谷沢健一のニューアマチュアリズム

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予告先発/マリーンズ×ファイターズ戦から(その1)

2008-05-03 | プロ野球への独白
 4月29日の千葉ロッテと北海道日本ハムの一戦の出来事である。ビジターのファイターズの予告先発は左腕の武田勝投手。開幕から3連勝と乗っているので、この試合も好投が期待された。ところが、試合前の練習中に、マリーンズの打者の打球が左手を直撃、左親指末節骨が骨折した。急遽、翌日登板予定のスウィーニー投手が逆スライド先発した。
 どんな状況で打球を受けたのか定かではないが、ビジターの選手たちがグランド入りする時は、たいてい相手チームは打撃練習中であり、それが終了するまではベンチ前でトレーニングコーチの号令の下、ウォーミングアップをするのが通例である。そこはいつ打球が飛び込んでくるかわからないという危険地帯でもある。打撃練習中に外野を走っているときでも注意力を研ぎ澄ましていないと、災難に合ってしまう。
 私が記憶しているだけでも、V9時代の末次選手が目に打球を受けて引退を余儀なくされた。中日の山本昌投手も優勝争いの真っ只中に、打球を避け損なって左肩を負傷し登板回避となった。不可抗力の怪我ならば責められないが、注意力不足の場合もある。
 YBCの練習時でもボールが転がっていたら「すぐ拾え!踏んで捻挫したらゲームに出られんぞ」と口すっぱくして注意していても、無造作に通り過ぎる選手がまだまだ多いのは心配でもあるし、プレイヤーとしての意識の欠落が残念でならない。

さあ、プロの開幕だ-パリーグ(その2)

2008-04-26 | プロ野球への独白
 それと主戦投手3本柱の成績をかみあわせてみた。統計学でよく用いるクロス集計の初歩にも至らない真似事である。76試合での3本柱の勝ち星合計は5球団が7~8勝で並び、ホークスだけが4勝である。つまり、5球団の主力はほぼ期待通りの働きだが、ホークスは不振である。なにしろ3人が揃わない。いずれは新垣君、抑えの馬原君も復活してくるだろうが、王監督はやきもきしているだろう。
 楽天は岩隈・田中・永井の3君で8勝を挙げながら、接戦に弱い。ここから浮かび上がってくる事柄については書くわけにいかない。ノムさんはとっくにご存知だろう。選手たちが自信を持ち始めたら、面白いことになる。そして、その兆しはある。ボヤキの野村、口撃の野村と言われている監督の秘かな変貌に気づいている人はどれだけいるだろうか。テレビカメラマンたちは感じているかもしれない。
 データが机上に揃っても、それを映像化して報道するのは難しい。割り当てられた5分は短いものだった。数値の示す1つ1つの意味を映像で伝える。それが1回きりの10秒以内の映像とコメントだけでは、たいてい印象に残らない。生々しい事件報道と違うのである。繰り返しや大写しで明晰度がアップされ、解説者のコメントも生きてくるものだ。番組を終えるたびにいつも反省させられるが、今回もいくつか不十分な点が残った。
 先日、ライオンズのブラゼル選手のインタビューに行ってきた。これはPBNで放送されたので割愛するが、その際、渡辺監督と暫く話をした。渡辺氏曰く「ミスは責めません。ミスの後は練習しかありませんよ」事実、遠征中に起こった投内連係のミスを繰り返し練習していた。とにかく私の前を通り過ぎる選手たちの挨拶は明るい。今のパリーグは、監督の雰囲気の明るさがそのまま順位になっていると思うほどだ。トップのナベちゃんから、ボビー、ナシさんときて、口はさておきけっこう表情の明るいノムさん。それから、真面目な王監督、そして、苦渋に満ちたミスター・コリンズ……。まさに数字と監督の表情とはチームの明暗の証。いや、これは冗談である。

さあ、プロの開幕だ-パリーグ(その1)

