GRA 公式ブログ・サイト

NPO法人GRAの活動や考えを伝えます

「 資料ページ 」Archive 更新しました

2021-09-19 19:52:07 | 日本の被災対応


プレスや広報用の資料から、イベント開催に必要な資料、タイム測定結果などを収めた『 資料ページ ・Archive 』の更新の案内です。

      
f:id:youkaidaimaou:20210919194644j:plain

スマートフォンでの視認操作性を高めて、多国性を高めて、より多くの方が閲覧・利用できる様に内容を更新しましたので。 ぜひ、ご確認ください。

 

f:id:youkaidaimaou:20210919194623j:plain

『 資料ページ・Archive 』
https://gra-npo.org/policy/explanation/dataroom.html

 


発足以来、長年に亘って作成してきた資料や。蓄積してきた様々な情報を、可能な限り公開をします。あなたの今後の活動の参考になれば幸いです。
  
We will disclose the material and various information that we accumlated over the years as much as possible.  We hope it will be helpful for your future activities.


クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
ページ中の画像は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています
文章等は許可無く転載することを禁じます / Copyright GRA All Rights Reserved.

 

f:id:youkaidaimaou:20210125191527j:plain
https://gra-npo.org












【 新規メニューボタン 】 導入の案内です

2021-09-17 07:49:49 | 日本の被災対応

GRA公式Webサイト に 「 新規 メニューボタン 」を導入しました。
以前から使用していた メニューボタンを刷新して、大型化とアイコン利用、英文案内導入によって、スマートフォンで操作しやすくして、且つ、海外の方にも馴染みやすくするのが刷新導入の目的です。

 

f:id:youkaidaimaou:20210917074405j:plain


今回、新規ボタンを導入したページは Indexページ( https://gra-npo.org / トップページ )ですが、今後は順次、採用ページを増やして、デザインを整えて操作性を高めていきますのでご期待下さい。
また、ご意見や提案がありましたら、これからもよろしくお願いします。


クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
ページ中の画像は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています
文章等は許可無く転載することを禁じます / Copyright GRA All Rights Reserved.

 

f:id:youkaidaimaou:20210125191527j:plain
https://gra-npo.org















“東京目線”で進められる震災処理

2013-12-20 21:26:40 | 日本の被災対応

大震災の数日後、ようやく電気が復旧した部屋の中、
真冬に暖房も無く、目一杯に服を重ね着して、久し振りに観たTV。
そして、そのTV番組で交わされていた言葉に僕は寒気を覚えた。

「 もし、同じ地震が東京で起きたら ・ ・ ・ 」という言葉に。

1995年 1月
未だ、被災した街の中では、押し潰れたビルの中の多くの亡骸さえ救い出せず、
無事だった人も水や食べ物に日々困っている最中なのに ・・・ 、

「 東京はそんなに大切か!? 」と


【 “東京目線”による報道の罪 】

それは、NHKの特別番組だった。
知識人や専門家が数名集まって意見を出し合う討論形式のもので、始まりこそ阪神淡路大震災の現状の報告であったが、やがては、同じ規模の地震が東京で発生する可能性や、万が一発生した場合の話題へと移っていった。

「 どんでもない話だ! 」

「 東京が行政関連機関の集積地である事は理解しているし、経済や文化の中心地だと分かっているけれど、それがどうした? 」
「 被災をして亡くなった人が居て、その方の家族の人々が悲嘆に暮れ、今なお数多くの方々が明日の生活さえ見えない不安な状況に直面しているというのに。 」

「 そんなに、東京だけが大切なのか? 」
「 人の命や生活は、暮らしている場所が異なっても、全てが等しく大切なもの 」
「 そして、国家行政は国民の一人ひとりの守り、マスコミは全国民を対象にする責任がある筈だ 」

日本を代表するマスコミが、その時点で最も必要な事柄を客観的に捉えず、
突然の災害に困惑し、家族や友人を亡くした悲嘆にくれ、日々の生活に困窮しているというのに、“東京”という 一地方だけに通じる話題へとすり替える事はあってはならない事だ。


【 繰り返される “東京目線”報道 】

“東京目線”報道は、災害時だけではなく、日常的に繰り返されている。

NHKでは、様々な製作番組の中で、広さを表す尺度に「東京ドーム」や「山の手線」、そして「東京23区」などを平気で使っている。
それらの尺度は 東京または関東地区に居住か勤務している人々に通じる表現であり、日本全国を対象に番組の製作報道する責任ある立場、ましてNHKであればやってはならない事である。

それなのに、大震災という非常事態であっても、“東京目線”は繰り返される。

2011年3月、東北地方太平洋沖地震では、人的被害が僅かな関東地方の被害状況だけを先行して報道を繰り返し、東京都内での飲料水中の放射性物質濃度の軽微な変化に報道の熱を上げたが、それは単に取材報道の容易さからと言うより、より深刻な人的被害を受け、なお健康被害が懸念される放射線濃度の環境に置かれていた人々の心情を無視した行為だ。

