写真は、白水阿弥陀堂への道しるべとして国道わきに立つ石碑。
時刻は8時、まだお堂の扉は開かれていない。
旅打ち最終日朝イチから競輪場にいってはやられるのは目に見えているので、午前中は観光に当てている。今回選んだのが白水阿弥陀。
しかし、なんと本日は消防訓練の為、拝観は午後からしか出来ないとのこと。
阿弥陀堂の前で茫然自失となり立ち尽くす私。
ならば、仏様は拝めなくとも、その消防訓練とやらでも見ていきますか。
放水開始。
これがなかなかのものでした。
写真は、白水阿弥陀堂への道しるべとして国道わきに立つ石碑。
時刻は8時、まだお堂の扉は開かれていない。
旅打ち最終日朝イチから競輪場にいってはやられるのは目に見えているので、午前中は観光に当てている。今回選んだのが白水阿弥陀。
しかし、なんと本日は消防訓練の為、拝観は午後からしか出来ないとのこと。
阿弥陀堂の前で茫然自失となり立ち尽くす私。
ならば、仏様は拝めなくとも、その消防訓練とやらでも見ていきますか。
放水開始。
これがなかなかのものでした。
写真は、瑠璃光寺、五重塔。国宝の五重塔。
素材がいいと私が撮ってもこの出来映え。
某A。
空に屋根の反りが映えます。
御朱印はこちら。
朝陽が綺麗な街でした。
写真は、寂光院山門。
今を去ること、832年前、後白河法王が建礼門院徳子をこの地に訪ねていた。
壇ノ浦の水底から引きずり出され、命ながら得て生き延びた建礼門院徳子がひたすらに平家の菩提を弔い、そのいのち終えた寺、それが寂光院だ。
御朱印。
平家物語は、あの誰でも知ってる一節から始まる。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり
そして、最後の巻、灌頂巻(女院死去)はこの一節から始まる。
さる程に寂光院の鐘のこゑ、けふも暮れぬとうち知られ、夕陽(せきよう)西にかたぶけば、御名残(おんなごり)をしうはおぼしけれども、御涙おさえて還御(かんぎょ)ならせ給いけり。
平家物語は、鐘の声で始まり、鐘のこゑで終わる。
鐘の声は、平家物語に一貫として響いていた。
すべては鐘の響のように儚いもの。
一陣の風が、かすかな鐘の声を、運んできた。
風は過去から吹いてくる。
つかの間を生きる。
写真は、浄瑠璃寺。
山門を入り、池の右手が三重塔。
池の向こうが本堂。本堂の前に灯籠がある。
三重塔側の灯籠から一直線で本堂側の灯籠に線を引くことができ、その延長線上が本堂の中心つまり御本尊の阿弥陀様。冬至と夏至の日、太陽は本堂の中心に沈む。1度その日に訪れてみたい。
本堂には千年の時を経て今も9体の阿弥陀様が鎮座している。(パンフレットから)
寒い冬の日、本堂には私ひとりだ。
本尊の前に叩頭く。
静寂が本堂を包み、ローソクの揺らぐ音が聞こえる。
悲しみが込み上げてくる。
頭(こうべ)あげ、阿弥陀様を見あげる。
阿弥陀様が霞んで見える。
阿弥陀様は何も答えない。
ただ昨日と同じように明日もまたそこに鎮座しているだけだ。
写真は京都、聖光寺。
以前このブログの御朱印で書いた聖光寺。浄土宗特別公開の10月8日、かみさんを残しひとり上洛したのにはもう一つの目的があった。それはあわよくばAmadeus に逢えるかもという想いがあった。
アマデウス?もちろんモーツアルトではありません。私がほぼ毎日チェックしているブログの作者のハンドルネームです。試みに
アマデウス 京都
で検索してみてください。
Amadeus の「京都のおすすめ」ブログ版(観光)
最初にヒットするはずだ。京都のお寺の情報が満載のブログだ。特別公開の情報などはいつもこのブログから得ている。じつは浄土宗特別公開の情報もこのブログで知ったものだった。
聖光寺、10月8日だけの特別公開、しかもアマデウスがブログでおすすめしていた。これはアマデウスも来るかも、そんな想いが心の片隅にあった。
でも当日、それらしき人と遭遇することは無かった。
そしたらしばらくしてアマデウスのブログにこんな記載があった。
10月8日の拝観報告
14:30に西翁院を出て丸田町通りー川端通りー五条通りー河原町通りー寺町通りと進み15:00にやって来たのが聖光寺です。
やっぱりアマデウスは来ていたんだ、聖光寺に。しかも15:00に!
iPadの写真、私が聖光寺の門を撮影した時刻を確認するとなんと15:05。入れ違い、いやすれ違っていたはずだ。
気づかなかった。残念。
今年はもう京都には行けそうにもないけど、いつかはアマデウスに遭遇してみたいものだ。