2008-04-26 | プロ野球への独白
 24日、お台場のフジテレビに行く前に、神保町のYBC東京事務局へ寄った。事務処理の打合せの後の雑談で、加藤副部長から「ブログはセリーグで止まっていますよ。そろそろ混戦のパリーグはどうですか」と促された。確かに1点差ゲームが多い。6チームの投手力が拮抗しているせいかどうか、少し分析しようという気になった。
 雑談相手もいろいろいる。憂鬱な気分がいつのまにか消散してしまう語り上手の人もいるし、なにげない言葉なのになぜかアイディアを誘い出してくれるような話題上手の人もいる。だから、雑談は私の糧になる。
 フジテレビ739のプロ野球ニュース(PBN)で、木曜日は基本的にキャスターを務めることになっている。局に着くと、2試合が雨天中止となったと知らされた。今日のように6試合予定の日は、何試合か雨で流れると、急遽その時間を埋めるための企画を考えねばならない。木曜担当ディレクターの武田氏から「谷沢さん、5分空いているんです」4試合のゲーム進行を見ながら、お互いアイディアを出しあった。4試合のモニター画面を同時に見ながら各試合のポイントをメモし、同時に穴埋め企画を考えるのはそう簡単なことではない。
 私は神保町の会話を思い出して、常に携帯しているデータノートを開いてチェックしてみた。76試合中32試合!「武田君、パの1点差ゲームは42%もあるぞ」「え?ほんとうですか、全部、引き出してみます」
 私のノートでは、1点差試合の勝敗で目立つのは、ファイターズの8勝3敗とマリーンズの8勝5敗。さらにイーグルスの2勝9敗だった。ちなみに序盤戦トップを走るライオンズは4勝6敗。

さあ、プロの開幕だ-セリーグ(その3)

2008-04-08 | プロ野球への独白
 「それにしても広島より下とは酷すぎる」と某解説者が小声で言っていたが、「広島より」という失礼な比較はさておいて、「酷すぎる」には同感である。打者では高橋由選手の2割8分、投手では上原君の防御率4点台がチーム内トップである。「始まったばかりで対戦相手も一巡していないのに何をぬかすか」と巨人ファンと関係者の怒りを買うに違いないが、私の正直な感想である。いずれトップ争いに加わるだろうと断言できるからこそ、辛口の表現をしているのである。
 セの選手の何人かがキャンプ中に言っていた。
 ヤクルトの選手「上原は先発よりも抑えの方がいやですね」
 阪神の選手「クルーンの抑えは組みやすし、ですよ、僕にはね。他の選手にも教えようかな」
 中日の選手「阿部君のリードは読みやすいですね」
阿部君のリードがパターン化しているだけでなく、スコアラー陣が手薄で、偵察と分析の結果が選手に行き渡っていないのではないかとも思われる。中日戦での中村紀、和田、森野の一発は、(ここで具体的に言うのは憚るが)ちょっとしたことで防御できたのではないかという一打である。
 ペナントレースは想定外の事が起きないかぎり、戦前の予想はひっくり返らないはずだ。神宮球場の両翼フェンスが10m後退したことでヤクルトの野球が変わるのだから、東京ドームの特性を生かした野球をこれまで以上に追求すべきだろう。あるいは、選手の陣容に即すように施設の有効利用と手直しを考えるべきだろう。
 ドラゴンズは予想通りの戦いであるが、おおかたの予想を上回っているのが、スワローズである。9試合で既に13盗塁。目を見はる「走塁攻撃」である。その一翼を担ったのが、高田監督好みの選手で、颯爽と1番に起用された川島君である(張り切りすぎたのか、右手親指の付け根を傷めて離脱してしまったが、2、3週間もすれば回復するらしい)。彼が欠けても当分、機動力野球は揺るがないだろう。投手陣も若手の村中・増渕両君が早くも勝星を掴んだ。
 タイガース、そしてベイスターズとカープに言及できなかったが、次の機会には書きたいことの多いチームである。ともあれ、ジャイアンツの惨敗からから始まったのが、2008年のセ・リーグである。

さあ、プロの開幕だ-セリーグ(その2)