今年11月8日、台風30号で甚大な被害を受けたフィリピンの報道でも同様だ。
11月18日放送のNHK番組「クローズアップ現代」では、番組前半では被災状況を詳細に報道を行なったが、やがて地球温暖化の進行で日本も同様な台風被害を受ける可能性へと話題が移り、番組後半はCGシミュレーショんを交えて「東京が同様な台風に襲われると・・」と、“東京目線”による東京地方の為の報道へとすり替わっていった。

「 なぜ、東京なのだ? 」

日本に住む多くのフィリピン出身の方々の心情を考えると、一層いたたまれない。


【 “東京目線”で進む行政 】

“東京目線”で処理しているのはマスコミだけではない。行政も同様だ。

「帰宅困難者対策の為の法案」や「電気事業法改正案」が進められているのは、2011年3月の震災以降、基盤の脆弱な東京地区で多くの帰宅が困難な方が発生し、計画停電により様々な生活上の不便さを受けたのが東京を中心とする地区だったから。

仮に、1995年の震災の時の様に、東京から遠く離れた地区での大災害で、東京電力が一切の被害を受けずに電力送信を行なっていたなら、決して今回の様に法案が進んでいなかった可能性が高い事は無視してはならない。

現在もなお、防潮堤の建設、高台移住、産業構成と就業問題、そして除染や廃棄物処理場など、実際に大きな課題に直面している地区や人々の為の行政の行為と云えば、復興庁の設置や特別税の設定はあったものの、効果的に対処が進んでいる様子は無いし、それを中央行政府が検証して発表する様子もない。

つまり、東京に関わる事柄は神経質に取り扱うが、東京という地域から離れた遠くの地域の事になると表面的な対応でお茶を濁していると言える。

別な言い方をすれば、東京近辺に住む人々の声には敏感に反応して、そうではない地域の人々の声には鈍感であるのだ。
これは、沖縄問題と表現されている事案の原因であり、隣国の中国や韓国などとの領土紛争の底流に流れる要因にも繋がっていると言える。





廃炉、作業現場解放による可能性

2013-11-12 19:40:06 | 日本の被災対応

東京電力福島第一原子力発電所の廃炉作業は、当初のスケジュールから大きく遅れる事なく、ほぼ順当な進行をしている様だ。

汚水水対策でマスコミを賑わせてきたが、稼働していなかった 4号炉の使用済み燃料貯蔵プールから燃料棒を取り出す作業まで辿りついている。
( 参照サイト : 11/7付け MSN産経ニュースより

あれだけ放射線量の高い現場で、崩れ飛んだ天井の下でガレキに塞がれていた燃料プールだった事を考えれば、現場で働いている数多くの方々の苦労に感謝をするしかない。

ただ、国内だけでなく近隣諸外国から、汚染水を始めとして、あの現場での状況に不安を抱いている人が多くいるのは事実だ。

そこで提案したいのは、あの作業現場の解放だ。


【 机上の空論 】

2011年3月11日、あの災害が発生してから、あの悲惨な現場に留まり続け、少しでも被害を小さく留め、一日でも安定状態へと落ち着かせるために、自身の健康を顧みずに働き続けた人々がいる。

そして、廃炉作業を進めている今でも、数多くの方々が高い線量の被爆現場で働き続けているからこそ、私達は安心して任せていられている事を忘れてはならない。

しかし、「 東京電力が悪い 」とか「 政府の対応は不明瞭だ 」などと、現場で働いている人を無視したかの様に意見を出す風潮があるのは感心できない。
実際に、当時所長だった吉田さんは、現場に留まり続けた影響のあっただろう、被爆そのものによる影響は別として、過酷な現場でのストレスが健康を蝕んだ事には異論は無いだろう。

また、「 今現場で働いている人は高い報酬を貰っているし、何よりも他に多くの雇用が無い現状だから ・・ 」などと、正に他人事である。
高い報酬だとしても、単に過酷なだけでなく高い被爆で健康への心配のある環境で、しかも一定の累積被爆量を超えると働けなくなる事を忘れてはいけない。

現場も知らず、現場の過酷さを想像もせず、現場で働く人達の心情を想う事もせず、その上に
災害以来懸命に働き続けた人々に感謝の言葉を発しない人の言葉に、どれほどの価値があるのだろうか。


【 現場解放による可能性 】

今なお冷却が必要な溶け落ちた燃料のため、格納容器が破損している事もあり、冷却して生まれる汚染水は増え続ける一方だ。

また、廃炉作業自体もこれから何十年と続く作業になるのは間違いない事だ。
あのチェルノブイリの廃炉作業も、1986年の事故以来、今なお汚染水を発生させながら続いているのが現状だからだ。
また、1979年に同じく事故を発生させたスリーマイル島での廃炉作業も続いているのだ。
( 参照サイト : 11/7付け MSN産経ニュース

ここで、先に書いた通り、廃炉作業現場を解放する事の検討を提案したい。
何故なら、廃炉作業の現場の状況は、その当事者国だけでなく、世界各国の大きな関心事である事は間違いないからだ。


