DOCOMORO100

モダニズムだけじゃない建築ブログ

力強く主張する優しさ

2007年05月28日 20時00分57秒 | 建築
 昨日「上湧別ふるさと館JRY」にて“詩のボクシング”北海道大会上湧別予選会が開かれた。当日はあいにくの雨であった。過去北海道からは全国大会の優勝者も出ているので、レベルは高いのであろう。

 会場となったこの建築は、屯田兵の道東での歴史を展示する博物館として、またホールを持つコミュニティー施設としてチューリップ公園に隣接して建つ。設計者はポストモダンの奇才、渡辺豊和氏である。
 今回初めて訪れたのであるが、それまで写真でしか見ていなかった時には「なんと自己主張の強い建築なのだろう…。」と思っていた。ところが実際に訪れてみると、どうだろう。優しさすら感じさせる建築であった。これは明らかに毛綱毅曠氏の建築とは違う。チューリップの向こうにこの建築がとても馴染んで見えるのだ。

 催されたイベントが、これまた心に優しい“詩のボクシング”である。前日は札幌での予選会が開催されたそうで、主催者の方から「是非、来年の札幌大会に出場してください。」と誘っていただいたのだが、「とてもとても」と尻込みし、お断りしてしまった。「本当のボクシングならやっていたんですけどね。」と笑いながら。

設計者:渡辺豊和 竣工:1995年 紋別郡上湧別町北兵村1区588

’07関西建築紀行「激闘編」 其の10“ゆっくりと歩く”

2007年05月26日 20時26分58秒 | 建築
 入場すると、古今東西数々の名画が出迎えてくれる。モネの「睡蓮・朝」は水平に池の中に置かれる。長い壁画は「鳥獣人物戯画」だ。ミケランジェロの「最後の審判」、レオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」など実際に見たことのある名画は記憶と比較しながら楽しんで見ることが出来た。
 現場監督をしていた頃、外壁に陶板をはめ込んだことがある。場外馬券売り場のWINS浅草を全面改修した際、外部の担当をした。6区通り側の陶板は久しぶりに訪れた時、鮮やかなままだったことを思い出す。この名画の庭の陶板も色あせることなく今後も鮮やかであり続けるのであろう。

 安藤建築の特徴の一つには「動線」があると常々思っている。下まで降り、そして上る。この庭の動線もゆっくりと時間を過ごすのにとても心地良い動線であった。

「京都府立陶板名画の庭」
設計者:安藤忠雄 竣工:1994年 京都市左京区下鴨半木町606-0823

’07関西建築紀行「激闘編」 其の9“取り敢えず”

2007年05月20日 08時29分09秒 | 建築
 「旧京都中央電話局」は1926年に吉田鉄郎によって設計された。京都市登録有形文化財第1号でもあり、NTT西日本の京都電電ビル西館として使用されてきたのだが、2001年には商業施設「新風館」として生まれ変わった。

 この建築を訪れると、なるほど外観は吉田鉄郎の建築をしっかり利用しているのだなと思う。が、中に入ってみると外観との違いに驚く。まるで「ポンピドゥセンター」内部のようだ。中庭にはステージが在り、この日は白人の女性3人がポップスを演奏していた。

 多くの建築が解体の危機にある中、取り敢えず使用され続けている。改修された中身の完成度も高い。ショップめぐりをするのも楽しい建物である。2004年度のグッドデザイン賞建築・環境デザイン部門、第12回BELCA賞ベストリフォーム部門を受賞している。
 しかし何か心にひっかかるものが有る。出入り口天井のボールトを見た時、ふと昔の佇まいを知りたくなった。

「旧京都中央電話局/新風館」
設計者:吉田鉄郎/リチャード・ロジャース(新風館) 竣工:1926年/2001年(新風館)
京都市中京区烏丸通姉小路下ル場之町586-2

保存戦記とINSIDE NEWS

2007年05月16日 23時59分14秒 | Book
 日経アーキテクチュア誌において、penkou師匠の隔号連載が始まった。その名も“保存戦記”。建築とは「戦い」だ。まして建築の保存となると「激闘」なのである。建築文化を築く礎となるよう、末永く連載が続いてほしいと切に願う。

 師匠の連載が始まった4月9日号の、見開きページ反対側に“INSIDE NEWS”の記事が掲載されている。槻橋修さんの書かれた、毎年仙台メディアテークで開催されている「卒業設計日本一決定戦」についての記事である。「昨年あたりから作品全体のレベルが非常に高くなり、一発アイディアの提案、問題意識の希薄な提案は100選に残ることも難しくなってきた。ベスト50以上となるともはや明快に差をつけることが困難になってくる。」と述べられている。

 今年卒業したN君がベスト50に残った。惜しくも20位以内には入らなかったが、かなりの好評を得たようだ。471点の中から選ばれたのだから、とても素晴らしい。N君は授業でpenkou師匠に2度プレゼンを見て頂いた。2年生の時も3年生の時も師匠からお褒めの言葉を沢山頂いている。N君はいつも「褒められるよりも欠点が知りたい」と言うような人であったが、penkou師匠からの言葉は嬉しいものであったと思う。
 
