谷沢健一のニューアマチュアリズム

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2008年の12の? タイガース(その2)

2008-03-05 | プロ野球への独白
 ブルペンに行ったら、ドラゴンズ臨時コーチの杉下茂さんが藤川君にフォークを指導していた。タイガースのあるスタッフは「あれでいいんですか? うちにはありがたいけど……」と言うので、私は「セリーグの覇権争いなんて念頭にないんじゃないか。北京五輪のために今のうちにきっちり教えておこう、というのかもしれないね」と応えておいたが、真意はよくわからない。「じゃあ、谷沢さんもうちの打者に少し教えてくださいよ」と急にこちらへ話が向かってきたが、「なに言ってるんだい。広澤君(打撃コーチ)たちがいるじゃないか」と降りかかりそうな火の粉を振り払った。
 杉下氏の一件でもわかるように、岡田監督は基本的に大様なリーダーである。実戦でもある程度以上に選手の判断に任せているようだ。ここぞと言う時に大きく動くタイプである。タイガースの今年のカギは、この点にあるだろう。つまり、選手がどこまで大人の野球をできるかである。
 監督の顔色をいちいち窺わなくても、監督の言葉の裏を勘ぐらなくても、かなりの部分で自分の野球ができるのである。多くの打者が最も配球を読みにくいという2人のうちの1人である矢野捕手をはじめ、安心して任せられる選手が何人もいる。だが、くだらない些細なことをあれこれ言うタニマチ気取りの雑音が邪魔なチームである。この子供じみた外部のノイズを右の耳から左の耳へスルーさせられるかどうか、大人度の高低が優勝か3位かの分かれ道である。
 私たちに何かと配慮をしてくれる岡田監督が振る舞ってくれた昼食を口に運びながら、この監督にもっともっと横綱相撲ならぬ横綱野球をやらせてやりたいものだ、そういう環境ができればなと、内心で思っていた。

2008年の12の? タイガース(その1)

2008-03-05 | プロ野球への独白
 沖縄本島の「臍」にあたる宜野座村は那覇から車で1時間。インターを降りて10分で阪神タイガースのキャンプ地に到着する。訪問した2月7日は絶好の日和であった。タクシーの運転手さんも2月の経済効果にほくそ笑む。
 運転手「天候が悪いと気になってね」
 私「どうしてだい?」
 運転手「沖縄は雨が多いと言って、他へ離れて行っては困るんですよ」
 私「雨が多いと言ってもどこも室内は完備しているし、気温も10度以下にはならないからね。練習にはもってこいだよ」
 運転手「そう言って頂けると有難いですね」
 私「那覇空港の近くの奥武山(おおのやま)球場も新しくなるんだね」
 運転手「地元では2年後には巨人が来ると言ってます。伝統の一戦が見れるのは楽しみですね」「お客さんはマスコミの方ですか」
 私「まー、そんなとこだよ」
 球場入り口でタクシーを降りた時に気がついたのか、「あー谷沢さんだ」運転手さんは帽子を取って何ともいえない笑みを浮かべた。
 打撃練習が始まったのでグランドレベルに降りていった。FA移籍の新井君と挨拶。私が「ユニフォームが違うぞ!」とからかうと、
 新井選手「似合いませんか」
 私「似合うも似合わないも、兄貴(金本選手)が居ないから君が目立つよ」
そして岡田監督と話をする段になった。
 私「シーツを出したんだね」
 岡田「シーツは眼が悪くなりましてね。変なミスが多かったですよ」「浜中も肩が完治しなくて。パならDHがありますからね、オリックスに送り出しました。」
 そんなやり取りに、黒田編成部長が加わった。パウエル問題、お互いの母校(黒田氏は法大)のこと、沖縄の各市町村とのキャンプ地折衝の苦労話など、キャンプに関わる方々の人物評などを聞くと野球界の縮図も垣間見える。

2008年の12の? カープ(その2)

