と言われそうだが)、あの時「ノッポ」の役をやったのが、今回と同じく、関戸滉生だったことだ。関戸には以前から注目していたが、その初まりが、実は他ならぬ「ノッポ」だったのだ。忘れっぽいぼくではあるが、せめて、このことぐらいは覚えていたかったとつくづく情けなく思う。

 何はともあれ、キンダースペースの芝居は、いつもぼくに生きる勇気を与えてくれる。批評めいたことを書いた後には、いつも、感謝の言葉しか出てこない。いつも、ほんとうに、ありがとう!

 

 

 

 


 

 

【テキスト】

 「夜明けに消えた」発表時の戯曲評には、作品への高評価の上で、作者の「危機」を指摘する声が多い。「己れの手の内をさらけ出して待つということは誰にもできることではない。真面に本題を明らかにするようなことは未だ嘗てなかったこの作者がなぜこのように変わったか……」〈田中千禾夫〉。「この作品が矢代の戯曲の深化を示すものか、危機を示すものか……」〈八木柊一郎〉。「この戯曲を書くことは……今までの劇作家としての位置を放棄することになりかねない」〈奥野健男〉。これはもちろん、主人公の信仰告白の切実さに依る。自身の内面に降りて過去を追い詰めていく言葉の積み重ねが、これ以前は一つのモチーフであった「信仰」を正面に据えていくからだ。
 キリスト教は、同じ神をいただく他の一神教が「律法」や「戒律」という明確な神の言葉を持つのと違って、イエスの言動それ自体の中に神を見る宗教だ。『新約聖書』は後から書かれたイエスの行動の記録である。ここには解釈も編集もある。さらにそれを教会が、時代と地域の都合で権威づける。
 つまりはこの宗教において「神」はとても迂遠で、曖昧だ。「主が、私の中に住みついてしまわれた」というような文学的言い回しも、だから成立する。「信仰」は常にイエスの言動からたどられねばならない。むしろそれ自体が「信仰」だ。畢竟「神」にたどり着くこともない。イエスの死に際の言葉「神よ、何故我を見捨て給う」を聞くまでもなく、この宗教は「不可能」が前提となっている。(もちろん別の解釈もある)
 一方、「文学」も又、たどり着けないものにたどり着こうとする行為である。ここで言いたいのはつまり、作家矢代静ーに同時代の演劇人が感じた「危機」は、なにも彼の「信仰」が招くものではなく、彼が既に抱えていた文学者としての「不可能」が「信仰」の形を借りて表象せられたという事だ。もちろんこれを産み落とすのは「文学」に対するギリギリの誠実さである。
 さて、私自身が初めてこの作品に触れたのは、他の戦後劇作家も、矢代作品も、何も知らない頃だった。で単純に「そうか、芝居とはこういうものか!」と思った。同時に「これは大変だ」と思った。しかしその後、文学が「言語」では描けないものを描こうとするのならば、演劇も又、他者を生きるなどという「不可能」にのたうちながら作り上げる世界であると、思い至った。すくなくとも「戯曲」はそのように読みたいし、そのことに耐える作品を求めたい。
 今、そのような作品がどれだけあるか。だから時には「夜明け……」に戻らねばならない。舞台のラスト、登場人物が口にする「せわしない時代」に、初演から54 年経った今、私たちは生きている。「危機」は、蒸発したのではない。ただ、見えなくなったのだ。

演出 原田一樹

 

 

 

 

 

 


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木洩れ日抄 86 うるさいオバサン、あるいはクイナのこと

2022-02-08 10:44:14 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 86 うるさいオバサン、あるいはクイナのこと

2022.2.8


 

 どうも、なんでもかんでも「子」をつける人が苦手だ。ペットなら致し方ない。今時、ペットの犬を連れて歩いているオバサン(オジサンとかジイサンでもかまわないけど)に向かって、「その犬、オスですか?」なんて聞こうものなら、下手をすれば、ひっぱたかれかねない。どうしても聞きたい場合は(まあ、そんな場合は、ぜったいないけど)、「そのワンちゃん、男の子ですか?」とか言わねばならないのだろう。そんな口のききかたはしたくないので、なおさら聞く気にはなれない。

 鳥の写真は、もうとっくにやめたつもりでいたのに、またぞろ撮りたくなってしまって、それでも、100万円を超すような超望遠レズンに三脚なんてイデタチは、金もなければ体力もないのでとっくに諦めていて、なるべく軽いカメラになるべく軽い望遠レンズをつけて、手持ちという安直なイデタチで撮ることにしているのだが、いつも行く舞岡公園には、必ず、数名から十数名の「鳥やさん」(この言葉、普及してないけど、どこかで聞いた覚えがある)がいて、ずらりと「大砲」(超望遠レンズのこと)を並べている。それを見るたびに、我が機材の貧弱さに地団駄踏んできたものだが、まあ、最近では達観してきた。そんなところで競争して何になるんだ? って思えるようになったからだ。ずいぶん成長したものである。

