かつて読んだことのあるヘミングウェィ『老人と海』を思い出して、老いについて考えた。
主人公の孤独がまず挙げられる。仮に家族や友人がいても、孤独を深めざるを得ないのが老境というものであろう。家族も身寄りもない主人公の設定は老人の孤独を際立たせている。
しかもこの主人公の老人は不運にとりつかれ、漁に出てもさっぱり獲物にありつけない。飲み屋に出かけても、からかわれるだけである。
だが、この老人はレッキとした現役の漁師だ。不運続きで、あるいは腕も鈍りかけているにも拘わらず、敢然と毎日の出漁をやめない。これは少しカッコよすぎる老年像かもしれないが、彼の負けん気の強さは、老いの一つの姿だと思う。
しかし、老人は結局は敗れる。大マカジキとの3日間にわたる力闘、苦闘の末、相手をしとめたものの、鮫の群れに獲物を散々食い荒らされてしまう。
老人は所詮敗れ去るものなのだ。だが、敗れ去った後、老人は不思議な安堵感を覚える。
『老人と海』の老人は、孤独の中に居ながらも、死力を尽くし敗れた後、安らかに苦闘を回顧する。おそらく、ヘミングウェィ自身を主人公に重ねているのだと思う。
孤独と負けん気の強さと、若者には分からない不思議な安堵感とが、老いの一つの姿なのかもしれない。僕にはまだ実感できないが。それに、この不思議な安堵感は、肉体労働をやり終えてこそ初めて得られるものではないか、とも思う。