上海で日本語を話している中国の若者達

中国人に囲まれて日本語で通していく日常の出来事を書き綴っています。

撮影日記9日目

2011年03月25日 | 俳優活動

一足先に小林さんは北京に飛行機で戻る事に。

次の撮影地、瀋陽まで暫くお別れです。

今日の私の出番はナイター。 夜間撮影なので、昼間は演技プランの自己演習でしたが、気分転換に街中に。

街角に結婚式用の巨大リムジンが停まっていました。

夕方、化粧を直して、ハルピン郊外のボルガロシア休暇村(というテーマパーク)まで移動。

施設内にはロシア特有の組み木建築の建物が立ち並んでいます。

ここで本日共演のヒロイン役の女優、マリア(Мария)と初顔合わせ。

流石に美人ですが、秘書のユマも良い勝負をしているのを再確認して、多少驚きました。

(ユマって美人だったんだね。)

サハリン生まれの彼女、中国語だけでなく、英語も堪能です。

一緒に狭いMBの後部座席に収まり演技ですが、座高の高い私は頭がつかえました。

(共演の様子はCCTVの本放送でどうぞ。)

但し、この日は前のシーンが押して夕景が撮れず、結局夜中に翌朝の上海便をキャンセルして撮影する事になりました。

にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村


横道河子からハルピンに移動

2011年03月24日 | 俳優活動

今日はハルピンに移動。

上海は気温14度だというのに、ここでは朝から雪が降っている。

3時間掛けて着いたハルピンの宿舎がこちら。

ここ金源賓館は、暖房が効いていて、今朝まで居た山荘とは別天地だった。

荷物を置くと、しばらく周囲を散策。

ハルピンは流石に軍都だけあって、街のあちこちに軍事管理区があり、軍人向け店舗が沢山有ります。

(下手に撮影して掴まっては何なので、写真はありません。)

宿舎のホテル前にはこんな中国版ハマー(自衛隊でいう高機動車)も。

この日の撮影が終了した小林さんも午後には合流して、夕食では本場ハルピンビールを試しました。


山荘での撮休日2日目

2011年03月23日 | 俳優活動

今日は共演の小林さんも出番が無いので、宿舎二人で周囲に探索に出掛けた。

目的地にした一番近い人家は高速のインターの休憩所。

直線距離で1キロほどだが、延々凍った荒れ道に、小林さんは途中でリタイヤ。

 

一人ぼっちになった道すがら、脳裏に浮かんだのは「ここはお国を何百里、離れて遠き満州の・・・」の歌のフレーズ。

結局、私だけが休憩所に辿り着き、売店での買い物に成功した。

宿舎に戻ると、数時間小林さんとビリヤードをしながら世間話。

非常に面白い過去をお聞かせ頂いた。 老練した今からは想像できないが、色川武大の小説に出てきた事も有る無頼漢だったそうだ。

そんなこんなで2日目が終わった。 にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村


山荘での撮休日1日目

2011年03月22日 | 俳優活動

横道車庫は牡丹江から100km、ハルピンから200kmの位置にあり、周囲には全く何も無い。

週末まで出番の無い私は、ここであと3日待機する羽目になってしまった。

宿舎になった山荘は山の麓に孤立していて、近隣の集落まで10kmあり、正面の湖に掛かる細長い橋と、それに連なる1本道だけが唯一の出入り口になっている。

その外観も、まるでアガサ・クリスティの小説に登場するサスペンスドラマの舞台の様な建物だが、暖房の効きが悪く、恐ろしいほど寒い。

TVは3チャンネルしか映らず、ネット環境も無く、娯楽施設といえば、でこぼこのボールと、ところどころ欠けたキューだけがあるビリアード台のある娯楽室だけだ。

その上食事は、共演者の誰かが精進料理と言っていたほど質素なものだった。

台詞の練習にはもってこいの環境だ。

にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村


撮影日記8日目

2011年03月21日 | 俳優活動

昨日日曜に上海から牡丹江の郊外、横道河子に移動し撮影再開。

 

 

ここは旧満州鉄道の操車場の跡がある映画村。 しかし、それにしてもここは寒い。

宿舎前の湖は完全凍結しているし、雪も降っている。

山の中なので気温は日中でもマイナス。

操車場廃墟の中もマイナス5度程度で、息が白く、足裏が痛くなる。

写真は操作上の前でおどける助手君。

牡丹江の地元民だが、今回は瀋陽までのロケーションロードに付き合ってくれることになった。

にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村


移動日

2011年03月20日 | 趣味

今日は1日掛けて牡丹江に戻ります。

今度の宿はネット環境が無い田舎なので、本当に今度こそブログは上海に戻るまでお休みです。

上海戻りは今週金曜日の予定ですが、さてさて、予定通り行きますやら。


今日はSBF

2011年03月19日 | 日記

雨模様の上海。

 

