上海で日本語を話している中国の若者達

中国人に囲まれて日本語で通していく日常の出来事を書き綴っています。

昔日の僕の夏休みと疎開

2011年03月17日 | 趣味
水戸の田舎。大洗の近く、鹿嶋市田谷に母方の従兄弟一族が住んでいます。
正確に言うと、戦争未亡人になった祖母の第二の婚家があり、母の父親違いの兄弟の子供達が暮らしています。
開戦初期に戦死した祖父が婿入りした祖母の川崎の実家で暮らしていた母の戦争末期の疎開先であり、
数十年後、小学生の私も夏休みの一時をここで過しました。
大きな家の裏手にはうっそうとした鎮守の森と氏神様の境内。家の前には地平線まで広がる水田。
お盆で墓参りに行くと、未だ土葬の土饅頭があり、一族の墓標の中には、桜田門外の変で討ち入った水戸浪士の方の物もありました。
家の前の用水路に掛かる橋の下で水浴びして蚋に喰われたり、庭の大木にアメリカシロヒトリが集ったのを火で退治したりと、
鮮烈な想い出には事欠きません。
しかし、あの想い出の残像は現実には欠片も残っていないことでしょう。
かつて戦火に追われた母は、あの場所に疎開しましたが、今、私の暮らす、この上海に従兄弟達が疎開してきたら、暖かく迎えたいと思っています。

使命を粛々と進める

2011年03月17日 | 仕事

氷点下だった牡丹江とはうって変わって春真っ只中の上海です。

 

早朝から姚本部長を連れて応老師と会議。

結論としては、日中両政府からの避難指示が無い以上、TESの社員は現作業地で日本人と一緒に首都圏で踏ん張り続けます。

基本姿勢は、現在の使命を粛々と進める事に決しましたが、訪日中の社員の家族のケアと万一の時点での帰国路の確保が最重要事項と確認。

特に日本からの帰国便航空券は、15万円を超えていて、尚かつ手に入らない状態です。残るは特別機でしょうか。

一番恐れるのは動揺、パニックですが、この点は流石に華師大選抜メンバー。頑張っています。

1つだけ残った問題点は通勤経路ですが、これは現地の判断を優先する事になります。

 

話は変わって、私の頭、応老師には一目見て笑われました。 御蔭で、来週の牡丹江へのトンボ返りも許して頂き、SBFの翌日20日には撮影に参加できそうです。

昨日空港まで送ってくれた助手君の不安そうな顔が眼に浮かび、ほっとしています。

次の上海戻りは25日。上手く飛行機があれば、上海ITフォーラムにぎりぎり間に合うスケジュールです。

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