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木洩れ日抄 95  郷愁の鳥  【課題エッセイ 2 鳥】

2022-12-09 15:30:03 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 95  郷愁の鳥  【課題エッセイ 2 鳥】

2022.12.9


 

 73年もの長きにわたって生きてくると、「世の中変わったなあ」という感慨を持たないものとてない。今ぼくが装着している腕時計も、「アップル・ウオッチ」というシロモノで、これでなんと電話ができる。腕時計で、もしもし、なんてやってると、子どもの頃に見たSFっぽいテレビドラマの世界のなかに紛れ込んだような気がするし、事実そのとおりの世界にぼくらは生きているのだ。

 そういう何をとっても、「世の中変わったなあ」と思わざるをえない中でも、今回のお題の「鳥」は、地味だけど、つくづく変わったと思えることのひとつだ。

 ぼくの生まれ育った町は、南吉田町といって商店街(「お三の宮商店街」と言った。)だったのだが、そこを含む通称「八ヶ町(はちかまち)」は、いくつもの細長い町が並行していた。東にむかって、いちばん北側から、日枝町、南吉田町、山王町、吉野町、新川町、二葉町、高砂町、そして川を挟んで、睦町という八つの町が整然と並んでいた。

 この中で、いまでも、ぼくには不思議な印象を残しているのが、新川町と二葉町だ。どこがどう不思議だったのか、子どもにははっきりとは分からなかったのだが、ぼくの印象に残っているのは、その町では、鳥を飼っている家が特に多かったということだ。

 なかでも、大きな間口の家の「店先」のような感じのところで、ヒバリを飼っている家があった。そのヒバリを入れる籠が独特で、1メートルぐらいあるような円筒形をしていた。ヒバリは高い空に昇りながらさえずるので、そんな特別な籠にいれるのだということを、誰からともなく聞いたような気もするのだが、その程度の「高さ」で、ヒバリは満足して、美しくさえずったのだろうか、といまでも不思議だ。

 新川町、二葉町のあたりは、小学校の同級生の家に遊びにいった折りだったのだろうか、通りかかると、商店街とはまったく様子の異なる家が並んでいた。黒い板塀とか、かすかに聞こえる三味線の音が記憶の中に残っているような気がする。

 こうしたこの町並みの不思議さがずっと忘れられず、あそこはどういう町だったんだろうとずっと思ってきたのだったが、最近になって、そのあたりは、戦前は遊郭のあった町で、「日本橋花街」と呼ばれていたということを知った。戦後は、焼け野原になったけれど、進駐軍相手の遊郭が栄えたともいう。(こちらのブログをご覧ください。)

 横浜の花街は数多く、歌丸さんの生まれた真金町あたりの一帯の花街が有名だが、この「日本橋花街」は、今では知る人もあまりいない。けれども、ぼくの町のほとんど目の鼻の先にあったこの花街は、物心つく前のぼくにも、なにか別の世界があるという感覚を植え付けたようで、その接点ともいうべきものが「籠の中のヒバリ」だったというわけだ。

 店先にヒバリの籠をずらりと並べたその家は、芸者置屋だったのか、それとも、ぜんぜん別の職業の家だったのか、今となっては分からない。しかし、少なくとも、商店がたちならび、職人が住む、南吉田町には、そんな「粋」な家は一軒もなかった。「粋」かどうかは怪しいもので、実際にはそこは苦界だったのだろうけど、一種の非日常が漂っていたことは確かだ。

 非日常といえば、毎月、1と6のつく日には、伊勢佐木町の6〜7丁目あたりでの縁日があった。ぼくらの商店街のすぐ先だから、ぼくは、いつも楽しみに、この縁日に行ったものだが、その縁日にも「鳥」がいた。ヤマガラである。

 この鳥は、人懐こいところがあって、飼育も簡単だったのだろうか、芸を仕込むことができたらしいのだ。芸というほどのものではないが、「ヤマガラのお神籤」である。

 直方体を横にしたような鳥かごの一方に、小さな社が作って入れてある。その社の前にはヒモのついた鈴がある。もう一方の端から、ヤマガラにエサを与えると、ヤマガラはちょんちょんと社の前に行って、鈴のヒモをひっぱる。すると、中から丸まったお神籤が出てくる。そのお神籤を口にくわえて、エサを与えたお客に渡してくれるといった寸法だった。

