2月尽く瓦礫の下に生死置き
2月28日。。久し振りの雨が冷たい。22日に発生したNZ地震救出作業は不明者発見継続とDNP照合などによる身元確認作業に移行しつつある。帰国者の家族と奇跡を現地で待つ家族。隣合せのの運と不運! メモ:①入試にネットでカンニング事件、京都大など。
②「市民ランナー」が東京マラソンで日本最高位の3位、世界選手権内定。22歳の埼玉県職員。明日から3月。何かいいことありそうな山野の動き!
2月尽く瓦礫の下に生死置き
2月28日。。久し振りの雨が冷たい。22日に発生したNZ地震救出作業は不明者発見継続とDNP照合などによる身元確認作業に移行しつつある。帰国者の家族と奇跡を現地で待つ家族。隣合せのの運と不運! メモ:①入試にネットでカンニング事件、京都大など。
②「市民ランナー」が東京マラソンで日本最高位の3位、世界選手権内定。22歳の埼玉県職員。明日から3月。何かいいことありそうな山野の動き!
道筋の透ける大林梅見茶屋
2月27日。ー。2月19日から20日に開催済みの「ふかや緑の王国 梅まつり」に行けなかったので行ってみる。親子連れを対象にした各種イベントも、開園早々で混雑も無く、木種によってはまだ蕾のものも多かった。観梅目的の我々には最高の観梅日となった。最盛期の長い梅だから、まだ1週間程度はよさそうだ。隣の花樹流通センターも整備されているので未知のお方にはお薦め場所である。 メモ:早期に予算通過を望む民意をよそに政権内の内輪も、政党間の潰しあいも深まるばかり。NZの地震災害復旧作業の朗報なし。迫る衆院戦の前哨戦である統一地方選の一つの知事選も話題の最近である。
素通りを許さぬお人沈丁花
2月26日。埼北も”春1番” ? 昨日の日中、当地は今春最高温度の穏やかな日だったが、京浜地域は風速15m近い風があり ” 関東地方に春一番の風が吹く”の報道となった。当地も今未明に掛けての強風だった。一変して寒い今朝。1日で10℃以上の気温差のある今頃は、脳梗塞などが多い季節。要注意! 観梅期間も残り少なくなった。濃香を放つ沈丁花に呼び戻されるこの頃である。
乱政のノースポールの白惑(まど)ひ
2月25日。。3月末から4月初旬の陽気の午前中だった。午前中の例会のGゴルフでは、脱いだベストを忘れるところだった。休み時間には、じゃが芋の植え付け時期のやりとりや梅から桜への大小旅行の話題。すっかり春めいて来た。庭のあちこちから集めて置いたノースポールを鉢に仕立てる。NZ地震は生死を問う4日目に入る。無事を祈るのみ。昨日、休んでいたブロガーのF-toraさんを見舞い、梅桜の咲き具合などを報告する。1.2日後には退院できそうな情報に一安心。
解かれたる立ち入り禁止ヒヤシンス
2月24日。。このところの陽射しで芽だししていたヒヤシンスが一気に開花した。落葉樹の下側でもあって、断り書き無き”立ち入り禁止”の棒の切れ端を立てかけておいた効果があったようだ。鉢植えのクロッカスが芽だし始めている。メモ:22日に発生したニュージーランドの地震災害状況が昨日今日のニュースのトップを占めている。
申告の帰路はそよ風麦青む
2月23日。。22年度の所得税確定申告が始まった。例年の如く早々済ます。年金だけの収入だから申告者も受理者もさほどのの手間は要らない。今年も、医療控除は控除額を
少し超えた程度。贅沢を言わなければ何とか食えるが、来年はどう変わるか心配の乱世。大抵は午後の3時頃が一番空いている。天気のいい日は、郊外にある公民館に続く道を歩く。せせらぎにそって膨らむ猫柳・残り鴨などが、その日の季題になる。
就活を終へし親子や銀縷梅(ぎんろばい)
2月22日。。今、近くの別府沼公園では銀縷梅(まんさく)が盛りである。ジョギングコース外れの川縁に、残した枯葉の合間に茶黄色に輝く並木がそれである。新葉より先に伸びた枝の所々に糸状ににチリチリと咲き乱れている。共に”就職内定のついた”と言う父子が小春日和の樹下道を通り過ぎて行った。卒業して新社会人の子と、第2の人生出発の父に声援。 記録 ①内政:民主党内の内紛進行 ②リビアの内乱激化 ③パンダが上野に到着。
お見舞ひのメール一輪河津さくら
2月21日。。思い立って、深谷市東方の17号国道沿いの川津桜の咲き具合を見て来た。このところ体調不良で消息の途絶えた先輩ブロガー(fuuten-toraさん)の気にしていた桜である。メールに添付してご機嫌伺いするつもりだった。10本余の中には元気の無いのもあったが大部分ははち切れんばかりの紅色の蕾を宿していた。願い適ってたった一輪を探し出した。見頃は1週間後か? 早咲きの桜に先輩ブロガーの早期復活を祈る。
玉砕の御霊迎ふ子仏の座
2月20日。。硫黄島で玉砕した父御を持つ友より連絡があった。15日に千鳥が淵で60年ぶりにご帰還された父御を含む?822柱の御霊を迎えてから現地巡拝の旅をしていたそうだ。1940年2月19日から3月26日までの戦いで2万人を越える戦死者の遺骨収集がボランティアにより続いていると聞き、平和ボケしている自分への反省しきりであった。
若者に残すキャンバス芝を焼く
2月19日。。朝刊に紹介された万葉集の「おもしろき野をばな焼きそ古草に新草まじり生ひば生ふるがに」に刺激されて坪庭の芝を焼いた。気づかなかった下萌えの雑草が顔を出した。混沌を極める国内政治紛争に愛想をつかす国民に、若田光一さんの”Iss司令官”のニュースは一服の清涼剤となった。