私が無料会員登録をさせていただいてるbio todayで下記のニュースがありました。
ロードアイランド州の州都・プロビデンスにあるSteere House Nursing and
Rehabilitation Centerの認知症ユニットに、死が迫っている患者を予期でき
る不思議な能力を持った雄ネコ・オスカー(Oscar the Cat)がいます。この
猫のある1日の様子を記した報告が医学誌に掲載されています。
▽死が迫っている患者を見分け、死を看取る猫
http://www.biotoday.com/view.cfm?n=21107
この報告によると、オスカーはこのセンターの患者の部屋を訪れ、ベッドに登
って匂いをかぎ、患者の様子を見ます。
こうして回診した患者の死期が近づいていないときにはその部屋を立ち去りま
すが、患者に死が迫っている時にはその部屋にとどまり、患者の死を看取りま
す。
これまでに、Steere House Nursing and Rehabilitation Centerの3階の住人
25人以上の死をオスカーは看取ってきました。この施設の3階でオスカーがと
どまらずに死んだ人はおらず、オスカーがとどまることはほぼ完全な死の徴候
とこの施設の医師やスタッフは受け止めています。
オスカーは、もし彼がいなければ1人でこの世を後にすることになったであろ
う人に最後の生の交友を与えています。
この施設の医師やスタッフは彼にとても敬意を払っています。また、この施設
に居住している患者の家族からも慕われています。(終)
先週某民放ニュース番組でも採り上げられていたニュースですが、とても良い話だと思います。何故かと言いますと・・私と母は、父を看取ることができませんでした。ずっと父が入院していた病院から「様子がおかしいのですぐ来てください」と電話があったのが朝5時。急いでタクシーを呼んで駆けつけた時には父は眼を見開いたまま、身体も既に冷たく硬くなっていました。私達が来たのを聞いた主治医が5分後くらいに来て、心臓に電気刺激を与えたりしてましたが既に亡くなってかなりの時間が経過しているのは素人の私達にも明白。とりあえず、と言う感じで刺激を与えてる医師に対して「もういいです」と言うと「あ、そうですか。ご臨終時間は5:40・・・」腕時計を見ながら言う医師に対して、何かを言う気も失せていました。
長く生きられないことは知ってても、せめて最期の時は看取ってあげたかった、と残念な気持ちで一杯でした。
精一杯生きてきた一人の人間が死ぬ、というのは、宇宙的に見たら小さなことでも、とても大きな意味があると思うし、決して軽んじてはいけないことだと思っています。
そんな経験を持つ私にとっては、この猫ちゃん、いえ尊敬をこめてMr.オスカーが見守ってくれることで、一人ぼっちで亡くならずに済むのはどんなに心休まることでしょう。
医療は単に寿命を延長することではなく、如何に良く生きて人間としての尊厳に満ちた最期に向かうことを助ける、ケアする、という役割を持つものと思いますが、どうでしょう?
金の糸は http://www.yourij.com/
ロードアイランド州の州都・プロビデンスにあるSteere House Nursing and
Rehabilitation Centerの認知症ユニットに、死が迫っている患者を予期でき
る不思議な能力を持った雄ネコ・オスカー(Oscar the Cat)がいます。この
猫のある1日の様子を記した報告が医学誌に掲載されています。
▽死が迫っている患者を見分け、死を看取る猫
http://www.biotoday.com/view.cfm?n=21107
この報告によると、オスカーはこのセンターの患者の部屋を訪れ、ベッドに登
って匂いをかぎ、患者の様子を見ます。
こうして回診した患者の死期が近づいていないときにはその部屋を立ち去りま
すが、患者に死が迫っている時にはその部屋にとどまり、患者の死を看取りま
す。
これまでに、Steere House Nursing and Rehabilitation Centerの3階の住人
25人以上の死をオスカーは看取ってきました。この施設の3階でオスカーがと
どまらずに死んだ人はおらず、オスカーがとどまることはほぼ完全な死の徴候
とこの施設の医師やスタッフは受け止めています。
オスカーは、もし彼がいなければ1人でこの世を後にすることになったであろ
う人に最後の生の交友を与えています。
この施設の医師やスタッフは彼にとても敬意を払っています。また、この施設
に居住している患者の家族からも慕われています。(終)
先週某民放ニュース番組でも採り上げられていたニュースですが、とても良い話だと思います。何故かと言いますと・・私と母は、父を看取ることができませんでした。ずっと父が入院していた病院から「様子がおかしいのですぐ来てください」と電話があったのが朝5時。急いでタクシーを呼んで駆けつけた時には父は眼を見開いたまま、身体も既に冷たく硬くなっていました。私達が来たのを聞いた主治医が5分後くらいに来て、心臓に電気刺激を与えたりしてましたが既に亡くなってかなりの時間が経過しているのは素人の私達にも明白。とりあえず、と言う感じで刺激を与えてる医師に対して「もういいです」と言うと「あ、そうですか。ご臨終時間は5:40・・・」腕時計を見ながら言う医師に対して、何かを言う気も失せていました。
長く生きられないことは知ってても、せめて最期の時は看取ってあげたかった、と残念な気持ちで一杯でした。
精一杯生きてきた一人の人間が死ぬ、というのは、宇宙的に見たら小さなことでも、とても大きな意味があると思うし、決して軽んじてはいけないことだと思っています。
そんな経験を持つ私にとっては、この猫ちゃん、いえ尊敬をこめてMr.オスカーが見守ってくれることで、一人ぼっちで亡くならずに済むのはどんなに心休まることでしょう。
医療は単に寿命を延長することではなく、如何に良く生きて人間としての尊厳に満ちた最期に向かうことを助ける、ケアする、という役割を持つものと思いますが、どうでしょう?
金の糸は http://www.yourij.com/