台地の崖に横から穴を掘ったこの横穴墓群は、古墳時代末から奈良時代(約1,200年前)にかけて築かれたもので、当時、中央から対東北政策のために派遣された役人や兵士の墓との説もあり、東中根台地の約1.5kmにわたって続いています。また、江戸時代に小宮山楓軒の『水府志料』にも登場し、その存在が知られていました。
一帯では館出(たてだし)、指渋(さしぶ)などいくつかの支群に分かれて分布しており、これまでに百数十基が確認され、総数300基を超えるといわれています。このうち、上記写真の館出に群集している34基(620㎡)が県指定史跡に指定されています。
北側に位置する指渋支群は覆っていたシートも劣化して剥がれ、惨憺たる状況になっていました。
横穴墓は、遺体を埋葬する玄室、玄室へ通じる羨道、入り口前の前庭部に分けられ、柔らかく細工しやすい凝灰岩の崖をくり抜いて造られおり、中からは人骨のほか、須恵器、直刀、勾玉、切子玉など多数の副葬品が出土しています。(ひたちなか市教育委員会資料から)
この近辺には多くの古墳が点在しますが、その中でも最大級の前方後円墳の虎塚古墳はこの横穴墓群のすぐ近くにあります。1973年に内部が白地に鮮やかな朱色で絵を描かれている石棺が発見されて話題になりました。
この場所の立地から海運力を有する集団が存在していたと考えられ,その墓域が当横穴墓群であった可能性があり,また虎塚古墳を造営した集団とも深い関わりがあることが判明しています。
「十五郎穴」という名称は、曾我物語の十郎・五郎がここに隠れ住んでいたという、地元に伝わる伝説に基づいており、虎塚古墳も曽我物語の虎御前に名前の由来があります。
なお、虎塚古墳の春の一般公開は平成30年3月29日(木曜日)から4月1日(日曜日)の4日間と平成30年4月5日(木曜日)から4月8日(日曜日)の4日間 計8日の予定です。