産業再生機構の支援を受け、カネボウが化粧品部門を分離して設立した新会社の社長兼COO(最高執行責任者)に、知識賢治氏(41歳)が就任した。そのニュースを聞いた時、知識さんって、どんな人なんだろうと思った。やっかみで運がよかったのだろうか、とも思っていた。ところが、次の記事を読んで、自分の浅はかさを知った。
1985年、同志社大学法学部を卒業、鐘紡(現カネボウ)に入社。化粧品販売会社で営業を担当した。20代後半までは目立った存在ではなく「目標も持たず、日々仕事に追われていた」と述懐する。
転機は本社の化粧品マーケティング統括部への異動だった。「同僚が話す企業会計や経営戦略の用語が理解できなかった。自分は今まで何をしてきたのかと愕然とした」。このままでは将来が危ういと感じ、自己改革を決意。まず「40歳で社長になる」という目標を立てた。子会社トップや独立して起業できる人材になろうと考えたのだ。
1年ごとに身につけるべき能力を設定し、半年ごとに達成すべきスキルアップの目標を定めた。そして、40歳までの残り日数を逆算する時計を家庭と会社の机に置き、常に計画遂行を意識する“自己管理体制”を築いた。
身銭を切ってビジネススクールに通い、能力の高い同世代のビジネスマンたちとレベルの高い議論を繰り広げた。「自分の甘さを痛感した」知識氏は以後、無駄な飲み会や残業と決別。上司や同僚に「つき合いが悪い」と揶揄されながらも、自己研鑽に励んだ。
(日経ビジネスアソシエから転載)
社長になるまでのキャリアパスをしっかり描いて、猛然と勉強したそうだ。そこには運よりもっとすごい力強さを感じる。偉くなった人をみると自分とは違うのだと無視しがちだが、知識さんの場合、普通の人が一生懸命やれば社長になれるんだと励みになる。