 「大砲」かまえたオジサンとかオジイサン(といっても明確な区別はないだろうが)は、ちっとも尊大なところはなくて、むしろ親切だ。何がいるんですか? って聞いても、「うっせえ、自分で調べろ。」とか、「誰がいるんですか? って聞け!」なんことはぜったいに言わないし、「あ、ヤマシギが今日は出てましてね。」とか、「モズですよ。」とか、ちゃんと教えてくれる。中には、ほら見てみてください、と、自分のカメラのモニターを見せてくれる人までいる。(もっとも、それは、かなり自慢めいているわけだが。)

 ぼくが実に苦手なのは、オバサンないしはオバアサン(これも明確な区別は分からないし、昨今はマスクしているので、よけい分からないわけだが)だ。とにかく、しゃべる。しゃべりまくる。それがウルサイ。

 今日も、舞岡公園へ出かけたのだが、いつも「ヤマシギ」目当てで人だかりがしている所へ行く前に、そっちから帰ってくるオジイサンに、「何か収穫ありましたか?」と聞いたら、ニコニコして、「そうですね、クイナがいましたよ。」という。「どこですか?」と聞くと「ほら、いつも皆さんが集まっているあたりです。」といいながら、カメラのモニターを見せてくれた。カメラはニコンで、一眼レフでも、ミラーレスでもないが、ズーム比率のやたら大きいカメラである。ぼくのカメラよりはずっと安いので、なんだか嬉しい。(なんだ、達観してねえじゃないか。ズーム比では負けてるのに、値段で勝ったなんて。)

 クイナというのは珍しい。この舞岡公園ではクイナの噂すら聞いたことがない。もちろん、ぼくはまだ一度もカメラにおさめたことがない。

 しかも、クイナといえば、かの伊東静雄の「秧鶏(くいな)は飛ばずに全路を歩いて来る」という大好きな詩があって、好きが高じて、とある会議でこの詩を絶讃したら、エライ大学教授に「この詩のどこがいいの?!」って強い調子で詰問され、返事にこまったぼくは、「だって、カッコいいじゃないですか!」などと幼稚きわまりないことを口走り、何の説得力もなかったから、その場が妙にしらけてしまったことがある。しかし、この詩が好きなことには変わりはなくて、この全文を書にして展覧会に出品したこともあるのだ。それなのに、このクイナ、写真を撮るどころか、実物をまだ見たこともなかったのだ。なんという幸運!

 興奮したぼくは、期待に胸をふくらませて、彼の地へ急いだ。

 「いつもの人たち」は、今日はまばらで、いつもの場所で、いつもとは違って退屈している。ヤマシギは、今日はぜんぜん出てこないらしい。ちなみに、このヤマシギというのは、夜間に行動することが多く、昼間に姿を現してもほとんど動かないので見つけにくいのだが、ここ舞岡公園では、昼間でもヤマシギがほぼ同じ場所に出てくることで、「鳥やさん」の中では有名らしく、遠く埼玉あたりからわざわざやってくる人もいるらしい。別にきれいな鳥じゃないけど、これを撮ると、仲間に自慢できるのだろう。まあ、何に限らず、趣味というのは、「自慢」するためにやってるようなもんである。本当は、そうじゃない趣味がいちばん高尚なんだろうけど。

 さて、ヤマシギはいないらしいのに、それでも、熱心に望遠レンズを向けている人たちが何人かいる。何だろうと思って、一人のオジサンに「何がいるんですか?」と聞くと、「ああ、クイナですよ。今は隠れちゃってますけど、そのうち、また出てきますよ、きっと。」なんて気さくに答えてくれる。そうか、やっぱりここか、ここで粘ればいんだ、とワクワクしながら、カメラをかまえていると、オバサン(あるいはオバアサン。しつこいので、オバサンにしておきます。)が、連れのジイサン(これはあきらかにジイサン)に、「今日はダメねえ。ジョビ子ちゃんは?」って聞く。

 「ああ、ジョビ子はあっち。ここにはいねえよ。」「そう、メジ子もいないし。」「ガビ子はいたよ。」「ガビ子なんて言っちゃあだめよお〜。あんなのはガビでいいのよ〜。」「あ、そうかあ。」「あのさ、この前、スーパーで、冷凍食品のチャーハン買って食べたんだけどさ、おいしかったわよ。わたし、冷凍食品なんて今まで食べたことなかったんだけど、中華街のチャーハンよりおいしかった。帰ったら奥さんに教えてあげなさいよ。」

