鯖雲がカーブミラーに獲れけり
10月11日。。今日は東日本大震災から7ヶ月目。避難者の大方は仮設説住宅に移転し、福島原発も一先ずの納まりを得たとは言えど、瓦礫の山は消えず、放射線物質の残留除去、人体残留調査など復旧状態は遅々の状態。過日の十三夜には”みちのくの空しみじみと後の月”と詠んで居た。鱗雲のめっきり増えた近頃の空である。
鯖雲がカーブミラーに獲れけり
10月11日。。今日は東日本大震災から7ヶ月目。避難者の大方は仮設説住宅に移転し、福島原発も一先ずの納まりを得たとは言えど、瓦礫の山は消えず、放射線物質の残留除去、人体残留調査など復旧状態は遅々の状態。過日の十三夜には”みちのくの空しみじみと後の月”と詠んで居た。鱗雲のめっきり増えた近頃の空である。
木犀のこじあけてくる香りかな
10月10日。。昨日は少々遠出したので寝つきが悪かったが、軒下を通過する十三夜の月を眺め、締め切った部屋に忍び込んだ木犀の香りに何時しか寝付いていた。それを思い出して庭先の木犀を観察したが、既に落花を初め峠を越えた香りであった。体育の日の今日は残香をかぎながら剪定をしよう。
秋空に復興託す龍勢祭
10月9日。。今日は秩父市の旧吉田町の「龍勢祭」を1等桟敷席で堪能した。龍名「天空華龍 深商二層樓熊谷会35 古希の舞」見物が本命であった。長さ15mの竹先に、火薬を詰めた松の筒を縛りたロケットである。いきがい大OB会仲間の友情見物というところか。口上担当のK氏の発声から打ち上げ完了まで見事に成功した。平常人口は6千人が10万人になるとの報道どおりの人出。折からの真夏日の会場は隙間無い混み様だったが久し振りの仲間との交流の1日でもあった。
生垣の吾を呼び止む烏瓜
10月8日。。3連休が始まった。好天気に恵まれて何処の校庭も公園からも元気良い声が飛び出して来る。こんな時は公園を使えない老人は気に掛かっていた秋植えの球根を配置するのが良い。居間から近い一隅には、植えたままで越年のもの・掘り上げておいたもの・買い足したものを試案史ながら植えつけた。今日の散歩路で防風林の如く高い生垣に色付き始めた烏瓜を見つけた。戯れに掌に載せて弾ませるとからからと乾いた音を立てる。蔓を引っ張ってみると天辺あたりのが反応した。
秋の田の父母に手を揚ぐ下校の子
10月7日。。すっかり衣替えしたばかりなのに真夏日が戻って当惑の日々。湿度も30%に下がると日向で体を動かしている身に微風が心地良い。垂れ下がるほどに稔る稲穂に、未だ青の葉と稔りきらない穂先が混ざる田んぼ。当地では早めの稲刈りが始まった。学校帰りの子と稲刈り中の両親が手で作った輪を交していた。近場の田から慌てて逃げ去った稲雀の群れが人影の無くなった田んぼ落穂漁りを始め出した。
柿くへば亡父(ちち)思ひ出す傘家の子
10月6日。。昨日から明け方に続いた雨が止んで曇天に変わった。間もなく晴れ上がり26℃まで上がるとの予報。そぼ濡れた柿がまだ少ない陽光に鈍く光っている。明治30年代生まれの父の職業は傘(番傘・蛇の目傘)職人だった。素材の柿や竹の買い付けから始める。傘の色合いや寿命を左右する渋作りには手間閑を惜しまなかったと記憶する。残りの柿は干し柿にしていた。時代は洋傘に進み傘家の子が洋傘を差し始めたのは小学校も高学年頃だったか?。スーパーで買ったデザートを食いながら思い出す昨日今日である。
そもそもと城史説き初む芒かな
10月5日。。今日は雨と聞いて、これが潮時と部屋替えや衣替えをした。快晴で湿度50%の絶好日だった。タンスやクロゼット内の眺めが変り秋へとスイッチが切り替る。芒は生えている場所に順応した佇まいを見せる。野原・寺・城跡などそこに居ると場所ごとの忘れていた由来や歴史を語りかけてくる。故郷からクラス会の連絡が来たが常連幹事の名前が一つ消えた。1昨年のクラス会後に城跡を散策した彼である。
木犀の待受画面三日かな
10月4日。。秋の彼岸を過ぎると金木犀が一斉に動き出す。橙黄色を極めるまでに4.5日。終日近在を芳香に包み込むのに3.4日と花の時期は短い。花時期が同じなのは関東地区に限らず、赴任地だった韓国の大丘までも同じで、パソコンやメールで時候挨拶に写真を交換している。散り際の風情はないので、我が家では落花の前日辺りに剪定を済ましのが慣例である。
単身の赴任地いくつ天の川
10月3日。。朝晩と昼の温度差が短まり、旭川の平地に初冠雪のニュースがあった。こうなると夜空の澄み方が一段と深まる。現役の頃、単身赴任の国内の各地で観た星。南国の土砂降りのように降り注いだ星。暫くぶりに晴れそうな今夜は家居の星が拝めそうだ。
体育の日の幾とせ同じプログラム
10月2日。。今日は当H地区市民体育祭だった。優勝は逃したが、幸いにも午前中の寒い曇天が、午後には晴れ間もある温い天気に恵まれた。八十路間際ながら、分館対抗種目の「ホールインー1」に出させてもらった。毎年の事ながら、所帯数や人口の多い分館と少ない分館が勝敗を競っている。少人員の分館は全員が頑張り、大人数の分館は感心度に劣る。人口数に関係なく、競技ごとの出場者数が同じ事や、競うことを好まない時代背景もある。4時過ぎには日暮れが始まる晩秋の1日であった。