Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

火星最接近

2005-10-30 23:29:24 | Weblog
ショッピングモールをうろつく。いつも行くフロアの反対側にスポーツ用品が展示されているかなり広いスペースがある。珍しく覗いてみると死角となっていたスペースの奥にアウトドアの一角があることに気付いた。

どの程度の品物が置いてあるか早速偵察する。専門的な用品は無かったが、オートキャンプやちょっとしたハイキング程度の買い出しには充分な品揃えだった。
この手の店にはビギナーしか買わないような、あまり使わないような小物が色々おいてあって面白い。ぱっと見ただけでも下記のような物が陳列されていた。

ガスカートリッジの残ガスを抜くためのキット(缶切りで充分)
ランタンを吊すためのフック(ロープワークで充分)
砥石付き4本包丁セット(家で砥いで行けば充分・野外で4本も使わない)
有名ブランドのコースター(邪魔なだけである)
キャンプ場でシュラフ(寝袋)を干すための特製ロープ(帰宅後干せばいいだけのことである)

別に無くても困らないような小物が数百円で色々陳列されている。幼い頃からキャンプはやっているがこのような物が便利だと思ったことは一度もなく、また持っていった場合、出したり片づけたりするのが面倒で一度使ったきり物置にしまわれてしまうという品々である。

そんな品物の中にこのようなパッケージの物を見つけた。



蚊やブヨ等の害虫に刺される事から身を守るための防虫ネットである。一体こんな物を身につけてまでキャンプをする人ってどんな人なのだろう?確かにシベリヤやアラスカなどでの夏季にはこのようなネットを身につけないと活動出来ないという映像は見たことはあるが、よりによって日本、しかもこの10月末にこのような物を売っている事自体に笑ってしまった。

これではまるで火星探検である。ましてこの写真の人物の身につけている物はどう見ても薄手のシャツである。首から上は守ってもそこより下は虫に刺されてもいいのだろうか?それともその部分には虫除けスプレーでもたっぷり塗るのであろうか?活動中に汗まみれになった場合、顔を拭くのにはどうするのであろうか?また水を飲むときはどうするのであろうか?もし、普通にめくるのであれば、その際虫が入ったら追い出すのは大変ではないであろうか?

全く激しい疑問が残る。2年半ぶりとなる火星最接近の今日、こんなバカバカしい商品を見て色々とバカバカしいことを考えてしまった。

黒部峡谷

2005-10-28 23:20:21 | 登山・アウトドア
今回、長年のあこがれであった黒部下ノ廊下・水平歩道を縦走することが出来た。前にも記述したが渡渉等を必要としない歩道の部類では日本きっての魔境である。

この歩道、雑誌にはたまに掲載されるもののページ数が極めて少ない。写真はどれも似たり寄ったりでひどいものになると阿曽原温泉小屋が見開きの半分程を占める場合もある。反対に何故か仙人ダムのトンネルや高熱隧道の記事は見たことがない。しかし危険度が高いことの告知だけはしっかり成されている。

行ってみて分かったことであるが、説明を求められた場合確かに危険な場所という言葉が第一に出てくる。そのためカメラマンが雑誌掲載用に写真を撮ろうとしても自分の安全が確保できる撮影場所が限られ、当然アングル等の変化もほとんど見込めない場所である。このシリーズを読んで既にお気づきの方もいらっしゃるとは思うが、今回私は一眼レフを持参した。ところがこれは黒四ダムから内倉助出合までしか使えなかった。チェストハーネスを付けて胸に固定しても、歩行中に岩にカメラをぶつける可能性があり、また狭い歩道ではウェストバッグに詰め込むと出し入れが非常に厄介であった。まして二日目に至っては雨である。そのため、携帯電話での撮影となってしまった。機動性を考えてポケットカメラを持参しなかったのは大失策であった。

 【内倉助谷出合付近】

今回、紅葉にはまだ早かったがこのロングトレイル、渓谷を見ただけでも非常に楽しいものだった。また実感したことであるが人間慣れとは凄いものである。とくに下ノ廊下の8時間に及ぶ長丁場にもかかわらず時間が経つに従って恐怖感が薄れ一定のスピードを維持できたというのは今思えば感心するばかりである。

それにしても今回のメンバーが声を揃えて口にした
「こんな場所にこんな道を造ろうと考えること自体が凄い。」
またそれ以上に
「こんな場所にトンネルを掘って発電所を作ろうという発想ももの凄い。」

まさにあの人が歩けるのは一年の内の一月半といわれる自然が作り出した魔境にトンネルを掘る技術が既に戦前に存在したいう事実には圧倒された。残念なことに吉村昭の高熱隧道には記載は全くないが、労働に従事したのは朝鮮人労働者との事であった。

余談であるが夏に登った北海道幌尻岳・取水ダムまでの長い林道開発もそうである。日本各地にはこのような工事の跡が多々あるらしい。

話は変わるが、下ノ廊下に対して上ノ廊下というのも当然存在する。これは黒四ダムから上流を指す。こちらは沢登りの技術が必要で一般の登山装備では無理。また更にこの上流にある薬師沢小屋より鷲羽岳の源流域までを奥ノ廊下という。