 あれ、夫婦じゃないのか。「鳥やさん」仲間なのか、と思いつつ、その「ジョビ子」とか「メジ子」とか「ガビ子」なんて言い方やめろ! と思わず叫びたくなった。しかも「ガビ子なんて言うな」というのは、ガビチョウが中国から持ち込まれた鳥だからで、そんな「外鳥」には「子」なんて付けるななんて、イジメじゃないか。ガビチョウだって遠く故郷を離れて一生懸命生きているんだ。なんて、心の中がざわついた。

 このオバサンが、いったいいつから「鳥やさん」になったのかはおおよそ見当はつく。昔からの野鳥愛好者ではないはずだ。いつだったか、ヨドバシの店頭で、店のオニイサンに、「あたしさあ、これ買ったんだけど、何を撮ろうかなあ。鳥でも撮ろうかなあ。」なんて言ってるオバサンがいた。そのオバサンが指した「これ」というのが、400ミリほどの超望遠レンズなのだ。目的になしに、100万近くの大枚をぽんとはたくのか、このオバサンは、と喫驚したものだ。

 きっとその手合いである。しかし、話を聞いていると、鳥の雑誌かなんかを買って勉強しているらしい。それはそれで殊勝な心がけで、歳をとってから新しいことに挑戦するのはとてもよいことだ。おおいに褒めてやってもいい。

 しかしだ。ジョウビタキのことを「ジョビ子」と呼ぶその姿勢に、なんともいえない「嫌み」を感じるのだ。私はもう、鳥のことならなんでも知ってるの、写真だっていっぱい撮ったわよ、鳥はもう私にとって家族の一員なの、みたいなその心のうちが、なにやら下卑ている。自然にたいする畏敬の念、謙虚さといったものが感じられない。

 それでも、とにかく鳥を撮ることに熱中して、友達とも熱心に情報交換をするならいい。それが、いきなり冷凍食品情報だ。そんなことはバスの中でやれ。(それも大声だと迷惑だけど。)オレは、鳥に、クイナに、今、集中しているんだ! ウルサイ! あっちへ行け!

 とそのとき、カメラを向けた方向の、水際の草むらから、鳥が現れた。お! っと思ってよく見ると、「ヒヨ子」じゃない、ヒヨドリだ。なんだ、それじゃしょうがない。(この心の動きも、自然への敬意が欠けている。ヒヨドリじゃしょうがないなんて思っちゃいけないのである。反省である。)がっかりして、しばらく待っていたが、時間もたったことだし、もういいかと、諦めて立ち去ろうとしたその瞬間、そのオバサンが小さく叫んだ。「あ、クイナだ。出てきたよ!」

 ほんとか? って思いつつ、ファインダーを覗くと、あきらかにヒヨドリじゃない、何か別の鳥が、動いている。あれがクイナなのか? しかし、実際に見たことがないので、本当にクイナかどうかの確証がない。なにしろ、鳥は遠くて、しかも日陰にいて、ちっともはかばかしく動かないから、シギみたいにも見える。

 伊東静雄の「秧鶏は飛ばずに全路を歩いてくる」では、力強くスタスタ歩くイメージなので、このほとんど動かずに、水の中の餌をあさっているのがクイナとは思えなくなってきた。それでも、シャッターを切り続けた。後で拡大して確かめればいいからだ。でも、その時、タシギだったりしたら、がっかりするだろうなあ、このオバサンじゃ信用できないしなあ、と思って、そのオバサンがそこを離れたすきに、熱心に超望遠レンズで撮ってるオジサンに「あれは、何ですか?」と聞いてみた。すると、「クイナです。あっち側にもいますから、行ってみるといいですよ。光も順光ですし。」と丁寧に教えてくれた。「あっち側」にも行ってみたが、もう、クイナは隠れてしまって見えなかった。「この前は、何羽もいたんだけどなあ。」という声がどこからか聞こえた。そうか、それなら、これからときどきここに来れば、もっといい写真が撮れるんだ、とぼくはほくそえんだ。

 それにしても、「あ、クイナだ。」というオバサンの言葉がなかったら、この先ずっとクイナに出会えなかったかもしれない。こうなっては、うるさいオバサンには感謝するしかない。このオバサンは、ひょっとしたら、昔からの野鳥マニアのオバサンなのかもしれない。少なくとも、ぼくよりはずっと知識が豊富である、なんて、このオバサンに対する評価がだんだんぼくの中で高まってきた。まあ、半端な知識しなかいぼくと比べたってしょうもないのだが。

 それにクイナのことを「クイ子」って言わなかったし。

 


 

 

やっと撮れたクイナ

 


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