2008-03-04 | プロ野球への独白
 それにしても、TSS局(テレビ新広島)の皆さんの心籠もる気遣いには頭の下がるほどだった。同道している岡田スポーツ部部長も紹介していただいた。
 谷沢「広島の新球場完成は来年ですか」
 岡田氏「そうです。新幹線口にできますが、市の中心地ではありませんからね。人の導線の変化は読めません」
 神田氏「新幹線からは球場は良く見えますよ。センターの方向をオープンにして球場全体がプラットフォームからも全望できる設計でして」
 谷沢「新球場からは野村謙二郎監督かな」
 神田氏「そうだと思いますよ」
 こんな話をしているところへ球団広報から「ブルペンでピッチング練習が始まります」と知らされると、すぐに神田氏は「若手の前田健太君を見てください。佐々岡の18番を譲り受けたんですよ」と言う。
 早速ブルペンに走った。先発陣の大竹寛投手、青木高広投手に並んで、182cm・70kgのやや細身の前田投手の投球が始まった。ネット越しの捕手後方で北別府氏と拝見した。
 私「ストレート系は伸びのあるボールを放るね」
 北別府氏「ストレートの回転はいいですよ。ただしスライダーをひねって曲げ過ぎですね。ストレートの握りをずらして擦るように投げれんとね、コーナーの出し入れはできません」
 この一世を風靡した200勝投手は、前田君が100球余り投げ込んだ後、呼んでアドバイスを送ることを忘れなかった。それを直立不動して傾聴している18番が、今シーズンのカープのカギ束の一本を握っている。
 カープは、「○○がカギだ」などとは言えない。死命を制するカギが何本もあるのだ。まさにカギ束である。その1本でもブラッシュアップせずに錆を落とせなかったら、おそらく他のカギへ錆がうつっていくだろう。それだけ人材が手薄になったのだ。いみじくも「?」はカギの形をしている。2008年のカープの?は、全選手が昨年より1本でも多く適時打を打てるか、全選手が1点でも少なく失点をくい止められるか、である。人任せでは、真っ直ぐで一途なカープというチームは奈落へ向かってカーブしていくだろう。

2008年の12の? カープ(その1)

2008-03-04 | プロ野球への独白
 ゴールデンイーグルスの項で書いたように、長谷部君の投球振りを確認させて貰ってすぐに本島に戻った。小原格さんがデスク業務で東京に帰り、翌日は高田黄門様と沖縄市の広島キャンプへ赴いた。
 早朝からの雨でグランドが使えず、野手は室内での打ち込みとなった。黒田投手のドジャース入りと新井選手の阪神移籍でマスメディアには目玉が見つけにくい。本部席もガランとして球団職員も皆無であった。誰もいないマウンド。静寂の空間に置かれた打撃ゲージ。
 そんな空気を一掃したのは、テレビ新広島の神田アナだった。彼は部屋に入って来るなり、「谷沢さん、よくいらっしゃいました!」と彼らしい澄んだ明るい声を発する。「いやいや、カンちゃんこそ父の葬儀の折には遠い所まで足を運んでいただいて。ほんとうに有難うございました」
 わざわざ広島から千葉にまで弔問に来てくれたのである。「こういう人の思いを大切にしなければ」とつくづく感じ入ったのだった。悲哀の時に慰安を与えてくれる人、有頂天の時に叱咤してくれる人を、ともに悲しむ人やともに喜ぶ人以上に大切にしなければならない。
 神田氏とはプロ野球ニュースは勿論のこと、G戦の中継では達川氏とコンビを組ませてもらい、神田氏の地元一色の話術に引き込まれて、いつの間にか広島サイドに立つ自分に困り果てる場面もあった。達川氏がカープ側なのだから、私はジャイアンツ側に回らねばならないのだが、熱い思いを柔らかい言葉でくるんだ神田アナの絶妙の語りには、抗すすべもなかった。

2008年の12の? バファローズとホークス(その4)