 エサを与えるのが先か後か、どうも記憶が曖昧だが、とにかくそのヤマガラの動作が愛らしく、見ていて飽きなかった。お神籤が嫌いなぼくは、一度も引いたことはなかったけれど。

 後年、鳥の写真撮影に夢中になって、初めてこのヤマガラの写真を撮ったときも、久しぶりの旧友に会ったような気がして嬉しかったものだ。

 戦後生まれの町の子にとっての「鳥」は、こうした郷愁を伴って、まず思い出されるのである。

 


(注)野鳥を飼育することは、2012年に最後に許可されていたメジロが禁止対象となったことで、以後一切できないことになった。

   こちらをご覧ください。

   また、こちらもどうぞ。

 

 

 


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木洩れ日抄 94  花と光をめぐって  【課題エッセイ 1 花】

2022-12-02 19:52:07 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 94  花と光をめぐって  【課題エッセイ 1 花】

2022.12.2


 

 「日本の名随筆」第1巻「花」では、巻頭に、白秋の「薔薇二曲」という詩が掲げられている。編者の宇野千代が選んだのだろうか。それとも、編集者の誰かだろうか。なかなか気が利いている。

 こんな詩である。

 

 

  薔薇二曲

  一

薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花サク。

ナニゴトノ不思議ナケレド。

 

  二

薔薇ノ花。
ナニゴトノ不思議ナケレド。

照リ極マレバ木ヨリコボルル。
光コボルル。

 


 実はこの詩、たしか中学生のころに読んだ記憶があって、その時は「ナニゴトノ不思議ナケレド。」の意味が分からなかった。というか、誤解していた。「なんだか不思議なことだけどなあ。」というような意味だと思ってしまったのだ。つまり「なけれど」が「ないけれど」だということが分からなくて、「けれど」を「買いに行ったけれど、品物はなかった。」というような使い方の「けれど」だと思ったのだ。しかし、それだと「不思議な」の「な」が分からない。変だ。変だなあと思って、そのうち、変な詩だなあとまで思うようになって、そのうえ「二」の方もろくに読まないままに、何年も経った。

 それが「何の不思議もないのだけれど」だと分かったのは、いつのことだったか。「なけれ」が形容詞「なし」の已然形で、それに逆接の助詞「ど」が付いたもの、という文法的な説明は、さすがに、教師になったころにはできるようになっていたことは確かだけれど。

 分かってしまうと、これが実に素晴らしい詩だということも即座に分かった。

 バラの木にバラの花が咲くのは、ちっとも不思議なことじゃないけれど、と言いさして、白秋はそのことの神秘を歌う。不思議じゃないし、ごく当たり前のことなんだけど、そのバラの花が咲くということの神秘に思いを致せば、バラの花から、光が無限にこぼれ落ちてくるのが感じられる。その光のありがたさに、涙がこぼれそうだ、というのだ。

 薔薇の花から、光がこぼれ落ちてくる、あるいは、薔薇が光そのものになって、こぼれ落ちてくる、というのは、どこか仏教的で、花祭りのお釈迦様のようなイメージを伴っている。

 そうか、花祭りか。光なんだから、直線的に放射されるという感じが普通なのに、ここでは、上から下に「こぼれ落ちてくる」。そこには水みたいな物質感がある。だとすれば、それは、お釈迦様の頭の上から注がれる甘茶ではないか……。などと勝手にイメージがふくらんでいく。

 ふと詩句に戻れば、そんなことはどこにも書いてない。あるのは、光を放つ薔薇の花ばかりだ。

 花が光を放つ、といえば、伊東静雄の詩も忘れがたい。

 

   春浅き

 

ああ暗と まみひそめ
をさなきもの
室に入りくる

いつ暮れし
机のほとり
ひぢつきてわれ幾刻をありけむ

ひとりして摘みけりと
ほこりがほ子が差しいだす
あはれ野の草の一握り

その花の名をいへといふなり
わが子よかの野の上は
なほひかりありしや

目とむれば
げに花ともいへぬ
花著(つ)けり

春浅き雑草の
固くいとちさき
実ににたる花の数なり

名をいへと汝(なれ)はせがめど
いかにせむ
ちちは知らざり

すべなしや
わが子よ さなりこは
しろ花 黄い花とぞいふ

そをききて点頭(うなず)ける
をさなきものの
あはれなるこころ足らひは

しろばな きいばな
こゑ高くうたになしつつ
走りさる ははのゐる厨(くりや)の方(かた)へ

 

