顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

水戸東照宮御祭禮…城跡を行進

2021年11月16日 | 水戸の観光

水戸徳川家の初代藩主頼房公が、家康公を祀って元和7年(1621)に創建した水戸東照宮の御祭禮は、江戸時代の諸国祭礼番付によると、江戸の山王祭と神田祭に次いで「常陸 水戸御祭」と出ているほど盛大に行われていましたが、大正時代以降途絶えてしまいました。

今年は水戸東照宮創建400年と、二の丸大手門や隅櫓の復元完成を記念して、100年ぶりの御祭禮行列が水戸城から東照宮まで、11月14日に行われました。

300人ほどの行列はまず水戸城本丸の薬医門をスタート、本城橋を渡って二の丸へと進みます。

騎馬行列の馬は、市内の乗馬クラブの春香、葉月、みなみ、めい、星丸の5頭、馬の名前を見ると勇ましい武将の姿もほほえましく、平和の世の中を象徴するようです。

騎馬列の後尾の白い装束の三人衆は?…馬糞の処理係でした。
やや緊張気味の水戸市長、直垂姿で騎馬行列に参加していました。

20台くらいの人力車の行列は、直垂姿の地元選出国会議員の方々が先頭です。

頼房が奉納したと伝わる豪華な「八角形の御神輿」も担がれていました。

大手門を出て大手橋を渡り三の丸へ…県内のコロナ感染者も今のところ毎日数人、久しぶりの人混みですが、全員マスクしているのはさすが日本人です。

三の丸で昼の休憩です。後ろには高い土塁が見えます。

三の丸の空堀と土塁の上には銀杏の黄葉が見頃です。

昭和5年(1930)に建てられた近世ゴシック建築様式の旧県庁舎前には、飲食物のテントが並び久しぶりの笑顔があふれていました。


家康の死後、各地の徳川、松平一門大名や譜代家などは競って東照宮を建立し、全国で500社を超えたといわれますが、明治維新以後には廃社や合祀が相次ぎ、現在では約130社の東照宮があるそうです。写真は昭和37年に造営された水戸東照宮の社殿です。

昭和20年(1945)8月2日の空襲で、東照宮や水戸城など市内中心部の約80%が焼失してしまいました。戦後しばらく経ちましたが、このほど水戸市で進めてきた大手門、二の丸隅櫓、二つをつなぐ土塀の復元整備が完成し、歴史ある水戸城址の視覚的な印象を市民や観光客に届けられるようになりました。写真は二の丸隅櫓です。