2008-04-08 | プロ野球への独白
 勝利のみを極端に優先する傾向がセの3球団に強まっているのはじつに残念だが、その最たる読売巨人軍が、いざ蓋を開けると予想外の展開である。開幕投手・高橋尚成君がキャンプ時(2月下旬)に私に語った言葉を思い出す。
 高橋君「沖縄は暖(あ)ったかいんでしょうね。いいなあ、ボクはここでこれから肩をつくるんですから……」
 私「たしかに施設は完璧だよな。でも宮崎はこの時期は寒いよなあ」
東国原知事には悪いが、2月の宮崎はいささか寒冷だ。彼は寒さに辟易していた。父親を亡くした後だけに、一際ナーバスになる気持ちも理解できた。しかし「巨人宮崎」はキャンプ地の代名詞のごとき存在である。
 開幕から2勝7敗、明らかに調整の失敗である。ある巨人OBの話では、選手の中には「キャンプでまともな練習をしていない。この結果は当然ですよ」という声もあるそうだ。確かに、Gキャンプ地の施設そのものは最高だが、選手の立場になればかなりの欠陥もある。例えば、練習の際の動線が悪い。メニューを一つ終えて次のメニューに移動するのが極端に不便である。
 近隣のホークスのキャンプは、ファンも見やすいし、首脳陣も(ファーム選手も含めて)全選手をチェックできるようになっている。それだけハード(施設)が集結しているのだ。メニュー間の移動時に多目的な芝生広場(ファンが昼食をとったりしている)を通過するように動線が敷かれている。(ごく一部のメディアも、ひじょうに遠回しに報道していたのだが、なかなかそれが読み取られていないようだ・・・)

さあ、プロの開幕だ-セリーグ(その1)

2008-04-08 | プロ野球への独白
 3月27日のセ・リーグ開幕前夜、CSプロ野球ニュースでは簡単な順位予想を行った。(簡単だったのは、開幕戦をセ・リーグに邪魔されたパ・リーグへ視聴者の心情が傾いたせいで、パの2カードの報道を優先させたためなのか、とディレクターに確認しようかと思ったが、やめにした。それにしても、パ・リーグの開幕に大リーグとの練習試合をぶつけるとはねえ……、セの有力選手たちが何人も「おとなげない」と言っていた。)
 CS解説者15人の順位予想は、1位中日としたのが私と他2人、1位巨人は11人、1位阪神は1人であった。1位巨人の予想理由は、第一に、大型補強で勝って当然だ(非巨人OB連のいささか皮肉めいた見方)、第二に、巨人が球界をリードするのが当然だ(巨人に愛着のある面々)であろう。
 1位中日が私以外に2人しかいないのは、近年、何かとメディアを敵視し情報をひた隠しにする同チームの露骨な言動から、予想できるほどのまともな情報が得られないからだと、解説者の面々は言う。(「ささいな情報なのに、それを洩らしたという理由でコーチが厳しく処置された」という類の噂がいくつも、記者の間に流布し続けているくらいだから、いたしかたないだろう)

2008年の12の? マリーンズ(その3)

2008-03-14 | プロ野球への独白
 グランドではバレンタイン監督が自転車で各練習場を走り廻り、そこここで二言三言注意していた。目の光が違う。ブルペンで、袴田コーチに小林雅、薮田両投手の抜けた穴について聞いてみた。
 袴田氏「まだ誰を当てるか決まってませんが、左の川崎、服部(トヨタ)、根本(横浜商大)に期待してますよ」
 私「高木晃次君は40歳でもボールに力があるね」
 袴田氏「頼りになりますね」
ピッチングを終えた成瀬投手が胸をそらすようにして挨拶してくれた。昨年は16勝1敗である。胸をそらせていい成績だ。
 私「背番号を変えたね」
 成瀬君「あと一つで最多勝を逃がしたので、17番はその意味合いもあります」
小宮山投手とも顔を合わした。
 私「選手で残っているとは嬉しいね」
 小宮山君「残してもらえてありがたいですけど、冷やかさないでくださいよ」と手短に答えて慌ただしく去っていった。
 野手では習志野高後輩の福浦和也選手も昨年は負傷に泣いたが、今日は打ち込みに精を出している。また一軍に合流している神戸拓光君も張り切っていた。彼は流通経済大の出身で、YBCとも2度ほど対戦し、非凡なバッティングを見せられた。
 マリーンズは総合的にバランスの取れたチームであり、ボビーイズムが選手に浸透している今年も大暴れしそうだ。ただし、ボビーイズムはいったんズレが生じると修復しにくいというきらいもある。ひじょうにクレバーなボビーは、それを知っていて、早め早めに(多くの場合、選手やファンが気づく前に)ズレの補修を行ってきている。それが冴えわたっている限り、ロッテのプレーオフ進出は間違いないだろう。
 今年のロッテの「?」は米国球界がボビーをいつ、どういうふうに誘ってくるかではないかと思う。今や、日本のプロ野球はMBLの動向に大きく左右される時代に入っているのである。「メジャーメジャーと騒ぎまくって、日本のプロ野球をないがしろにしている」と怒る心情ももちろんわかるが、優れたスポーツは最後はナショナリズムを超えるものであることを、そろそろ球界の共通認識にしてもいいのではないだろうか。
 12球団の「?」はこれで終了とする。シーズンの終わりに「?」を検証しようと思っている。
(以下、「コメント」代わりです。米田さん、千葉ロッテマリーンズが最後になりました。遅くて申し訳ありません。上村君は楽天球団に就職しました。YBCにはまだまだ素晴らしい人材がおります。
 オープン戦を観戦に行こうと副部長とも約束していたのですが、私事が重なりまだ実現していません。突然、お邪魔するかもしれませんので、その時は宜しく。)

