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『 検証庁 』 の設置を検討すべき

2012-05-10 21:27:18 | 日本の被災対応
昨年・2011年3月11日に発生した東日本大震災からの復興作業を円滑に進めるため、同年6月24日に[復興庁]の基本方針が定まり、同じく12月9日に正式に[復興庁]が設立され、先ずは省庁の枠組みを超え同震災からの復興活動を進める“政府本部”が出来た。

( 参考サイト : 『 復興庁 』( Wikipedia ))
( 参考サイト : 【 復興庁・公式Webサイト 】

その設立まで日数が掛かった事と、設立されてからも復興の槌音が聴こえてこない事など、ここでは問題として取り上げるつもりはない。
“復興”とは別に、大切な事を多くの人が忘れてしまっているので、その事を提起したい。


【 想定外では済ませられない 】

問題として提起したい事は、何故 あれだけの人々が命を失うのを防げなかったのか?
何故、過去の地層の研究によって、明治以前には今回と同様な津波が発生していた事が推測されていたのに、今回の津波が想定されていなかったのか?
国や県、そして市や村が想定して対応してきた対策の不備だった点は?

・・ などを検証し、その検証結果を国民の誰もが閲覧できるようにして、今後の自然災害に対する考えや対策を日本全国で活かすべきです。

東京電力福島第一原子力発電所の事故については、「 想定外では済まされない!」という論調が正当であるとみなされ、それを契機として全国的に “脱原発”の動きが活発になっている。

今回の原子力発電所の事故で直接的に人命が奪われた件は無い。
しかし、想定外だった筈の、津波では 15,000名を超える人命が失われ、今なお 4,000名弱の方々の安否が不明のままで、その方々が命を失ってしまった原因や対策について国や県などの行政機関が率先して検証している様子はない。

このままでは、仮に全国の原子力発電所が全て廃炉になったとしても、同様な震災が何処かで発生すれば、無用に人命を失う事に繋がるのは明白です。
その上、震災から月日が経ち、復興が進むにつれて、ひとりひとりの方がどのようにして命を失ってしまったのかを検証する物証や記憶が失われてしまい、大切な検証作業が進め難くなるのです。


【 何故、検証作業が進まないのか 】

以上の通り、同様な自然災害が発生する事を想定した場合、同様な悲惨な結果を招かないようにするには、被害の発生状況の検証作業と検証結果を公開する事はとても大切な事です。

では、何故検証作業が進んでいないのか?考えてみた。

日本人の特性として、“泥縄方式”に慣れているため、起きてしまった災害への対応だけに目が向いてしまって、同様な被害を発生させないための処置に関心が薄い人種なのか?

いや!違う。
1995年1月17日に発生した 阪神・淡路大震災の時には、それまでの耐震基準では不足していた点が検証され、法律の改正もなされ、教育施設を始めとする多くの建造物に追加で耐震補強工事がされた事実から見て、決して検証作業が不得意なわけではない。

では、何故今回は検証作業が進まないのか?
それは、原子力発電所の事故が発生した事と、多くの人命を失う事になった被災対策の不備・不足の責任を 国や県、市などの行政機関が認めたくないからだろう。

被災した地域では、従来から大津波が発生しても対応できる街づくりと、避難訓練を始めとする被害を抑えるための対策が日頃からなされていた。

ただ、想定すべき津波のレベルがどれも不足していたため、多くの方が亡くなっている。
各地に建設されていた「防災センター」へ指示通りに避難したものの、防災センターが水没して亡くなった住民の方々。防潮堤の水門を災害時のマニュアルの通りに閉じに行き、防潮堤を大幅に超える津波で亡くなった消防団員の方々。
その他、住民の方の誘導などのために出動していた消防団員の内、254名もの方が亡くなっていると聞いている。

つまり、災害発生時に率先して指示を出すべき人々に対してさえ、各行政機関は適切な“想定”をしていなかったのだ。
これは、ある意味では“人災”と言えるだろう。


【 原子力発電所の事故への対応は・・ 】

世界の主なTV局では、今でも「 東日本大震災 」の報道番組を放映したり、政治や経済関連のニュースで取り上げる事もある。
しかし、それらは 殆どの場合、津波で無くなった方々や被災した人の事ではない。
主に、東京電力福島第一原子力発電所の事故に関連したニュースに大きな関心を寄せているのだ。

そう、亡くなった方の事に強い関心を示さないのは珍しい事ではない。
実際、2004年に発生した「スマトラ島沖地震」によって発生した大津波により、全世界で 22万人を超える、大変に多くの方々が亡くなったが、
私達日本人でさえ亡くなった人の事に強い関心を示していないのだから。

( 参照サイト : 2004年・スマトラ島沖地震 Wikipedia

では、今回の津波で無くなった方々に対しても、2004年の時と同じように接して良いのだろうか?
いや! それはあってはならない事だ。

例え、諸外国が原子力発電所の事故とその後の対応や放射線レベルに関心を寄せていても、私達は無くなった人々の事を忘れてはならない。

「 せめて、数人、あるいは数十人の方の命は守れなかったか? 」と、
これから長年に亘って問い続けなくてはならない。
これが、検証という作業が必要な理由だ。

国民の命を守るという責任が国にあるという自覚があるならば、住民の命を守るという責任が県や市の行政機関にあるという自覚があるならば、“原発事故”にかこつけて責任を放棄する事はやってはならないことだ。

また、幸いな事に被災をしなかった地域に住む方々へ伝えたい。
今回の震災&津波で多くの方々が亡くなった原因を検証する作業に強い関心を持ち、各行政機関を通じて要求していきましょう。

何故なら、原子力発電所が無くなっても、津波の被害はどの地域でもあり得る事だからです。

だから、「脱原発」こそが今回の震災の教訓として捉えるのはやめましょう。
ご自身やご家族の方々の命を守るためにも、今回の震災で暴露した防災対策の不備・不足を追及していきませんか。
何故なら、1万人を超える大半の方々は、津波と防災対策の不備で亡くなったのですから。


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1 コメント

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まったくやられてました (御干菓子)
2012-05-20 00:22:41
マスコミがこの記事のような視点をクローズアップしないのは不思議だと思えました。
そして、マスコミが流さないことには目が向かない。
という危険を再認識させられました。
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