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「 被災地 」という言葉、使い方を考え直そう

2013-11-06 22:48:00 | 日本の被災対応

「 被災地 」という言葉の使われ方を観察してみた。

TVや新聞報道を見れば、当然、自然災害等で被災した地区や地域を指す言葉として使っている。
何度か来襲した台風による被災状況を報道する場合、当然この言葉を使うのは当たり前だ。

しかし、直近の被災情報も無く、何かの話題の折にこの言葉が出るのはどうだろう。
「 被災地のために 」とか「 今なお、被災地での生活は ・・ 」という場合は、
殆どの場合、東日本大震災での被災に限定した言い方になって、当たり前の様になっている。

が、これで良いのだろうか?


【 被災地はどこ? 】

一般に被災とは災害を被る事ですが、台風や地震など自然災害の話に限ってみれば、
被災地とは 台風や地震などによって、予期せぬ被害を受けた地域の事です。

ほぼ同じ日時に、住民にとっては予期せぬ被害を、特定の地域全体が受けた場所が「 被災地 」であり、台風や地震以外に、豪雨や突風などの災害も含めれば、ひと月の間にも数多くの場所が「 被災地 」になっているのです。

そういう各地の被災地を差し置いて、単に「 被災地 」という言葉で特定の地域を指し示そうとする事は正しい事ではありません。

そしてそれ以上に、実際に日本全国で被災した人々の心情を無視する行為に繋がる事を自覚せねばなりません。


【 被災した者の心情は 】

先に挙げた様に、災害は予期せずやって来るものです。
予期せず被災するという事は、日々平穏に暮らしつつ未来のプランを描いていた人々の生活や希望が損なわれたり奪われるという事です。

まして、親族や親しい人を亡くした場合にはどうでしょうか。
それは、単に金銭と時間で解決できる事ではなく、一生に亘り人生に消えない大きな傷を遺してしまうものです。

被災してしまった現実を正面から受け止められず、その被災地に住んでいた事を時には恨んでしまう人が、この日本に様々な災害がある度に生まれている現実があるのです。

そういう方々の心情を顧みず、「 被災地 」という言葉を特定の災害の地域を指し示すように使われている現状は、決して良い事ではありません。

被災した人数や地域の広さなどに大きな差があったとしても同じです。
被災した人の心情は、その地域に住む人数や広さとは関係無いのです。


【 被災地に住んでいると ・・ 】

私自身、1995年1月17日に発生した、阪神・淡路 大震災によって被災し、住居は全壊となり、その日から生活に大きな影響を受け続けました。

幸いな事に、地震による受傷は無く、勤務先は無事だったので、大きな出費は強いられたものの、同じ市内の新しい住居へと移り住み、現在までに至っています。

そして、18年後の現在、街並みは震災以前よりも綺麗に整っていて、他の地区の方から見れば既に震災の傷跡は無いと思う事でしょう。
そして、既に神戸は被災地ではなくなったとも思うでしょう。

しかし、その地に住む者にとっては違う思いなのです。

予期せぬ災害によって、それまでの暮らしや人生が傷つけられた事には変わりないのです。
決して、災害を受ける事を誰もが望んでいなかったのです。
だから、出来れば 震災以前の暮らしに戻れるならが、以前に抱いていた人生設計を再開できるならば、以前に住んでいた場所に住み親しい人を誰も亡くさずにいられるならば、
誰もが被災以前に戻りたいのです。

そう、例え街並みが被災以前の状態に戻ったとしても、被災してしまった人々にとっては、
いつまでも、そこは「 被災地 」であり続けるのです。

どうか、「 被災地 」という言葉の使い方、今一度、考え直してください。



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