 これは、伊東静雄の代表的な詩というわけではないが、高校時代に読んで以来、忘れられない詩となった。

 そもそも、高校時代にどうしてぼくが伊東静雄などというマイナーな詩人に夢中になったのかというと、その原因は国語の教科書にあった。高1か、高2かの国語の教科書に、「夏の終り」という詩が載っていたのだ。夏の終わり、はぐれた雲が、地上のものに「さよなら、さようなら」といちいち挨拶しながら流れていくという一見分かりやすい詩なのだが、それがとても気にいって、新潮文庫の「伊東静雄詩集」を買った。そこには、「夏の終り」とはうってかわって、難解な表現の詩がたくさん載っていたのだが、それでも、それらの詩の痛切な悲哀の感情がぼくの心をいたくうった。その後、三島由紀夫がもっとも高く評価した詩人だということを知って、ますますのめり込んでゆき、今に至っている。

 「ああ暗い」と言って、子どもが眉をひそめて書斎に入ってくる。この出だしが素晴らしい。この一言で、逆に、光にあふれる外の世界がぼくらの眼前に広がるのだ。

 机の前にすわって、父はなにを考えていたのか、いつの間にか、書斎はすっかり暗くなっている。その暗くなった部屋のなかに、子どもの小さい指にしっかりと握られた「固く、小さく、実に似た花」が、そこだけぼうっと光を帯びて浮かびあがる。その光に、おもわず父は「わが子よかの野の上は/なほひかりありしや」と問う。おそらくは暗い思いに沈んでいた父は、その花に、その子どもに、かすかな希望を感じる。そうだ、わが子よ、あの野の上には、まだ光はあるか? そう聞かずにはいられないのだ。なんという痛切な問いだろう。

 子どもは花の名を問うが、父は知らない。でまかせに教えた「白ばな、黄い花」という名前を、子どもは素直に歌にして、母のいる厨のほうへ走っていく。残された父は、書斎の闇のなかに、取り残される。その父は、いつまでも、「野の上の光をまとう小さな花」の残像を追い求めている……。

 伊藤静雄は、小さな花に光をみて、野の光を思い、そして、そこにかすかな希望を見いだしたのだろうか。それとも、重苦しい思いは、彼を包みこんだままだったのだろうか。苦しい時代を生きた静雄の内面が思いやられる。

 白秋の花は、光そのものへと化したが、静雄の花は、光をまとい、光のほうへと誘うものだった。

 室生犀星は、生命ある植物ではなく、氷の中に花を見て、それを極限の花とした。それはもはや「花」ではなく「花にあらざる花」であり、それだけに、強烈な光を放つものとなった。

  

  切なき思ひぞ知る 

 

我は張り詰めたる氷を愛す
斯る切なき思ひを愛す
我はその虹のごとく輝けるを見たり
斯る花にあらざる花を愛す
我は氷の奥にあるものに同感す
その剣のごときものの中にある熱情を感ず
我はつねに狭小なる人生に住めり
その人生の荒涼の中に呻吟せり
さればこそ張り詰めたる氷を愛す
斯る切なき思ひを愛す

 


 ここには「名も知らぬ花」どころか、具体的な花は出てこない。花は、すなわち美であり、美はすなわち生きる意味だ。

 犀星が繰り返し「愛す」と言うのは、そこに生きる意味をオレは見いだすのだという宣言だ。その美を愛さずしてオレの人生はないということなのだ。

 現実の人生は「狭小」であり「荒涼」であり、自分はその人生のなかで「呻吟」している。けれども、それはオレのほんとうの人生じゃない。オレはもっともっと、「虹のように輝く」「剣のような熱情に満ちた」「張り詰めた」そういう「切なき思い」を生きたいのだ。そう犀星は叫ぶのだ。