日本屈指の難峰といわれる剱岳その裏側にある裏剱の下ノ廊下・水平歩道を縦走できた今回の山行、非常な達成感が得られた。いつかまた紅葉の真っ盛りにでも行ってみたいものである。

【参考図書】
黒部・底方の声 -黒三ダムと朝鮮人 内田すえの 桂書房
黒部へ 志水哲也 白山書房
黒部渓谷 冠松次郎 平凡社 
五〇歳から再開した山歩き 本多勝一 朝日新聞社


...どうもまとめの文章は苦手である(笑)

ETC エレクトロニック・トール・コレクション

2005-10-27 22:39:35 | 
18:50扇沢発。豊科で高速に乗る頃には土砂降りとなり、諏訪から中央道に入ると50km/h規制となった。100km/hで走るとワイパーが意味を成さず、前方が見えない状況だった。

ラジオでパ・リーグプレーオフセカンドステージ ホークス・マリーンズ戦を聞きながらひたすら車を走らせた。甲府にさしかかり9回土壇場で同点に追いつかれたマリーンズに嫌気がさしたとき、電光案内を見て更に嫌気がさした。上野原~相模湖間で事故のため高速を下ろされると知ったからだ。結局は逆転負けをし、リーグ優勝が先延ばしとなったマリーンズに落胆した頃、上野原が近づき渋滞が始まった。

ようやく料金所が見える場所へ行って驚いた。3カ所ある出口のうち混んでいるのは中央のETCの箇所のみ。両側の一般料金所はガラガラだった。私のジムニーにはETCシステムは搭載されていない。路肩を走り、料金所へ入りチケットを出すとおじさんは言った。
「お疲れ様でした...黒部の紅葉はどうでした?」
驚いて聞き返す。
「何故黒部の帰りって分かるんです!?」
「失礼しました。助手席のお土産袋に黒部って書いてあるもんで...。」
「なる程、そうですか。まだ、ちょっと早かったですね。後10日から2週間ですかねぇ。」
それにしてものんびりしている。後ろを見ようとした私の様子から察したのかおじさんは
「大丈夫ですよ。後続はいませんから。」
と言った。確かにその通りだった。更に言うには、
「ETCの普及率が鰻登りの割にはここのような小さな料金所はまだまだなんですよ...。このインターは出るとすぐに信号機があるんでETCでも渋滞するんです。相模湖で乗るならこれを下りる場所で一緒に出してください。24時間以内なら割引適用になるチケットですので...。気をつけて!」
そういっておじさんはピンクの紙を渡してくれた。

【表】
【裏】

ETCがこのまま普及していけば料金所によっては今まで通り現金払いの方が早くなる場所もあるという事だろうか?

その後、甲州街道(国道20号線)は混雑していなかったため相変わらずの豪雨の中、そのまま八王子経由で0:10自宅へ到着となった。

打ち上げ

2005-10-26 20:20:00 | 
宇奈月駅は観光客でごった返していた。しばらく土産物を買ったり眺めたりしたが折角なので温泉に浸かろうということになる。扇沢から回送サービスをかけておいた仲間のワンボックスに乗り込む。その後500円払って黒部川・宇奈月ダム湖の高台にある公衆浴場『とちの湯』に入浴。この宇奈月温泉、実は湯元はトロッコ電車の途中駅の黒薙温泉で大正13年、引湯管を設置して、現在の場所に温泉街が開かれたということであった。雨に叩かれた体には最高に気持ちが良かった。露天はまたもや我々3人の貸し切りである。40分程時間をかけてゆっくりと浸かる。時折対岸を欅平に登って行くトロッコ電車を眺め、その先の黒部峡谷に目をやると何ともいえない達成感で満たされた。3人とも同じ気分だったらしい。
ノサカさんが突然言った。
「俺、実は死んでたかも知れないんですよ...。」
よく理解できずに聞くと、昨日、下ノ廊下で写真を撮ろうとしてカメラを構えた際、うかつにもザックを歩道の壁面にこすり、谷側に押し出されたらしい。咄嗟にバランスを取りどうにか助かったが今思い出しても体に戦慄が走るとのこと。
ともかく無事で何より。入浴後、地ビールで乾杯!宇奈月地ビールは苦かったが美味。まったりする。



売店のおばさんは我々が黒四から下ノ廊下を抜けて来たと聞くと、
「よくもまあ、無事で何よりだねぇ。若い頃行ったけどもう、怖くて怖くて...。人もいっぱい亡くなってるし、熊も出るっていうし、落ちたまま見つからない人もたくさんいるからもう行きたくないよ。」
と言っていた。ここへ来る前に調べたデータでは過去5年に1人亡くなったという話以外に聞いていない。
「そんなに落ちてるんですか?」
「最近は死亡事故はあまり聞かないけど、昔は多かったのよ。テレビなんかで取り上げられるようになってかなり危ない景色が映されるからしっかりした人しか来なくなったからねぇ。」
と言っていた。

