Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

Rockers(ロッカーズ)

2005-11-28 22:38:45 | 映画
昨日、暇に任せてCATVの映画検索をかけていたら偶然『Rocers(ロッカーズ)』というのが引っかかった。普段は音楽専門のチャンネル『スペース・シャワーTV』である。まさかと思い詳細を確認すると(1978年・アメリカ)とある。思わず録画して今日見てしまった。

この映画は私が初めて観たジャマイカを舞台にした延々とBGMにレゲエが流れ続けるゆるゆるの映画である。

とにかくオープニングからぶっ飛んでいる。ジャマイカの田舎と思われる村の酋長とおぼしき人物が後ろで村人が奏でるゆるゆるのレゲエの音楽に合わせてマリファナと思しき巨大なパイプを吸い、煙をボカボカ吐いている。そして朦朧とした顔で突然世界平和と愛を語り出す...。

初めて見たときはよく分からず見ている途中で寝てしまった。

ところが十数年前ボブ・マーリィーに魅せられレゲエを聴くようになったとき渋谷のパルコでのリバイバル上映を観てカルチャーショックを受けた。しかし、あまりにもマニアックな作品のためその後もレンタルビデオ屋で見ることも無く存在自体すっかり忘れてしまっていた物である。2002年にレイトショーリバイバルに伴いDVDも発売されたらしいがあっという間に生産完了になってしまったとのこと。このような経過から考えてもいかにもラスタ的である。


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ジャマイカでドラマーとして活動している主人公リロイ・ホースマウスは妻と3人の子供を抱え、音楽だけでは生活できず、レコードの配達販売を始めることに。そのために借金して中古のオートバイを買った主人公は街で一番のセールスマンを目指すが、何者かに商売道具のオートバイを盗まれてしまう!だがふとしたきっかけで、盗んだのが雇われ先のナイトクラブのマネージャーだと知った主人公は仲間と共にオートバイを取り返しにいくが・・・。

1978年に制作された伝説のレゲエ・ムービーが復活した。オール・ジャマイカロケで、レゲエのファンなら垂涎もののミュージシャンたちがラスタマンの日常を演じ、全編にピーター・トッシュ、バニー・ウェイラー等のご機嫌な音楽が流れる。アドヴェンチャーものとしても愉快で、純朴な男たちが繰り広げるコメディとしても楽しめる。

以上goo 映画"ロッカーズ"より抜粋
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バイクを盗まれた主人公が
「なんてこった。バイクが盗まれた。赤いライオンのマークのバイクを見なかったか?」
とぜんぜん緊張感なく途方に暮れジャマイカのスラムをウロウロする姿はバカバカしくも情けない..。

ストーリーはあまり気にしないで酒でも飲みながらBGMがてら何となく見るにはオススメかも知れない。

冬瓜パニック

2005-11-27 22:55:02 | Weblog
沖縄の知人から大きな包が届いた。開けてみると、どでかい冬瓜(とうがん)が2本と共に手紙が入っていた。

『今年は良いのが出来過ぎて大変だ。是非食ってくれ!』


【これが届いた冬瓜・手前の飴の一巻きと比較すれば大きさは分かるであろう】

スーパーでも見るのは普通1/12程度、どんなに大きくても1/8程度である。嫁が好きなため、たまに食卓には上るがいくら冬瓜が好きでもまるまる2本は家だけではとうてい食いきれない。かといって日常的に食卓に上る物でもないので近所に配るのも気が引ける。貰ってもありがた迷惑かも知れない...。

処分に困り嫁の実家へ持っていく。玄関先で、
「冬瓜食いませんか?」
と箱の中身を見せると向こうも嬉しい反面困ったようで、
「食いませんかってそんなどでかいもの2本持ってこられてもなぁ。まあ、どうにかするよ...。」
と笑いながら1本引き受けてくれた。

しかし、残る1本どうした物か...。

昼過ぎ、近所のガキ共が家の前で遊び出した時間、見えるように玄関の外にこの冬瓜出して、高箒を持ち出し滅多にしない家の前の掃き掃除を始めた。予想通り間もなく遊んでいたガキ共がこの冬瓜に気付き井戸端会議をしていた親を呼んできた。大人達は驚いた顔で、
「何ですか?これは??」
と聞いてきた。冬瓜の説明をし、簡単な料理の仕方も伝える。ガキ共も興味津々である。
「良かったら後で届けますよ。」
この台詞にガキ共は大喜びである。こうして3家族にどうにか捌いた。

