ありふれた毎日を綴る康ちゃん日記

ありふれた日々の暮らしとテニスやスポーツクラブと小さな旅日記です。

祖祖父浪江庄之丞を探す旅 2日目

2024-06-17 20:13:37 | 旅行

北海道の旅は2日目日曜日だ。

今日はお寺に回る。

北海道湧別町の浪江家の菩提寺だ。

以前から浪江家にかかわる事柄、特に浪江庄之丞にまつわる事柄が

あれば教えてくださいと伝えてあることから最初に訪問したかった。

しかし、お寺さんは忙しく朝から法事などで不在だった

しかし前もって伝えていた事柄は記録していただいていた。

新しいものはなかった。

途中で旧計呂地の駅を見た。いまは公園になっている。

湧網線が廃線になる前、ここは浪江良武さんが国鉄時代、樺太から引き揚げて

この計呂地で働いているときに殉職をした地でもある。

また、この駅は姉のヨシエちゃんが中湧別に通った駅でもあった。

その足で計呂地の浪江家を訪問したが特に得ることはなかった。

現在の浪江家の主人はすでに昔のことは知らされてはいない気がした。

「牛を飼っていたこともあったが今では運送会社の運転手をしている」

と言っていた。

話もしたかったが軒先での話にとどまった。

次はやはり佐呂間町の役場または図書館で少し調べたいことがあり

佐呂間町まで行った。

理由を説明したら大正時代の当時の資料を出してくれた。

時間をかけてみてみたら、突然 「浪江カン」の名前が出てきた。

それは大正7年度武士小学校の卒業生の名簿として出ていたのだ。

そして、庄之丞の弟 「浪江巳之松」の家があったことが記されていた。

大正初期の武士の町が賑わっていたことが分かった。

開業医もいたのだ。

本当に驚いた! 大きな声を出してしまった。

図書館には人がいなくてよかったと思った。

図書館の司書の方が喜んでくれたのがこの旅の最大の収穫だった。

日曜日のせいか人はあまりいなかったが佐呂間の街中で「蕎麦」を

食べらせるところがあり、昼はそばを食べた。

おいしい蕎麦だった。

いまでは武士の町並みはなく、武士川が流れ、武士という集会所がある

のみとなっていた。一部は若佐の街並みとなっているのだろうがそれでも

昔の面影は無いと思う。

若佐の墓地や佐呂間町の墓地なども回ったが無縁仏もない。

どのようになっているのか? 不思議なことも感じた。

湧別町戻り宿に入る。

湧別町は「リラ」の花が町の花になっていると言う。

リラの花の街道もある。

2日目が終わった。

 

 

 

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