その後、女性陣が打ち上げを兼ねて富山湾の寿司が食いたいというと、黒部市街の『きときと寿司』という店を紹介してくれた。
車でわずか20分あっという間に日本海である。8号線沿いのその店は石川の氷見を拠点とする回転寿司らしいがネタは地元民にも定評があるとのことだった。
6人で乗り付け食いも食ったる35皿。さすがに満腹満足状態となった。



『きときと』とは富山弁で『ぴちぴち』という意味らしい。しかし魚にしか使われることはなく、けっして『きときとのギャル(なんともオヤジ臭い例えだ)』とは使わないらしい。

その後、小谷・白馬で土産物を買いながら130km離れた扇沢まで移動。


【小谷で買った地ビール・よなよなエール メチャメチャ美味かった】

白馬を過ぎると雨がまた強く降りだし、扇沢近辺では霧が濃くなり出した。
自分たちの車を認め、ノサカさんは言った。
「なんか、何日も前にここを出たような気がする。」
誰もがそう感じていた。出発したのは前日の朝のことである。それでもこれだけ非日常的な体験が続くとやはりここを出発したときが遙か昔に感じられる。
秋の山行は終了となった。また、このメンバーが主で来年またどこかへ行くことを約束し解散となった。

トロッコ電車

2005-10-25 20:37:23 | 登山・アウトドア
黒部峡谷鉄道(くろべきょうこくてつどう)は、富山県の黒部川沿いを走る黒部峡谷鉄道本線を運営する中小私鉄である。もとは黒部ダム建設の資材運搬用鉄道で便宜的に旅客扱いをしていた(当時の切符には安全の保障はしない旨の注意書きがあった)。1971年6月に関西電力から分社化され、地方鉄道事業の譲渡を受けたもので、現在でも関西電力の100%子会社である。
鉄道事業のほか、宇奈月駅・欅平駅などでのレストラン・売店の経営なども行う。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

駅は閑散としていたため、女性陣は専用電車ではなく普通電車で帰ろうと言い、おみやげ屋やトイレに散った。

念のため、ノサカさんと切符売り場へ行く。
以下売り場での会話

駅員:お疲れ様でした。登山の方は22分の専用便に乗れます。何名様ですか?

私:すみません。着いたばかりなので、その後の普通便に乗りたいんですが...。

駅員:まだ、お仲間の方は下山しきっていないんですか?

私:...いえ、下山はしているんですが...。

駅員:出来る限りこれに乗ってください。そうしないと夕方まで下山できなくなるかも知れません。

駅員は言葉は丁寧だったが有無を言わせない顔つきになっていた。
あきらめ6人分の切符を購入する。隣にいたノサカさんは慌てて散っていたメンバーの招集に駆け回ってくれた。

10:20 専用トロッコ電車がホームへ滑り込んできた。乗車する人はほとんど無く、我々メンバー6人で1車両貸し切りとなった。座席も対面に出来るものだったので各々が調整して足を伸ばせた。


【10:22発専用トロッコ電車・関西電力専用列車 『一般のかたはご乗車できません』と案内されている】

電車はゆっくりと動き出した。かなり狭い渓谷を抜けるトロッコというためか、スピードはかなり遅い。合羽や靴を脱ぎビールを飲みながらまったりする。誰もが一眠りしようと考えていたが移り変わる車窓からの景色が最高に面白い。ときおり観光客を乗せたトロッコ列車とすれ違うがどれも先ほどの駅員の言葉の通り満員であった。すれ違うたびに観光客は我々に嫌という程手を振っていく。何となく無視するのも気が引けたのでみんな作り笑いでひたすら手を振り返していた(笑)。この状況では確かに専用便を逃せば夕方になったかも知れない。なる程専用電車を運行するわけである。あっという間に20.1kmの乗車が終了となり11:41宇奈月着。

観光客でごった返した宇奈月駅の風景に一気に現実の世界に引き戻されたのが分かった。

水平歩道

2005-10-24 20:18:39 | 登山・アウトドア
15日 暗がりの中意識が戻る。周りを歩く人の気配と廊下の騒々しさが感じ取れるが果たして自分が熟睡できたのかどうかがよく分からなかった。時計は4:30、7時間半は寝たことになる。意を決して布団から出る。気付けばこの時間まで寝ていたのは部屋では私だけだった。仲間は向かいの荷物部屋でパッキングをしていた。布団をたたみ、昨夜のうちに作っておいたドライフーズのパックを開け朝食を済ます。小屋の外はまだ暗く小雨が降っていた。

自分の装備は寝る前に用意しておいたので食堂でウサミさんと今日の計画を相談する。やはり事故は避けたいため10:22のトロッコ電車はやめてバラバラになっても観光便で下りることにする。
5:22 まだ暗かったためヘッドランプを点し、合羽を着込んで出発。30分ほど汗だくになりながら胸突き八丁の急坂を登る。登り切ると今度は下る。半ば嫌気がさしたがこの下りは5分程だった。ここから先はいよいよ水平歩道の本番の始まりである。夜も完全に明けたのでヘッドランプを消す。