それでもまだかなりあるが後はどうにかなるだろう...。

今夜、我が家にもこれを料理した麻婆冬瓜なるものが出た。美味。明日は煮物を作るという。しかし、たまに食うから美味いが、これ二本を食いきるまで毎日食ったらいくら料理のバリエーションを変えても食感に飽きてしまうことだろう。

真夜中の弥次さん喜多さん(逆輸入版)

2005-11-26 20:50:11 | 映画
先日ネットオークションで落札した『真夜中の弥次さん喜多さん』のDVDが航空便で届いた。パッケージと送り先から察するに販売者が中国のHMV上海店で購入したようである。



『真夜中的弥次先生喜多先生』というタイトルが何ともシュールである。写真ではわかりにくいが原作『レりゆがり寿』というのもすごい。おそらく日本語版から訳する際漢字はともかく『し』を『レ』に『あ』も似たような『ゆ』を当てたのだろう。同様に出演者の『研ナオユ(コ)』も笑える。

再生してみて驚いた。先日レンタル店で借りてきたものと全く同じで日本語ベースであり特典映像まで付いていた。字幕の選択に英語と中国語があったので上海の人達はそれで楽しむのだろう。

送料込み1,500円の中国販売分であったが、まさにお買い得であった。

それにしてもこの作品、海外受けはどうなのだろうか?アーサー王はわかるにしても日本のスーパー銭湯や三途の川の場面などは理解できないような気もするが...。

アストロ球団

2005-11-25 18:55:25 | 音楽
ドラマ-アストロ球団-アツく破天荒な世界
 鉄球を投げて会得した驚異の変化球「三段ドロップ」、砕けたバットの破片とボールが一緒に飛んでいく「ジャコビニ流星打法」・・・・・・。
 もはや野球と呼んでいいのか分からない超人技が乱れ飛ぶ伝説のマンガ「アストロ球団」(遠崎史朗作、中島徳博画)が、実写ドラマ化されテレビ朝日などで放映中だ。DVD第1巻も28日に発売される。
 名投手・沢村栄治の意志を継ぐ謎の男シュウロのもと、超人たちが集結し世界最強を目指す。シュウロ役千葉真一さんがさすがの存在感で、破天荒な劇画的世界を支える。林剛史さん演じるエース球一ら選手たちのプレーも血しぶき全開。
 初めはちょっと引いて見ていたが、ノリノリの挿入歌「男ならやってみな~」のリフレイン効果で、バカバカしくもアツい世界にいつしか引き込まれてしまう。(小原篤)

以上、朝日新聞朝刊10/27文化総合面より抜粋

この記事をすっかり忘れて、行ったレンタルショップで1・2巻が陳列されていた。パッケージを見て驚いた。出演者に古田・上原・谷・小坂・小笠原等々プロ野球界の大物9人の名前が書いてあった。
原作は私が小学校の頃「少年ジャンプ」に連載されていた漫画だがほとんど記憶がない。ただ、放課後の校庭で友達とやった野球もどきの遊びの最中にはこの『三段ドロップ』や『流星打法』を叫びながら駆け回ったものである。

見ていて記事通りバカバカしくもアツい世界に引き込まれてしまった。70年代中程の作品にもかかわらず、当時『巨人の星』『侍ジャイアンツ』等で絶大な人気のジャイアンツを如実に悪役に据えプロ野球への新規球団参入を要求するこの『アストロ球団』を野球機構が寄ってたかって妨害するという設定が今風で凄い。また球団設立の目的が大リーグを叩き潰し世界一の球団になるというスケールも当時としては斬新である。各話中だるみはするもののクライマックスになると上述の挿入歌が流れ、どうしても続きが気になってしまう。当たり前のことであるがバカバカしい低予算の番組のため地上波放映は平日夜中の3:10からである。CSにおいてはPPV方式である。

