先日の不幸な火山事故から数日、そんな思いを富士通テン(旧社名。神戸工業)の経営陣は抱いているのではないでしょうか。
一つの会社の元社員から二人目のノーベル物理学賞受賞者が出たのですから。
二人のノーベル物理学賞受賞者、江崎玲於奈、赤勇 の両博士の神戸工業在籍期間は、それぞれ新卒で採用された、1947-1955、1952-1958となっており、1952-1955の3年間、会社の先輩後輩として勤務していた事が判ります。
ノーベル物理学賞の受賞者が同時期に在籍していた当時の神戸工業の採用担当者は神の眼でも持っていたのか?と思えるほどです。
しかし、帝国海軍航空隊が運用した最後で最強の傑作機、紫電改を産んだ川西飛行機の母体となった川西機械製作所が戦後解体・再建されたのが神戸工業の生い立ち。
終戦から10年以内の当時、日本の工業技術の最高峰にある企業であった事は疑いが有りません。
若き俊英を惹き付ける社風があったという事なのでしょうか。
二人の物理学者が新卒で社会人を歩みだした職場、決して偶然ではなかったと思います。
こんな社風の会社経営をしてみたいものです。