84才男の明日を生きる挑戦記

84才直後、片手に余る持病の中の除癌は目下経過監視中。
4年後は米寿で五輪。酉年を期に臆せず気張らずの余生で在りたい。

四月尽

2011年04月30日 | Weblog

      国憂を花に紛らす四月尽

 4月30日。。昨日に続く好天気。今日も草花祭りに出かけるところ。昨日は城址公園を一一週してからオープンガーデンに向う。お目当ての一つは、ビッグタートル近くので茂木邸。今年も趣向を凝らしたお庭に話が弾む。隣の昌福寺の裏庭のツツジが今が盛り。午後は近所のオープンガーデンを訪ねた。仙台チームがJ1 サッカーとプロ野球の当地初戦の勝利に喜ぶ。夜は英国のロイヤル・ウエディンのライブショウ。国憂をしばし忘れた1日目だった。


昭和の日

2011年04月29日 | Weblog

     昭和の日二度目に挑む国興し

 4月29日。。昭和の日。1日の始まりに国旗を揚げる。東関東大震災発生から数えて50日目である。昭和1桁生まれには2つ目の国難復興の担い手にはなれないがそれなりの貢献を誓う。そのパワーを貰う為に、現地を思いやりながら、晩春の市の花行事に出かけよう。恒例の「ふかや花フェスタ&オープンガーデンフェスタ」と「ふかや緑の王国春まつり」である。今日は国内外に記念行事が多い。①英国のウイリアム王子とケイト嬢との結婚式 ②新幹線の九州ー青森間の開通 ③プロ野球「東北楽天」とサッカー「べカルタ仙台」の地元での開幕戦etc。我が家の庭からいざ!アウェイへ!


春嵐

2011年04月28日 | Weblog

     三速を五速に変へて入学す

 4月28日。。初夏陽気の今日である。「節電ビズ」の先取り日である。昨日の午後から今朝方までは春嵐に見舞われた。それでも夜半の雨で今朝方の空は抜けるような青空。正午前からは25℃を超えていた。将に初夏である。Gゴルフの後はシャワーをし半そででくつろいでいる。今年は震災対策も兼ねて、「クールビズ」から「節電ビズ」に変えるそうだ。。ノーネクタイからポロシャツ姿が役所で許されると言う。昨日宮城県の被災地をお見舞いされた両陛下に感謝。明日からGウイーク。29・30日の「深谷フラワーフェステ」と「緑の王国祭り」が待っている。 高校に進学した子が5段ギアの自転車で走りぬけた今朝であった。

 


春の昼

2011年04月27日 | Weblog

    春風にカンバス委す老らかな

 4月7日。。下り坂だと言うのに隣の前橋市は28℃の天気予報である。昨日午前、近くの別府沼公園の川べりにに街の画伯たちがいた。婦人達は長袖に顔を覆ういでたち。散策コース沿いの男性のカンバスを遠慮がてら覗いたら、いきがい大の同期生の一人だった。絵画クラブの面々との久し振りの遭遇であった。早速ブログの素材のスナップの許しを頂いた。


白鳥の北帰行

2011年04月26日 | Weblog

    地震(ない)津波怒る原子炉鳥雲に

 4月26日。。例年より遅れて、深谷市本田の荒川べりの白鳥が帰り始めたようだ。餌付けを止めて簡易デジカメラでは追いきれなくなっていた。無事に帰りついたら震災の悪しき風評を消して欲しい。庭のツツジが花を持ち始めた。花種による開花の遅速がある。定期的に取り込んでみよう。


満天星の花

2011年04月25日 | Weblog

   満天星(どうだん)の万客知らす億の鈴

 4月25日。。統一地方選挙が終り静かな日が戻る。新議員に託すのは国の復興を賭けた地方行政であり終の地の繁栄である。雪柳が散って目立つのがドウダンツツジ。何処の家でも玄関近くに丸く刈り込まれ静かな佇まいを醸している。


山吹

2011年04月24日 | Weblog

      市議選の路に濃かりし葉山吹

 4月24日。。雨の予報が外れて清清しい今朝である。今日は統一地方選の一つである市議選日である。投票所に向う道々には春光に輝く山吹があった。我が家にも秩父三峰神社境内外から庭師から頂いた1株がある。庭模様の移り変わりに耐えて燈籠を護るが如く咲き続けている。震災地の復興の根石になる地方行政。国運をかけた改革が必要な時代である。


桜しべ

2011年04月23日 | Weblog

     なけなしの桜蕊ふる荒野かな

 4月23日。?。未だ少しは残っている吉野桜の蕊(しべ)も今日の風雨で落ちつくすことだろう。ふと思出だす。  ”自衛隊に頼んで、瓦礫下から掘りだして貰った桜が2.3の花をつけたニュース”を…。 あれも震災地に明日にかける風雨に散り、一刷毛の蕊を大地残すことだろう。被災地でない当地は、今咲き誇る山桜に現地の復興の進行を祈る。


震災地の鯉幟

2011年04月22日 | Weblog

    瓦礫野を出でて風呑む鯉幟

 4月22日。。近所で揚げた鯉幟がはためいている。チョット前の、瓦礫下から堀り出し、洗い整えた対の鯉幟が震災後の空に翻っている写真記事を思い出した。この地は今、家族が見守る中でボランティも混ざる多勢で片づけが進んでいるとのこと。 毎日立ち寄っていた、暫く休んでいた回天生還の老兵のブログがあった。折りしも万象の甦る季節、全快を期待するコメントを送る。


老鶯

2011年04月21日 | Weblog

    老鶯のリズム崩せし句会かな

 4月21日。。暴れ原子炉を持て余している。安全策をとった政府は、20Km圏内に避難しながら3Km圏内に自宅を持つ希望住民の一時帰宅を発表した。厳重な被曝対策をして一軒辺り一人2時間以内にどれだけの品物を持ち出せるか当事者の思いは深刻である。このところ、短歌・俳句作品に震災・津波・原発事故の内容が多い。俗世を離れて鶯の谷渡りを聞きながらも、現地のことが気になって仕方が無いのだ。