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84才男の明日を生きる挑戦記

84才直後、片手に余る持病の中の除癌は目下経過監視中。
4年後は米寿で五輪。酉年を期に臆せず気張らずの余生で在りたい。

カタカナの大和撫子

2005年09月30日 | Weblog

 

 カタカナの 「大和撫子」 ばかりなり

  最近年、花卉店に行くと<カタカナ>の花が多い。例えば・・・
 秋の7草の場合、”アッ! なでしこだ..”と近づくと、脳裏に描い
ていた所謂「やまとなでしこ」ではない。

 チェリーマジック」「スパーパーフェクト」「ダイアナサンス」
とカタカナ名の横に「撫子」と付記してある。
 「サマーランダー」に至っては”これがコスモス!?”と思わず叫び
たくなってしまう。

 加齢者と花愛好者が増え品種改良に拍車がかかったのかも知れないが
子供の頃から家庭や山野で慣れ親しんだ《日本の花》も元来は外来かも
知れないが、最近の変化には一抹の寂しさを感じる。

 これも世の移り変わりの一つの象徴かも知れない。アァー 

 


里芋と子供たち

2005年09月29日 | Weblog

 

 泥んこの 児等を待ちゐる 衣被

 何処の小学校も大方運動会が終わり、老人達も秋風と共に控えめだった戸外ゲームの参加率が上がり公園に賑わいが戻ってきた

 老若男女を問わず、練習中の中休みや終了後のオヤッを食いながらの噂話や反省会は楽しい。

 収穫のこの時期は果実や根菜の差し入れのオンパレードだ。

 きぬかつぎ(衣被)もその一つである。十五夜後から出始めるが
 ≪希少のオヤッ≫である。

 里芋の子を、そのまま茹でて塩をまぶす簡単な料理であるが、作付けが少ないので小芋の数があまりないからと聞く。

 サッカーや野球で泥んこで腹ぺコの子供達、先程まで泥んこだっ里芋の子が今は真白になった衣被。頬バル姿はいかにもユーモラスである。 んこ小劇場」を見ているような錯覚に陥る。


自衛隊内のザクロ

2005年09月28日 | Weblog

 

 柘榴割れる 特訓中の 自衛官

 昨日「航空自衛隊熊谷基地」を見学した。いきがい大学熊谷学園校友会の年間行事の一つである「学習会:施設見学」の参加であった。
 桜祭と納涼祭時のグラウンド以外は始めてだ。某国の挑発的なロケット実験、イラクへの自衛隊派遣、自国防衛と憲法改正論議の姦しい時だけに会員の殆どが参加していた。終戦前日に空襲を受けた思いもある。

 熊谷基地には、約70年の歴史がある。夫々約、戦前17年、米軍進駐13年、自衛隊暦40年と言う。昭和天皇行幸記念施設、荒鷲の碑、≪アカトンボ≫の数機に往時を見た。

 数分の一に減らされた敷地内は、主として若き自衛官の特殊訓練施設であった。第4術科学校、大教育群、生徒隊、大移動通信隊の主要部隊の説明を受けた。 省略。
 二つのグラウンドでは生徒隊や下士官直前の30才以下が整然と訓練に励んでいた。荒鷲の碑の近くで、今にも割れそうなザクロが見守っていた。

 アメリカ依存の先守防衛、戦争放棄の憲法の改憲論、近隣諸国の軍備増強等、戦後六十年経っても、近隣諸国との問題は未解決である。

 いろんな事をみんなで勉強した
一日だった。


郷愁のコスモス

2005年09月27日 | Weblog

 

 赴任地の 郷愁つなぐ 秋桜

 韓国のM君から電話があった「コスモスがきれいですよ!・・
 
 M君は、私が40歳頃の最初の海外赴任以来、今でも交流のある1人で、60才で退職後企業コンサルタントで頑張っている。

 彼とは今でも、コスモスが咲く頃決まって季節便りを交換する。
 理由は、私の赴任地と当地の気候差は1ヶ月くらいで、私が赴任した頃も、彼がやがて日本に駐在していた頃も秋で、夫々郷愁の思い出を持ち合う仲であるからである。

 赴任地には、秋になるとコスモスが高速道にも住まいの近くの道端にもゴルフ場にも咲き乱れる。

     コスモスは”郷愁を誘う花”である。

 

 


かくれ湯

2005年09月26日 | Weblog

 

 隠蓑 隠れ湯に来て 逢いにけり

 最近アチコチの街の真ん中に「純粋の温泉」?が出現している。
 伊香保・草津・箱根等は源泉の枯れ、虚偽の看板が噂されているので、近くにある「温泉」で我慢する事が多い。
 街中の「温泉」の内外には、趣向を凝らした設備が多く飽きない。