おすすめはしないが暇つぶしにはうってつけである。



言い忘れたが挿入歌が凄い。いったん頭を回り出すと果てしなく繰り返してしまう。特に2番の詞が70年代っぽい。

アストロ球団応援歌~絶叫ver.~ 怒髪天
作詞 遠藤史朗/中島徳博/増子直純 作曲 上原子友康

(一試合完全燃焼)
男なら男なら
男ならこそ死ぬ気でかけた
野球ひとすじアストロ戦士
度胸一発ぶっかませ

男ならやってみな
超人ガッツでやってみな

(ジャコビニ流星打法)
男なら男なら
タマとバットは男のあかし
どんとやらにゃ男がすたる
世界制覇のその日まで

男ならやってみな
超人ガッツでやってみな

(ファントム大魔球)
男なら男なら
レイテの島で無念に散った
意志を受けつぐボールのあざに
誓い倒すぞ大リーグ

男ならやってみな
超人ガッツでやってみな

男ならやってみな
超人ガッツでやってみな
(飛べ!不死鳥!!)

雪中キャンプ

2005-11-24 19:15:07 | 
白樺湖までもどり何となく霧ヶ峰方面へ行ってみた。さっきまで登っていた蓼科山が夕日に赤く燃えてきれいだった。その後Uターンし、白樺湖を抜ける。

【ビーナスラインからの蓼科山】

14年前の2月ここで初めて仲間のオイカワ・イタバシと3人で雪中耐寒キャンプをしたことを思い出した。
3人とも雪中キャンプは全くの初めてで翌日残りのメンバー12人が来るための先発隊だった。装備に至っては当然高額なものには手が出ず、目出し帽・Tシャツ・綿シャツ(薄)・綿シャツ(厚)・トレーナー・MA1で下はジーパンに長靴、雪が降ればカッパでどうにかした。どこからどう見ても怪しい格好であった。

3泊で最低が氷点下10度程度であったが、行った初日は体が慣れていないためかべらぼうに寒くてどうしようもなかった。夜8時に閉鎖されたキャンプ場に到着するも面倒だったため吹きっさらし駐車場にテントを設営した。温まるため酒盛りをするも持って行ったテントが7人用のドームテントだったためなかなか暖まらなかった。ようやく暖まりかけたので寝ようとするもシュラフは夏用のものを2枚重ね。着込んでいるためシュラフにもぐるのさえ大変であった。おまけに私の外側に使ったシュラフは兄貴のお下がりでなぜか足下が破れていて風が入ってきて寒い。しかも当然のことであるが温まるために酒盛りをしたため寝ているとトイレに起こさせる。深夜寒くなる一方の時間帯、寒いため寄り添って寝ている仲間が入れ替わり立ち替わりテントの外に出るわけである。初日はそれほど眠れなかった。

翌朝、目覚めるとテントの中はびっしりと霜で覆われていた。3人の人いきれがテントの内面で冷えて凍ってしまっていたのだ。「どうにか生き延びたな。」今となっては当たり前のことだが初めての3人にとってはこのオイカワの言葉は感激だった。日が差し始めたので外へ出て朝食を作り始めた。前の晩途中のコンビニで買ってきた冷凍食品は凍ったままであった。そればかりか私のコンタクトレンズの保存液も凍っていた。幸いにして硬化ケースに入れたレンズは無事だった。もはや笑うしかなかった。

昼過ぎに残る12名が合流した。その日からは雪中トレーニング&設営の合間の3食毎に鍋を作って食った。忘れられないのは雪と水で氷のテーブルを作ったときのことである。一息入れようとシェラカップをそこに置きコーヒーを注いだら見る見るうちに熱で氷が溶け、カップがテーブルに埋もれていった。全員分炒れて飲むときには既に先に注いだメンバーのカップはアイスコーヒーになっていた。

【2月の蓼科山】

このキャンプが元となり、雪の上での遊びにはまっていった。その後、嫁と行った北海道での耐寒キャンプツーリング・スノーシューイング・低山雪山登山等に発展していったのである。

今のところの最低気温の記録は2002.12.30屈斜路湖和琴半島での氷点下25.1度のテント泊である。その年の夏は沖縄波照間島へ行き37度を体感した。温度差62.1度。日本の国土の広さを実感したものだ。

