JRの事故から一年。
新聞でも数日前から残された方々の心の傷が癒えていないことを
記事にしているのを読むことが多い。
新聞に残された遺族の方のコメントが載っていた。
病気みたいに最後を見届ければ死を受け入れることが出来るかも
知れないが、朝、元気な顔を見て晩には動かない子供を見れば
それは現実として受け止められない。
そうですよね。
もし私が朝会社に行って帰ってきたら嫁子供が亡骸に変わり果てていれば
それは、決して受け止めることの出来ない現実として突きつけられるだろう。
JRは、一年の今日という日の同時刻に通過する電車の汽笛をならし
現地を徐行した。
2年目、3年目も同じ事をするのだろうか。
病気で死ぬのは寿命と言えるかも知れない。
しかし、他の力が加わりこの世を去ったのなら残されたモノは、何を
心の支えにしていけばよいのだろう。
人間いつかは死ぬんだ、死ぬんだけど。。。
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