講師の関係から実行委員会は1時間早い12時半に開催。

あわてて会場近所の田子坊向かいのがってん寿司2号店で昼食を取り向かいました。

今日は日本総研の呉副総経理を講師に上海ビジネスフォーラムを開催しましたが、投資コンサルの武内氏の学生へのアナウンスもあり、40人を超える会員が集まりました。

SNSを取り上げたネットビジネスの新たなトレンドというテーマのお陰で、講演無料、ボランティア開催、会場費割り勘の会ですが、呉さんの講演内容は濃く、集まった方も、広告業界の公開企業の方達など、錚々たるメンバーでした。

続く懇親会はこれまた近所の四川料理店「川三国演義」行いましたが、ジャズバンドの入ったおしゃれなレストランで、臨席は欧米人の団体客です。

日本人を励まそうとして、日本の歌を歌っていただいたので、SBF会員の大合唱で宴を〆ました。

 

さて無事SBFも開催し、残る問題は、現在21時になったのですが、牡丹江行きの航空便搭乗の連絡が来てい無い事。

明日、牡丹江入りは出来るのでしょうか・・・。

 

にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村


火事場泥棒

2011年03月18日 | 日記

まだまだ寒い上海に戻って2日目。薄着して風邪気味です。

 

さて、不在の間のレターなどを色々チェックしていると、災害救済募金会の誘いがちらほら。

「これって、日本領事館で受付してなかったかなぁ。」と思いつつ会場を観ると結構豪華。

 

集めた募金、会場費で消えるじゃん・・・。

 

こんな怪しげな火事場泥棒的な行為が、暫くあちこちで起こるのでしょうか。

色々悪事を企む輩には好機ということなのでしょう。

ネットで煽り、中国内の塩の価格を吊上げた輩も居るようですし、本当に大悪党から小悪党まで揃っています。

 

 

日本でも加藤公一氏を心太式に押し出して、無理やり内閣に返り咲いた政治家も居るようですが、 あれもある種の火事場泥棒でしょう。

そんな輩にこそ天罰が下ってほしいものです。

 

にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村


昔日の僕の夏休みと疎開

2011年03月17日 | 趣味
水戸の田舎。大洗の近く、鹿嶋市田谷に母方の従兄弟一族が住んでいます。
正確に言うと、戦争未亡人になった祖母の第二の婚家があり、母の父親違いの兄弟の子供達が暮らしています。
開戦初期に戦死した祖父が婿入りした祖母の川崎の実家で暮らしていた母の戦争末期の疎開先であり、
数十年後、小学生の私も夏休みの一時をここで過しました。
大きな家の裏手にはうっそうとした鎮守の森と氏神様の境内。家の前には地平線まで広がる水田。
お盆で墓参りに行くと、未だ土葬の土饅頭があり、一族の墓標の中には、桜田門外の変で討ち入った水戸浪士の方の物もありました。
家の前の用水路に掛かる橋の下で水浴びして蚋に喰われたり、庭の大木にアメリカシロヒトリが集ったのを火で退治したりと、
鮮烈な想い出には事欠きません。
しかし、あの想い出の残像は現実には欠片も残っていないことでしょう。
かつて戦火に追われた母は、あの場所に疎開しましたが、今、私の暮らす、この上海に従兄弟達が疎開してきたら、暖かく迎えたいと思っています。

使命を粛々と進める

2011年03月17日 | 仕事

氷点下だった牡丹江とはうって変わって春真っ只中の上海です。

 

早朝から姚本部長を連れて応老師と会議。

結論としては、日中両政府からの避難指示が無い以上、TESの社員は現作業地で日本人と一緒に首都圏で踏ん張り続けます。

基本姿勢は、現在の使命を粛々と進める事に決しましたが、訪日中の社員の家族のケアと万一の時点での帰国路の確保が最重要事項と確認。

特に日本からの帰国便航空券は、15万円を超えていて、尚かつ手に入らない状態です。残るは特別機でしょうか。

一番恐れるのは動揺、パニックですが、この点は流石に華師大選抜メンバー。頑張っています。

1つだけ残った問題点は通勤経路ですが、これは現地の判断を優先する事になります。

 

話は変わって、私の頭、応老師には一目見て笑われました。 御蔭で、来週の牡丹江へのトンボ返りも許して頂き、SBFの翌日20日には撮影に参加できそうです。

昨日空港まで送ってくれた助手君の不安そうな顔が眼に浮かび、ほっとしています。

次の上海戻りは25日。上手く飛行機があれば、上海ITフォーラムにぎりぎり間に合うスケジュールです。

にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村