内部告白をすることは大変に勇気のいることである。自分の生活をなげうって暴露するわけだからリスクもある。彼らの人権はいろいろな意味で守らなければならない。しかし、その告白にきちんとした倫理があり、ゆるぎない正義が存在する場合に限る。歪んだ倫理観や私利私欲を絡めた内部告白は当然許されるべきではない。現在、日韓に横たわる慰安婦問題は、日本人が言いだした内部告白であり、メディアおよびその協力者も日本人である。それに追随した韓国政府が、今や世界のあちらこちらに慰安婦像なるものを建設するという暴挙を計画し、国連までを巻き込む騒ぎとなった。最初の嘘を潰さなかった一瞬のためらいが、すべてを決めたと言って過言ではない。
始まりは吉田清治という自称作家の作り話であった。1977年に「朝鮮人慰安婦と日本人」という本を書いた。この話が面白いと講演などに引っ張り出されることになる。彼はどんどん話を膨らませ、ついに1982年の大阪の市民集会で体験談として、韓国の済州島で若い女性を拉致して慰安婦にしたという話をした。これに飛びついたのが朝日新聞。翌日の新聞にでかでかとこの話を掲載。調子に乗った吉田は83年に「私の戦争犯罪」という本を出版する。これはドキュメンタリーとして登場したのだから始末が悪い。朝日新聞は強力にこの本をバックアップする。韓国は早速吉田を呼び、賞状を与えると同時に各地で謝罪講演を実行していく。すべてが事実であるかのように。しかし、韓国の済州島の郷土史研究家や新聞社が調査し、韓国人自らが吉田の本が事実無根であることを発表した。だがこうした事実は一瞬で消されたのである。
嘘をさらに増幅したのが91年8月11日の朝日大阪。「元朝鮮人慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」。記事を書いたのは植村隆という当時ソウルに在住していた朝日新聞記者。この記事の嘘が後に次々に明らかになるのだが、その前に協力者が現れる。いわゆる人権弁護士と呼ばれる日本人たちだ。彼らは元慰安婦を日本に連れて来てテレビに出演させる。強制連行の事実をねつ造していく。嘘はいつの間にか事実とすり変わっていくのである。村山談話や河野談話はこうした背景の中で出されている。
しかし、嘘は結局ばれる。まず吉田清治、あれはフィクションであることを告白している。しかし、テレビの前での証言は拒否したまま亡くなっている。植村の記事の嘘もすぐばれた。記事内で高らかにうたっていた女子挺身隊は1940年時代にはまだ存在しておらず、意味も全く違うものであった。彼は日本の正しい歴史も知らぬまま記事を書いていた。彼の記事の根拠だった「太平洋戦争犠牲者遺族会」の常任理事でありトップの座にいたのが、植村の妻の母(韓国人)であった。その義理の母がこの遺族会の金を持ち逃げして手配されたのである。すべて作られた話であることを自ら暴露したようなもの。植村の記事は母の組織を援助するための捏造でしかなかった。しかし、韓国人および政府はここまで来ても嘘を認めない。その理由の最大の根拠は河野談話にある。その談話でさえ今や談合の結果だと分かっていながら、嘘を言い続けている。もはや結論が出ている話なのだが、あの朝日新聞までもがいまだ嘘を認めようとしていない。しかし、事実はこれからも次々に明らかになることは間違いない。すべてが歴史が証明していくことになるだろう。
植村記者は現在どうしているかと言うと、不明なのだ。朝日新聞を退社した後、函館のある大学の講師をしていたとか。この4月から関西のある大学の教壇に立つ予定であったが、ネットでそのことが知られ、大学に大ブーイングが殺到。恐れをなした大学が講師就任を取りやめるという事態となった。その後の行方がしれない。個人の人権に関わることだが、彼に正義があるなら堂々とテレビに出て自説の正しさを述べればいい。それができないということは自分に正義がないからなのだということになる。自分が正しいと思えば逃げる必要もないはずだ。朝日新聞も吉田清治を起点とする誤報を早く認めるべき。いまだそれもせず、強制連行には触れず広い意味で政府の関与があったなどと、話を横道にそらす工夫までし始めた。世論は離れるばかりだと思うのだが。たしかに今植村がでてきたり、河野談話が覆され、すべてがあからさまになったなら、朝日には決定的なダメージとなる。哀しい話であるが、社運をかける内容が違っていたとしか言いようがない。
残念ながら、典型的なねつ造のパターンをこの話で見えてくる。まず被害者となるべき人がいる(1)。それが生まれた背景など関係なく、そこに権力の関与があったと告発する者が登場(2)。それをとりあげるメディア(3)、そしてそれを利用する協力者(支援者)の登場(4)。世論操作や捏造の四点セットである。これがそろうとすべて捏造というわけではないが、基本に倫理観の欠如や正義がないというのが共通項となる。
勘のいい人は気づいていると思う。今年6月の財界さっぽろの記事とそれに続く動きは、スケールは一段と小さいが、四点セットが用意されていた。しかし、最初から嘘が見ており、しかもどこから見ても倫理観に欠けていた。正義ぶってはいるがそれがまともに見えない。本が発売される4、5日前から、記事が出るぞとはしゃいでいた人がいたらしい。たぶんゲラ刷りでも先に手にしたのであろう。本当に正義のある告発者なら、こんなはしゃぎ方はしない。やはり人間性に疑問を持たざるを得ない。町民は彼らが思うほど愚かではないということに気づかなかったようだ。
気になるのは、こうした問題のきっかけとなる犠牲者というか被害者がいるということ。こうした人たちを利用する人間がいるということがさらに問題を大きくする。本当はこういう人たちこそ糾弾されてしかるべきなのだ。
慰安婦問題に関して言えば、その肝心なところに人権派の弁護士がいたということ。この事件の不幸の深さがここにある。韓国はいま懸命に各地に慰安婦像を立てる計画をしているらしい。たぶんそのうちの幾つかは建立されるだろう。だがいずれそれは嘘の記念碑と変わる。恥を世界中に残すことになる。彼らはそこに気づいていない。
それにしても闇は深いですねぇ。朴槿恵大統領が従軍慰安婦問題で、
日本たたきに躍起となってる膝元で米軍慰安婦問題が出てきましたね。
政権は、それはそれ、これはこれ、と問題を切り離すんでしょうけど、
そうはいかないでしょうね。銅像どころの話じゃありませんもんね。
従軍慰安婦問題に関していえば、捏造とはこういうものなんだ、
と言うことの典型みたいですね。オーム真理教の信者獲得を
思いだします。
ところで、gsan,私のことをご存じのようで。ま、どうでもいいですけど。