DOCOMORO100

モダニズムだけじゃない建築ブログ

窓⑥ 窓?

2006年04月30日 19時59分52秒 | 建築
 この亀裂はエントランスから始まっていて、その隙間からガラスを見て取ることが出来る。
 ポストモダン建築は、あれこれと思考を重ね、それを具現化・実体化してきたが、ちょっと建築を逸脱してオブジェ化している。当時はファサードに力を入れた作品がとても多かった。それにしても、この開口部は、内側から見ると、どのような光を取り入れているのであろう。

「ウェッジ」
設計者:鈴木エドワード 竣工:1989年 東京都渋谷区神宮前3-25

窓⑤ 開くんです

2006年04月30日 10時34分38秒 | 建築
 札幌唯一の高松伸氏の作品「タットゥー」は、狭小地に建つペンシルビルながら、当時の高松氏のデザインの直球ど真ん中的ものである。日本建築学会賞を受賞した「キリンプラザ大阪」の2年後に竣工したこの建築は、未来的イメージを見せる。そして、上下2段の円形窓の下側は内開きとなっていて開くのだが、一度内部に入って開けてみたいなと思っている。今は、社屋として使用されているようだ。

「タットゥー」
設計者:高松伸 竣工:1989年 札幌市中央区南3条西3丁目

窓④ 上品な光

2006年04月29日 17時09分41秒 | 建築
 一昨年、さいたま市の別所沼公園内に、沢山の人々の想いと共に完成した「ヒヤシンスハウス」。その窓は、4面全てに設けてある。とても、居心地の良い隠れ家空間で週末の時間を過ごす時、とても心が和む光だ。
 これが、立原道造の生きた時代であれば、なおさらだろう。現代は、何処へ行っても隠れられそうにないか。

「ヒヤシンスハウス」
設計者:立原道造 竣工:2004年 別所沼公園内

窓③ 語る窓

2006年04月28日 19時48分08秒 | 建築
 ミラノ大聖堂のステンドグラス窓には、聖書の内容が描かれている。文盲の者も、その絵を見て聖書の内容を理解することが出来る。様々な年代に描かれた、ステンドグラスの中には、つい最近完成したものもあるという。着工から500年近くを費やし完成したミラノ大聖堂。その数あるステンドグラスは、年代や制作方法を問わず、どれも素晴らしい光を透過させている。

「ミラノ大聖堂・ドゥオモ」
建設者:ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ公
着工:1386年 完成:1813年 ミラノ市内

窓② プレーリー建築の遺伝子

2006年04月27日 19時58分27秒 | 建築
 フランク・ロイド・ライトの元で働き、「帝国ホテル」などの有名建築に関わってきた、田上義也氏は、関東大震災後、活躍の場を北海道に求めた。道内に沢山の作品を残しているが、その一つが北海道帝国大学農学部小熊捍博士の邸宅である。さっぽろ・ふるさと文化百選にも選定されたこの建築は、1998年に解体され現在地に移設された。北大大学院の角先生によると、既存の部材も沢山使われてはいるが、基本的にはレプリカとのことである。しかし、その出来は見事にプレーリー建築の継承を感じさせる素晴らしいものだ。
 写真で確認してみると、この窓は既存の部材を使用したようである。外観は、当ブログ10月15日のこちらへ。http://blog.goo.ne.jp/xwing812tiefighter/e/0c7901b0ba051fd1302952ab0d05cb59

「ろいず珈琲館 旧小熊邸」
設計者:田上義也 竣工:1927年 解体・移設1998年
札幌市中央区伏見5丁目

2006年04月26日 23時10分33秒 | 建築
 窓の装飾をUPしてみたいと思う。その第1弾は何度か登場している「札幌聖ミカエル教会」エントランス部のガラスに施された装飾である。設計者アントニン・レーモンドの夫人、ノエミ・レーモンドの手によるものとされている。和紙をガラスで挟み込んだデザインは、新潟の「新発田カトリック教会」、軽井沢の「聖パウロ教会」と同じ、上品なものだ。和紙という素材が、教会内部の厳かな雰囲気に合っている。

「札幌聖ミカエル教会」
設計者:アントニン・レーモンド 竣工:1962年 札幌市東区北19条東3丁目

判っていない決定

2006年04月24日 22時07分56秒 | 建築
 長い年月、北海道の文化伝承の担い手としての役目を果たしてきた、「北海道厚生年金会館ホール」が、政府の年金無駄遣いの犠牲となって廃止・売却の危機に直面している。そこには地元民の想いや、この建物の持つ価値の評価は不在だ。
 北海道厚生年金会館は、札幌オリンピックに合わせるようにコミュニティ施設、コンベンションセンターとして1971年に誕生した。特にこのホールでは、これまで6000組を超えるアーティスト達が様々な舞台芸術を上演してきた。北海道第一のホールであった。自分も何度訪れたことだろう。珍しい内藤陳さんが出演したミュージカルなども観に行った。
 デジタルな時代に、まだアナログ的「味のある」雰囲気を持つこの建物が無くなることは、自分達札幌っ子には信じられない。

