遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

風生忌

2020-02-22 16:23:20 | 日記

令和2年2月22日(土)

風生忌 : 艸魚忌(そうぎょき)

若葉を見る風生

今日は俳人「富安風生の忌日」である。

富安風生、本名:謙次(1885年~1979年)

明治18年4月16日、愛知県八名郡金沢村

(現一宮町)、豪農(名家)の富安家四男

として生まれた。

豊橋時習館中学(現時習館高校)から第一

高校、東京帝国大学法律科に学ぶ。

卒業(明治43年)と同時に逓信省管理局書記

官となる。 大正7年、福岡為替貯金支局長

として赴任の折、学友で在った高崎島城、岩田

紫雲の誘いで俳句へ、、高浜虚子の「ホトトギス」

へ投句するようになる。

その後本省に転勤、東大俳句会(草樹会)に参加

水原秋櫻子、高野素十、山口誓子、中村草田男等

と交遊。 大正15年、大臣官房文書課長となり、

池袋に移住。此処を遂の棲家とし「艸魚洞」と

称した。昭和3年、貯金局有志と「若葉」発足。

昭和4年、「ホトトギス」同人となる。

昭和11年逓信次官に任命さる。

この年「若葉100号記念俳句会」を催す。

昭和27年退官後、俳人に終始宣言。

昭和46年芸術院賞受賞、

昭和54年(1979年)2月22日逝去(94歳)

若葉を主宰された「冨安風生」氏の句風は、

軽妙、酒脱と言われ、恩師拝した高浜虚子は

「風生の句は中正、温雅でさらに穏健、妥当

な叙法」と評されている。

句碑、

 

私の句仲間(諸先輩方)には「若葉」同人の

方が多く見え、、、「富安風生」先生とは、

奇を衒(てら)わず、正統派としての矜持を

保ち、俳句を作り続けられ、俳句と実生活と

の融合が多くの人々へ影響を与えられた。

風生俳句365日、

句集、冬霞、

句集、松籟

 

晩年は、年老いた自分を見つめる様な句が

多くある。

「古希という春風にをう齢かな」

「いやなこといやで通して老いの春」

「生きることやうやう楽し老いの春」

 

富安風生辞世の句(昭和54年)

九十五齢とは後生極楽春の風

 

今日の1句(俳人の名句)

紅梅に佇ちて美し人の老い    富安 風生

艸魚句集より、昭和18年の鎌倉南圃園で催された

ホトトギス同人の集いでの句。虚子に同席して、

「先生の老いを見るとつくづく美しいと思う」



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