2008年の12の? マリーンズ(その2)

2008-03-14 | プロ野球への独白
 アップを終えた選手たちが私の前を通っていった。大嶺君が目礼をしてくれたので、「地元でのキャンプは嬉しいだろう」と声を掛けると、「いや!石垣の人はルールを守れないので、恥ずかしいです」と言う。大嶺君の真面目な性格が気を遣わせているだけでなく、石垣人という意識が心底にあるのだろう。
 立花龍司コンディショニングコーチとも久方ぶりに顔を合わした。
 立花氏「オフは筑波大の大学院に通っています。最近、脇腹を痛める選手が続出してますので、何が原因かデータを取り治療の方法も研究しています」
知っての通り、近鉄時代の野茂投手が最も信頼していたトレーニングコーチで、当時から斬新な方法を取り入れていた。特にノーラン・ライアンの肩関節を強化するPNFトレーニングを積極的に採り入れた。
 PNF=Proprioceptive Neuromuscular Facilitation(固有受容性神経筋促通法)はリハビリ技術の一つで、「障害者を含めすべての人間は、未だ引き出されてない潜在能力を持っている」という哲学に基づいている。私もPNFについて少しばかり勉強し、さらに米国にいる長女から詳しく教わったりした。全体の筋バランス、柔軟性、敏捷性、持久力、反応時間などの運動機能の改善と向上に応用できるから、一般臨床だけでなく高度なスポーツの分野でも幅広く用いられるようになっている。

2008年の12の? マリーンズ(その1)

2008-03-14 | プロ野球への独白
 2月4日に訪れる予定の石垣島を東北楽天の久米島に変更したため、2月16,17日の両日に宮古・石垣行きを組み込んだ。宮崎入りする直前に遮二無二設定した。昨年、記念イベント始球式に招いてもらったこともあるし、なにより優勝候補の筆頭でもあるからだ。石垣島は25年前に我々がキャンプを張ったところである。それ以降、プロ球団のキャンプが途絶えていたが、千葉ロッテの手によって復活した。
 12球団の最後を締める沖縄滞在だなと思いながら、オリックスの宮古島から空路、石垣島へ乗り込んだ。日が沈みゆく八重山諸島は一際美しい眺めだ。ホテルで荷を解いてから市内散策に出かけた。10年程前に名球会野球教室で訪れたが、その時はゆっくりする時間もなかった。栄町銀座通りを中心に商店街が広がり、店先や街頭には千葉ロッテ歓迎の垂れ幕やバレンタイン監督以下、選手たちの等身大の像が白色の布に映えていた。島民の皆さんの熱い歓迎振りが伝わる。ちょうどすぐ先には2年前甲子園を沸かせた八重山商工の校舎が位置している。その立役者・大嶺祐太君がロッテ入りして、石垣キャンプが実現したという。
 好天だし、懐かしさもあって、球場周辺を巡ってみた。本球場はスタンドも低く、ファンは選手を間近で見られる。右翼後方に総合体育館、道を隔ててサブグランドと室内ドームがあり、その裏にブルペンが設置されている。広い運動公園を時計回りに進んでいくと、陸上競技場が目の前に見えてきた。「そう言えばキャンプで400mトラックを何本も走らされたなー」と思いながら横の土手を上がると、古ぼけたもう一つの野球場があり、「ここで俺たちは練習したんだ!」とつい叫びそうになった。
 本球場ネット裏の観客席数段分にテントが張ってあった。瀬戸山球団社長がいらしたので挨拶に出向いた。ちょうど、市長と話しているところであった。
 市長「あの時の中日は最下位になりましてね。設備もないところに加えて雨ばかりでした」
 社長「その中日の成績が気になってね。縁起が悪いので、キャンプ地として躊躇しましたよ。あはは」
 私「25年前ですよ。忘れてくださいよ。雨のときは商工の体育館を使いました」
 市長「私は飯より野球が好きでね。今回は不備な点も多々ありますが、設備は良くしますよ。古い球場も改修の予定です」ロッテは長年、鹿児島に根を下ろしていたが、これから当分は石垣島がロッテタウンとなりそうだ。

