顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

宍戸藩陣屋門

2016年08月06日 | 歴史散歩

宍戸藩一万石の陣屋門表門、明治初めに廃城の際、笠間市土師の現在地に移築されました。
火災消失により安政5年(1858年)再建とされる瓦葺きで、向かって左手に居室を3部屋、右手に物置をとる長屋門形式、この種のものは残存例が少なく県指定文化財です。
宍戸藩は、関ヶ原後秋田実季が5万石を与えられ立藩しましたが三春への移封後、水戸藩初代の徳川頼房七男の松平頼雄が一万石で立藩、水戸家の御連枝として藩主は定府、政務としては陣屋を構えて年貢を取り立てるのみで、実質的な藩政は水戸藩によって執り行なわれていたようです。

正面の冠木には、松平家の家紋が3個(桜材・黒漆塗・金箔押し)飾られ、この門の風格を強めていますが、宍戸藩には幕末に悲劇の1ページがありました。
1864年天狗党の乱の際、幕府からの要請で9代藩主松平頼徳が鎮圧にあたって失敗、戦闘時に幕府方に敵対したという不本意な指摘を受け切腹(33歳)、領地没収改易の沙汰を受けました。その後朝廷の計らいで、1868年先代頼位(よりたか・頼徳の父)の再襲が認められて再び立藩しました。(頼位は、三島由紀夫の高祖父になっているそうです。)

城門を移せし寺門蝉しぐれ  阿波谷和子
かなかなや悲話語り継ぐ陣屋門  顎髭仙人