
70年代、ジョン・レノンはアメリカのFBIから危険人物とされ、調査の対象になっていたことは有名な話である。
なかには、ジョン・レノン射殺事件の黒幕はアメリカ政府というような論まで飛び出し、この「大きな圧力」の存在は度々クローズアップされた。
アメリカ当局はジョンの何を恐れ、何を調査していたのだろうか。
1971年、ベトナム戦争激化の裏で再選を図った当時のニクソン政権はFBIに対し、ジョン・レノンを反政府活動に従事している要注意人物として監視するよう命じたという。
この「ジョン・レノンの真実 FBI監視記録DE-4〜HQ-33」という本は、ジョンの死後市民団体がFBIが所有する監視資料ファイルの公表を求め、長い裁判の末1997年に大部分が公表されるに至った。
それをまとめたものである。
大部分が公表されたものの、まだまだ黒塗りの部分が多く、公表されない理由は「これを公表すると他国から合衆国への外交、経済的、軍事的報復を誘発しかねない」かららしい。
調査ファイルの中のジョンは「新左翼」で「過激派」で「国家の安全を脅かす勢力と密接なつながりがある人物」となっている。
ビートルズが解散したばかりのジョンは、若者たちのカリスマであり、ただでさえ世の中の空気が反体制指示の時代、大きな声で戦争反対!ラブ・アンド・ピースを訴えるものだから、政府からしたら相当鬱陶しい人間だったに違いない。
当然ジョンのそんな姿勢を政治利用しようとする人間も出てくる。
とくに反体制や過激派や共産主義者あたりは、是が非でも「こっち側」に引き込もうとする。
こっち側のリーダーと密会する、集会に参加してもらう、デモの呼びかけに入ってもらうなど、そういった動きは益々当局から目をつけられ、危険人物とみなされるのだった。
とくに、反ニクソン・ツアーとして、主要都市10か所でコンサートを行い、ロックンロールと共に過激な政治的メッセージを呼びかける予定だったライブは、政治的に阻止された。
また、ピザが無効にされ国外退去処分が言い渡され、裁判となっている。
その他、あらゆる政治的問題人物ということで都度調査報告書が作成されているのだが、1972年末に『革命的行動をとらなくなったこと、ニューヨークの過激派との接触がないこと」そして何よりニクソン再選が実現したことにより、ジョンは調査対象から外れたようだ。