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モダニズムだけじゃない建築ブログ

’07伊・仏建築紀行 -番外編その1-

2007年01月31日 23時45分55秒 | Art
 「ガラスの家」を探しながらパリの街をうろうろしていいたら…水道管が破裂して歩道の石がこんなことに!と、いうのは嘘で、実はこれ、噴水である。石板の中に噴水が設置されている。なかなか面白いアイディアだが、ゴミが浮かんでいて少々汚かったのが残念であった。

’07伊・仏建築紀行 -パリ編その8-

2007年01月30日 23時26分34秒 | 建築
 当ブログではやっと二つ目のフランク・O・ゲーリーの建築は「旧アメリカンセンター/現シネマテック・フランセーズ」である。アメリカンセンターは劇場、レストラン、図書館などが入った文化施設であった。が、2年ともたずに閉館し、フランス文化省が買い上げる。2005年にフランスの映画の殿堂として蘇った。
 ということで、映画館だが、ミュージアムでもあるこの建築には、自由に入ることが出来る。階段を上ってゲーリーのデコンを満喫出来る。

 以前「フィッシュダンス」を掲載したことがある。この頃のゲーリーは周りから「魚はもう止めろ」と言われていたとか、いないとか。この旧アメリカンセンターは、その後の、ビルバオのグッケンハイム美術館や、ロスのウォルトディズニーコンサートホールに通じるデザインである。

「旧アメリカンセンター/現シネマテック・フランセーズ」
設計者:フランク・O・ゲーリー 竣工:1994年 パリ市内

’07伊・仏建築紀行 -パリ編その7-

2007年01月29日 23時16分37秒 | 建築
 イタリア人建築家のデザインは世界潮流とは一線を画する。その中でも、マッシミリアーノ・フクサスのデザインは特異だ。外装の素材も、荒々しいものであったり、粗野なイメージであったりする。
 パリ市内にある「スポーツ・コンプレックス+パーキング」は亜鉛メッキ鋼板で葺かれている。その形態はデコンストラクティビズムかと思えるもので、かなり自分好みである。パリは長い歴史を重ねた建築だけではなく、新しいものも上手く溶け込んだ街だ。エッフェル塔やポンピドゥセンター。今回の旅では最新のケ・ブランリー美術館も訪れた。これらは完成当初、新しい輝きを放つ建築である。
 ところが、このマッシミリアーノ・フクサスの建築は、おそらく竣工した瞬間からもう30年もそこに在ったかのような顔をして建っている。周囲に馴染んでしまい東京の下町的雰囲気であった。だから、この建築を初めて見た瞬間、嬉しさよりも何か懐かしさのようなものを感じた。

「スポーツ・コンプレックス+パーキング」
設計者:マッシミリアーノ・フクサス 竣工:1993年 パリ市内

’07伊・仏建築紀行 -パリ編その6-

2007年01月28日 22時18分05秒 | Art
 ベルナール・ゼルフス、マルセル・ブロイヤー&ピエール=ルイジ・ネルヴィ設計のユネスコ本部には、安藤忠雄氏の「瞑想の庭」など、いくつかのアートが贈られた。以前「札幌芸術の森」のダニ・カラヴァン作「隠された庭への道」を掲載したが、ユネスコ本部の中庭には「寛容の庭/イツアク・ラビンへのオマージュ」が在る。暗殺されたイスラエルのラビン首相に捧げられたものだ。
 後方の文字板はユネスコ憲章で、中心にオリーブの木が一本植えられているのだが・・・。何故か布で覆われていた。このアートも芸術の森の隠された庭への道同様繊細なものである。

 ユネスコ本部では見学に予約が必要だ。丁度、仕事を終え帰宅する人達の流れに逆らうように受付へ行くと、見学申し込みの用紙を貰った。明日以降に又来るようにと促され、とぼとぼ歩いて帰ろうと建物を廻っていたら、「寛容の庭」は外部からも見学出来た。

「寛容の庭/イツアク・ラビンへのオマージュ」
制作者:ダニ・カラヴァン 完成:1996年 パリ市内

’07伊・仏建築紀行 -パリ編その5-

2007年01月28日 00時51分50秒 | 建築
 近代建築国際会議CIAMの創立メンバーにして第1日目の会議にも出席したピエール・シャローの代表作が、ここパリに在る「ガラスの家・ダルザス邸」である。パリの市街地にあるガラスの家はコートハウスの中庭に面している。このあたりは歴史ある石造建築が多いのだが、中庭への門は、皆堅く閉ざされている。
 この建築の見所は中庭に面した部分で、鉄骨造にガラスブロックを積み上げて創られている。施工最中にはル・コルビュジエが何度か訪れていて、この家がかなり気になっていたそうである。