2008-03-01 | プロ野球への独白
 今後、外国人選手だけでなく日本人選手であっても、代理人との交渉に際しては、従来の慣行で安易に行わず、プロ野球協約に照合しながら慎重に行うこと、これが今回の教訓だが、それよりも、マネーゲームに走っているのはジャイアンツだけでないという印象を球界の内外に広く与えたことは、残念至極であり、暗澹(あんたん)たる思いが心に沈澱してしまう。
 そこで、最も懸念されるのは、バファローズ側の遺恨である。これが開幕後の対戦に、例えば投手起用などに露骨に表れるとしたら、長いペナントレース全体の選手起用や試合運びなどに大きな狂いが生じかねない。それが、今年のバファローズの「?」である。
 そして、かりにそうなった時、バファローズのファンとは違って、ボルテージの高いホークスのファンが黙っていないだろう。監督・コーチの試合の采配や選手の実戦に影響を与えないわけがない。それがホークスの今年の「?」である。
 そうなった時、唯一、ほくそ笑むのは、入場料収入の算盤を弾いている者たちである。遺恨試合とメディアがはやし立て、観客動員数が増えることまで、事前に計算している者が幕の裏側のどこかにいるとしたら、ただただ敬服するしかないのかもしれない。

2008年の12の? バファローズとホークス(その3)

2008-03-01 | プロ野球への独白
 私も、バファローズ側にシンパシーを強く感じ、ますますこの問題をきちんと考えなければと思った。それで、いろいろ取材をし、あれこれ考えてみた。それらを整理すると、
1.バファローズは、従来通りのやり方でパウエル側と交渉した。
2.それは、これまで慣行として球界で(とくにパリーグでは)認められてきている。
3.パウエル側は、これまで近鉄ーオリックスー巨人と契約交渉をして入団してきて、1と2を十分に理解している。
4.プロ野球協約に照らし合わせると、ホークスの契約書は正当である。
が判断条件になる事実である。
 それだけを基に、一連の流れを推測してみると、
5.バファローズのやり方には付け入る隙があると考えた者(または者たち)がおり、それがパウエル側の代理人か、ホークス球団の誰かかである。
6.ホークスとパウエル側の代理人のいずれかが、バファローズを上回る契約条件を相手に提示し、契約が交わされた。
7.パウエル側は、もしバファローズが異を唱えてプロ野球機構やパリーグの裁定によってホークス入りが不可能になったら、「年俸など、稼げるはずだった報酬の損害賠償を請求して、バファローズやNBLに訴訟を起こす」また「米国の選手会に訴え出て、日米間の問題として提起する」と、事情聴取などで明言した。
8.ホークスもプロ野球協約に加えて、パウエル側の〈脅しあるいは交渉技術〉を知って、強気だった。
9.小池会長はバファローズに同情しながらも、〈脅しあるいは交渉技術〉への対処法が思いつかず、ホークス入団を認める「強い勧告」を提示した。
10.根来コミッショナー代行は、小池勧告でも、訴訟を起こされればパウエル側が勝訴すると判断し、いったん小池勧告を無にして、「強い要望」を提示した。
11.根来代行の言う「パウエルの同意」とは暗に〈脅しあるいは交渉技術〉への敗北を意味する。
12.この根来要望の真意によって、バファローズは涙を呑むしかなかった。
というふうに考えてくると、根来代行の「両球団、選手にどういう問題があったかを求めても、解決にはならない。追及する気はない」という言葉の含意が理解できるし、「問題があると思ったことは、実行委員会で言う」という「問題」は、従来の慣行の問題点及びプロ野球協約の問題点を意味するだろう。

2008年の12の? バファローズとホークス(その2)