昨日に負けず劣らずの絶壁が続いた。谷底を流れる黒部本流との高低差は200mとのこと。対面の山肌の急な斜面にかかる霧が濃く、まるで水墨画の世界を歩いている気分である。確かに危険なルートではあるが、昨日の下ノ廊下行で完全に慣れきっていた。また、昨日とは違い道幅が70cm程度で何処までも安定して水平だったためかなり歩きやすい。いつの間にか前方の谷が大きく左へ入っているのがわかる箇所に出る。7:00今日の行程の2/5地点の折尾谷の滝を通過。


【折尾谷手前から望む南越峠・五竜・鹿島槍への黒部側からのルートである】


【雨中行軍となった折尾谷】

雨が非常にうざったい。それもあってか仲間内の会話が途絶え気味になる。計画では10:22の専用電車は見送ってはいても、仲間の意識にはやはりその時間が気になっていたと思う。広い場所もないという理由もあり、ろくに休憩を取らずにそこも通過した。この谷を越えしばらく進み山腹を大きく廻りこむと水平歩道の最大の難所『大太鼓』と呼ばれるところである。水平歩道は切り立った岩盤のところは人が通れるほどの幅でくりぬいてある。ところがこの大太鼓と呼ばれる辺りは岩盤が固いためか垂直な岩肌に大きなボルトを打ち込み、そこに丸太を這わせてある最も危険な場所である。河床まで300mは有にある。
雨降りのときの丸太はよく滑る。針金でバランスを取りながら慎重に渡る。

ここを過ぎると遙か前方谷底に人工的な建物が見えた。時折「プルルルル・・・」という電子音と共にハッキリとは聞き取れないが放送のようなものも聞こえる。ノサカさんが地図を整置してゴールとなる欅平ということが分かった。直線ではあっという間だが道のりは遙かに長い。皆が口々にこの歯痒さを嘆いた(笑)

程なく3/5地点志合谷にさしかかる。しかし谷は土砂で崩壊し道が無くなっていた。一瞬唖然としたが谷の向こう側を5名程のパーティーが下山している。不審に思いながらもぎりぎりまで進むと道に対して直角にトンネルが現れた。ワの字になった素掘りのトンネルで土砂崩れの裏側を通っていた。中は真っ暗で水浸しで気温も低くランプなしではとても歩けなかった。前を歩くサカモトさんは2度程天井に頭をぶつけ苦しがっていた。トンネルを抜けた後、狭かったが休憩を申し出た。私は舎利バテで力が入らなくて苦しかった。食いかけのドライフーズとソーセージを囓る。皆、荷物は下ろすが合羽が汚れると撥水能力が落ちるため座ろうとはしなかった。これも雨の弊害である。

その後またひたすら歩く。エネルギーを補給したため舎利バテはあっという間に解決であった。9:40水平歩道が終わり一気に下りになった。いよいよ最後のがんばりどころ『シジミ坂』である。滑りやすい急な下りを慎重に歩く。遙か下には欅平の駅が見えてきた。10:10無事下山。

笑ってしまうことに下山に伴い、雨が弱まり光が差してきた。約5時間に及ぶ雨中行軍。ろくに休憩を入れなかったこともあるが、やはり雨は精神的疲労が大きい。とにかく無事下山できたことが嬉しかった。仲間はそれぞれにホッとしたのか22分の乗車をあきらめ周辺に散った。

山小屋で寝るということ

2005-10-23 16:43:01 | 登山・アウトドア
仲間と食堂で酒を飲み、山談義に花を咲かせていると、近くのテーブルの女性が女将に言っていた。
「16人部屋の出入口で廊下を歩く音が聞こえるし、夜中にトイレに立つ人が頭の上を通るのでこの食堂(座敷)で眠らせて欲しい。」

女将は失礼にならないように必死で断っていたが女性もなかなか退かなかった。結局は近くにいた登山客が、山小屋ではそんな我が儘は言ってはいけないと仲裁に入り話は落ち着いた。納得できない顔で女性がいなくなった後、周りの客は口を揃えて女性の我が儘ぶりに呆れていた。

山小屋は避難小屋という意味合いもあるため希望者は全て泊めなければならない。出来る限り人が入れるように布団をびっしりと敷く。そのため歩く場所さえなく特に出入口は寝るには最悪の場所である。

どの山小屋でも言えることであるが、今回のように12人の部屋に12人ならまだいい話で、宿泊者が多いときには1枚の布団に3人の場合がある(どう考えても赤の他人との距離ではない(笑))。12人部屋だと36人寝ることになる。それでも部屋からあふれた場合は廊下に寝ることになる。布団が足りない場合はシュラフを持っている人はそれを使うように指示される。こういった理由からも我が儘は言えないのである。またたとえ自分の寝る場所がそうなっても料金は全く変わらない。

このようなことが嫌ならテント持参での自炊宿泊となる。しかし、これも当然のように荷物が多くなり、また団体の宴会がうるさかったり、雨に祟られたりと一長一短である。

早い者勝ちの鉄則(例え予約を入れていても関係ない)があるため先に着いた団体が奥を押さえていた。このため我々は入口から6人分となる。ここにグループ内の女性優先が入りジャンケンに負けた私は入り口で寝る羽目になっていた。おまけにこの阿曽原小屋の布団は一般家庭のものより一回り小さく、男性は斜めに寝ないと足がはみ出てしまう。しかし、足がはみ出ると足下で寝ている人の頭に当たってしまう。このため私は寝冷えを起こさないようにフリースを着込んでの就寝となった。