 実はこのガラスの家は見学出来ない。場所は、街の人々に聞きながら何とか辿り着いたが、肝心のガラスブロックの外壁は門の中である。しかし神様が小さな贈り物を下さった。たまたま住人である一人の御夫人が帰っていらっしゃった。撮影をお願いしたが、さすがに断られてしまった。だが門を開けていた少しの間、この“深窓の美人”を見ることが出来た。

「ガラスの家・ダルザス邸」
設計者:ピエール・シャロー 完成:1932年 パリ市内

’07伊・仏建築紀行 -パリ編その4-

2007年01月26日 01時45分20秒 | 建築
 次のコルビュジエ探訪は、-その0-でUPした「サヴォア邸」に向かったのだが、外観は既に載せてしまったので後日また記事にしたいと思う。ということで、この旅最後のコルビュジエは「ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸」である。
 最近、学生の皆も見てくれているようなので、少々説明を加える。銀行家のラウル・ラ・ロッシュとコルビュジエの兄、アルベール・ジャンヌレ(コルビュジエの本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ)の邸宅として設計されたこの建築は、現在ジャンヌレ邸の方が「ル・コルビュジエ財団本部」として使用され、ラ・ロッシュ邸の方が有料で見学出来るようになっている。

 住宅街の狭い敷地に建つこの建築を撮影する為には、良いカメラと広角レンズが必要だ。今回はNIKONを置いてきてしまったのだが、こんな時には少々後悔の念にかられる。ラ・ロッシュ邸のファサードの美しい曲線を撮影したかったのだが、ピロティから見上げるように撮影しても、なかなか上手く撮れない。そこで内部から撮影してみたのだが、雰囲気が伝わるだろうか。

 個人的には「サヴォア邸」よりも、日本人にも共感出来そうなサイズのこの建築の方が良い。長く住む家という感じではないのだが、小さな美術館を歩いているようで居心地が良かった。

「ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸」
設計者:ル・コルビュジエ 竣工完成:1923年-1925年 パリ市内

’07伊・仏建築紀行 -パリ編その3-

2007年01月25日 01時30分25秒 | 建築
 国際大学都市内で「ブラジル学生会館」の隣に建つ「スイス学生会館」はブラジル学生会館より27年前の1932年に竣工した。こちらは楕円の柱が力強く良いデザインのピロティを持つ、コルビュジエらしい建築である。
 見学用の一部屋を開放しており、生活空間を見ることが出来る。ラウンジなども開放されており、コルビュジエデザインの椅子に自由に座ることが出来た。但しどれも古く、くたびれていたが。
 この建築が、コルビュジエ最初の公共建築だそうだ。写真側ではなく、反対側はガラス窓の面積が大きく、実に軽やかな印象を受ける。外壁の工法はカーテンウォールだ。階段室の平面の曲線も良い。

 ブラジル学生会館も、このスイス学生会館も入館料が必要だが、そう高い金額ではないし、訪れた際には是非入るべきである。細かいディテールを沢山見よう。

「スイス学生会館」
設計者:ル・コルビュジエ 竣工:1932年 パリ市内

’07伊・仏建築紀行 -パリ編その2-

2007年01月23日 23時44分47秒 | 建築
 今回の欧州紀行において、一番楽しみにしていたル・コルビュジエの建築探訪は、このパリにおけるコルビュジエ最後の作品「ブラジル学生会館」から始まった。場所は国際大学都市の中である。当初はブラジル人建築家ルシオ・コスタの仕事であったものが、今ではコルビュジエの作品と言われている。共同作業のはずなのだが。

 敷地を歩いて行くと、先にスイス学生会館が見えてきたのだが、自分のグループはまずブラジル学生会館の方を見学した。外観はバルコニー部分のブラジルカラーが華やかで印象的である。スイス館と違い、見学用の部屋は無い。しかし、コルビュジエがデザインしたであろう、様々なディテールを見ることが出来、満足出来た。因みにエレベーターはシンドラー社製であった。(今回の旅では何度もシンドラー社のエレベーターに乗った。)

