原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

華の顔

2010年08月10日 10時12分37秒 | 自然/動植物
小清水にある原生花園は、北の海岸を彩る花の観賞地として人気の場所。濤沸湖周辺を含め、遠くから原生花園を見ると、ただの緑の野にしか見えない。が、近づくとその中に様々な花があることに気づかされる。花々はそれぞれに独特の姿、色をもち、自分を主張していた。人間のために、彼らがこのようにあでやかな姿をしているわけではない。彼らは子孫を残すために自分の姿を華やかに彩る。この自然のお裾分けを授かって、人は心を癒す。

自然の造形は人間が想像する世界をはるかに超えたところにある。花々の顔や姿などその典型かもしれない。どうしたらこのような姿が生まれるのか、人智が及ぶところではないにもかかわらず、つい考えてしまう。これが人間の愚かさなのか。
及ばぬことと知りながら、拙い頭が思考する。花は自らの力で他へ移動できない。子孫を残すための行為も他力本願となる。蝶や蜂などの力を借りなければならない。そのために、彼らは個性的な装いで主張する。「私はここにいますと」。色とりどりの花弁。目を引く不思議な形の花弁。それらはみな、自分の存在のためのアピールとなる。
空を飛び跳ねる虫たちはその姿を見て引き寄せられる。そして人もまた同様の目でその姿を見る。
そこに一つの結論が導き出される。つまり虫たちも人間も同じ姿に引き寄せられる。昆虫の感性と人間の感性が同じ、ということになる。行動も生き方も全く違う種が、同じ感性の中で行動していた。

(ハマエンドウ)

ちょっと微妙だが、人間ってそんなものなのだと思うところからスタートすると、もう少し賢くなれるような気がする。昆虫のための開発が人間を喜ばせることもあるということ。自然のための開発もありうるのでは。開発という言葉はある意味『悪』の代名詞のように聞こえるが、考え方や使い方によっては良いこともあるということなのだ。

(ハマフウロ)

この原生花園では平成元年から野焼きが計画的に実行されている。野焼きというのは弥生時代から行っているきわめて原始的な開発方法である。人類の環境破壊は田畑を作り始め、野焼きを始めたところからスタートしているとよく言われる。だがここでは原生花園を復活するために野焼きを始めたのである。
昭和50年ころから、原生花園の衰退が始まっていた。ダニの発生や帰化植物の進出が原因で海岸草原植物群落としての文化的学術的な価値が低下していた。
衰退と荒廃を防ぎ、再生を目指して計画的な野焼きが実行されたのが平成元年。これが害物の除去と土地に豊かな栄養をもたらした。群落の復活、ハマナスの若返り、花色の濃化など、再生への道を歩み出したのであった。

(ハマナス)

自然界ではよく火事が起きる。これは自然再生には重要な要素となる。森林火災は悪いことばかりではない。うっそうと生い茂った森林は大地まで太陽の光が届かない。ところが火災により大木が倒れ大地まで陽光が届く。これにより新しい生命の誕生を可能とする。自然界はこうして再生していく。人間は自然から学ぶことにより、知恵を身につけた。
異常気象が続く中でロシアでは山火事被害が拡大、モスクワ近郊まで影響されているという。再生への大きなきっかけと思えば、少しは救われるのでは。ロシアの知性が試される。

原生花園の花を観賞しながら、こんなことを考えていた。
(巻頭の花はエゾカワラナデシコ)

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2 コメント

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ハマの花 (numapy)
2010-08-10 14:01:56
掲載された花の写真、みんな「ハマ」がつきますね。
やはり道東は、太平洋海岸の影響が強いのでしょうか、歴史がそう命名させたのでしょうか?
興味深い。

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ハマつく花、多いです (原野人)
2010-08-11 08:10:00
ハマヒルガオもありました。なんでもハマをつける感じです。ハマフウロも本来はエゾフウロです。海岸に近いからそうしたのでは。あまり深い意味はないと思います。
ちなみに小清水は太平洋側ではなく、オホーツク海に面しておます。
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