2008年の12の? ジャイアンツ(その2)

2008-03-11 | プロ野球への独白
 二岡選手がティー打撃をしていた。
 私「どうだい、膝の具合は?」
 二岡君「やっとティー打撃がスムーズにできるようになりました。開幕には間に合わせます」二岡君も小笠原君も左膝を手術したが、二岡君のほうは打撃の際にステップするのが左足なので、回復が早いのかもしれない。
 そこへガッツ小笠原君が柔剣道場内での筋力トレを終えてドーム内に入ってきた。
 私「左膝か?軸足だと辛いなー」
 ガッツ君「ティーをやってもまだ軸足が流れるんですよ」
 私「そんなにひどっかたのか」
 ガッツ君「2年間、ガマンしてプレーしましたから」「去年は人工芝に足を付けると跳び上がるほどの痛みででした」
 私「よく2年続けてMVPを獲れたね」
 ガッツ君「ファンの後押しでやれてただけです」とあくまで彼らしい言葉しかいわない。
 じつは、東京ドームは膝を痛めやすい(と多くの選手たちは思っているはずだ)。人工芝に入っているチップ(木くず)がスパイクに絡んで、必要以上に足首にも膝にもはては腰にも負担がかかるのである。人間工学の専門家のチェックが入っているのかいないのか知らないが、年俸が高い分、選手を大事にする度合いが低いと言われても仕方ないだろう。
 私が授業で使用している早大の軟式野球場は昨年から全面人工芝になったが、チップに土を加えてあるので走りやすいと学生たちには好評である。建設中の柏の葉野球場のように、設計者・施工者・管理者の一存にまかせて、各種の体育関係の専門家のチェックを経ないままに作られると、実際に使用する者にはひどく困ることになる。だが、それは我が国ではどこでも当たり前のことのようだ。(すべきことをしないですませる理由を思いつくことにかけては、天才的な人々が多い……)
 紅白戦では、クルーン投手の足に打球が直撃し、一瞬ヒヤッとさせたが事なきを得た。矢野君の一発が出たし、2年目の若手・坂本勇人内野手の打撃にも光るものがあった。前日、長嶋終身名誉監督が訪れて坂本君を激励したそうだが、今日も早朝から原監督の父君がブルペンや若手の打撃を注視していた。その表情はコーチそのもので、もし東海大学が原貢氏を離してくれれば、アマきっての名指導者がこの球団に関わるかもしれないなどと、とんでもないことを夢想する私であった。
 巨人が日本一になっても、球団側が原監督の手腕をどれだけ正当に評価するかどうか、いささか懸念されるが、今年のジャイアンツの「?}は、「年俸のため以上に監督のために優勝するぞ!年俸のため以上にファンのために優勝するぞ!」という選手がどれだけいるかではないだろうかと、意地悪なことを考えてしまう。

2008年の12の? ジャイアンツ(その1)