 日経アーキテクチュアの2007年4月9日号は自分にとって特別な号となった。勝手に二つの記事を結びつけて、ひとり笑顔になっている。

’07関西建築紀行「激闘編」 其の8“注目せざるを得ない”

2007年05月13日 12時44分20秒 | 建築
 渡辺豊和氏の著書で、毛綱毅曠氏の「高槻日吉台教会」と比較されている高松伸氏の「ARK」は京阪宇治線桃山南口駅に隣接して建つ。両建築は“蒸気機関車”がモチーフと述べられているが、自分には前者の教会は「箱舟」、このARKは「発電所」のように見える。ARKの用途は歯科医院である。1階の店舗部分は現在空いているようだ。

 内部にはギャラリーも併設しているようだが、見学するには虫歯の治療をしなければならないな、などと冗談を思う。外部装飾のステンレスがまだ綺麗に見えるのはオーナーが手入れをしているからだろうか。それにしても、いつもながら強烈なデザインに、いやがおうにも目を奪われる。

「ARK」
設計者:高松伸 竣工:1983年 京都市伏見区桃山町

’07関西建築紀行「激闘編」 其の7“街角の芸術”

2007年05月10日 22時43分24秒 | 建築
 地下街の換気を目的とした「梅田換気塔」を、日没後に見に行く。夜間はライトアップされ、オブジェ然とした姿がいっそう引き立つ。もう40年以上前に建ったのだが、ステンレス板を使用した仕上げはゲーリー作品のようだ。勿論こちらの方が古いが。
 直線を用いない村野氏のデザインが特徴的である。これはまさに梅田のランドマークだ。

 ところで、どうにかこの換気塔を間近に見たかったのだが、渡る道が無かった。斜め横断しようにも車の量が多い。命あっての物ダネ。無茶は止そう。

「梅田換気塔」
設計者:村野藤吾 竣工:1963年 大阪市北区梅田1

’07関西建築紀行「激闘編」 其の6“建築見るのも楽じゃない”

2007年05月06日 14時02分44秒 | 建築
 目的の建築を見る際に、当然内部も見てみたくなるし、見なければならないのだが、案外内部見学を断念しなければならないことも多い。しかし、パブリックな種類の建築であれば、お金さえ出せば内部をみることも出来る。それが、先に記事にした老舗旅館「俵屋」のように敷居が高いと、やはり諦めてしまうのだが、ホテルのレストランぐらいであれば、何とかなる。それでも学生諸氏には辛いであろうが。

 という訳で、「国立京都国際会館」で昼食を取った後、こちら「グランドプリンスホテル京都/旧京都宝ヶ池プリンスホテル」のレストランへ向かった。村野藤吾氏設計であるが、施工中にお亡くなりになられ、氏は完成した姿を見ていない。遺作となった村野氏デザインのゆったりとした曲線を随所に感じながら、コーヒーだけを頼もうとしたのだが、ついサンドイッチも頼んでしまった。今、昼食をとったばかりなのに…。その分、ゆっくりとロビーや1階共用部、外構の庭園などを見た。やはり建築探訪は「激闘」なのである。
 そう言えば昨年の今頃は円形校舎を訪ね歩いていたことを思い出した。ホテル客室部分を外部から見ながら、「そうだ、今年も円形校舎を訪ねなければ。」と思った。

 この日は天気にも恵まれ、春の風景によく似合うホテルを見ることが出来た。

「グランドプリンスホテル京都」
設計者:村野藤吾 竣工:1986年 京都市左京区宝ヶ池

かなり寒かったけれども

2007年05月05日 18時33分29秒 | 趣味
 さらに夜、久しぶりにハーレーに乗る友人K君と会い、またまた珈琲を飲む。K君のハーレーも10年選手で長いこと乗っている。しかし今夜は、同じHONDA Z50モンキーで集合することにした。K君のモンキーの名は“新サイクロン”速そうだ。ぷいんぷいん、ぷいんぷいん。寒い星空の下それぞれの家路を2台のモンキーが疾走した。

’07関西建築紀行「激闘編」 其の5“伽藍配置”

2007年05月05日 17時40分17秒 | 建築
 今回の関西建築研修は安藤忠雄氏の「光の教会」に始まり、同じく安藤建築「サントリーミュージアム」で終わったのだが、初日に大阪の「四天王寺」を見学し、最終日「近つ飛鳥博物館」を見ている。この博物館の敷地には数々の陵墓があり、聖徳太子の墓もある。四天王寺には安藤建築の「四天王寺学園」が建つ。まさに安藤建築に始まり、安藤建築で締めた研修旅行であった。そして、聖徳太子で始まり、聖徳太子で終えた研修とも言える。

