谷沢健一のニューアマチュアリズム

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2月合宿アラカルト(その4)

2006-02-13 | YBC始動
 今回の合宿は側面から見ると、解説者用キャップの争奪戦でもあった。獲得者は、松村、松本、三輪、中村、小田、鈴木(隆弥)、長屋、根本の8人だった。(9つ目はお世話になった旭市の関係者にさしあげた。)
 なぜ、自分が獲得できたかをじっくり考えてほしい。自分が思っている自分自身だけでなく、他の人から見た自分の像というものがある。自分自身では「カッコイイ」と思っていても、他の人には全く別に、時には裏腹にさえ見えるものである。自己アピールとは、普通ではなかなか見せられないところを、自分の努力によって人に見えるようにすることである。簡単に見せられるところなら、もう何度も人に見せているから、アピールにならない。派手なプレーばかりしている者が、実は堅実なプレーをきちんとできることを見せる、それこそがアピールなのである。
 (なお、上記の7番目の人物は、監督らの衣類の洗濯を進んでしたためだという風評?も流れたようだが、けっしてそんなことはない。自分でやれる限りのことを必死でやろうとしている姿があったからである。)

2月合宿アラカルト(その3)

2006-02-13 | YBC始動
 選手諸君には貪欲になってほしい、というのが合宿の意図の一つだった。第一に自分の能力と技術を鍛えて高めること、第二にチームの戦力の向上に寄与すること、この二つは単純に結びついているようにみえる。著名な監督でも、「技術の優れた選手になることによってチームの勝利に貢献できる」とおっしゃる方が少なくない。そうだろうか? 確かに私も少年のある時期までそれに近い考え方をしていた。しかし、そうではなかった。野球は(あるいはチーム競技は)そんな単純なものではない。
 例えば、キャッチボールでも、なぜ相手の胸をめがけて投げ返すのか、もちろん、相手が捕りやすいからである。では、なぜ捕りやすい所へ投げるのか? 捕球しにくい所へ投げる方が相手の捕球技術が高まるではないか。
 さあ、(とくにサードチームの)選手諸君、この疑問に答えられるだろうか? 今回の合宿では、そういう課題の解答もひそかに与えたつもりである。(もし、わからなければ、トップチームの選手に聞いてみたら。)

2月合宿アラカルト(その2)

2006-02-13 | YBC始動
 なにしろ、土の上で練習するのは12月の初合同練習以来だから、選手の動きもぎこちなかったが、熱意はひしひしと伝わってきた。同時に、「YBCはこういう練習をするのだ」ということをある程度は選手たちに伝えられたと思う。「こういう練習」とは理に叶(かな)った練習である。例えば、走塁でもベースの踏み方、スライディングの足の形、すべって回り込んだ時のベースタッチのし方等々、まさに間一髪でアウトにもなり、セーフにもなる、そういう基本技術には理屈の裏付けがあるということだ。
 また、時期尚早にも思われるかもしれないが、守備のシフトの練習にも手を付けられた。もちろん、まったくの初歩の段階だが、そこから少しずつレベルを引き上げていく予定である。その最終段階はまだまだ先のことだ。もちろん、1年間では到達できるはずがない。目前の試合に勝つことも大切である。モチベーションが大いに高まるからだ。しかし、それは小事である。目前の試合の勝敗を越えること、それが「無敗而有敗」の含意の一部である。含意のすべてがわかった時、「無敗而有敗」の読み方がおのずとわかるだろう。


2月合宿アラカルト(その1)

2006-02-13 | YBC始動
 いったい何年ぶりだろうか。プロ時代は「合宿」というよりも「キャンプ」だった。大学時代は合宿は合宿でも、やはり恵まれたものだった。しかし、YBCの合宿は清貧である。ユニフォームこそ土と砂で汚れたが、心は清潔だ。甲子園大会の宿舎の食事の何分の一かの料金で、しかし、ご飯と味噌汁はお代わり自由だから腹一杯食べられたし、宿舎(「飯岡荘」支配人とスタッフの方々、お世話になりました)と海上野球場と銚子西高(部長先生はじめ、柴田監督と部員の皆さん、ありがとう)との3カ所をバスで悠々と移動できた(これはプロ球団並みですぞ)し、温泉にも朝晩入られたし、十分に心暖かく待遇していただいた。とにかく、お名前は一々挙げないが、関係者各位にお世話になりました。
 とにかく、旭市はキャンプ地としてはなかなかのものだ。あまり宣伝しないで、YBCでこっそり独占したいところだが、それほど恵まれない環境でがんばっているクラブチームには、大いに推薦できる土地である。