「北海道厚生年金会館ホール」
設計者:? 竣工:1971年  札幌市中央区北1条西12丁目

後戻り無し

2006年04月23日 10時56分01秒 | 建築
 札幌唯一の安藤建築「渡辺淳一文学館」は、このブログを始めて間もない頃に、一度UPしたことがある。今、再度登場したのには訳がある。来月、私の通っているギター教室の演奏会が、この建築の中で行われることになった。いつも月例発表会に参加している者は皆出演するということなので、はなはだ未熟ながら参加を決意した。我ながら無謀だ。

 さて、この渡辺淳一文学館は、白鳥が片足を上げて佇む様をモチーフとして設計された。白鳥と言えば優雅なイメージであるが、この建築は、はっきり言って重たい。ファサードの印象からして、もう重い。内部に入っても同様なのだ。まあ、白鳥も体重は重いが…。
 ギターの演奏は重くならぬよう、気を付けよう。

「渡辺淳一文学館」
設計者:安藤忠雄 竣工:1998年 札幌市中央区南12条西6丁目414

2006東京春の陣 -其の18 -

2006年04月22日 18時59分39秒 | DOCOMOMO
 今朝の新聞で、丹下健三氏の「広島平和記念資料館」と村野藤吾氏の「世界平和記念聖堂」に対し、重要文化財指定への動きがあると報道されていた。決定すれば戦後初のこととなるそうだ。戦後のモダニズム建築もいよいよその価値が定まってきた。今まで、日本での建築評価の判断基準に、戦前か戦後かという壁があったので、この両建築の指定は実に画期的なことであると思う。

 というわけで、記念に丹下建築「代々木国立屋内総合競技場」をUPする。この体育館には建築学生になってすぐ、レスリングの世界選手権を見るために入館したことがある。しかし当のレスリングよりも、この構造主義の建築に釘付けになった。外観もそうだが、間近で見た内部は迫力が違った。
 石原都知事は、オリンピック開催地に立候補する際、この体育館を既存のまま使用する旨を話していた。その言葉が真実であることを期待する。

「代々木国立屋内総合競技場」
設計者:丹下健三 竣工:1964年 東京都渋谷区神南2-1-1
DOCOMOMO JAPAN100選 選定建築(当ブログ10件目)

2006東京春の陣 -其の17 -

2006年04月21日 21時58分26秒 | 建築
 この安藤建築を訪れて、サントリーミュージアムを思い出した。外壁に新しい試みがなされているが、内部に入ってみるとやはり安藤建築らしさに満ちている。代名詞であるコンクリートの質感を強く感じる。
 とはいえ、デッキプレートの収め方など、かなり手が込んでいて目をみはるものがあった。施工者の苦労が偲ばれる。外壁は雑誌で見ていたよりも灰色に近く驚いた。もっと黒に近い色かと思っていたのだ。仕上げは雑誌で述べられていた通り、評判の滑らかさで、溶接箇所も分からない素晴らしい出来。この点でも施工者の技術の高さに関心する。
 コンクリートと木材、コンクリートとガラス、そしてコンクリートと鋼板。安藤建築の根幹はやはりコンクリートを主としたものである。不変は人を安心させる。

「hhstyle.come/casa」
設計者:安藤忠雄 竣工:2005年 東京都渋谷区神宮前6-14-5

HAVE A NICE DAY

2006年04月20日 21時43分23秒 | 趣味
 3年振りにBON JOVIが来日した。そして4月18日には札幌にも来てくれた。3年前と同じ札幌ドームに。
 前回、アルバム「BOUNCE」のツアーのときには、古い曲も沢山演奏してくれた。それが「ツアーのコンセプトが見えない」と一部に不評だったのだが、自分には最高のステージだった。そして、今回も。ステージが始まって早々に「You give love a bad name」そして「Bad medicine」も。あの名曲達をちりばめながら、アコースティックギターも奏で、本ステージ最後の曲は「Livin'on a prayer」を歌ってくれた。アンコールは2回。今回も大満足であった。いつかまた、札幌の地へ帰ってきてほしい。