 「四天王寺」は聖徳太子が建立したと伝えられる寺院である。中心伽藍はどれも戦後に再建されたものだが、今もその配置は忠実に守られている。正面の門から見て塔、金堂、講堂が一直線上に配置されている「四天王寺式伽藍配置」という。
 重要文化財に指定されたものは江戸時代に再建されたものだ。中心伽藍はRC造である為、建物自体の歴史の重さには欠ける。しかし寺院としての歴史は飛鳥寺に並ぶほど古い。周りに配された江戸時代の伽藍などを廻り、聖徳太子に思いを馳せる。

「四天王寺」
開基:聖徳太子 建立年:593年 大阪市天王寺区四天王寺1-11-18

まだまだ、温かかったので

2007年05月03日 19時35分37秒 | 趣味
 カフェ・エスキスに着いた。店内で様々な展示会をしているエスキスでは現在「ウィンターサーカス」という雪を使ったアートの写真展を開催している。うちの専門学校がお世話になっているOB、五十嵐さんも参加されたプロジェクトで、氏の作品も展示されている。こういった北海道ならではのプロジェクトは良いなと思う。

 珈琲を頂いて、今度こそ「家に帰ろう」とモンきちを走らせる。「ん?」…「寒い!」「寒いやないのー」あー、ここは北海道。日が暮れると途端に寒くなる。ぷいんぷいん…。丁度、夕日に向かって走り続けた。家はもうすぐだ。

「Cafe Esquisse」
札幌市中央区北1条西23丁目1-1

今日、天気が良かったので

2007年05月03日 19時08分06秒 | 趣味
 昼食も取らずに3時過ぎまでPCの前に座っていたら、無性にバイクに乗りたくなった。丁度、お腹もすいてきた頃だったので、PRESS CAFE’のマスターから紹介して頂いたpippin/松風に遅い昼食を取りに行くことにした。今年の初乗りはHONDA Z50「モンきち」君である。因みにゼファー750は「銀エビ」君。新顔のロータス・ヨーロッパ“泣いた赤鬼号”は「大工の鬼六」。

 モンきちを、ぷいんぷいんと走らせて北海道神宮の前を通過し、大鳥居もくぐり、近代美術館の交差点で右折する。「ふー、大ツーリングだぜ!!」モンきちも今年で4シーズン目だが、未だトラブル知らずで元気に走る。
 pippinでカレーライスを食べ、まつぼっくりも食べ、表の行灯と記念撮影して帰途についた。「帰りは裏道を走ろう。」「ん?このまま進めばカフェ・エスキスだ。」「エスキス行っちゃおうかな。」ということでエスキスへ。

「pippin/松風」
札幌市中央区北1条西17丁目1-48パシフィック近代美術館前1F

’07関西建築紀行「激闘編」 其の4“中を見なけりゃ始まらない”

2007年05月03日 12時18分00秒 | 建築
 「中に入って見なければ、その価値の半分も分からない。」パリのピエール・シャローの「ガラスの家」、安藤忠雄氏の「光の教会」、吉村順三氏のこの建築もそうだ。書籍や映像ではよく取り上げられ、中庭をはじめ様々な素晴らしいおさまりを持つ建築。だが、しかし…ここは京都で、しかも老舗の旅館とくれば、浮かぶ言葉は「一見さん、お断り」である。風格ある外観に気圧され、やけに敷居が高く感じられた。

 一昨年吉村氏の「軽井沢の山荘」を始めとする建築の紹介映像が「新日曜美術館」で放映された。その際、細かいモデュールであるとか、おさまりが紹介されていてとても勉強になった。この建築は残念ながら紹介されなかったが、別の番組では取り上げられたこともあるという。
 一番良いのは宿泊することだが、さすがに躊躇われる宿泊料金に溜息しか出ない。いつかは、と思うのだが。

「俵屋」
設計者:吉村順三 竣工:1958年 京都府京都市中京区麩屋町御池下ル

’07関西建築紀行「激闘編」 其の3“緑化だけではない”

2007年05月01日 23時30分42秒 | 建築
 「大阪ガス実験集合住宅NEXT21」には、様々なテクノロジーが用いられている。住棟緑化は勿論、コージェネレーション、燃料電池、スケルトンとインフィルの分離、本当に沢山の技術が導入されている。街路からこの建築をチラッと見た学生達がすぐに歓声を上げた。個性的なファサードも印象的で、実際に見ると良い雰囲気なのだ。写真で初めて見た時には「おかしな建物だな」と思ったのであるが。

 1階の共用部には展示室なども有り、煩くせず居住者に配慮すれば見学して怒られることも無いであろう。以前は見学用に2戸を開放していたそうだが、現在は全住戸、居住している。

 この、建築のコンセプトを表す住居を抱えた植物(樹木)が空中に浮かび、何羽もの鳥が舞うイラストはまるで「天空の城ラピュタ」のようだった。

「大阪ガス実験集合住宅NEXT21」
設計者:大阪ガスNEXT21建設委員会 竣工:1993年 大阪市天王寺区清水谷町6-16