谷沢健一のニューアマチュアリズム

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キャンプ地紀行(その5)

2006-02-04 | プロ野球への独白
 さて、今日も収穫があったので、それをいくつか書いておこう。
 ブルペンで、和田毅投手のピッチングに見とれていたのだが、挨拶にきてくれた彼に、さっそく和田流チェンジアップの握りを伝授してもらった。
 王監督とも話をしたが、「つくづく(思うが、野球は)守りと投手だな」と監督は会話を切り上げて、ブルペンに足を運び、新外国人・カラスコ投手を注視していた。しかし、心配の種は何と言っても城島捕手の抜けた穴のはずで、大石バッテリーコーチとともに、的場捕手に付きっきりだった。特打を終えると、引き続き捕手強化メニューに入り、グランドを最後に引き上げたのはコーチと捕手だったと思う。
 川崎・宮地両選手のティー打撃も参考になった。高目ゾーンを意識して叩いていく打法に力強さを感じた。
 スタンドは平日というのに大勢のファンで溢れ、中でも目立ったのは九州各地の高校野球部員の多さだった。
 私はいったん球場をあとにして帰りかけたが、ふと気になって戻った。それは森脇守備コーチの「守備の手ほどき」である。ルーキーの松田宣浩内野手をはじめ、選手たちに熱心に指導する姿を、私は1時間以上も見入ってしまった。ここに記すまでもないが、このとき目に焼き付けた事柄がYBCへの私の土産の一つなのである。

キャンプ地紀行(その4)

2006-02-04 | プロ野球への独白
 球場正面で報道関係者として受付を終えると、一人の青年が近寄ってきた。イチロー選手愛用のサングラスメーカーのスポーツマーケティングディレクター・露木氏である。私が前クラブの監督の時に何度か対戦したと言う。彼は横浜金港クラブの助監督兼三塁手で、サードコーチャーボックスに立って采配を振るっていた私に声をかけられたそうだ。
 それを思い出しかけたとき、「オープン戦をやりませんか」という挑戦を受けた。金港クラブは栃木県の全足利クラブに並ぶ強豪であり、老舗(しにせ)のすばらしいチームである。対戦は4月にグランドが確保できしだい、返事をすることになった。
 まずブルペンへ行き、投手陣を見た。今年から投手の2段モーションが禁止され、国際基準に沿うことになる。(アマチュア野球では、このモーションについて既に厳しく律しているので、問題はない。)ホークスでは斉藤和巳投手が一番危惧(きぐ)されていたが、流れるようなスムーズなフォームとなり、審判からOKの確約を得ていた。

キャンプ地紀行(その3)

2006-02-04 | プロ野球への独白
 宮崎市の中心地、橘通りにあるホテルから車で北西に約20分、大淀川を渡り田園地帯をしばらく行くと、前方の小高い所に「はんぴドーム」と命名されたソフトバンク・ホークスのキャンプ地、生目の森(いきめのもり)総合運動公園が見えてくる。
 その広大で、ひじょうに贅沢な施設を紹介しよう。運動公園の中心は「ホークスビレッジ」といって、緑豊かな芝生でファミリーやキャンプツアーの人々の「伸び伸びゾーン」である。仮設のshopも30軒ほど連なり、いつでも食事がとれる。そのゾーンから360度、頭をめぐらせて見渡していくと、50メートル先に、先ほどのドームが室内練習場だ。三分の一のスペースに打撃マシンが6台並んでいる。隣は、屋外のブルペンと打撃マシンが3台置いてある。
 その裏に、天井から燦々と光が射し込む室内ブルペンが建っている。6人が同時に投球練習できる。
 そしてメインは「アイビースタジアム」と呼ばれる2万人収容でナイター設備完備の球場である。外野の洋芝はサンマリンと同じく緑鮮やかである。内野の地面は黒く、上質の土だと聞いている。
 チェアーの向きを変えると、ファーム専用の第2野球場。隣は4面使用の野球場。まだまだ、歩行路を挟んで全面高麗芝の多目的グランド(投手陣の補強・強化と走り込みの場)は、サッカーグランド3面分もある。そして、使用していないが陸上競技場も控えているのだ。
 郷愁にかられるわけではないが、選手時代や評論家になってからも何度か訪れたメジャーリーグのキャンプ地を髣髴とさせる。子も恵まれた環境から、川上哲治氏がおっしゃっていた「厚い壁」を乗り越える逞しいプレーヤーを期待できるのか。ホークスは今WBCの話題で持ちきりではあるのだが。