顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

偕楽園公園の紅葉 2021

2021年12月05日 | 水戸の観光

日本3名園の偕楽園とその周辺の緑地公園を含めた「偕楽園公園」の総面積は300ha、ニューヨークのセントラルパークに次いで都市公園としては世界第2位の広さになります。

ほとんどが水戸の名にふさわしい水辺の緑地ですが、この広い公園の中に散り始めた紅葉を追いかけてみました。

茨城県護国神社は明治11年(1878)に「鎮霊社」として常磐神社境内に祀られたことに始まり、その後現在地に移されました。幕末から第二次世界大戦までの茨城県出身戦没者の霊が祀られています。

護国神社の南側の谷は、もみじ谷と呼ばれる紅葉の名所になっています。午後には陽が陰る一角はすでに落葉の林になっていました。

護国神社前の丸山には、2代水戸藩主光圀公が中国の詩人陶淵明を慕い「淵明堂」を建て、酒を愛した詩人を偲び、堂の壁に猩々(しょうじょう)の絵を描かせたと伝わっています。

丸山の上から見た水戸の市街地です。

水戸城の一番外側、5番目の堀の役目をした西ノ谷緑地は、市街地の真ん中の深い谷の中で、崖からはいたるところで湧水が滴り落ちています。

西ノ谷緑地
水戸の台地がよくわかる地層が露出していました。下層は水を透さない凝灰質泥岩でその上に水を透す砂礫層があり、数十年を経た雨水が湧水となって滲みだしています。

逆川緑地は逆川沿いの水辺の公園です。付近の川が東や南に流れるのに、千波湖東で桜川に合流するまで真北に流れているので名が付いたともいわれています。

逆川緑地
市街地に囲まれていますが両岸の森は驚くほど野趣に溢れています。ここも河岸段丘の崖から滲み出す湧水が数多く流れ込んで、小さい川ながらこの一帯を通ると水量が多くなり川幅も広がります。その湧水を利用して水戸藩2代藩主光圀公は、寛文2年(1663)城下の低地区へ全長約10Kmの笠原水道を敷設、これは日本国内で18番目に古い上水道でした。

逆川緑地
水辺が好きなラクウショウ(落羽松)は、根元が水没するので酸素を吸収するために気根(呼吸根)を地上に突き出しています。

茨城県立歴史館のメタセコイヤです、ラクウショウによく似ていますが、こちらは気根が出ないので区別できます。

茨城県立歴史館
この一角も沢渡川の造り出した洪積層の水戸台地の崖から湧水が出ていて、それを利用したように作られた水車小屋があります。

偕楽園本園も桜川に削られた水戸台地の河岸段丘の上にあり、南面の崖には湧水が多くみられ、9代藩主斉昭公が開園当初に設置した吐玉泉は、今でもきれいな水が湧き出しています。
その流れを湛えた水辺の一角では、すでに散り際の紅葉になっていました。

桜川緑地も川と一体になった広大な沖積層の湿地帯で、水辺を楽しめる遊歩道や芝生広場が整備されています。