写真は岸上大作歌集 現代歌人文庫 国分社。
1960年12月5日、午前2時半、岸上大作は座りながらプロバリン百五十錠を無理矢理飲み込んだ。その首には天井に繋がれたロープが巻きつかれていた。享年21歳。
因みに私がこの歌集を初めて手にしたのは21歳の頃だった。この時代に色濃く影を落としているのはやはり学生運動だった。岸上大作が自死するおよそ半年前の6月15日、国会において学生デモ隊と機動隊が激しくぶつかり合った。そして「国会南通用門」にて樺美智子さんが亡くなっている。その日のデモに國學院大学3年生の岸上大作も参加して、機動隊に頭を殴られ負傷している。
血と雨にワイシャツ濡れている無援ひとりの愛うつくしくする
ひとりの愛のひとりとは亡くなった樺美智子さんのことと思われる。
すぐ風に飛ばされてしまうご語彙にして拙さのみの記憶とならん
海のこと言いてあがりし屋上に風に乱れる髪を見ている
意志表示せまり声なきこえを背にただ掌の中にマッチ擦るのみ
岸上大作は死ぬ6時間前から遺書書き始める、絶筆「ぼくのためのノート」題されて岸上大作歌集に納められている。
準備はすでに完了した。もはや時間の経過が、予定のプログラムを遂行するだろう。現在8時前。あと数時間だ。ぼくの歴史は1960年12月5日午前何時かにて終了する。それまでの数時間、まったくぼくだけもために、このノートを書き残しておこう。
この後は、拙く、女々しい文言が、連綿と書き継がれていく。21歳の私はその当時、熱に憑かれたようにそれを読んだ。詩を書くこともできず、楽器を持たない私はひたすら岸上大作に感情移入することによって自意識を相対化していたのかもしれない。
あれから35年。思えば遠くに来た様な気もするが、あの頃の私が傍らで佇んでいる様な気もする。