夜中には廊下を歩く足音に度々起こされおまけにトイレに起きた団体の人たちに3度程頭を蹴飛ばされた。不運としか言いようがない(笑)


【数字の位置が頭の場所。団体は何を思ったのか全て頭が逆である。ちなみに1番が私の位置】

余談だが5月に登った八ヶ岳の山小屋の布団は敷き布団と掛け布団が縫いつながれたシュラフのような不思議なものだった。

雨中行軍 雁坂峠(1,950m)

2005-10-22 23:59:30 | 登山・アウトドア
食後、テレビのBS放送を見ていると天気予報が始まった。北陸・富山地方は午前中雨。最悪である。

15年程前、上京して初めての一泊山行に出かけた。当時、バブル期とはいえ、今程の登山ブームではなく、登山用品はまだまだ学生には手の届きにくい程の高額で綿パン・Tシャツ・トレーナー、合羽に至っては最高級の第2世代ゴアテックスなどは手もでるはずもなく、蒸れるハイパロン樹脂製が一般的だった。

その山行は日本3大峠の一つである雁坂峠(標高2,080m・登山口である川又は標高約600m)を越えるものだった。今では雁坂トンネル(一般国道に敷設されたトンネルでは日本一長い)開通に伴う橋の敷設で歩く時間が大幅に短縮されたが、当時は秩父側から雁坂小屋までを延々6時間以上歩かなければならなかった。

当日、川又でタクシーをおりてまもなく雨が降り出した。引き返すことも出来ずひたすら歩く。結局、山小屋に着くまで延々と雨だった。雨の日は多分に注意を払わなくてはならず、大きなストレスとなる。翌日は晴れ上がったが、前の晩雨にあたったテントは重くまた、塩山側は急斜面で滑りやすく大変な思いをした。4人のメンバーはその経験を後に『雨中行軍』と呼ぶようになり、これがもとで雨の登山を疎んじるようになった。その後このときの4人で尾瀬に行った際、戸倉口まで行って雨が降り出し、向こう3日間雨と予報が変わったことを確認したため引き返したことさえある。

現在でも雨中の山岳移動というものはやはり苦痛である。景色は見えないし、道具の性能が上がったとはいえ現在のゴアテックスでも合羽を着ると当然のように汗蒸れ等の違和感がつきまとう。泥跳ねで汚れるし、ザックカバーのせいで荷物の取り出しが億劫になる。休憩時座る場所を選ばなくてはならず、滑りやすくなり霧で視界も制限されてくる等々問題ずくめである。雨が降ると私にとって山行は一気に修行の場所となる。そういった理由から、私は雨が降る確立が高いときは山には入らない。

【雁坂峠の様相】

しかし、雨上がりの眺望が魅力的であることもまた事実である。雁坂で散々雨で大変な思いをしたが、一時的に雨雲が割れた夕刻、山小屋の幕営地から霧に浮かび上がった奥深い秩父の山々の光景の素晴らしさは今でも忘れられない。また屋久島・宮之浦岳に初めて登った際は途中の黒味岳まではずぶ濡れになるも投石平から一気に晴れだし、頂上から眺めた雲の向こうに広がる海と空の青は圧巻だった。飯豊連邦を縦走した際は尾根の両側に広がる雲海の眺めが凄く、下に雷を聞くという貴重な体験もした。

明日の予報は雨。しかも小屋の外は豪雨である。気さくな山小屋の女将の話だと、朝の10:22に欅平から宇奈月行きの専用トロッコ電車が出る。登山者はそれを逃すと16:00の専用電車まで乗れなくなる可能性があるという。特に土日祝日は宇奈月から登ってくる団体・一般観光客が往復で便を押さえて来るため空きがないらしく、登山客の乗車は難しいとの事だった。しかしこの専用電車に乗るためには5:00には小屋を出発しなければならない。雨と夜明けの暗がりでは危険なだけである。仲間内では、このまま停滞し予備日としていた明後日に下山するという意見も出たが、その明後日も天気が良くないらしい。相談の結果、一応天気次第で5:00発。最悪16:00の便で下山することになった。

あまり考えると憂鬱になるため、その晩は皆考えるのをやめて明日の予報が変わることを祈って、仲間との山の経験の話に花を咲かせた。

阿曽原温泉小屋(あぞはらおんせんごや)

2005-10-21 17:15:23 | 登山・アウトドア
幸いにも雨は強くなく樹林帯も影響してかあまり濡れずに済んだ。ようやく辿り着いた小屋は適度に混んでいた。下ってきたのは当所の十数人程度で残りは、下流から上がってきた旅行会社主催のツアーでの団体だった。12人定員の座敷にメンバー6人とツアー客が一緒になった。
高熱隧道の工事の時に掘り当てられたトンネル内の湯元から引いているというここの温泉は1時間単位での男女交代だったため、我々のメンバーの女性陣3人はすぐに入浴に出かけた。その間、相部屋の団体の方々に明日我らの行程となる水平歩道と呼ばれるルートの情報を貰う。下ノ廊下程危険な箇所はほとんど無いらしく安心した。