2008-03-01 | プロ野球への独白
 私は宮崎3球団の後、急遽予定を変えることにした。フジTVスタッフから「変更はいいですが、飛行機代はこちらでは支出できませんよ」と念を押されたが、パウエル問題は、プロ野球界の病巣の表れだと思ったので、宮古島へ飛ぶことにした。すぐに関西TVの田中バファローズ担当に頼んで、同球団広報の小浜氏に連絡してもらい、中村勝広球団本部長の所在を確認した。手慣れたお二方の連絡手配は速かった。
 宮古空港に下りると、中村氏と顔を合わせた。「いろいろ大変なのに、スケジュールに割り込ませてくれてありがう」と礼を言うと、「パウエルとホークスにはもう怒りが爆発しそうですよ。あとで行きますから、球場でゆっくりうちのチームを見ていてください」と互いに短い挨拶を交わし、私はキャンプ取材へ、中村氏は宮内義彦オーナーの出迎えに、それぞれ向かった。
 しばらくして、中村氏が球場に戻ってこられ、球団本部の部屋に招き入れられた。私が大学3年の時、中村氏は一押しの有望新人として野球部に入部してきて、2年間、いっしょにプレーした仲である。だが、そういう同窓という関係を抜きにしても、私は彼の憤激に大いに共感するところがあった。
 宮内オーナーが好天気を運んできたのか、すっかりと晴れ上がった離島の球場で、すぐに紅白戦が始まるので、中村氏は出ていき、私は井箟重慶球団アドバイザーと2人きりになった。
 井箟氏は、今は関西国際大教授としてスポーツマネジメントなどを教えている。井箟教授曰く「プロ球団は、内向きの経営にしか目が行かず、アマチュアのクラブ組織を支援する意識が足りません。クラブ野球を応援すれば、明らかに底辺が拡大するのだからね」
 米国コスモ石油副社長だったが、公募に応じてオリックス常務に転身し、10年間球団代表を務めた井箟氏は、故仰木氏を監督に迎えて、イチロー、田口、長谷川といった大リーガーを輩出する球団を創り上げた。日米野球関係史に特筆されるようになるはずの人物である。
 その井箟氏にパウエル問題を尋ねてみた。「君のような人たちにお聞きしたいくらいだよ」と言って、バファローズの手続きは正当であること、ホークスには重い道義的な責任があること、パウエル側に代理人が2人いて彼らに疎通がないこと、コミッショナーの裁定に日米の野球関係者が注目していること等々、滔々(とうとう)と語ってくれた。

2008年の12の? バファローズとホークス(その1)

2008-03-01 | プロ野球への独白
 9日のキッズな(絆)フェスタの後、10、11日はYBCの練習に明け暮れて、12日に宮崎へ飛び、3チームを巡回した。ライオンズ(南郷町)、ホークス(生目の杜)、ジャイアンツ(宮崎県営)である。
 ホークスでは、パウエル問題について王監督に単刀直入に質問してみた。いつも王さんは、触れてほしくないような問題でも率直に自分の心情を話してくれる(それはたぶん私に対してだけではないだろう)。前日の「パウエルはSBに決定!」という報道に、私は内心でいささか問題があると思ったので、敢えて尋ねてみたのである。
 王監督曰く「(パウエル投手の)出場停止期間が長すぎるよ。せめて開幕から1カ月だからな。あの江川でさえも1カ月だったからな」
 プロ野球界の大きな汚点である「空白の一日」を引き合いに出すのは王さんらしい。あの時、ダーティ一色だった江川投手を王さんは強く忌避し、チームの一員とは認めぬかのような言動が続いたとスポーツ紙などが報道した。
 ともあれ、小池パリーグ会長の裁定(3カ月)に対して不都合極まりないという不満の口調だった。エース斉藤投手の長期離脱が手痛いから、ガトームソン・ニコースキー以上の外国人投手の加入だけでも望外の喜びだろうが、それ以上を求めているようだ。
 王監督は、もともと組織運営という仕事に関心の薄い人である。だから、ホークス球団運営の実務にもほとんど関わっていないと思われる。ただ、GMという肩書きを持てば、他球団から見れば、運営実務のトップの1人としてパウエル獲得に積極的だとみなされても仕方がない。このままでは、王さんまでダーティに思われかねないのだ。

2008年の12の? ゴールデンイーグルス(その2)