 ぼくは、室生犀星を大学の卒業論文としたが、その頃のぼくには、この犀星の「心の叫び」は、まだまだ届いていなかったように思う。なんだか、嘘っぽいと思っていた。無理して、格好つけて、こんなことを言ってるんじゃないか、と、疑っていた。しかし、今では、やっぱりそうじゃないんだ、これは犀星の心の真実なんだと、ようやく納得できるような気がしている。

 こうして、白秋、静雄、犀星と辿ってくると、「花」が、光をまとって、それぞれの人生に生き、それぞれの人生を導いているようにも思えてくる。そしてそこから生まれた詩歌を、ぼくらが「読める」しあわせを改めて噛みしめるのだ。

 と、締めくくろうとしたが、そうだ、大事な句を忘れていた。「花と光」っていうのなら、これを忘れちゃいけない。水原秋桜子の句である。それを締めくくりとしたい。この句を読むと、なにもかもほっぽり出して、奈良の都へと旅立ちたくなる。

 

  来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり

 

 

 

 


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木洩れ日抄 93 「義務としてのエッセイ」──「課題エッセイ」を始めます

2022-11-30 17:11:02 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 93 「義務としてのエッセイ」──「課題エッセイ」を始めます

2022.11.30


 

 作品社の「日本の名随筆」全100巻を長いこと所持してきたが、手に入れてから20年以上たっても、ほとんど読むこともなかった。で、本棚の整理もあって、思い切って「自炊」した。「自炊」したからといって、読むようになったとは限らないが、それでも、「自炊」している最中に、断片となったページをパラパラと読んだりしているうちに、それぞれのテーマにそって、実に多彩な観点から書かれた文章の面白さに、あらためて心を動かされた。

 それと同時に、自分だったら、こういうテーマを与えられたとして、どんな風に書くだろうと、ふと思った。学校の生徒じゃなあるまいし、ましてやエッセイストでもないのだから、テーマを与えられて書くなんてことは現実にはないわけだが、仮にそんなことがあったという前提で、書いてみたら日頃の退屈さもまぎれるだろうかと思ったわけである。

 「日本の名随筆」本巻の100巻は、「万葉」3巻を除いて、残りの97巻が、すべて漢字一字のテーマが割り振られている。第1巻「花」、第2巻「鳥」、第3巻「猫」、第4巻「釣」、第5巻「陶」、といった案配で、これが97並ぶわけである。

 この中から、自分で書けそうなテーマを選んで書くというのもアリだろうが、しかし、それではなんだかツマラナイ。先生とか編集者とかから「書け」と言われる場合は、こっちの都合のいいテーマんばかりとは限らない。とても書けそうもないテーマだってあるだろう。そういうのにもちゃんと対応しなきゃプロじゃない。もちろんぼくはプロじゃないから、そんな対応能力なんてなくてもいいのだが、まあ、仮にプロだとしたらどうだろう。書けそうもないことについて、なんとか書いてしまうといった技量も大事ではなかろうか。

 などと、考えているうちに、まあ、とにかく、「日本の名随筆」の巻の順番に、テーマを与えられて、強制的に書けと言われたと想定して、書いてみようかと、半ばマゾヒスティックな気分となってきた。

 これは、もしかしたら、在職中、生徒に対して「作文コンクール」なんてものを実施したタタリなのかもしれない。なにしろ、コンクールの当日に、いきなり「題」を発表して、80分以内に原稿用紙3枚書けなんて無理難題を、毎年ふっかけてきたわけで、それでも、生徒はケナゲにもなんとか頑張って文章をひねくりだしたものだ。まあ、もちろん、時間のほとんどをおしゃべりで過ごし、残り10分ほどで、「書けない」苦しみを書いておしまい、なんていく不届き者もいないではなかったが。それが彼らの人生にとってどんなプラスになったやら検証してないから知らないが、恨みだけはかったことは事実で、その恨みがたたったのに違いない。まあ、しかし、それならそれでいい。罪滅ぼしはしなくちゃならぬ。

 ところで、さっき、「日頃の退屈さもまぎれるだろうか」などと書いたが、実際にはそれほど退屈しているわけでもないのだ。それというのも、自分で自分の首を絞めるような「企画」を作ってしまって、その対応に日々四苦八苦しているからである。

