原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

落葉、枝に返らず

2009年11月27日 09時16分13秒 | 自然/動植物
先日、川のシンポジウムに出席した。テーマは「森と海をつなぐ川の環境をどう守るか」。京都大学フィールド科学教育センターと標茶町、厚岸町が共催したものである。貴重な話がたくさん聞けた中で、特に重く残った言葉があった。北海道大学の中村太士教授の話である。「環境を保全するために多くの修復工事が実施されている。これは無駄なことではないが、一度壊れた自然は決して元に戻ることはない。破壊の速度を緩める効果しかない」


直線化した川を再工事によって蛇行するように戻しても、砂防ダムを自然に近い形に修復しても、自然は元通りにはならない。破壊進行がストップして、わずかに戻る効果があるにすぎない。まして、前より(元より)良くなるというのは幻想にすぎない、とも、中村教授は語っていた。修復工事より、まず自然を破壊することをやめなければ、何の意味もないということなのである。
釧路川は一級河川である。国土交通省がすべてを仕切る。湿原を走る釧路川を蛇行に戻す工事がいま進められている。かつて直線工事に拍車をかけた省が、今度は蛇行するために工事を進める。これも公共事業なのである。なにか虚しい。こうした愚行は数限りなく、日本では行われている。そのことが自然の生態系にどれほど影響したというのか。湿原の舞姫、タンチョウもこうした被害者の一部なのである。


タンチョウはほんの少し前の江戸時代まで、日本のどこでも見ることができる野鳥であった。夏季に北海道で子供を育て、冬季に南部の日本で越冬する渡り鳥であった。江戸時代には、田園でくつろぐタンチョウの姿が日本中で描かれ、今も残っている。当時のタンチョウはすでに保護鳥であった。というのは、北海道以外で生息するタンチョウの多くは、将軍の狩猟地に飛来していた。そのためタンチョウは将軍だけが狩りをしてよい鳥に指定されていたのである。将軍はこの鳥を食していたらしい。タンチョウ肉の塩漬けはとくに知られている。
水田でのんびり餌を啄ばむタンチョウが当時たくさん描かれていた理由はこれであった。人をまったく恐れない鳥となっていた。江戸幕府が倒れ、明治時代となる。将軍専用のルールがまず破られる。人を恐れぬタンチョウは捕獲の絶好の対象となった。しかも殖産興業政策は日本中を開発の嵐に巻き込む。タンチョウの環境は激変していった。わずか三十年少々でタンチョウは絶滅種となるのである。明治の末期にはその姿の確認さえできなくなっていた。
湿原の片隅で十数羽のタンチョウが発見されたのは大正に入ってから。以後、道民の手厚い保護で、その数は現在一千羽近くまで増加している。しかし、かつての渡り鳥は留鳥となり、日本各地に飛来することはない。確かにその数は増えているが、渡り鳥の習性までは復活してはいない。復活の可能性は限りなく無い。

中村教授の、一度破壊された自然は元に戻らないという言葉が、心に痛く、響く。

*蛇足:「落花枝に返らず」が正しい。花を葉に変えた。本来は男女の仲を語ることわざであるから。

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2 コメント

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いろいろやってますね。 (numapy)
2009-11-27 11:51:12
釧路湿原を上空から見た時吃驚したのが別保水門から先の一直線の釧路川。
効率のみを追い求めてきた傷跡であります。
さて、日本に限らず世界でも同じことをやってないか?
一旦懲りたのに、また金融界がゾンビのように息を吹き返しつつあります。
きっと目の前の利益だけ追っかける生物なんでしょうね、人間は。エゾシカとなんも変わらない。
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公共事業からの脱却こそ、未来です (原野人)
2009-11-27 13:27:45
いま、仕分けが話題ですが、根本的な問題が地方にもありますね。公共事業依存体質です。明治時代から続いた遺産なのでしょうか。がちがちにこり固まっている感さえあります。
未来のために、やるべきことは多いです。環境破壊を本当にストップするためには、人類が死滅するしかないのかも。そんな気分になるほどです。あきらめるわけにはいかないですが。
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