【 日本の果たすべき役割 】

50年前と比較すれば、世界各地では数多くの原子力発電所が多く稼働しているし、その上
新たな建設計画が各国で進められているのが現状だ。

そんな各国で一番懸念されている事は、原子力発電所の建設技術の問題ではなく、万が一事故が発生した場合の対処方法や廃炉作業の進め方であるのは間違いないだろう。
事故が発生した場合のリスク、廃炉を行なう場合のリスクなど、技術者に説明を受けてもいるだろうが、実際にはその“現場”を確認したいというのが本心であろう。

だから、世界でも数少なく、しかも最も新しい災害現場を、そういう要望に合わせて公開するのである。
そして、実際に作業員の人達と同じ様に現場に入り、泊まり込み、生の情報を集め、持ち帰ってもらうのである。

もちろん、一定の選考基準を設ける必要はあるだろうし、現場で得た事を元に意見や提案を調査論文の形式で提出を求めて今後の参考とするべきであろう。
世界各国の技術者達が一同に現場で集えば、今後の世界での原子力事業の進め方について、日夜議論が交わされるだろうし、共通認識が生まれるでもあろう。

全世界での原子力発電によるリスクを減らす事を考えれば、上記の様な解放対応を行なう事によって、日本が世界を主導する役割、いや責任を果たすべきではないかと考えている。

そして、この研究現場に、日頃は離れた場所から意見や批判をしている国内及び近隣諸外国の方々も招待すれば良いであろう。

( 参照サイト : 10/25付け MSM産経ニュース


「 被災地 」という言葉、使い方を考え直そう

2013-11-06 22:48:00 | 日本の被災対応

「 被災地 」という言葉の使われ方を観察してみた。

TVや新聞報道を見れば、当然、自然災害等で被災した地区や地域を指す言葉として使っている。
何度か来襲した台風による被災状況を報道する場合、当然この言葉を使うのは当たり前だ。

しかし、直近の被災情報も無く、何かの話題の折にこの言葉が出るのはどうだろう。
「 被災地のために 」とか「 今なお、被災地での生活は ・・ 」という場合は、
殆どの場合、東日本大震災での被災に限定した言い方になって、当たり前の様になっている。

が、これで良いのだろうか?


【 被災地はどこ? 】

一般に被災とは災害を被る事ですが、台風や地震など自然災害の話に限ってみれば、
被災地とは 台風や地震などによって、予期せぬ被害を受けた地域の事です。

ほぼ同じ日時に、住民にとっては予期せぬ被害を、特定の地域全体が受けた場所が「 被災地 」であり、台風や地震以外に、豪雨や突風などの災害も含めれば、ひと月の間にも数多くの場所が「 被災地 」になっているのです。

そういう各地の被災地を差し置いて、単に「 被災地 」という言葉で特定の地域を指し示そうとする事は正しい事ではありません。

そしてそれ以上に、実際に日本全国で被災した人々の心情を無視する行為に繋がる事を自覚せねばなりません。


【 被災した者の心情は 】

先に挙げた様に、災害は予期せずやって来るものです。
予期せず被災するという事は、日々平穏に暮らしつつ未来のプランを描いていた人々の生活や希望が損なわれたり奪われるという事です。

まして、親族や親しい人を亡くした場合にはどうでしょうか。
それは、単に金銭と時間で解決できる事ではなく、一生に亘り人生に消えない大きな傷を遺してしまうものです。

被災してしまった現実を正面から受け止められず、その被災地に住んでいた事を時には恨んでしまう人が、この日本に様々な災害がある度に生まれている現実があるのです。

そういう方々の心情を顧みず、「 被災地 」という言葉を特定の災害の地域を指し示すように使われている現状は、決して良い事ではありません。

被災した人数や地域の広さなどに大きな差があったとしても同じです。
被災した人の心情は、その地域に住む人数や広さとは関係無いのです。


【 被災地に住んでいると ・・ 】

私自身、1995年1月17日に発生した、阪神・淡路 大震災によって被災し、住居は全壊となり、その日から生活に大きな影響を受け続けました。

幸いな事に、地震による受傷は無く、勤務先は無事だったので、大きな出費は強いられたものの、同じ市内の新しい住居へと移り住み、現在までに至っています。

そして、18年後の現在、街並みは震災以前よりも綺麗に整っていて、他の地区の方から見れば既に震災の傷跡は無いと思う事でしょう。
そして、既に神戸は被災地ではなくなったとも思うでしょう。

しかし、その地に住む者にとっては違う思いなのです。

予期せぬ災害によって、それまでの暮らしや人生が傷つけられた事には変わりないのです。
決して、災害を受ける事を誰もが望んでいなかったのです。
だから、出来れば 震災以前の暮らしに戻れるならが、以前に抱いていた人生設計を再開できるならば、以前に住んでいた場所に住み親しい人を誰も亡くさずにいられるならば、
誰もが被災以前に戻りたいのです。

そう、例え街並みが被災以前の状態に戻ったとしても、被災してしまった人々にとっては、
いつまでも、そこは「 被災地 」であり続けるのです。

どうか、「 被災地 」という言葉の使い方、今一度、考え直してください。