山バッジ

2005-11-23 18:35:04 | 登山・アウトドア
下山後、青木湖のお土産屋で蓼科山のバッジを探すが見あたらない。店のおばさんに訊くと蓼科の山小屋か御泉水自然園の売店でしか売っていないと言われた。販売経路が違うらしく町の売店では扱っていないらしい。

この山バッジ日本各地の名山に応じて販売されているらしくその山の山小屋や登山口近辺の売店などで売られている。歴史はかなり古いようで私が覚えている限りでは30年以上前に安達太良山麓の売店で母親に買ってもらった記憶がある。


【集めた山バッジ】

山行をある程度再開した際、登った山のバッジが上述のような場所で売られているのに気づきなんとなく集め始めた。一個あたり400~500円、かさばらず重くないため良い記念になる。また山によっては数種類出されてもいるが基本的には山名と標高が記載されているものを一個だけ購入している。とりあえず現時点で100名山分は販売されているという事は確認できているが山によっては小屋や売店が無いためどこで売っているのかがわからなく入手が困難な場合が多々ある。今年3月に登った伊豆の天城山(1,406m)などは登山ルートに売店や山小屋が一切無く、下山後何となく立ち寄った道の駅『天城越え』で偶然見つけた。


【三峰中央が万二郎岳(1,320m)横から見た万三郎岳(天城本山)】


【天城山頂からの唯一の眺望・中央が見えにくいが富士山】

開聞岳に至っては登山口横にある会員制のグラススキーの受付の建物の中だった。幌尻岳は山小屋で買えたが管理人のいない時期は平取町役場の振内支所で買えるとのことだった。まだこのあたりはそれでも良いようで中には登山者が多い時期のみ登山口に現れる駐車場の管理人さんが、駐車料金を徴収する傍ら売っているようなところもあるという。

今回のように買えなかった場合はまた季節の良い時期にツーリングで買いに行く楽しみとなるわけである。

始末書

2005-11-22 20:16:09 | 登山・アウトドア
蓼科山荘のそばにこんな立て看板があった。



思わず笑ってしまった。禁止の看板は他の山でも見るが始末書というのは初めてである。見つかった場合、いったいどのような文章になるのだろうか。またその始末書は所轄の望月警察署あるいは管轄の立科(蓼科ではない)町役場に報告されるのであろうか。


【4月末まで営業終了の蓼科山荘】

文案を考えてみた。当然本物は縦書きになる。また日本の役所向けの正式な書面のため年号は和暦となる。

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始末書

望月警察署長(立科町長)殿

私、○○××は平成17年11月19日(土)14:05頃、長
野県北佐久郡立科町将軍平蓼科山荘付近にて尿意
をもよおし、トイレに行くのを押さえきれず放尿をして
いた現場を△△□□蓼科山荘管理人に発見され叱
咤されました。

いかに生理現象とはいえ成人としてあるまじき行為
でありましたことをここに重々反省し、心からお詫び
申し上げます。

また今後二度とこのような不祥事を起こさないことを
固く誓いますとともに、ご迷惑をおかけしました関係
各所に深くお詫び申し上げます。

平成17年11月20日

東京都国分寺市北恋ヶ窪63-53-82
○○××  印
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このような文章が山小屋の管理人を通して担当窓口にて提出され、各課長・部長の決済を経て署(町)長まで回るのだろうか。なんとも妙な話である。

なんだか暇に任せて書いていて馬鹿馬鹿しくなってきた(=_=;)

蓼科山(2,530m)

2005-11-19 22:55:05 | 登山・アウトドア
中央自動車道をジムニーで西へ走る。八王子インターを抜けると高速から見える紅葉はちょうど見頃で気持ちがよかった。

朝になって一日予定が空いてしまった。家の窓からは富士山がはっきりと見え、一人で留守番するにはもったいない程の天気である。しかし登山へ出かけるには時間的に遅すぎる。