18:00 女性陣が戻ったため、受付で缶ビールを買い温泉に向かう。雨は一時的に上がっていた。小屋から5分程行くと誰も入っていない露天の湯船が現れた。湯船の向こうに高熱隧道の支線となるトンネルがありそこが脱衣場になっていた。


【阿曽原温泉】

冷えた体に温泉は最高である。3人でビールで乾杯。渓谷に立ちこめる霧に見とれまさに極楽である。湯温も比較的温めでゆっくり浸かるにはもってこいだった。夕暮れを楽しみながら30分以上浸かったが湯中りすることは無く、ほかほかに温まってから小屋へ戻った。

部屋では女性陣もビールを飲んでいたらしいが、我々が風呂で飲んでいたことを知ると非常に悔しがっていた(笑)

やがて夕食となる。定番のカレーであった。山小屋ではカレーを出すところが結構多い。理由は簡単で宿泊者の数が読めないため、予想より極端に多く人が来ても水を入れてルーを溶かし込んで対処できるためである。食事の順番も時間帯によってグループ分けするため人数が増えてもご飯は別の釜で炊けばいいのである。


【これがお変わり自由・阿曽原特製カレー!最高にうまい!!】

我々が最後の順番だったためゆっくり食べることが出来た。食堂はそのまま消灯まで談話室として解放されるので酒を飲みながらゆっくりすることが出来た。

※ 阿曽原温泉小屋 1泊2食8,400円 入浴のみ300円 電話0765-62-1148 公衆電話有り 

マヨヒガ

2005-10-20 20:33:08 | 登山・アウトドア
13:00 剱沢にかかる吊り橋を越え十字峡を後にした。


【十字峡・剱沢にかかる吊り橋】

更に進むこと50分、突然対岸の山肌の高みに巨大なトンネルが2本姿を現した。トンネルからは送電線が延びている。黒部第四地下発電所である。この右下はS字峡である。トンネルから延びた送電線は我々の山肌の方に続いていた。しばらく進むと登山道の上部にある鉄塔に続く道が現れ、看板が立っていた。『新北陸幹線第1号』ノサカさん曰く、我が国初の27万5000ボルト線路の記念すべき第1号鉄塔との話だった。


【山中に突如現れた送電トンネル・手前は東谷吊橋】

14:45 急な斜面を一気に下り東谷吊橋を渡った。関電の作業小屋があり、黒四ダムからの関電専用道路(トンネル)を抜けてきたと思われるトラックが一台止まっていた。空は徐々に曇り始めていたが、この山奥に一般人は通行できないとはいえ車が来れる程のトンネルがあるのかと思うと妙な安心感が仲間内に漂った。

林道を少し進むと暗いトンネルを抜け仙人(黒部第三)ダムが見えてきた。黒四ダムから始まる『旧日電歩道』と呼ばれる部分はこれで終了となる。ここから先、欅平までは『水平歩道』となる。

ダムの近くでは関電の人が数人作業をしていた。誰もが我々に挨拶してくれて親切に声をかけてくれた。歩道はこのダムの上を横切る。ダムの階段を下りて驚いた。何と歩道はダムの建物の中に進み、斜面をくり貫いた灯りが延々と続くトンネルとなっていた。今までさんざん深い谷を歩いてきた我々にとってこの施設はあまりにも想像からかけ離れていて、まるで異空間に入り込んだような不思議な錯覚に陥った。


【建物の中からのトンネル・まるでショッカーのアジトに忍び込む気分である】

トンネルを抜けると突然電車注意と書かれた看板があった。こんな所にと驚いたがこれが、昭和初期ダム建設のために造られたという関西電力のトンネルであった。通路とは直角にこのトロッコ列車のトンネルが左に延びていた。トンネルの中からはもの凄い湿度を帯びた熱風が流れ出ている。写真を撮ろうとした仲間のカメラのレンズ部分はたちまち曇っていた。このトンネルこそ、吉村昭の小説『高熱隧道』のモデルである。妙な静けさと熱気が得もいえぬ雰囲気を醸しだし、誰が言うともなく足早にそこを立ち去った。


【突如現れたトロッコ軌道・高熱隧道である】

通路を抜けるとグリーンの芝が整備された空間に出た。池があり30cmを越える巨大岩魚が数匹泳いでいた。左側の四階建ての建物は古いがきれいなもので関電の宿舎になっていた。奥の森では関電の人がキノコをはじめとする山菜採りをしていた。まるで『遠野物語』のマヨヒガにいるような妙な感覚である。

そこを過ぎると一気に樹林帯になり今度は急な登りとなった。一体この登りがどれくらい続くのかと汗まみれになりながら登った。20分ほどでまた平坦な山道になった。それまでのような絶壁ではないため気は楽であった。やがてまた急な下りとなる。ここが阿曽原峠である。どうにか保っていた空からとうとう雨が降り出した。下ること30分、ようやく今日の目的地、阿曽原温泉小屋に辿り着いた。17:10着。移動時間は8時間を超えていた。