 その一つが「一日一書」としてブログで始めたシリーズで、最初のうちは、ほんとうに一日に「一書」連載するつもりだった。それも、自分の書というよりは、自分が好きな書を紹介するという意味あいだったのに、それもだんだんネタが尽きてきて、自分の書が中心となり、それもだんだん飽きてきて、つい出来心で、長男の著書「寂然法門百首」を1首目から100首目までを順番に書くことにしてしまった。一年ぐらいで終わるつもりが、3年経っても終わっていない。もちろん、一日にひとつアップというのもとうに有名無実となっている。

 「日本近代文学の森へ」というシリーズも、最初は、明治期の短篇小説を読んでいたのだが、そのうち、志賀直哉の「暗夜行路」になったら、これがぜんぜん進まず、119回も書いているのに、まだ、半分を過ぎたあたりという始末だ。もっとも、これは、はやく終わることをそもそも目指しておらず、とにかく、重箱の隅をつつくように、表現や言葉にこだわって、ゆっくりじっくり読むことをモットーとしているので、別に苦にしているわけでもない。

 そんなふうに自分を縛っているから、そっちに心理的にせっつかれこそすれ、のんびりとした「老後」を楽しんでいるイトマもないというのが実情なのだ。

 だから、その上、こんな強制的な随筆なんてやめておいたほうがいいに決まっているわけだが、しかし、すべてをやりおえて、もう何もすることはないという状況は、いっけん理想的にみえて、あまり現実的ではない。もしそれが現実になったとしたら、ぼくみたいな貧乏性の人間は、堪えられないだろうと思う。

 まあ、そんなわけで、いろいろ迷った挙げ句のことだが、これから、無謀な連載を始めることとする(と、宣言する)。他のエッセイと異なることを明示するために、「課題エッセイ」というシリーズ名とする。色気のないネーミングだが、「義務としてのエッセイ」なんだから、色気のでようはずもない。

 次回は、そういうことでテーマは自動的に「花」である。どうなることやら。1回書いて、もうやめた、ということにならなければいいのだが。

 


 


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木洩れ日抄 92 劇場の機知 劇団キンダースペース「家出うさぎ」そして「Room」をみて

2022-11-24 10:20:02 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 92 劇場の機知──劇団キンダースペース「家出うさぎ」そして「Room」をみて

2022.11.24


 

 井上ひさしは、その名作「父と暮せば」で、死んだ父を舞台に登場させた。そのことで、娘の美津江の内面が見事に可視化され、観客に大きな感動を与えることができた。

 井上は、「演劇的空間」とは「舞台でしかつくることのできない空間や時間」だとして、その「演劇的空間」を成立させる要素として「劇場の機知」ということを挙げた。美津江の内面の苦悩をどう描くかというときに、演劇ではその「機知」を存分に使って、「実際にはいない者」を舞台に登場させるという手があるというのだ。

 この「劇場の機知」という言い方が、いまいちよく理解できなかったので、舞台芸術に詳しい友人に「劇場の機知」って、分かりやすく言い換えると何? と聞いたところ、「それは、舞台に生の人間が存在するということだ。」と明快に答えてくれた。

 この「父と暮せば」に関していえば、小説でも、死んだ父を登場させて、美津江と会話させることはできる。しかし、どんなに巧みに描こうとも、それはあくまでフィクションの域を出ない。昔、昔、あるところに、、、といった昔話と同じように、現実にはありえない話として展開されるほかはない。

 けれども、これが「演劇的空間」つまりは、「舞台」で表現されるとなると、話は違う。実際には死んでしまって姿の見えないはずの人間が、「生身の人間」として「舞台」に登場する。俳優が演じているとはいえ、それが「生身の人間」であることには変わりはないのだ。

 しかし、それもやっぱりフィクションであり、小説におけるフィクションとなんら変わりはないのではないかと言われるかもしれない。しかし、「言葉によって生み出される人間」と「生身の人間」は、まるで違うものだ。舞台に存在する「俳優」は、その役柄を「演じている」と同時に、いやおうなく、俳優である人間そのものである。俳優は、当たり前のことだが、いつもその二重性を担ってそこに存在する。