08:00 時間的に無理だったら紅葉狩りツーリングに切り替えることで当たりを付けて出発。

甲府を過ぎると冬の日差しに南アルプスが見え始めた。気分が高揚してくる。韮崎に入るとはっきり見えだした八ヶ岳は未だにほとんど雪がなかった。


【中央高速からの八ヶ岳】

10:30 諏訪インターを出て北上。西側から見た八ヶ岳は雪を被っていた。しばらく進むと今回の目的地である蓼科山(標高2,530m)が見えてきた。

11:30 一の鳥居登山口着。昼食後、水を汲もうと駐車場横の水場に向かって焦った。凍結防止のため水道が止められていた。やむなく1km程下の御泉水自然園まで引き返す。ところがここも11月1日に閉鎖という張り紙とともに名前とは裏腹に水道さえも止められていた。結局さらに4km程引き返し女神湖のホテルで給水した。

12:36 登山開始。既に登山道には雪がある。下山してきた人にアイゼンの必要性を聞くと軽アイゼンで大丈夫とのことだった。平坦な樹林帯を進み、15分ほどで馬返しの分岐を抜ける。ここから一気に急坂になり零下2度の気温でもTシャツに綿の長袖だけで汗だくになった。気を抜くと滑るのでトレッキングポールで体を支えながらの登山となった。それにしても登るに連れ背後に見えてくる美ヶ原(標高2,034m)の風景が気持ちがいい。気づけば補水アイテムのハイドレーションのチューブの水が凍りかけていた。


【背後に見えてきた美ヶ原】

14:05 突然目の前に既に閉鎖された蓼科山荘が現れた。来年の4月下旬までは冬季休業だそうだ。将軍平と呼ばれるここを過ぎると次第に岩が多くなり森林限界を超えさらに険しさを増す。

14:30 蓼科山頂着。雪が積もった広い岩だらけの頂上には人影が全くなく貸し切りだった。目の前には5月に登った八ヶ岳連峰がどかんと構え、霧ヶ峰、美ヶ原、浅間山、奥武蔵・奥秩父の山塊がきれいに見えた。


【頂上から見た八ヶ岳・右手が南アルプス】

【頂上から中央・北アルプスを望む】

写真を撮るも6枚でバッテリー不足。気温は氷点下13度であった。あわててバッテリーを手で温め写真を撮る。しかしこの格好ではあまりにも寒い。パーカーを出すのも面倒なので程なく下山を開始する。


【将軍平に映る蓼科山の影】

15:55 同じルートを戻り、駐車場着。登りの将軍平ですれ違った下山者以後は誰にも会わなかった。ハイドレーションのチューブは完全に凍り付き、もとのペットボトルの中身も凍り始めていた。

おそらく今年の100名山行はこれで終わりであろう。1月3日の雲取山に始まり8座合計28登頂である。7ヶ月ぶりの雪山登山となったが簡単に登れる山ではあっても冬独特の風景が楽しめ非常に楽しかった。

これで奥多摩山塊・八ヶ岳山域はすべて制覇となった。

焼酎

2005-11-18 23:18:13 | 
昨日に続き酒の話。

私は6年前までは酒といえばビールか日本酒であり、たまにウィスキーを飲む程度だった。

焼酎に関してはろくに酒の味も知らない学生の頃、大学の小汚い部室に転がっている安い合成アルコール焼酎をまさに浴びるように飲んでいたため味自体はあまりよくわからず、また飲み屋で頼んでもサワー程度であった。

6年前の5月、屋久島へ初めて行ったときのことだ。ライダーハウスの庭にテントを張らせてもらい自炊をしていた。翌日は樹齢7,200年の縄文杉を見に行くため、早めに食って寝ようと考えていた。ところが、そこで知り合った面々と宴会になった。ビールも3本も飲めば違うものを飲んでみたくなる。とはいっても私は早く寝ようと考えていたため、他に酒を買って来てはいなかった。すると一緒に飲んでいた人達が島の名物・芋焼酎を勧めてくれた。断るのも悪いので何となくシェラカップに注いでもらった。思った通り臭いがきつくて非常にまずい。しかし酔ってくるとどうでもよくなる。がんがん飲んで酔っぱらって寝てしまった。

翌日はあれだけ飲んだにもかかわらず二日酔いはほとんどなく縄文杉登山に行った。

下山後、酒屋に行って改めて驚いた。島の酒屋にはビールや洋酒類は普通にあるが、日本酒類はほとんどおいていなかった。
結局滞在した9日間ビールとこのまずい三岳という芋焼酎をひたすら飲んでいた。



