原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

北の国よ、どこへ行こうというのだ?

2010年04月09日 10時40分22秒 | ニュース/出来事
北の国と言っても富良野のことではない。朝鮮半島の北の国のことだ。4月4日に元朝鮮労働党書記のファン・ジャンイプ氏が来日(米国からの帰り道)。8日に亡命先の韓国へ帰国(?)した。その間、中井拉致問題担当相や拉致被害家族と面談をしている。ファン氏は被害家族との面談も渋々、拉致問題に触れたくない様子であった。それはアメリカでの発言に表われていた。彼のメンタリティーに大いなる疑問を感じてならない。

日本における発言とアメリカでの発言に差があるのは、明らかに彼の中に差別意識があるからだ。アメリカでは「拉致問題は知っていたが関与はしていない。だが拉致問題は大きな問題ではない。日本が戦争時代に行った行為に比べれば、ささいな問題だ」と発言している。日本ではさすがこうした発言はしないが、このことを問題にした新聞やテレビはなかったのが残念に思う。
昔からこの人物に違和感を覚えていたが、この発言は極めて深刻に思う。いまだ彼らの心の中に戦争時代の恨み辛みが積み重なって残っていることが怖い。反日教育によって構築された、ぬぐい去れない感情に思うからだ。日本人には何をしてもいいという感情が彼らにあるようだ。どんなひどいことをしても許されると言う思想が見える。この思想があの半島全体に蔓延している。恐ろしいというより悲惨に感じる。
言うまでもないが、戦争時代の日本は悪だと、日本の左翼はもちろん、半島も大陸も叫び続けている。歴史認識など関係なく、そこから出発した方が彼らは心地よいから。だが、そこから何が生まれると言うのだろう。「昔、お前の親父に殴られたから、息子のお前を殴ってもいいのだ」と言う子どものけんかではないか。全く次元の違う話を結びつけて正当化している。この点では金正日もファン氏も同じ意見に違いない。

(国境の町は中国では観光地となっている。ここで記念写真をとるための標識。一見すると石碑に見えるが発泡スチロール製のもの。中国らしい。ここから北朝鮮を川から見学する船も出ている)

もともとファン・ジャンイプと言う人物は、北朝鮮と言う国を形作った一人。金日成に可愛がられ、金日成総合大学の総長から朝鮮労働党の幹部にまで出世する。なんといっても特筆されるのは北朝鮮の国家思想である主体思想(チュチェ)の創始者でもあることだ。金日成のゴーストライターであったのである。
金正日に政権が移譲した後は彼の後見人となっていた。拉致事件は金日成の時代から起きていたから、ファン氏の関与はなくても当然知っていたし、その全貌は熟知していたはず。それでも彼は日本人に対する罪の意識は全くなかったであろう。その認識はアメリカでの発言で明快になった。
こうした思想の国とまともに交渉するのはまさに至難だ。拉致問題の解決は夢のまた夢に感じてしまう。人権派はそれでも北朝鮮に援助せよと叫ぶのだろうか。
やはり解決には金帝国の崩壊しか道はない。その意味ではファン氏が目指している方向と一致する。しかし、彼を見ていると金帝国が崩壊しても、日本の味方になることは考えられない。

(網で魚をとる市民。対岸には北朝鮮の工場が見える。高い煙突から煙が上がることはめったにないという。燃料不足の影響である)

ファン氏には主体思想を作り上げた反省の弁などないだろうし、北朝鮮の人民をここまで追い詰めた責任をどこまで感じているのか疑問に思う。責任はたしかに金一族にあるが、それを支え、増長させた最大の功労者こそファン氏であった。それを反省していたなら、アメリカでのあの発言は絶対にない。この人物が信用できないのはこうした考え方や自分勝手な思想を感じるからだ。心のどこかで、北朝鮮がこうなったのは日本のせいだと思っているのではないのだろうか。そんな不快な感情さえ湧いてくる。

ファン氏が北朝鮮から亡命したのは1997年のことであった。亡命した理由については謎が多い。権力争いに敗れたのか、金生日に嫌われたのか、分からない。悪の社会にいる自分に目覚めて、国民の解放のために脱北したのではないことはたしかであろう。ありていにいえば、自分の保身のための行動であったということだ。

(滔々と流れる鴨緑江。左が北朝鮮、右が中国)

それにしても北朝鮮と言う国はどこへ行こうとしているのだろうか。行く先の見えない果てしない航海に出かけてしまった幽霊船に見える。いずれ中国に取り込まれて一件落着なのだろうが、それを食い止める力は韓国にもアメリカにもないように思える。ましてや日本は傍観者でいるしかない。それでも金一族がいなくなれば、拉致被害者は全員救出できることは確かだ。
ファン氏の来日は虚しさだけを残して終わった。

*巻頭の写真は国境の安東(現丹東)市から見た北朝鮮の新義州の街。中央を流れるのが鴨緑江。右の橋は日本時代に完成したもの。半島から満州までつないだ鉄道であった。朝鮮戦争の時、空爆を受けて途中で切れた状態となっている。左側は中国が建設したもの。中国からの物資はこの鉄道で運ばれている。

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2 コメント

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迷宮! (numapy)
2010-04-09 13:36:57
まさにどこがどうなってるか分からない国ですね。
まぁ、ハッキリしてるのは現体制を何が何でも維持する、と言うことだけですが、国民は動けない!
教育の恐ろしさを感じます。
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まったく、です。 (原野人)
2010-04-09 13:51:44
拉致被害家族の方たちも高齢になっています。彼らが元気なうちに救出することができるのか、日本政府は打つ手がないのか。なんとも虚しいですね。
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