やる気をだすセリフ

落ち込んだ自分を奮い立たせる、気に入ったフレーズを集めます。
言葉には力があるからです。

これでいいのだ。

2004-12-24 13:24:45 | Weblog
赤松漫画の「天才バカボン」のバカボンのパパのセリフです。

ギャグ漫画の主人公のセリフながら、どんなときにも自分を肯定するための言葉としていい。

赤塚不二夫さんは「これでいいのだ!!」という言葉は黒沢明監督の映画「どん底」を見ていてひらめいたそうだ。

「登場人物の1人にハゲで太っている藤田山(ふじたやま)って元力士が出てきてさ、いかにも頭が弱そうなわけ。ところが、そんな彼がひと言、『夜は寝るのだ。夜は寝るだ』ってセリフを言ったんだな」

どうして赤塚さんが、そのことばにハッと思ったか。「利口な人間が『夜も遅くなると、起きていては健康に悪いから』とかクドクド理屈を並べるより、バカが『夜は寝るのだ』と断言するほうが、ずっと単刀直入に読者心理を突ける」

71年に「天才バカボン」がテレビ放送され、爆発的に広がった。ちなみに「バカボン」は英語の放浪者を意味するバガボンド(vagabond)からきている。

天才バカボンのパパには有名な決めゼリフが他にもある。

「賛成の反対なのだ」(賛成でも反対でもない、混沌(こんとん)とした状態。賛成に反対する、反対に賛成するという自分を「無」にする境地でもある。また、どちらでもいいとき、自分がなにも考えていないときに、まず口にすると効果的)

「ヤッホー アッホー」(山に登ったとき、日ごろのうっぷんを晴らすために、大声でさけぶ。ただ、やまびこに「アッホー」とやり返されることもある)

「ふしぎだが本当なのだ」(あり得ないようなことでも世の中では起きることがあるという意味。予想をはるかに超えた事実、信じたくない出来事が起こったときにつぶやくと、ある程度あきらめがつく。落ち込んでいるひとには最高の励ましのことばとなることもあるが、相手が激怒し、殴られたり友情が一気に崩壊したりすることもあるので注意)

「忘れようと思っても思い出せないのだ」(あるひとつの出来事を忘れようと思っても、あまりにささいなことすぎて、なにを忘れようと思ったのか、皆目わからないときに使う。人生、そんなことばかりなのだ)

「都の西北、早稲田のとなりー、バカだ、バカだ」(ご存じ、パパが首席で卒業した「バカ田大学」校歌の冒頭。ただし、2番の歌詞を知っているひとは赤塚さんをふくめてほとんどいない)

http://be.asahi.com/20040117/W21/7002.htmlより
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僕らはみんな生きている

2004-12-23 13:53:53 | Weblog
『手のひらに太陽を』の歌詞の冒頭です。アンパンマンの生みの親「やなせたかし」さんの作詞です。
 
 僕らはみんな生きている 生きているから歌うんだ
 僕らはみんな生きている 生きているから悲しんだ

この歌詞についてやなせさんは、次のように語っています。 
「この歌では、生きているから悲しんだ という詩が最初に出てきます。普通ならここは、生きているからうれしんだ。そうでなければ、楽しんだという言葉になるところです。なぜ、悲しいが最初に出てきたかというと、これは涙を流す悲哀の悲しみじゃなくて、生きているからには、実にいろんな事がある。面白いことばっかりじゃない。しかし、それこそが生きているという実感なんだ。たとえば蜂に刺されてアイテテというのも、生きているという意味を含めたつもりなんです。」 

さて、私達が実感する、しないに関わらず、私は今ここに生きています。そして誰もが、出来れば楽しいことや面白いこと、嬉しいことに満ちた毎日でありたいと願っています。しかし、実際にはそう簡単にはいきません。いやなこと、悲しいこともあります。しかし、生きているということはそれだけですばらしいことです。感謝なことです。
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塞翁が馬

2004-12-21 04:11:16 | Weblog
災いがいつ福に転じるか、福がいつ災いのもとになるか分からないから、災いも悲しむにあたらず福も喜ぶにあたらないということです。

ものごとは考え方ひとつで、どうにでも考えられるということでしょう。だったら、自分が生きやすいように考えることは大切なことです。

次の故事に由来します。

昔中国の北辺の砦に住む老人の馬が敵地に逃げた。気の毒がる人々に老人は、「どうしてこれが幸いとならないことがあるでしょうか。」と言った。逃げた馬は立派な馬をつれて帰ってきた。祝う人々に老人は、「どうしてこれが災いとならないことがあるでしょうか。」と言った。馬はやがて子馬を生み、この馬から落ちた老人の子供は足が不自由となった。老人はまた「どうしてこれが幸いとならないことがあるでしょうか。」と言った。その後ね敵の侵略があった。健康な若者たちは戦い、大半が死んだが、老人の子供は足が不自由だったために助かった。

「へそまがり、あまのじゃく」といってしまえば、それまでですが、細かいことに一喜一憂しないゆだねる大器な人間になれる気がします。
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たかが人生じゃない。

2004-12-17 22:37:11 | Weblog
高柳和江先生の著書「生き方のコツ」にありました。放送大学で、ユニークな講義をする先生だなと興味を持ちました。女医さんです。患者よもっと賢くなれと、訴えている先生です。
「死に方のコツ」をテーマの講師で人気があるそうです。

自分は、自分であって、自分ではない。自分がこの世に存在するのは、自分の力ではない。そんなどうすることもできない力に自分をゆだねるしかない。

生きとし生けるものは必ず死ぬ。与えられた時間を淡々と生きるしかない。
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勝つ、勝つ、勝つ、勝つ、絶対に勝つ

2004-12-03 11:45:00 | Weblog
「勝つ」と唱えていると、元気が湧いてきます。
調子をつけて呟いてください。

昨今の若者は人と競争することを避けるようです。それは、詰め込み教育で弊害があるといわれた時代の反動で、ゆとり教育を推進した学校教育の影響でしょう。
しかし、公明正大な競争は、人間を向上させる力です。

ライバルに勝つ。自分に克つ。喝をいれる。ほっておくと、人は低きに流されるものです。

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