帰宅後、日常に戻り仕事から帰りビールを飲むがなぜか物足りない。思いだし、ライディングジャケットのポケットを探ると飲みかけの三岳のペットボトルが出てきた。島へ行っている間に焼酎の味がなんとなく理解できてきたらしい。

こうして新たに焼酎というレパートリーが増えたのだ。

ボージョレ・ヌーボー

2005-11-17 16:57:58 | Weblog
電車に乗る際、駅構内でいきなりワインの試飲を配っていた。

...なんで東京とはいえこんな急行列車も止まらない北多摩のローカル駅で?

と思っていると都心の駅では“本日解禁・フランスボージョレ・ヌーボー”と大々的に幟や垂れ幕が飾られキャンペーンねーちゃんがワインを勧めていた。

駅を出て家電量販店の前を通る。なぜかそこでも駅と同じようにイベント的にワインが配られていた。

【家電量販店前】【分かりにくいんで拡大】

気づけばデパートの入口・コンビニの前・公園のイベント広場等々あちこちでこの風景を見ることができた。

世の中景気が回復してきたというのは本当のことなのだろうか?
10数年前のバブル期にもワインに限ったことではなく様々な新製品・商品に関するこんな風景があったことを思い出した。

しかし当時とは違い、試飲する人達はいるものの買っていく人はほとんどいないようだった。

街のいたるところで試飲を勧められたが、私はそれほどワインは飲まない。それ以前にどうもこのようなキャンペーンは販売する側と採り上げるマスコミに踊らされているようで嫌いなのだ。

どうせなら焼酎のキャンペーンでも大々的にやってほしいものである。好きな飲み物ならすすんで踊りに行くことだろう。

真夜中の弥次さん喜多さん

2005-11-13 23:13:06 | 映画
お伊勢を目指せ!時代劇の常識をブチ破る奇想天外な冒険!
ディープに愛し合う、ワイルドで男らしい弥次さん(長瀬智也)とヤク中の喜多さん(中村七之助)は“リヤル(現実)”を探してお伊勢さまを目指す“てめぇ探しの旅”に出発。しかし、行く手には笑いをとらないと通れない関所、歌い踊る主人のいる茶屋、アーサー王のとろろ汁屋など奇天烈な関門が・・・。果たして二人の旅はどこにたどり着くのだろうか!?

以上 Amazon.co.jp レビューより抜粋



朝日新聞夕刊連載中『地球防衛家の人々』の作者しりあがり寿原作の漫画の映画化作品である。
この漫画家、1コマ・4コマ漫画はシュールで笑えるのだが、長編ものははっきり言ってつまらない。以前この『真夜中の弥次さん喜多さん』も読んではみたがご多分に漏れなかった。

それでも先週末DVDを借りてきた。主演の二人がアイドルと歌舞伎役者のため、ストーリーが明快でドラマ性があるのではと思ったからである。

結果、124分があっという間だった。一場面一場面がいちいち笑える。まるで延々と展開するしりあがり寿独特の4コマ漫画を見せられている気分だった。時代劇にもかかわらず弥次さんがいちいち口にする「さんでー・まんでー・てやんでぃ!」の台詞が、また突然登場するハーレーダビッドソンやアーサー王がしりあがり寿の漫画に漂うシュール(不条理さ)を醸しだし、それが笑えるのだ。特にアーサー王(中村勘三郎)のとろろ汁屋の場面では嫁も気持ちが悪いといいながらも笑い転げていた。
気分的にはデビッド・フィンチャーのファイトクラブを見終わった後の満足感だった。日本映画にしてはかなりのレベルではないかと思う。


【アーサー王役の中村勘三郎・頭にかぶった新聞紙で折ったカブトがなかなかいい】

しかし、Amazon.co.jpのレビューは「つまらない」「期待はずれ」の酷評が大部分であった。基本的なことだがこの手の作品はストーリーを追っていったらさっぱりわからなくなる。まして原作の『東海道中膝栗毛』のもじりだと考えたらこのように悲惨な結果になるのは明白である。

見終わった後チェックしたネットオークションで送料込み1,500円即決でこのDVDが出品されているにもかかわらず、入札がないのには驚いた(即決で落札してしまった)。

話の終わり方から見てまだ続編が作れそうである。単館ロードショーでかまわないので是非続編を期待したい。

多摩川・羽村堰(はむらせき)

2005-11-12 21:31:03 | 
雨のち晴予報がはずれ、朝には雨も上がり良い感じの小春日和である。
家の窓からは富士山がしっかり見えるがどうしたものか?