 学生に戻り、こんな学生会館からキャンパスに通うのも楽しいかもしれない。建物自体は古いのだが。

「ブラジル学生会館」
設計者:ル・コルビュジエ、ルシオ・コスタ 竣工:1959年 パリ市内

’07伊・仏建築紀行 -パリ編その1-

2007年01月22日 00時00分56秒 | 建築
 ローマ編と並行してパリ編も綴っていく。ローマ編で最初に取り上げたのはリチャード・マイヤー。パリ編もマイヤーで始めたい。但し、少々苦しい洒落だがオスカー・ニーマイヤーで。
 こちらも当ブログ初登場だ。ニーマイヤーも1988年にプリッカー賞を受賞し、ル・コルビュジエから影響を受けたとされている。実際にコルビュジエの事務所でも働いていた。まだ亡くなったという話を聞かないが、もし今年の12月15日まで生きていたら100歳だ。以前、90歳を越えて活躍されている話を聞いたが、凄いことだ。

 オスカー・ニーマイヤーのモダニズムの特徴は、何といっても美しい曲線であろう。「フランス共産党本部」は1971年から1980年までかけて完成されたので年代的には少々遅いかもしれないが、その形態はモダニズムの雰囲気満天である。一目見て、少なからず感動を覚えた。正面の地形の変化や半球のオブジェ、背の低いピロティ部分(と言って良いか分からぬが)への流れ、上部階へと続く曲線はとても美しい。さすがに内部には入れなかったが、外部だけでも見る価値は十分に有る建築であろう。

 ニーマイヤーはブラジルでルシオ・コスタの事務所所員だったことがある。後日掲載するが、ブラジル学生会館は当初ルシオ・コスタの仕事であったのをコルビュジエに大部分取られてしまった。ニーマイヤーも国連本部の仕事にコルビュジエが後から大きく関わりすぎたと不満をもらしていた映像を見たことがある。
 コルビュジエはヒトラー、ムッソリーニ、満州にも仕事を求めていた旨の文章を読んだことがあるが、いやはや貪欲なことだ。

「フランス共産党本部」
設計者:オスカー・ニーマイヤー 竣工完成:1971年-1980年 パリ市内

’07伊・仏建築紀行 -ローマ編その2-

2007年01月21日 00時00分43秒 | 建築
 長い歴史の街ローマでは、いつもどこかで補修工事が行われている。昨年はスペイン広場が、今年はナヴォーナ広場のベルニーニの噴水が補修されていた。
 「アラ・パチス博物館」内に在る「アラ・パチス」も展示しながら補修を行っていた。歴史、文化に支えられて生きている街は、このような補修するという部分がしっかりしているのだと思う。

 初代ローマ皇帝アウグストゥス帝により作られたローマの平和を祝う祭壇、アラ・パチスの壁面には素晴しいレリーフが施されている。その内部では儀式的な意味から牛などの動物を焼いたそうで天井は無い。嘗てはガラス張りの建物が、現在はリチャード・マイヤーの建築が、この祭壇を覆っている。リチャード・マイヤーの建築はトップライトと壁面ルーバーで和らげられた沢山の光を取り込み、実に明るく開放的な内部空間を創っている。

 日本に居ると、特に新しい街札幌で生活していると100年でも古いと思うのに、こちらでは100年などごく最近という感覚である。紀元前に作られたこの遺跡も一旦はバラバラにされたことも有ったが、各博物館から集められこうして蘇った。

「アラ・パチス」
制作者:アウグストゥス帝 完成:紀元前9年 ローマ市内

’07伊・仏建築紀行 -ローマ編その1-

2007年01月20日 03時00分07秒 | 建築
 当ブログでは、初登場となるリチャード・マイヤーはアメリカ人建築家である。「アラ・パチス博物館」はそのリチャード・マイヤーの手により昨年4月に完成したばかりだ。
 「アラ・パチス」とは紀元前9年に初代ローマ皇帝アウグストゥスにより、平和を祝って建てられた「平和の祭壇」である。その祭壇をそれまで覆っていたガラスの建築物より更に大きくし、展示品などを増やした博物館というかたちでオープンさせた。

 今回の建築探訪はル・コルビュジエの作品を見ることをとても楽しみにしていた。リチャード・マイヤーはコルビュジエの作風に似た「白い」モダニズム的建築を数多く設計し、1984年にはプリッカー賞を受賞している。当ブログでは既に登場しているマイケル・グレイブスやピーター・アイゼンマンらと共にニューヨークファイブとも呼ばれた。(チャールズ・グワスミー、ジョン・ヘイダックを加えて5人である。)
 この「アラ・パチス」博物館エントランスへの導線からの印象は、まさにモダニズムを彷彿とさせるものだ。白と石張りのファサードはマッシブで力強く感じる。が、中に入れば祭壇の存在を押し潰すことなく、軽やかで解放的な空間を創りだしている。