2008-02-26 | プロ野球への独白
 不意に練習は室内に変わり、全員が移動。コーチ陣の動きや指示も慌しくなった。今年は吉田豊彦2軍投手コーチ、関川浩一打撃コーチなど、新任コーチも増えたが、一際、コーチらしくなったのが、1軍担当になった野村克則バッテリーコーチである。選手時代は、「ご両親は誰だ?」と記者たちが冗談を言うほどに、いつも笑みを浮かべ温厚で素直な性格から誰からも好感を持たれてきた。ところが、コーチ就任後は堂々かつ毅然、態度・風貌が変わった。取材する私への答えも、選手の見方に厳しさがある。
 昨年の後半戦、2軍コーチながら1軍の試合でベンチ入りしていた。私がCSフジの「プロ野球ニュース」のため、東北楽天のゲームをTVモニタで観ていたところ、ベンチ内が映し出された。
 なんと、克則コーチが岩隈投手の胸ぐらを掴んで怒っている! すぐに画面が切り替わったので、風聞に頼るしかなかったが、マスコミはオフレコの扱いに近く、真相は不明である。しかし、どうやらこうらしい。早い回にKOされた岩隈君が、ロッカールームから暫く出てこなかった。故障が回復してエースの座を奪回しなければならないのに、不甲斐ない結果になったのだから、ショックも大きかったのだろう。だが、どんな理由であろうと、選手は試合が終わるまではベンチで声援するのが日本のプロ野球では不文律である。それを克則コーチが身体で教えようとしたようだ。
 ここに今年の東北楽天のカギがある。子コーチが父監督の補佐をどのように行うのか、それを選手だけでなく、三村氏らの球団スタッフがどのように受けとめてどれだけ実行できるか。技術だけでなく精神を重要視する父監督の意図を読解することは、野村監督自身が考えておられるほど、簡単なことではないだろう。父子が2人だけの時、どのような指示と進言が交換されているのか、選手にはわからない。選手育成の達人であり、野村再生工場の名を恣にしている名将だが、まだコーチ育成の達人という称号をマスコミは与えていない。
 監督の本心は、克則氏には他球団でも他の監督の下でもコーチ業を学ばせたいに違いない。なぜなら、それならば色眼鏡で見られないからである。だが、それが実現しそうにないのが残念だろう。(監督は、私たちと話している時にも、頻繁にペットボトルに入れた薬草煎茶を飲用していた。チーム事情だけでなく、自身の身体のことも随分気づかわなければならないのである。私個人の望みだが、苦節を重ねている東北楽天が優勝して、野村監督が胴上げで宙に舞うのを見たいのだ。)
 やがて、小原格さんがジリジリしてきた。都合で13時40分の那覇行きフライトに乗らなければならないのである。だが、お目当ての長谷部君のピッチングの予定時間までまだ間がある。その時、野村監督がチラッと横目で見たような気がした。と、長谷部君が急に出てきた。評判どおりの即戦力左腕である。これは期待できる。
 というわけで、ギリギリに飛行機に飛び乗った一行は、ホッと安堵してシートに腰を沈めた瞬間、あれは野村監督の配慮ではなかったかと互いの眼を見合った。

2008年の12の? ゴールデンイーグルス(その1)

