お風呂場の換気扇掃除

2009-05-31 23:32:57 | Weblog
 日曜の夜に限ってはからずも掃除する羽目になってしまうシリーズ(もはやシリーズだ)、今日はお風呂場の換気扇。
 洗剤を吹き付けて流した後、天井から拭いていた時、いつもと反対の方向に換気扇のカバーを回したら、あらら外れてしまった。カバーに黒いほこりがついていたのはティッシュでぬぐって、ふと見上げると羽(というか筒全体が回るタイプなので羽はないのだが)に埃が山盛り。見てしまったら掃除せざるを得ない。このまま蓋をして、時間のある時にという発想も頭をかすめたが、掃除にはついでが信条の私にはその選択肢は滅多にない。それでも使い古しの歯ブラシでごしごしこすって埃を取り除き、カバーも簡単に拭いて取り付けるだけなんだけど。
 払い落とした埃は今洗ったばかりの浴槽に落ちている。シャワーで流して排水溝でまとめて取ろうとして、排水溝の蓋をあけると、水を吸った埃ってまっくろクロスケなんですね! 初めて知りました★ちょっと見とれちゃったよ。
 まっくろクロスケを取りながら排水溝の網も掃除して、今週のはからずも掃除する羽目になってしまったシリーズは完了。まっくろクロスケは煤も含んでいるらしかったが、やっぱり煙突には煤だから? でもこれ煙突じゃないよ? 似たようなモノなのかな??

テキストのことばを書き出す作業

2009-05-31 14:24:24 | Weblog
 毎朝、デボーションといって聖書のことばを読み、解説を読み、祈る時間をもっている。目が覚めて窓を開けて空気を入れ換えたらすぐにテキストを開く。朝一番のまっしろな頭の状態で神さまの前に出て静まりたいから。聖書の真理と信仰者の先人の解説のことばに時に励まされ、喝を入れられ、周囲を見回し、道を見いだす。
 そういう時間は毎日必要だが、目覚めてすぐの難点は、頭がぼーっとしていることが多いこと。心に響くことばはあるけれど、さらに体中が目覚めてなおかつ静まった状態で思い巡らすと、こぼれていた一言や見落としていた恵みの数々にはっとさせられることがなんと多いことか。最近は、そういう恵みの落ち穂がもったいなくて、日曜の昼間に改めてテキストを開き、読み直してことばを書き出している時間をもつようにしている。
 毎日のテキストを続けて読むことで一つのテーマが見えてくることもあるし、一つのテーマが次につながっていくことを確認できることもある。何より、もう一度なぞることでことばがしっかりと入って来て響いてくる度合いがまったく違う。拾った落ち穂は電車や雑踏の中でもよみがえってきて思い巡らしの時を与えてくれ、困難に直面している時に浮かび上がってくる。そして何より、神さまとの関係が立体的になり、奥行きが出てくる。神さまが日常の些細なことに関心をもっていてくださることがわかるし、私の全体をご存知でその時々に応じて的確なアタックをくださっていることも客観的に発見できる。神さまとの日常レベルの強いつながりを感じさせてくれるこの作業の時間が大好きだし、不可欠なものになっている。

渋谷でザブングル加藤さん

2009-05-31 02:19:26 | Weblog
 深夜勤務に向かう金曜日の夕方、銀座線のホームでザブングルの加藤さんに会った。
 発車間際で人のいないホームで、三回目が合って、見れば見るほどテレビで見るままなので(失礼!)、なんだか可笑しくなってしまった。
 今年になってお笑い芸人さん見たの、二人目。その前にもまちゃまちゃを中央線で見たり、鈴木京香のドラマの撮影を見たり、けっこう見ているほう? 年内にもう一人くらい見かけそう。

発想が換わる

2009-05-31 02:06:42 | Weblog
 今、新しい環境の中で、手探りしながら課題に取り組む。時には前向きに捉えて、一歩踏み出してみるくらいの元気がある。話しながら、自分でもそれを感じていたら、友だちがこう言った。
 「古いメールを整理してたら汀ちゃんのが出て来たんだけど、それを見ると以前はやっぱりネガティブというか後ろ向きだったね」(やや意訳)。
 そうなのよ。今なら自分でもそれがわかる。姿勢が悪くなったからいつのまにかサイズが合わなくなっていたのか、合わないものを無理矢理着ていたら姿勢が悪くなったのか、そのうちメンタル面に多大な影響を与えていたらしく。メンタル面がそうだから服も合わなくなったのか、どちらが最初だったのかはわからない。でも、悪循環はぐるぐると両方を巻き込んで、悪い影響を生み続けていたみたい。
 今、そのらせんから解き放たれているからこそ、前向きに受け止められるようになったことに自分でも気がついた。そのために必要だった、あのこと、あの時間、なのかなあ。

ごはん食べて来た

2009-05-31 01:57:43 | Weblog
 恵比寿で待ち合わせ、コナもの委員長推薦のスイーツ屋さんへ直行。こじんまりとしてどこか懐かしい店内(あれはお店だったのだろうか? と今は思う……)で、抹茶のチーズケーキや豆乳プリン、スコーンに舌鼓。おススメのカリッとしたスコーンはなかなか秀逸☆なんだか女子のツボをじわじわと押された気分。た、楽しい!
 続いておそばと京おでんのお店へ。三種のスイーツでけっこう満腹になっていたので、サラダやおでんをゆっくりいただきながら近況報告、信仰のこと、メンタルなこと、ラブの話で話題は尽きない。じっくりとゆったりといろいろなことをシェアして、久しぶりに「食事っておいしくて豊かな会話があってこそだよね」のごはんを堪能。そして、今やサービスする側となった私は、ひそかにそっちの観察&勉強も抜け目なくさせていただいた(意識するようになって見ると、見方と見るポイントが変わるのね)。
 一人一人を取り巻く環境は違うし、感性も違うし、考えていることももてる賜物も違う。一人一人がそれぞれの天路歴程を一人で歩いている(はず)。コースも違うし、速度も違うけど、共に自分の行程を行くものとして、励まし合って、お互いをやさしい目で眺めることができたら、この上ない同行者だよね。