午前中、嫁と子供二人を連れ、思いつきで新青梅街道を西へ。羽村堰へ向かう。我が家から車で30分程の東京都羽村市にある羽村堰から取水された多摩川の水は、玉川上水(たまがわじょうすい)に流れ込み、浄化されて東京都の上水道に供給される。江戸時代17世紀半ばの事業というから驚きである。

【多摩川上水】

この上水、意外に長く西武拝島線・新宿線とJR中央線の間を延々と43kmを流れ、最終地点は新宿御苑の四谷大木戸となる。

途中西武拝島線玉川上水駅近くで分岐した一方は野火止用水となり北多摩地区を北東に進み、埼玉を流れる柳瀬川を経て荒川へ流れ込む。あまり知られていないらしいが多摩川と荒川は繋がっているのだ。


【中央が玉川上水取水口・この辺りは夏場、子供達の格好の遊び場となる】

この羽村堰、ちょっと遊びに行くには良い場所である。この辺りの多摩川は東京都の主流の割には比較的水は綺麗である。春は堤を覆うように植えられた桜が、夏は水浴びや川遊び、秋はバーベキューで賑わう。何より駐車場が無料なため時間を気にしなくていいのがすばらしい。


【奥の河原ではBBQが手前では魚釣りが良く行われている】

今日も堰でヘラブナ・マブナを中心とする釣りやバーベキューをする人々で賑わっていた。木枯らし1号が吹いたらしいがそんなに寒くはなく、子供を散歩させるにはうってつけの場所だった。

鮭の日

2005-11-11 21:04:14 | 
今日は鮭の日との事。部首の圭をばらすと十一月十一日という解釈だそうだ。
鮭は大好物で中学高校の頃の弁当は母親に頼み極力塩焼きを入れてもらっていたものだ。

数年前、北海道を旅したときのこと。夕暮れどき知床の宇土呂の町(知床オホーツク側の東端の町)で地のものを食おうと定食屋に入った。壁に貼られた品書きを見るもどれがオススメなのかよくわからない。その中に『鮭児定食・時価』というメニューがあった。女将に聞いたところ今日は2,000円で出せるという。私は旅先でケチることはしない。とりあえず注文してみた。厚切りの焼き鮭が2切れが皿に乗せられ出された。女将の説明だと手前が鮭児で奥がメヂカ(目近)といった。



詳しい説明を聞くと
メジカ(またはメヂカ)は秋の鮭漁で獲れる。
名前の由来は眼が近くに寄っているため「目近」。
種類は、シロザケ(秋味)。
定置網で1千尾に一匹程度の割合で獲れる。

鮭児(けいじ)
アムール川(黒竜江)系は日本近海やカムチャツカ半島(日本の鮭はベーリング海を回遊)を回遊する夏サケ(7、8月に遡上するシロザケ)。
11月上旬から中旬にかけて主に知床から網走付近でとれる脂ののった若いシロザケ。
1万尾に1~2匹の割合でしか獲れない。

とのことだった。

しかし、この2種類を食ったところ今ひとつ味の違いがわからない。確かにうまいがそこらのスーパーで売っているちょっと高価な鮭とあまり変わらない気がした。
それに伴い疑問が湧き上がる。なんでこんな貴重な魚が定食になっているのか?しかも、秋から冬にかけて捕れるのに私が行ったのは7月下旬である。
ふと考え、にっこり笑いながら女将に言った。
「珍しい鮭だからもし、まだ残ってるなら魚を見せて貰えますか?」
女将はあっさり
「良いですよ。ちょっと待ってて下さいね。」
といい、板場へ入るとトレーに乗った鮭を2尾持ってきてくれた。