2008-02-26 | プロ野球への独白
 当初計画したキャンプ日程を、東中組の希望で石垣島(千葉ロッテ)から久米島に変更し、東北楽天キャンプへ向かうことになった。高田黄門様が野村監督に会いたいと印籠をちらつかせ、小原格さん(アマ野球など担当)も五輪予選メンバーの長谷部康平投手について記事にしないと首にすると脅すので、早朝7時45分のフライトを確保した。
 球場に解説者としては一番乗りし、一塁側ベンチに入っていくと、野村監督が練習を凝視している。挨拶を済ませると、いきなり「中田を見てきたか」と問いかけてきた。こちらが感想を述べると「ハムは梨田だな」と話題は捕手論に替わった。「うちにも元近鉄の捕手がいるけどな……」「おい、打撃には眼をつぶって、うちの嶋を育てる理由が分かるか」捕手は打撃よりもまずインサイドワークだとか、弱体投手陣には捕手のリードが最良の教育だとかいうノムさんの持論はわかっている。だが、こういう時は的を射た答えは避けたほうがいいと、取材陣は知っている。
 ノムさんならではの「口撃」的なグチは健在である。それが取材陣にはありがたい。ノムさんも十分にそれを知っている。そこに取材陣と監督との言葉のレースがある。野村監督はそのレースでは他の監督に常に圧勝している。連戦連勝、不敗の名監督である。
 選手たちが次のメニューへ移るためベンチ前を通る時、必ず我々に向かって帽子を取り、深々と頭を垂れて大声で「こんちわ!」と挨拶する。他チームにはない気持ちのいい礼儀である。野村監督曰く「礼儀がいいだって? 社会人として当たり前のことですよ」「うちの毎日のミーティングは教育と、プレーの理解だよ」
 今年からチーム編成部長に就任した三村敏之氏が、佐々岡氏と連れ立ってきた。広島時代の寡黙な人という印象と違って、高い声だが温和なトーンで、スーツ姿も決まっていた。彼を前にして「オレの後は三村や」「オレは最後の年だよ」と公言する野村監督。それまでは権限委譲の雰囲気など露ほども見せなかった方が、急にお年を召されたのかと言いたくなるよう感じだった。

2008年の12の? スワローズ(その2)

2008-02-25 | プロ野球への独白
 陸上グランドへ移っても、トレーニングコーチの下、佐藤君は2年目の増渕投手と組んでランニングメニューに汗だくであった。互いに刺激し合って向上心を維持させようという首脳陣の意図が垣間見える。
 もう一つの内野サブグランドでは高田新監督が自らノックバットを握っていた。想い出すのは、高田さんが日本ハム監督の時にフロリダにキャンプを張った際のことである。私は午前中に日ハムを取材をして、この機会にとばかり午後からはメジャーのキャンプ地に移動してしまった。そして、日本ハムを再度訪ねることをしなかった。高田監督はそれをしっかりと把握していたと思う。私は自分の怠慢を自省するしかなかった。
 それ以来のユニフォーム姿を拝見しながら、夕刻が迫ろうとするグランドでしばし特守の様子を注視した。私の目に映っているのは、丁寧に基本通りにゴロ捕球を指導する真摯な職人の姿である。練習スケジュールがすべて終わったので、高田監督に話しかけた。「監督の手作りのチームになりますね」すると、予想外の返事が返ってきた。「クラブチームは大変だろう。スポンサーはいるの?」私の地味な活動をご存知だとは思わなかったので、秘かな驚きを隠しながら答えた。「いろいろ親身に協力してくれる方々はいますが、スポンサーなしで何とかやっていますよ」プロ野球人から見れば、スポンサー無しで事を行うのは意想外なのである。高田監督の逆取材でかえって爽やかなすっきりした味わいの1日だった。
 さて、東京ヤクルトの「?」だが、この真摯な職人監督の姿勢が各選手にどこまで伝播(でんぱ)するかがカギだろう。やはり真摯だった若松監督の作ったチームカラーを古田監督が一新したが、プレーイングマネージャーという負担が重すぎて、戦績も観客動員も芳しくなかった。球団側はやはり地道で粘り強い求心力のあるリーダーを欲したのではないのだろうか。監督が黒子となって、監督よりも選手がファンを魅せるようなチーム、それが球団側の要求だとすれば、選手たちが高田監督の思いをそのまま受けとめて実戦に具現できるかどうか、それがカギだと思われる。

2008年の12の? スワローズ(その1)

