
敬慕している染織家(人間国宝)志村ふくみ(1924-)からまたも教わった。感銘を受けた。
以下、『私の小裂たち』(文庫化、2012年)からほんの一部を引用。
藍の仕事は際限もなく、終わりもなく、人類が生きつづける限り存在するだろう。藍は命の根源の色である。海、そこにこそ藍の本性、命がある。
今、生命そのものの海が侵されつつある。天に向かって祈ろうとしても、その天が病んでいる、と石牟礼道子さんは唄う。海についても同様である。それはすべて人間の侵した罪である。
不知火と名づけた裂を、今、織っている。『石牟礼道子全集』の表紙の裂として使うためのものだ。
世にも美しい不知火の海は、チッソに穢されて未曾有の惨事を招いた。海は必死の自浄作用によって次第に浄化されている。しかし亡くなった人は還らず、今も苦しんでいる人は変わらない。
その海の霊を招いて、石牟礼さんが書き下ろされた能「不知火」が、2004年夏、台風のさなか、水俣の海上で上演された。一瞬嵐もしずまり、霊の招魂は祝祭となり、天、地、海も、ともに寿いだことだろう。
そんな不知火の海を織の中にいかに表現し得るか、私にはわからないが、一心に織らしていただくのみである。
藍の精が加護してくれますように、と。
・・・・・この地上の生物の恩人である植物をまたもや人間が侵していることを、私たちは肝に銘じなければならない。人間のためにのみ植物はあるんじゃない、と叫びたくなる。緑いろの山々野をみたときのあのいいようのない安堵感、よろこび・・・大切に守ってゆきたい植物であり、緑である。自然は侵されるままに言葉を発しないが、人間は多くの言葉を発して自然を侵している。その代償を誰が負うか。我々の子、孫なのだ。
(なお、この本には多くの可愛い小裂(和服などに仕立てて残った布の端切れ)の写真が随所に掲載されていて、見るのも楽しい。)