 山の温泉でも、街の温泉でも、定時毎に、何かを計りに来るのが気になるが、国が指定した?衛生管理作業と気にしなくなった。

 そんな五右衛門風呂の真前に見慣れない樹と≪隠蓑≫なる表札を見つけた。「如意宝樹、打出の小槌・・・」とあった。
 真昼にこっそり来た温泉に「かくれみの
とはこは如何に


かかし の今昔

2005年09月25日 | Weblog

 

 彩りは 肥料袋の 案山子かな

 昨夜のテレビで≪かかし≫の謂れを大凡次のように知った。
 「鳥が嫌う動物の毛や肉を焦がし、棒の先につけ雨避けを被せる」

 最近は、へのへの文字の髭面の百姓衣服をまとった 本物は、収穫祝のイベント等でしか拝めなくなった。
 たいがいは、ビニール系のギラギラテープを張り廻らしたり、派手なTシャツを着せたりしている。

 今日見たのは、積み重ねて置いた、肥料の空袋をセンス良く着せ付けたものだった。派手な彩りが、そぼ降る雨にも踊り、案外効果がありそうだった。  
     稲穂の垂れ具合は豊作のようだ。
 


ふうりんそう

2005年09月24日 | Weblog

 

 愛を追ふ ふうせんかずら 空に舞ふ

 座敷前の簾の朝顔は、既に大方が勤めを終えたようだ。

 変わりに、後から添わせた風船蔓は今が盛りである。
 もう彼岸だと言うのに、緑を滴らせながらボール達は宙に踊っている。

 ピンポンの愛チャンやゴルフの藍チャンたちをしゃにむに追いかけているように見える。
 若者たちは無限の可能性を秘め、予想もしない記録を作っている。

 午前中の晴れ間に恵まれて、近くの小学校の運動会が終った。
 今は、台風17号の余波の雨が降り出している。

 アメリカでは、続く大型ハリケーン「リタ」が再び猛威を振るいそうだ。

 そんな3連休の中日で彼岸の終わり日が暮れかけている。


彼岸の中日

2005年09月23日 | Weblog

 

  秋分の日 己の墓に 10余年

 今日は、お彼岸の中日で金曜日 年ごろ?もあり全ての対外行事はお休みである。

 我家では、例年の行事を夫婦揃って午前中に済ませた。
 近くの霊園の 自分達の墓に行き、草取りをし、墓石を磨いて、彼岸花一輪を供えてきた。
 還暦の1前年に建立したから約15年になる。

 当時私は仕事上、毎月出入国して、2.3の外国で仕事をしていた。

 子供も独立したので、苦労させた妻の老後の大事の一つである墓を作り、2年後には家も建て直しておいた。

 縁起を担いだのではなく、リスクの多い環境対応と離職後に備えておいただけである。

 御蔭様で、海外の仕事は65才までエンジン全開で頑張り、以降も
「今日一日を自分らしく」と自適な生活を営んでいる。
 
  感謝   感謝   感謝   


弁慶草

2005年09月22日 | Weblog

 

 主従の 歴史の絆 弁慶草

 庭のブロックの縁石の穴穴から、3葉を積み上げた茎の先に、淡紫紅の小粒の花の塊りが現れた。
 昨日まで、夏の華やかで逞しい花々の陰で、踏みつけ粗末にして来た弁慶草である。
 この花は、鉢植え等で愛玩されることはあまりない。
 そぼ降る秋の中から一茎を手折って観察すると、なんとも愛らしい。

 本を読む。大方こんな調子で書かれていた。
 「乾燥に耐え、折ってもしおれず、挿し木もやさしく、再生力旺盛」

    武蔵坊弁慶の人柄を思いやった一時であった。 


秋の蚊

2005年09月21日 | Weblog

 

 家に入るや くの一になる 秋蚊かな
 

 庭に出ると忽ち蚊の餌食になる 
 彼岸頃にになると、彼らは子孫を残す為には

 戸外では、打たれても打たれても吸い付くのに、一度家の中に侵入すると≪くの一忍者≫に変身する。

 油断をすると忍び寄り、来たな と身構えると隠遁する。
 又、寝付く頃を見計らって吸血鬼に変身する。

 ”暑さ寒さも彼岸まで”最近の朝晩は油断をすると風邪を引く。
 今日辺りから気にしていた庭の手入れをせねばなるまい。

    勿論 蚊よけの完全武装をして・・・・・