【手前がメヂカ・奥が鮭児】

なんと、切り身の跡がないそのままの姿の2尾だった。そんな貴重な魚が何故1尾ずつこの時期に残っているのか。少なくとも私の食った片方が鮭児だとするならこの店には8ヶ月もの間定食で出せる程それが冷凍保存されているということである。あり得ない話である。目の前にあるこの鮭は本物のメヂカ・鮭児だとしても、確信は持てないが私が食った鮭はおそらく普通の鮭だったのだろう。まあ、笑い話のネタを得たこととして複雑な心境を抑え代金を払った。

まさに、まんまと一杯食わされた話である。

のど飴

2005-11-09 18:41:16 | Weblog
のどがいがらっぽい。風邪でもひくと厄介なので職場近くの売店にのど飴を買いに行く。馴染みの婆さんが偶然にも飴をなめながら店番をしていた。のど飴が見つからなかったので婆さんに
「のど飴ってどこにあるの?」
と尋ねると
「のどが痛いのかい?そこの奥にあるんだけど今私のなめかけがあるからちょっと待ってね。」
といってティッシュを取り出した。
一瞬戦慄が走る。
次の瞬間婆さんはティッシュで鼻をかみ、
「龍角散だからあまり美味くはないけどよく効くよ。」
といって割烹着のポケットから飴を差し出した。
私は笑いながら
「なんだよ、自分がなめてるのよこすのかと思ったよ!」
というと婆さんは
「そんなわけないじゃない!...でも確かに今のはそう思うかもねぇ。今度、本当になめてるのあげようか?あはははは!」
と洒落にならない冗談を言い豪快に笑った。



その後龍角散のど飴を一巻き買って帰った。婆さんが言うように効き目は絶大。いがらっぽさは消えた。

東村山音頭

2005-11-08 22:43:56 | 音楽
近所のCDショップが閉店というので掘り出し物を探しに行く。めぼしい物は無かったが、4年前の珍しいチラシがあったので貰ってきた。



なんと、あの東村山の名誉市民・志村けんが歌った『東村山音頭』のパラパラバージョンである。あまり知られてはいないが、東村山音頭は実在する。もともとあった三橋三智也が歌ったバージョンを志村けんがアレンジし日本中にブームを巻き起こしたのである。

東村山に住みだした頃、この曲が実在したことを盆踊りで知り、ショックを受けたものである。しかもそのパラパラバージョンがあったとは...。

地元民の嫁に訊いたところ更に驚いた。ヤツは東村山音頭を踊れるという(残念ながらパラパラバージョンは知らないらしいが)。しかも今も地元の小学校では夏休み前になると東京音頭と合わせてこれを指導しているそうだ。この東京にありながらにして漂う妙なB級の時差。東村山は侮れない(笑)

【これが元祖・東村山音頭 B面は何と春日八郎である】
【なんと志村けんバージョンは加藤茶のB面。しかも元祖と区別するためか、全員集合 東村山音頭 となっているのがいじらしい】

以下出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東村山音頭(ひがしむらやまおんど)は、1964年に東村山町農協が発売した、東京都北多摩郡東村山町(現在の東京都東村山市)制定の音頭である。
のちに、歌手の平田満(俳優の平田満とは別人)がカバーした。また志村けんが1976年にリメイクし、「8時だョ!全員集合」での少年少女合唱隊で披露した。志村けんの出世作でもある。
現在でもオリジナル版のカセットテープが市内のJA東京みらい東村山支店で入手できる。
志村けんバージョンが有名だが、志村けんバージョンはオリジナルとは歌詞が若干異なる。特に3丁目と1丁目はオリジナルには無い。3丁目はいかりや長介、1丁目は志村けんが作詞・作曲を担当している(丁目が若い数字になるほど歌詞がいい加減になる。3丁目は一部歌詞をオリジナルから拝借)。ちなみに志村けんバージョンの歌詞にある「東村山○丁目」という地名は実在しない。1976年頃、当時の小学生の多くは東村山まで訪れ、地元のお巡りさんに東村山1丁目から4丁目の場所を尋ねるといった社会現象が起こった。

【こちらが謎のアーティスト平田満のジャケット。B面があの田中星児で有名なビューティフルサンデーというのがもの凄い】