2008-02-25 | プロ野球への独白
 注目されているルーキーは早く見たいもので、その一人は、東京ヤクルトの古田前監督が重複指名で引き当てた佐藤由規投手(仙台育英高)である。黄門様一行(前々記事を参照されたい)は、高田黄門様が運転する車に分乗して浦添に到着。夜来の雨もすっかり晴れ上がって南国特有の陽光が射している。地元の方に尋ねると「先月から天気が悪くてねー、久しぶりですよ」
 集まったファンは「今、佐藤君のグッズを買いました」、売店の方は「慶応から加藤君も入団しましたからね、グッズは良く売れてますよ」、さらに「グライシンガー、石井一久、ラミレスが去ってもいいんです。若手投手陣は粋がいいですからね」とやや悔しさをにじませて喋ってくれた。
 グランドではシートノックが行われていたが、小田義人スカウト部長(私と同期生である)が手を上げて招いてくれた。「谷沢!センターを守ってる56番の中尾と、ショートの46番鬼崎を見てくれよ。二人とも肩と足は一級品だ」小田氏の気持ちはよくわかる。この時期、スカウト陣は小田氏のように、雛鳥たちの飛び立ちを支える影の親となって、メディアにも売り込みをはかる。
 ブルペンでは捕手の後方からネット越しに観察できるのが解説者の特権。ひとしきり今季から解説者デビューの佐々岡氏と並んで、佐藤君のピッチングをPCライン(投-捕が一直線となる位置)から見つめた。夏の甲子園で155キロを記録したというので、荒削りな投手かと思っていたが、力任せにバランスを大きく崩すような癖はなく、意外と纏まっている。
 しかし、体型は骨太で尻も大きい。「佐々岡君、スライダーの切れがいいね」「いや、右肘が下がりますね。気をつけないと肘を痛めますよ」佐々岡氏はズバリと言った。早速、佐藤君にそれを聞いてみた。「はい、実は自分でも分かってます。今は、意識して8分位の力でストレートが投げれるようにしています」YBCの加藤副部長が本職の業務の一つとして、仙台育英高の教育顧問をしているだけに、私もなんとなく近しい感情が抱いており、この久方ぶりの大器には是非とも大成して欲しいと願っている。

2008年の12の? ファイターズ(その2)

2008-02-24 | プロ野球への独白
 中田君の打撃練習が終わると、北海道日本ハムの報道規制が緩やかなせいもあって、三塁側ベンチ内でインタビューや囲み取材があわただしく始まった。間もなく守備練習が始まり、3,4人のベテラン陣に混じってノックを受けだした。スタンドのファンの前でのノックとあって、真貴志コーチもことさら意識してなのか、中田君には優しい(かつ易しい)真正面のゴロ捕球が殆どだった。大事に育てようとしている首脳陣の期待の大きさが、その光景から読み取れる。
 梨田新監督の青写真は、かつての近鉄いてまえ打線のような、こせこせしない打線の形成にあるのかもしれないが、中田君をその一翼を担う打者に育てることを目指すのか、それとも一気に主軸にしようと意図しているのか。もしも18歳の4番打者が誕生すれば、高校中退で入団して2年目の土井正博氏を4番に起用した別当薫近鉄監督が思い浮かぶ。
 北海道日本ハムの堅い守備陣と投手陣には大きな穴がないだけに、今年のカギは打撃オーダーをめぐる新監督の采配にあるだろう。名将・西本監督の下でコンニャク打法を編み出した梨田監督だけに、日本シリーズで敗北したチームを引き継いで、チームカラーをどうするのか、ほとんど変えないのか、それとも徐々に塗り替えていくのか、(選手の気持ちを大事にする人柄からいって、一変・急変させることはないだろうが)興味深いところである。

2008年の12の? ファイターズ(その1)