マヨヒガ(迷い家)
深い山奥に現れるしっかりした門構えのある立派な家。庭は広く花が咲き乱れ、鶏や牛馬などの家畜がたくさんいるが人の姿は全くない。玄関から上がると、部屋には朱と黒のお椀がたくさんあったり、奥座敷に鉄瓶の湯が沸いていたりするという。やはり人の姿はない。
この山中の不思議な家に迷い込んだ人は何か一つその家から持ち出せば幸せになれる。また人を幸せにするためにこのマヨヒガは現れる。何も持ち帰らないと不思議な経路で幸せになれる何かしらの贈り物がマヨヒガから届く。
柳田国男 著・遠野物語に記述される民話である。


下ノ廊下

2005-10-19 19:18:15 | 登山・アウトドア
しものろうか:
国指定特別名勝、特別天然記念物。
黒部峡谷の欅平の上流8km から12kmの区間を下ノ廊下といいます。この下ノ廊下には、下流からS字峡(えすじきょう)、十字峡(じゅうじきょう)、白竜峡(はくりゅうきょう)という景勝地があります。S字峡は、黒部川がS字型に流れ、激流の白いしぶきがあがっているところです。十字峡は、S字峡の4km上流で、黒部川に棒小屋沢と剱沢が流れ込み、十字型の峡谷をつくりだしています。白竜峡は、十字峡の2km上流で、大断崖の峡谷です。これらの景勝地の探索には、本格的な登山装備と技術が必要です。
【宇奈月町・立山町】
 Tel.0765-65-0211(宇奈月町教育委員会)


10/14(金) 平日ということもあってかその時間ダム下まで来た登山者は我々を含めて十数名。3パーティだけであった。

9:10内蔵助出合着。ここまでは単調なアップダウンが続いた。そこから先がいよいよ黒部下ノ廊下となる。谷の起伏に合わせて幅70cm程の道が延々と29km続いている。左の斜面側には5mm程度のバランスを取るための2本の針金があるのみ。右側は5m~200mまでの断崖絶壁。少しでも蹴躓こうものなら針金では体重を支えきれず谷底へ墜落、即死である。未だに見つからない遺体さえあるそうだ。

【白竜峡近辺・こんな難所が続く】
【写真右中央から左へ伸びている線が歩道・分かりにくいが歩道上の縦長の黒点が人である】

ウサミさんを先頭に私がしんがりをつとめる。初めは各人針金に左の指先を絡めながら慎重にスピードを抑えながら進んでいく。しかし、慣れとは怖ろしいもので次第に針金に振れずに普通の歩行スピードで歩くようになっていた。しかし、時折右足下に覗く黒部川のエメラルドグリーンの水流を見ると慌てて針金をつかんでしまう。予想していた下流からの逆行者はほとんど無く、いてもお互いに安全な箇所を極力選んですれ違ったためストレスは無かった。しかし、幅が狭い箇所が延々と続くため、休憩をとれる場所がなかなか無く、次の黒部別山出合まで1時間45分ぶっ続けで歩かなければならなかった。

11:10 黒部別山出合着 休憩していると作業服・ヘルメット姿の10人程の団体が追いついてきた。訊いてみると関西電力の人たちで、国からこの道の保全を依頼されているとのこと。驚いたことに3日に一度は針金は勿論工具類を背負い点検に歩いているという。よく見ると長靴の人までいた。いくら1年の内の2ヶ月程度の業務とはいえ、感心させられた。ここから先このグループと抜きつ抜かれつとなった。何かと心強い。

12:55 突然、目の前が開け、テントを張れる程の広さの場所に出た。その先は吊り橋である。ようやく十字峡に到着である。南北に流れる黒部川に対し両側から谷川が入り込み、丁度十字の地形を成すことからこの名前が付いたらしい。黒部川の水流に対しこの2本は見事なエメラルドグリーンだった。

【十字峡・中央菱形部分が交差点 右から左が黒部川 下から上が剱沢 上から下が棒小屋沢】

黒部第四ダム

2005-10-18 18:47:50 | 登山・アウトドア
10/14(金) 5:45 参加メンバー6人が揃う。それぞれに備品を分け準備を整える。心配だった体調は思いのほか回復し最悪だった胃もカツカレーという重い朝食にもかかわらず軽かった。

6:45 黒部第四ダムまでの移動手段となるトロリーバスのチケット売場の前と改札の前に2組に分かれて陣取る。発券開始が7:00で始発が7:30であるが団体旅行の予約が定員の大部分を占めるため個人発券枠は極めて少ない。平日であったためこの時間でどうにかなったようである。