2008-03-11 | プロ野球への独白
 2月15日の宮崎は快晴だったが北西風が強く寒かった。サンマリンスタジアムに入っていくと、既に三塁側ベンチ前で張本勲さんが原監督にインタビューを行っていた。おそらくTBSの番組取材だろう。2人の声はかなり大きく、グライシンガー、ラミレス、クルーンといった名前が聞こえてきた。上原先発復帰の話にも笑顔で答えていたが、オフに手術した二岡・小笠原両選手の本隊への合流には時間が掛かりそうなニュアンスの話だった。これで今日の取材目的は決まったようなものだ。
 忙しい原監督とは簡単な会話程度にとどめて、一塁側ベンチの傍らにいる笹本信二球団運営部長や津末英明広報に挨拶した。取材で動き回って練習の邪魔になるかもしれない無礼を述べておいた。
 まず、新加入のラミレス選手に「Gのユニフォームが似合うね」と語りかけると、自ら胸のマークを指差して「ジャイアンツ!僕の夢!夢でした」と片言の日本語で嬉しさを押し殺すように、はにかんだ表情だった。彼らにとってもジャイアンツのブランド力は失われていないと言っているようにも思えるが、A紙のヤクルト担当の口の悪い記者によると「破格な年俸への満足感ですよ」ということになる。
 巨人のキャンプ地は広過ぎて大変である。どこでどんなメニューをこなしているのか、歩き回るだけでもくたびれる。おまけにこの日は寒かった。1時過ぎからの紅白戦で金刃、クルーン両投手の登板予定だったので、「木の花ドーム」で選手たちを待つことにした。以下はやって来た選手たちとの会話である。
 私「君のチェンジアップは指を縫い目に掛けるの?」
 高橋(尚成)君「僕は掛けますね。掛けないと狙ったところにいかない」
 高橋君「沖縄でキャンプを張っているチームの投手は、仕上がりが早いでしょうね」
 私「キャンプ序盤から投げ込んでいるね」
 高橋君「早めに肩を作りたいけど、沖縄から戻っても寒い日があるからなー」と余裕の表情で豊田投手に話を振る。
 ピッチング後で肩とヒジをアイシングしていた豊田君「冷やした後にバッテングしたくねーな…」
 何処からか「豊田!尾花コーチが呼んでるぞ」
 豊田君「谷沢さん!今年は肩の調子もいいですよ」と売り込みも忘れずに飛び出していった。そこへ上原投手がバットを下げてきた。
 私「今シーズンは、先発に戻るんだね」
 上原君「先発でも抑えでも何でもやりますよ」体力も回復してきたのか、五輪を意識したような発言だった。

2008年の12の? ライオンズ(その2)

2008-03-08 | プロ野球への独白
 渡辺監督とは私が西武のコーチ時代、2年間を共にした。当時から気軽にモノを言ってくれる男である。西武の選手から台湾プロ野球に身を転じたとき、たまたま私も台湾野球の視察に行っていて、彼のユニフォーム姿を見ることができた。たまたま登板機会はなかったが、コーチ兼任でブルペンで熱心に投手たちを指導していた。渡辺氏のご家族が日本から来台していたので、水入らずの時間を奪うのは避けて会うことはしなかったが、電話でやや長く語り合った。初めての海外野球経験で、随分苦労しているようだった。それでも、自分の技術と知識が台湾野球に役立っているという自負と気概が感じられた。
 私が西多摩倶楽部の監督していたとき(伊東・前監督に頼んで)ライオンズの2軍に胸を借りた。2軍監督の渡辺氏は2軍で調整中の1軍選手を起用するなど、最後まで真摯に相手をしてくれた。大差のついた試合だったが、手を抜くことはアマチュアチームをバカにすることで失礼だと考えたのだと思う。
 3度の最多勝投手という勲章をもつ渡辺氏の現役時代のピッチングも、ここぞと言うときは常に速球で打者をねじ伏せるものだった。スワローズに移籍して野村再生工場入りしたが、ノムさんの説得にもかかわらず、ついに速球にこだわって技巧派に転じようとしなかった。その翌年、渡台して18勝をあげ、最多勝投手に輝いたのである。新庄選手らのように、ノムさんの理論だけが正しいわけではないことを身をもって示した一人である。
 なにしろ、選手一人一人が違うように、野球の技術理論も絶対唯一の理論はなく、それぞれにふさわしい技術理論がある。この平凡な事実に気づかない人たちが多い。なぜなら、ノムさんをはじめ、多くの指導者は非凡な人たちだからである。自分の非凡な経験と実績が自分自身の理論の正しさの証明だと錯覚する。しかし、それは非凡な能力を持つ自分自身にとって最良の技術理論であっても、他者にはそうとは限らない。実際に、選手時代にはそう感じているはずなのに、監督やコーチをなると忘れてしまいがちである。私はコーチ時代、それを忘れていないつもりだったが、周囲にはそう考えない人もいた。(もちろん、基礎技術には絶対に近い理論があるが。)
 さて、渡辺新監督は、当面は投手中心のチームをつくるだろう。その点にあまり不安はない。しかし、野手のほうは不安材料が少なくない。新外国人のブラゼル、ボカチカ両選手の大活躍がなければ勝ち星の計算をしにくいこともその一つである。
 かつての「最強ライオンズ」の復活はもうありえないという見方が一般的な今、新たなカラーの強いチーム作りが渡辺監督に課せられているが、その「強いライオンズ」という新イメージをどれだけ明確に描けるか、それをコーチ以下のスタッフと選手たちに明確に理解させられるか、さらにはファンにもそれを伝えて球場を足を運ばせられるか、あまりに大きな責務である。ライオンズの最大のカギは、その重荷を渡辺氏が持ち前の明るさで背負い続けられるかどうかであろう。