2008-02-24 | プロ野球への独白
 キャンプ地巡回プランは1月20日頃には決定する。フジテレビの解説者は、原則として10泊11日の範囲内で各自が予定を組み、チケットの発注を行う。宮崎からスタートしようが沖縄からであろうが、それは解説者に一任される。各球団の休養日は異なるので空振りにならないよう、どの日にどのキャンプ地へ行くか、交通手段も考えてスケジュール表を空白なく埋めていくのは一苦労である。
 さらには東京中日スポーツとの契約もあるので、なるだけ同紙の担当記者と日程をすり合わせる必要がある。今回は最初の3日間、小原デスクと高田実彦氏(東中の火曜日「プラスワン」執筆)と3人行脚で巡ることになった。年齢順なら、高田氏が黄門様で、私と小原氏が助格である。
 注目度で言えば、まずはルーキー中田翔君を見なければならない。生憎の雨模様の中、グランドではフリーバッティングが行われていた。そろそろ順番が回ってきそうなのか、彼はバットを2本ぶら下げてゲージ後方に待機していた。「中田君!」と声を掛けると、一瞬キョトンとした表情を浮かべた。無理もない自分の事で精一杯なのだ。「体重は何キロあるの」「105キロです」「ベストは?」「98キロです」「7キロ減量は辛いなー」と言うと、舌をペロリとだしてニコッと笑った。
 ようやくゲージの中に入ると、オープンスタンスで構え、グリップの位置は低い。左足を上げると同時に右耳の付近までテークバックがとられ、バットが一閃すると、打球は左中間の芝生席まで飛んでいった。ボールが潰れて悲鳴をあげながら舞い上がるようだった。ヘッドスピードが速く、ヘッドの重さを利用して鞭の様に使えるハンドワークは一級品である。
 「打撃の師匠はいたの?」と聞くと、中田君曰く「特別教わったことはないです。参考にして取り入れた選手は4人程います」そのプレイヤーの名前はおよその検討はついた。
 バットを見せてもらうと、「ヘッドが効いているな」とすぐに感じる典型的な長距離打者のバットだった。私の問いに対する受け答えも明瞭で、報道もされていたヤンチャな印象の言動とは違って、かわいい18歳である。

2008年の12の? ドラゴンズ(その2)

2008-02-23 | プロ野球への独白
 ブルペンに行くと川上・朝倉・中田・小笠原の4投手が既に全力投球のピッチングである。山井投手も順調のようである。ただ左端で投球する岩瀬投手に何かしら覇気がないように感じられた。FA和田選手の人的保障(嫌な言い回しだ)で岡本投手が移籍したから、負担が増す懸念がある。どれだけ鈴木・平井両投手で1年支えられるかどうか、新星が2軍から現れるかが大きなカギになる。
 スポーツ紙の記者たちの言葉を借りれば陰の投手コーチだと言う杉下氏が、2年目の浅尾君にフォークを伝授する姿もあったし、イスラエル球界出身の2m超の長身ネルソン投手も剛球を投じていた。だが、ネルソン君は1軍枠に残れるレベルに達しているようには見えなかった。
 あるレギュラー格の選手が「うちの投手陣はマスコミが書くほど、そんなにいいですかね?」と私に聞いてきたが、「そりゃあ、外部への情報管理がこの上なく厳しいから、マスコミは他球団の10分の1の材料で書くしかないだろう。それは諸刃の剣だよね」マスメディアだって、各選手に被害が及ばないように努め、同時にプロ野球が盛り上がるように報道しているのである。
 というわけで、今年の中日ドラゴンズのカギを握るのは投手陣であり、各投手のモチベーションの維持が大きな課題だろう。森繁和コーチに課せられた任務は重い。ともあれ「秘」が「秘」であるうちは投手王国も安泰だろう。
 その「秘」と思われることの1つを敢えて言えば、例えばセパ交流戦の初年度に、なぜパの各チームに惨敗したか、そのために中日は失速したのだった。私はあれこれ考えて「落合野球の本質はデータ野球ではないのか、パのデータが不足していて指導陣の指示が的確でなかったのではないか」と思った。しかし、どうリサーチをかけてもその確証を得られなかったのでそのまま胸中に秘めておいた。その翌年、交流戦の戦い方は変わった。そして勝ち越した。その結果、リーグ戦2位で終えられた。このデータ野球では、捕手陣の頭脳と意志が勝敗のカギとなる。
 さて、26日から再度中日を取材して、3月2日の対日本ハムOP戦の中継解説に臨むつもりである。そこでカギの一端を話したい。