 そういう意味では、「俳優」というもの自体が、まさに「ドラマ」そのものなのだ。「演じる役」と「俳優自身」との間にある矛盾・軋轢が、そのままドラマであり、そういうドラマを抱えた俳優同士が、ドラマを作りだしていく。このドラマが、小説には、ない。このドラマこそが、まさに、「劇場の機知」なのである。

 今回の原田一樹作「家出うさぎ」は、この「劇場の機知」を縦横に使って描かれた傑作だ。何も知らない観客は、二人の登場人物が、どういう関係にあり、どういう存在なのか分からないままに、ドラマに引き込まれていく。「父と暮せば」では、その冒頭で、すぐに父がすでに死んだ人間だということが明快に示されるが(それに観客が気づくかどうかは別として)、「家出うさぎ」では、そうしたことはない。ただ、丁寧に積み重ねられるセリフの「きしみ」によって、次第に、ああ、これはどちらかがもう死んでいるんだな、と理解されていく仕組みになっている。(これも、勘のいい観客はすぐに気づくのだろうが)。

 前半部のそうした苛立たしい曖昧さは、やがて後半部で、死んだ娘と、その死を受け入れられない母という構図が一挙に明らかにされ、迫真のドラマが展開される。それは、井上ひさし風に言えば、結局は母親の一人芝居なのだが、それを「劇場の機知」によって、明快なドラマとして展開している、ということになる。

 愛する者の死に出会ったとき、人はなかなかそれを受け入れることができない。それはもう、窮極のドラマだといっていい。親の死ならともかく、子どもの死という場合、その困難はおそらく筆舌に尽くしがたい。そのことを、日々の残酷なニュースでぼくらは目にし、耳にしている。いったい残された人は、その後の生をどう生きていけばいいのだろうと、しばし呆然としながらも、ぼくらは次のニュースに目を、耳を移していく。いかざるを得ない。

 「家出うさぎ」という芝居は、そのことに、じっと目を据えて、とことん追究した芝居だ。原田さんは、若書きだから、目を背けたくなると言っているが、作者にしてみればそういう気分になるのは致し方ないとはいえ、観客は決してそうではない。残された人間の心のありようを、そして、おそらく先だった人間の心のありようまでをも、正確に、誠実に追究していく舞台の展開に、息を飲んで引き込まれた。心に突き刺さる感動の舞台だった。

 思えば、これが、キンダースペースの本公演ではなく、「ワークユニット中間発表公演」(注:「ワークユニット」=キンダースペースが主宰する、意欲ある演劇表現者のための研修の場。)であったということに改めて驚かされる。「客演」として参加した劇団員の丹羽彩夏と、すでに数々の舞台で活躍している富永禎子の熱演は、まことに見もので、完成度の高い芝居として、呆れるほど忘れっぽいぼくにも、長く印象に残ることだろう。

 同時に上演された「Room(より第三話)」も、三枝竜の冒険的な演出で、実に面白い舞台に仕上がった。佐藤眞於の初々しい演技も新鮮だったが、特に、添田和弘の、押しつぶしたような発声によって繰り出されるセリフが、ユーモアに富んでいて、なんども笑ってしまった。こういう笑いも、原田戯曲の大事な要素で、こういう芝居をもっと見たいと思った。

 二つの芝居を見ていて、ふと、なぜか「織物」のことを思った。繊細なセリフを、丁寧に織り続けることで、できあがる「織物」。「家出うさぎ」の絹のようなしっとりとした肌触り、「Room」の麻のような荒々しい肌触り、それぞれの感触を味わいつつ、西川口を後にした。

 


 

 

 

 

 

 

 


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木洩れ日抄 91 重なるレイヤー──劇団キンダースペース「パレードを待ちながら」をみて

2022-11-01 14:13:19 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 91 重なるレイヤー──劇団キンダースペース「パレードを待ちながら」をみて

2022.11.1


 

 芝居の楽しみというのは、その芝居で何がどのように演じられているかということもあるけれど、その芝居を誰がどのように演じているかということにもある。特に古典演劇の場合は、後者が圧倒的に重要だろう。演じられる芝居は同じでも、役者によってまるで違うということがあるだろうし、だからこそ、それをお目当てに出かけるということになる。

