自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

ベルリン ・ ヒロシマ通り (再掲)

2015年06月13日 | Weblog

 東西ドイツが統一された後、程ない1990年9月1日、ベルリンのティアガルテン区で或る通りと或る橋の改名式が行われた。旧名を海軍提督の名をとった「グラーフ・シュペー通り」、「グラーフ・シュペー橋」と言う。改名式で区の代表者が次のような演説をした。
 「・・・ヒロシマという新しい橋の名前により、私たちは、最初の原爆投下の影響により今なお苦しみを受忍している都市のことを思い起こすのであります。
 人間精神の比類なき倒錯である原爆は、ドイツ・ファシストたちによって始められた犯罪的戦争の最後に現れました。1933年リュツオフ橋をグラーフ・シュペー橋に改名したのもファシストたちでした。この時、この付近で多くの通りが旧国防軍(海軍)の将校の名前を付けられたことを私は思い起こします。・・・グラーフ・シュペー通りをヒロシマ通りと呼ぶことができるようになったことは、私の深く喜びとするところであります。・・・
 ヒロシマという名前は、世界の人々がナチスのテロにより受けた多くの犯罪と苦痛をも代弁するものとなるのであります。」

 忘れることをよくする僕らに忘れてはならないことがあることを、ベルリン市民の行動が教えてくれている。大戦に対する反省の度合いが、日本よりドイツの方が強いということは、しばしば聞くところである。ヒロシマという名前を通りと橋に付けることによって反省を明確に表す行動を他山の石にしてはならないと思う。

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