昨日の続き。
くたくたになるまで働き、どれだけ忙しいかがステータスシンボルになっている価値観の弊害について考えてみる。
前にも紹介したが、以前大学院のライフコースの授業で学んだRileyの「Age differentiated」to「Age integrated」の社会構造の違いを思い浮かべる。
Age Differentiatedというのは、人生始めに「教育」、半ばには「仕事」、老後には「余暇」というように年齢ではっきり社会的役割が決められている社会。現在の日本にあてはまる。
Age Integratedというのは、「教育」「仕事」「余暇」が同時並行で人生の始まりから終わりまで進められていく構造社会。これからの社会は「生涯学習」や定年退職の延長、労働時間の減少(たとえば週4日労働)など、ライフコースがフレキシブル化されることが予想されるが、実現には時間がかかる。ブラウン氏が提言するような、仕事をほどほどにし「ゆとり」をもつライフスタイル、あるいは本業以外の「自分の好きなこと」を自分のアイデンテティーとして自分も周りも受け入れることができるような価値観は、はるかなる夢の彼方に存在するかのようである。
ブラウン氏は、予定が空いていても講演依頼の約8割はお断りするそうである。ブランクの時間ーいわゆる自分の時間、家族との時間を優先することにより、自分も質の高い仕事ができるということであるが、これは危険を伴う選択である。断られた側は、失望するだろうし、傲慢な人とも受け止められる可能性もあるだろう。世評にもつながるだろうし、相手に申し訳ないという気持ちも生まれるかもしれない。相手に嫌われたくないために、つい無理やり「イエス」と言ってしまい、怒りの気持ちを持つよりは、なぜ引き受けることができないことを正直に伝えること方が「本物」であると述べている。その例として、子どもの習い事のベークドセールで、ブラウニー(チョコレートケーキ)を焼いて持ってきてくれるように頼まれた話を取り上げ、無理して引き受ければ、家族に当たり散らし、また依頼者にも恩着せがましい態度をとってしまう可能性があること、それよりも真意をもって丁寧に断った方が良いのではということ。またゆとりをもって生活している人は、そうではない人に敵愾心を持たれやすいことも話の中でほのめかしている。
忙しくしていることで、仕事をしている気になってしまう風潮(私も含めて)を考え直させてくれる機会になった。
(テープの内容を詳しく記憶しているわけではないため、内容を若干取り違えている可能性もあります。悪しからず)
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