 「何が」は、脚本(家)中心とした見方だし、「誰が」は役者中心、そしてどちらにも共通する「どう」は、演出家中心ということもできる。

 先日見た劇団キンダースペースの「パレードを待ちながら」の場合は、そのどれとも一概には言えないが、特に「誰」がとても印象に残った。それは、キンダーにとっての再演ということもあるし、それ以上に、長いことキンダーの芝居を見続けてきたということもある。

再演ということについて言えば、実は、この芝居をほんとうに見たのか記憶が曖昧になっていて、いろいろ記録を探してみたのだが、見たという確証がもてないままに、見始めたのだが、なんと、始まって何十分経っても、「ああ、見た、これ」というふうにはならなかった。そればかりか、「やっぱりこれは初見だな。」と納得する始末で、そのまま最後まで見続けて、終わってしばらくしてから、じわじわと「見たよ、これ。」と思ったのだった。

 それが何を意味するか分からない。ぼくは、かつて見た芝居をちっとも覚えていなくて、「なんで覚えてないの?」と呆れられることもしばしばなのだが、今回もそういった健忘症の頭ゆえだったかもしれない。ただ、これは前にも見たという感じは、透明なレイヤーのように、次第に重なってくる──芝居のその奥にもう1本の芝居が透けて、あるいは重なってみえてくる──といったテイのもので、かならずしも、悪いものではなかった。むしろ、芝居に厚みができた(といっても、ぼくの頭の中でのことだが)ような感じがしたのだった。

 パンフレットに、演出の原田さんが、「この芝居に『男』は一人も出てこない。これは同時に男たちしか出てこないという事でもある。」と書いていた。なるほど、女たちの言葉で溢れる舞台は、そこに「いない」男たちの姿をくっきりと浮かび上がらせる。そして、そのだまし絵のように浮き出てくる男たちの姿は、滑稽なほどの愚劣ぶりだ。

 ここでも、レイヤーが重なる。真摯に懸命に生きる女たちのレイヤーと、バカまるだしで戦争に熱狂する男たちのレイヤーは、ときに、完全に重なり合成され、これが、実は見事な「女と男」の現実であり、その現実が、舞台に男が「いる」とき以上に濃密な現実として舞台に現れている、といった感じを与えるのだ。

 そうして、更なるレイヤーとして、「今、この時」というレイヤーが重なる。演じられるのは、第二次大戦下の「現実」だが、「今、この時」のこととして、身に迫るからだ。それこそが、この芝居を「今」再演するキンダーの意図でもあるだろう。

 そしてそして更にいえば、その上に──あるいはその下に──役者というレイヤーが重なるのである。

 特に今回ぼくが見たのは、最終日の最後の舞台で、その回だけ、「イーブ」の役が、小林もと果にかわって、「アンダーキャスト」(役者の万一の場合に備える代役)である岡田千咲の出演だった。岡田にとっては、初日にして楽日というわけで、こんな上演はぼくは初めてみた。聞けば、岡田自身が、この出演に立候補して、挑戦したのだという。なみなみならぬ芝居への情熱である。

 アンダーキャスト出演ということを、あらかじめ聞いていたので、ベテラン女優の中で、新人といってもいい岡田がどこまで演じられるのか、心配もしたのだが、それも杞憂だった。岡田の芝居は何度か見ているが、ここまで成長できるものかと感心してしまった。何事も情熱だ。情熱はすべてを乗り越えさせる。ぼくも元気が出た。

 ベテランの女優陣は、いまさら言うまでもないが、まさに円熟といっていい。ご本人たちは、どう思っているのか分からないが、舞台を楽しむ余裕が随所に感じられた。受けないに決まっているダジャレを敢えてぶち込んで、観客の反応を確かめるような場面もあって──むろん、演出家のしゃれっ気だろうが──心の中で吹き出してしまったが、それが「心の中」にとどまってしまって、「プッ」と声を出して吹き出せなかった小心さが悔やまれる。

 二人の息子の帰還を待ちながら死んでしまった「マーガレット」が、美しい墓の向こうに現れるラストシーンの崇高さは、女と男という二種類で成り立つ「人間」を超えた何ものかの存在を、確かに感じさせた。それはマーガレットの信仰する「神」そのものではないかもしれないが、そこれこそが、女であれ男であれ、どこまでいっても「愚劣さ」を免れない人間というものの、唯一の「救い」であるだろう。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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