キキ便り

アメリカ便り、教員・研究者生活、シンプルライフ、自閉症児子育てなど

オンライン授業の落とし穴

2009-10-21 09:30:17 | アメリカの大学で教える
ここ数週間、担当しているオンライン授業で、頭を悩ませる出来事があった。

キャンパス授業で活発に意見を出し合う代わりに、典型的なオンラインの授業ではオンライン掲示板を使って、自分の意見を掲載し、それに対して互いに批判しあうというかたちを取っている。

今担当している授業では、あるテーマについて500語以内で自分の答えを作成し、オンライン掲示板に投稿することになっており、その後それぞれがフィードバックを出し合う。

ところが数人の学生が、他の学生の文章が自分のとかなりそっくりなので、どうにかして欲しい、という苦情のメールを送ってくるようになり、調べてみると確かにかなり似通っている。

対処をいろいろと考えたあげく、「盗作が見られますので、気をつけてください。今後は課題の形式を変えて、掲示板の代わりに私のところにペーパーを送ってください」というようなアナウンスメントを学生に送ると、苦情と文句が次々にコースのホームページの「教員への質問」というコーナーに寄せられ、クラス全体が険悪な雰囲気になってしまう。

「私たちを疑うのか?」という非難や、「同じテキストを使い、同じテーマで文章を書くと似てしまうのは当然じゃないか」という批判が寄せられ、過熱化した不満のたまり場になってしまい、こういう状況に初めて対面した私はおろおろ動揺してしまう。オンラインのいじめとはこういうものか、というのが実感。

中には、「先生の決断に従います」というメールもちらほら寄せされたが、最終的には、数人の学生が妥協案を出してくれたので、それに応じて対応することに決める。

顔と顔を合わせながら授業を行う場合、誤解があっても許しあったり、分かり合うことができるものの、オンライン授業の場合、一線を越えて相手を批判しやすい環境になってしまうので、マイナス面と言えるのかもしれない。

そういうストレスの中、どうにか乗り越えられたのは「75人もいる中で、全部が文句を言ってくるわけじゃないんだから」といういわゆる「コップに水が半分残っているじゃないか」という楽観的な考え方や、「自分を正当化しない」「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」というキリスト教の教えがあったように思う。

コメント
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