「札幌ドーム」
設計者:原広司 竣工:2001年 札幌市豊平区羊ヶ丘1番地

2006東京春の陣 -其の16 -

2006年04月16日 17時47分48秒 | 建築
 3月の話であるが、NHKハイビジョン放送で、丹下健三氏の特集を放送した。その中で、最も印象深かったシーンは、丹下氏と家族ぐるみのお付き合いをされていたファッションデザイナー森英恵氏へのインタビューであった。丹下氏は、森氏に「常に道の真ん中を歩め。」とおっしゃっていたそうだ。お二人とも、世界の頂点で活躍された方である。(森氏は現在も。)とても説得力のある、重みのある言葉に感動すらおぼえた。自分も常日頃より、亜流や変則的な小手先に走った事は、したくないと思っている。これは、丹下氏のような巨人であろうが、自分等一般人であろうが変わらぬことだ。大きな道の真ん中を歩いて行きたいものだ。

 「ハナエ・モリビル」は青山の表参道にある。ガラス等の軽い素材がうけ、それらを使用した建築が群立する通りに、ミラーガラスを使用したこの建築も建つ。しかし、この建築が竣工したのは1978年、今から28年も前のことなのだ。表参道にあって、違和感ナシというよりは、ガラスを用いてはいるが、建築自体の重みが違うと感じさせる。この建築は、軽い建築の流行が終わっても解体されるようなことは無いであろう。それは、道の真ん中を歩いてきた丹下氏の事務所の仕事だからゆえと言える。

「ハナエ・モリビル」
設計者:丹下健三 竣工:1978 年東京都港区北青山3-6-1

調和

2006年04月16日 16時06分43秒 | 趣味
 4月11日、札幌市民教育文化会館にてフランシスコ・クエンカ(ギター)とホセ・マヌエル・クエンカ(ピアノ)の兄弟デュオリサイタルが開催された。とても綺麗な音色、難しいギターとピアノのアンサンブルに感動した。翌日は、フランシスコのマスタークラスを最前列で聴講し、音色と指使いを堪能。おまけに打ち上げの飲み会まで参加させていただいた。
 ギターとピアノのアンサンブルは難しい。ギターはどうしてもピアノに比べて音量は小さい。「まず双方の確かなテクニックがあって、その上で相手の演奏に合わせる心が大切」とは、ホセ・マヌエルの言葉であるが、これは様々な世界に共通する。ポストモダンの建築には、わが道を激走してしまったものも多いが、周辺環境との調和を重んじることは、とても大切だ。
 「他芸に学べ。」今回も、本当に身になったコンサート、及び講習会(と飲み会)であった。H松君、このCDは日本のSHOPでは買えないのです。

2006東京春の陣 -其の15 -

2006年04月15日 15時33分41秒 | 建築
 「ランドマーク」という言葉で検索した中に、「KOBAN」というサイトがあった。警察のサイトであったので、勿論KOBANとは「小判」ではなく「交番」のことである。警察によると交番は立派なランドマークということなのだ。
 ランドマークとは、そもそもは「探検家の目印」的意味で使われた単語だそうだが、何も大きな物体のみを指すわけではない。そして、建築とランドマークという言葉の関わりを考えるなら、人の意識の中にしっかりと残ることが出来るものが、ランドマークであると言える。

 先日UPした「宇田川派出所」もそうであるが、最近の交番には面白いデザインのものが多い。この山下和正氏の「数寄屋橋派出所」もそうだ。嘘か本当か、仮のデザインとして提出した、待ち針を指した模型がそのまま実施されてしまったのだそうだが、実際に見ると、やはりその丸い玉のインパクトは強い。山下氏といえば、京都の「顔の家」のインパクトも強いが、こちらも相当なインパクトだ。交番のてっぺんに玉が付いているのだから。
 この交番は人の心に残り、ランドマークとしての役割を十分に果たしていると思う。

「数寄屋橋派出所」
設計者:山下和正 竣工:1982年 東京都中央区銀座4-4

2006東京春の陣 -其の14 -

2006年04月13日 21時08分15秒 | 建築
 この建築に敢えてスタイル名を付けるとすると、“今バロック・リバイバル”とでも言おうか。「ユナイテッドアロウズ原宿本店」は1992年に完成した。バロック様式の建築をローマのトレビの泉周辺でいくつか見る事が出来たのだが、今回の東京建築探訪でこの建築を見た時は、接近した3段の列柱などに嫌がおうにもバロック建築を意識せずにはいられなかった。
 更にこの建築は通路を通り抜けることが出来、小さな街区を成していて、何とも可愛い空間を創りだしている。(…のだが、まだ開いていなかった。あるいは休館日だったのか?)

「ユナイテッドアローズ原宿本店」
設計者:リカルド・ボフィル他 竣工:1992年 東京都渋谷区神宮前3-38-1