2008年の12の? ライオンズ(その1)

2008-03-08 | プロ野球への独白
 新生ライオンズのキャンプ地は南郷町。広島カープの日南市から車で約30分だ。その近くの串間市はかつて6年間、私たちドラゴンズがキャンプを張った懐かしい土地である。
 宮崎入りした2月7日、真っ先に渡辺久信・新監督率いる埼玉西武ライオンズのキャンプを訪ねた。グランドに上がっていくと(息が切れるほどの坂道の先の高台に本球場がある)、投内連係の練習が行われていた。このチームも主力の和田、カブレラ両選手が去り、若いチームに切り替わろうとしている。それだけに若々しい元気な声が響く。「空元気で終わるなよ」と憎まれ口を叩きたくなるほど、とにかく明るい声が飛び交っている。
 コーチ陣も黒江ヘッドはさておき、若い潮崎・小野両投手コーチ、打撃はデーブこと大久保博元氏が加わった。森監督時代は鬼軍曹だった黒江さんも、加齢で温厚になったのか、連係ミスが生じても、叱責の声があまり聞こえない。あるいは、選手たちの声にかき消されているのかもしれない。そのせいで、ヘッドコーチの威厳が以前ほど表に出ていないような気がする。
 銀仁朗君や中村君がミスをすると、四方八方から他の選手たちの冷やかしや激励の野次が飛んでくる。2人の緩慢な動きもご愛嬌に見えてくる。私も強かった時代の西武野球を思い出し、ファンはその復活を一日千秋の思いで待っているだろうと思って眺めていた。裏金問題のせいもあってだろう、スカウトだけでなく球団フロントも一新といえるほど交代した。
 昨年はBクラスに転落した。25年ぶりだった。そんなチーム力の低下を吹き払うように、大久保コーチの叱咤激励する姿がひときわ目立つ。解説者とタレント業及びプロゴルファーの3足の草鞋を全部脱いでたった1足だけになった。大久保氏は「谷沢さん、いらっしゃいませ! 元気でやってますよ!」と叫ぶやいなや、風のようにロッカーからグランドへ身軽(?)に飛び出ていった。返事をする暇もなかったので、大久保コーチについて各方面に取材してみた。
 A氏曰く「指導の情熱は人一倍ある」
 B氏曰く「これと思う選手を食事に誘ってしっかりコミュニケーションをとる」
 C氏曰く「これまでの西武のコーチ像の殻を破っている」
 どんな長所にも短所はつきもので、この3氏のことばを裏返しに言うと、「指導が過剰になりやすい」「食事に誘われない選手は無視されているのかとか嫌われているのかと誤解しやすい」「長年のチームカラーに馴染んでいる者には違和感が強い」等の危険性もはらむ。
 しかし、球団首脳と渡辺監督は、多少のデメリットは覚悟して、大久保君ほど天性の明るさをもつ持つ者はいないから、それを最重要視してコーチ就任を要請したのだろう。昨年までのチームのイメージを大幅に変革したいにちがいない。コーチ陣の大幅な入れ替えはそれを意味しているとしか考えられない。原点に戻ってもう一度ファンに愛される、勝つことも大事だが、むしろ勝つこと以前に、内部崩壊した球団組織の再構築を意図しているかのような布陣である。
 刷新と再構築の表れの一つは、西武から埼玉西武という改称である。あまりにも西武という企業色が強すぎたことの反省だろうが、少し遅すぎた。読売巨人軍のように、読売という企業名を薄めるために、巨人ジャイアンツという仮称を前面に出すという手もある。そうすると、青獅子ライオンズという仮称を掲げるのも悪くない。

2008年の12の? ベイスターズ(その2)