 今回、同じローマにある「ジュビリー教会(2000年教会)」やパリの「キャナル・プラス本社ビル」などは見ることが出来なかった。が、モダニズムの建築を好きな者にはとても魅力的なこれらの建築を見に、是非また訪れたいと帰国して早々に思う。

「アラ・パチス博物館」
設計者:リチャード・マイヤー 竣工:2006年 ローマ市内

’07伊・仏建築紀行 -その0-

2007年01月19日 02時28分34秒 | 建築
 おかげ様で、今年も大きなトラブルも無く、無事に建築探訪を終えることが出来た。結構ハードな日程にもしっかりと付いて来た学生諸氏は、沢山のものを得たに違いない。
 個人的にはコルビュジエや、初めて見る建築家の作品を堪能出来、実りある建築探訪であった。昨年完成したばかりのものもある。

 写真は、コルビュジエのサヴォア邸である。実際にこの目で見ることが出来、感動もひとしおであった。これから順に記事にしていきたいと思う。

「サヴォア邸」
設計者:ル・コルビュジエ 竣工:1931年 パリ郊外(ポワシー)

ちょっと行ってきます

2007年01月10日 16時05分12秒 | 建築
 今年もヨーロッパに建築を見に行く。古代、近代、現代と見たい建築は山ほど有るが、まずは今年初めて訪れるパリでコルビュジエをしっかり見てこようと思う。ローマでは昨年、入ることが出来なかったバチカン美術館には是非とも入らなければ。そんなこんなで18日まで行ってきます。

「コロッセオ」
建設者:ウェスパシアヌス帝他 竣工:72~80年頃 ローマ市内

生きてるって素晴らしい

2007年01月07日 21時09分56秒 | 建築
 昨年、毎夏恒例のツーリングに出発した初日、国道12号線を北上してすぐに右手に見える竹山実氏の「ペプシ工場」が、解体されているところを目撃してしまった。思わず息を呑んだ。数年前には同じ竹山氏の苫小牧「ホテルイーストジャパン」も解体された。
 一昨年の竹山展で御本人より、設計した建築が解体の憂目に合っても特に思うことは無い的なお話があった。

 とは言え、使われ続けるのにこしたことは無い。「アトリエインディゴ」は元は竹山氏の札幌事務所であったが、一時期舞台として活用されていた。それも2003年までで、その後どうなったかと訪れてみたところ、現在はデザイン事務所としてしっかりと使われていた。しかも、玄関先には「atrie indigo」のプレートがそのまま掲げられていた。今、札幌では法的に使えない板材が張られた外壁は少し傷んではいるが、こうして使われているのを見るとやはりほっとする。

「アトリエインディゴ」
設計者:竹山実 竣工:1976年 札幌市中央区南4条西18丁目

保存の苦労

2007年01月06日 01時43分21秒 | 建築
 この「旧安田銀行小樽支店」は一見、小樽に多く存在する木骨石造のようであるが、実はRC造だ。小樽の歴史的建築物群は全てが同じ構造ではなく、短い期間の中にも流行りの変遷がある。当然現代に近づくにつれ、RC造が増えてくるわけであるが、それらについてのデータは北海道職業能力開発大学校助教授の駒木定正先生がまとめられており、7月に小樽で開催された建築セミナーで紹介されていた。

 思えば自分が、PRESS CAFÉのある「旧澁澤倉庫」に通い出したのはこのセミナーが開催された頃であった。旧澁澤倉庫は木骨石造で、先日も壁の軟石が欠けてしまったとマスターが苦笑いしていた。倉庫を借りていらっしゃる船長の話では、数年前の台風被害や、こういった劣化を補修する為の市からの援助金は予算が少なく、なかなかまわってこないそうである。

 旧安田銀行小樽支店は数年前、道路拡張に伴い曳家し、外部を補修したそうだ。現在は北海道経済新聞社屋として使用されているが、やはりオーナー企業が負担したのであろうか。歴史的建築物の保存はとても大変なのである。

「旧安田銀行小樽支店」
設計者:安田銀行営繕課 竣工:1930年 小樽市色内2-11-1