2008-03-06 | プロ野球への独白
 そんな大矢監督が昨年の後半、禁令をひとつ発した。横浜OBが試合前に選手食堂へ出入りするのを禁止したのである。何か具体的に大変な事件があったのか、それほどでなくても大小取り混ぜて何度も困ることがあったのか、私にはよくわからない。
 あえて推察すれば、OBが選手へアドバイスすることが頻繁すぎたのかもしれない。それはプラスもあればマイナスもある。ただ、現役の選手たちは球界の大先輩に逆らうことはできないのが不文律だから、自軍の選手たちに余計な神経を使わせるたくないという配慮もあったのではないだろうか。
 横浜スタジアムの選手食堂は、報道関係者用と隣り合わせであるため、選手やコーチとの接触が容易である。調理場を中心とした構造上の問題もあろう。メジャーリーグではロッカールームでインタビューが公然と行われ、IDカードを持っていれば基本的に自由に出入りできる。日本ではそこまでの寛容さはないし、勝敗によってはロッカールームでの選手や監督の言動を見せたくないこともある。
 宜野湾の食堂も同様な構造である。一応、球団関係者以外立入禁止の看板があるものの、OBも気軽に入っていたのだろう。先日、突然、あるOB選手(かつてのスタープレーヤーである)が大矢監督に食堂から追い出されたという。そのOBは凄い剣幕で怒っていたらしい。
 球界の功労者や球団に貢献した先輩をリスペクトする風潮が希薄であることは、私もよく知っている。それにしても、私が大矢監督の立場であったらどうするであろうか。2度目の監督として招かれたのは、やはり大矢氏の真摯な情熱溢れる選手育成が、球団首脳の心をとらえたのであろう。星野氏や落合氏のように一見してわかるような強烈な個性ではないにしても、自分の信頼するコーチが解任されそうな時は、監督の職を賭して守るような一途な性格である。
 だから、これと思う選手をよくコンバートする。その選手自身がどう思おうと、これと見込んで信じてしまえば、それを貫徹するのが大矢監督である。今季はクルーンをさらわれたが、おそらくヒューズという新ストッパーを育てるであろう。ヒューズを含めて6人の外国人を抱える。牛込氏譲りのスカウティングの目で6人を見極め、シーズンのどの時点でだれをどう使うか、それが今年のベイスターズのカギである。
 キャンプ序盤から実践的なシート打撃に時間を割いているのも、その早く見極めたいという気持ちの表れだろう。そういう柔和な表情の奥にある真剣な頑固さを思うと、「大矢頑張れ」と背を押して上げたくなる。横浜にいすわって、連覇してくれよ!

2008年の12の? ベイスターズ(その1)

2008-03-06 | プロ野球への独白
 沖縄の7球団目は宜野湾の横浜ベイスターズ。昨年は2軍の湘南シーレックスが、私たちに胸を貸してくれた。関東の強豪クラブの選抜チームと対戦してくれたのである。さかのぼれば、私がクラブ野球に関わった初めの時に、やはりシーレックスが相手をしてくれた。そして完敗した。クラブチームの一部の自惚れの強い選手の鼻をへし折るには、かっこうなのだ。
 「2軍でもこれだけの力があるんだ。自分の今の力を知って、努力を怠るな」ということを、いちいち言葉で言いたくないからである。野球は(おそらくどのスポーツも)体験が言葉を凌駕する。「一験」は百語に如かず、である。(ただし、様々な体験を試行錯誤しても求めるものが得られずに苦悩している時には、ほんの一語でも黄金のような言葉が「百験」を越えることがあるが。)ベイスターズ=シーレックス球団は、YBCのようなクラブチームのために、機会も知恵も道具も、いろいろなものごとを提供してくれる。
 さて、本家の1軍は、大矢監督の2年目である。昨年はセ・リーグの台風の目となって、Aクラス入りかと思えるほどだったが、途中で力尽き4位に終わった。じつは今年は期待できるのである。10年前も、1年目は5位だったが、2年目はヤクルトと優勝争いをして、惜しくも2位。5→2の飛躍が再現されれば……4→1、優勝だ!
 球場へ行くと、大矢監督が快く迎えてくれて、ベイスターズの話だけでなく、アマ野球の情報なども話題にのぼった。沖縄出身の選手で、アマ野球で活躍する場を探してる者を紹介しようか、とまで言ってくれた。(残念ながら実現しなかったが)。
 彼と私は同期である。ともに同一球団一筋に生きて、ずっと戦い続けた好敵手だった。たぶん、打者谷沢健一の欠点をもっともよく知っていた捕手だと思う。「プロ野球ニュース」でも、意見が合うことは少なく、けっこう議論になった。どちらも理屈好きで頑固だが、そんなことで恨みを抱くような下卑た人間でないから、気のおけない仲間だった。