しかし、乗車するとあっという間に立ち乗りを入れてバス内はギュウギュウとなった。7時以降に来た個人客は次の便にまわされたらしい。
このトロリーバスが運行しているのは日本で唯一この一区間だけである。黒部第四ダムまでわずか16分の一区間のみ5.4kmというトンネル内の運行だが一般的なバスとは違って、電気を動力として走り、鉄道の一種として区分されているという乗り物であった。
【トロリーバス】
下車後、一般観光客は左手の黒部ダム上側に進む。登山者はダム横に出るトンネルを直進。まもなく豪快なダムの放水音と共に高さ186m・長さ492mという日本最大のアーチ式ドーム型ダム・黒部第四ダムがトンネルの向こうにその姿を現した。

10年ほど前に初めて訪れたときはダムの上から黒部川を眺めたが今回は横そして下から眺めることとなる。

軽くストレッチをしていよいよ出発。ダムの向こうには紅葉の始まった立山が秋晴れにそびえている。気温もまずまずで半袖で丁度良かった。いきなり高さ186メートルを下るわけである。きつい急勾配の急な斜面を慎重に下りる。15分ほどかけてダム下に着いたときには既に汗まみれであった。放水される水の量は多く黒部川の流れも思いの外速かった。ダムの観光放水の飛沫が心地よかった。

【黒部第四ダム】
【黒部川を渡る】

ちなみに直下型の最大は、真保裕一の小説『ホワイトアウト』の舞台となった福島県の奥只見ダムである。こちらは現時点で貯水量日本一・東洋一の人造湖である。

千葉ロッテマリーンズ

2005-10-17 23:49:44 | Weblog
千葉ロッテマリーンズがプレーオフを征し31年ぶりにリーグ優勝してしまった。パシフィックリーグには特にひいきの球団は無いが、貧乏ながらも自分のところで選手を育て、健気に頑張っている日本ハム・ロッテ等の球団はどうしても応援してしまう。逆にいくら家の近くに本拠地があるとはいえ金持ちの西武などは応援しようとは全然思わない。

ロッテという球団はおそらく私がプロ野球の優勝というものを知る一番古い球団だろう。故郷の東北で幼稚園児だった当時、ロッテオリオンズは仙台に本拠地を置いていた。物心ついてから分かったことであるがその頃、プレーオフで阪急に3連勝してリーグ優勝。更にジャイアンツのV9を止めセントラルリーグの優勝を決めた中日を日本シリーズで下しロッテは日本一となった。何故かワンシーンが今でも記憶に漠然と残っている。そのせいもあってか当時小学生だった私の兄はロッテのキャップをかぶっていた。また、小学校に入学した頃、兄のお下がりのロッテのキャップを被って通学した記憶もある。



上京して間もなく、学校帰りに友人が新聞屋から貰ったチケットで日ハム-ロッテ(オリオンズ)戦を東京ドームで観戦した。そのとき堀や初芝のプレーに、また数年後青天井だった頃の西武球場に観戦に行きイチロー並の盗塁で活躍したルーキーの小坂に魅せられた。彼らが今でも現役であることが何よりも楽しい。

今週末からの日本シリーズ対タイガース戦。当然であるが20年ぶりよりも31年ぶりの日本一を目指すロッテを応援したい。

扇沢

2005-10-16 19:08:09 | 登山・アウトドア
9月初旬、仲間内の今年の秋の山行は黒部下の廊下(しものろうか)との話が持ち上がる(詳細は当ブログ2005-09-02)。日程・メンバー調整の後10/14~15で決定となった。
その後、メンバーでの備品分け、トレーニング・行程表作成、渉外等々を含め計画は進んでいった。

10/13(木) 見事に晴れ上がった秋空とは裏腹にどうにも体の調子があがらない。予定では朝発で足慣らしに長野の四阿山(あずまやさん)を登った後、黒部第4ダムの玄関口の扇沢へ行くはずだった。しかし週の頭から体の調子が悪くどうも怠くて仕方がない。昼まで寝て昼食後また眠る。15時意を決して出発。中央高速を走るもやはり倦怠感が抜けない。19時豊科にて長野道を降り、買い出し後、20:40扇沢着。



真っ暗なバスターミナルで教えられたノサカさんの携帯に連絡する。駐車場の端で彼はヘッドランプを点滅させて場所を教えてくれた。
8月に北海道幌尻岳を一緒に登頂したウサミさんの屋久島関係の知人で私とは初対面だった。山登りは勿論、ケービング・クライミングまでやるという強者である。
若干、寒さもあったため焚き火をして暖を取る。彼の酒に付き合うが私は相変わらず調子が出ないため、酒は飲まなかった。
色々お互いの旅や山の話で盛り上がったが、明日からのことを考え彼のワンボックスの助手席を借りて早めの就寝となった。

このとき、明日の朝も調子が悪かったら今回の計画はあきらめ私はサポートに回る旨を彼に伝えた。

シンデレラマン

2005-10-08 22:46:43 | 映画
仕事がキャンセルとなり突然休みとなった。雨模様とはいえ家でごろごろするのも折角の休みが勿体ない。昼飯がてら街へ出た。
映画街でふと不思議なタイトル”シンデレラマン”看板が目につく。
噂には聞いていたがボクシングのストーリーという以外全く知らない。看板のコピーがもの凄い「家族の幸せだけを願っていたら、いつの間にか”アメリカの希望”になっていた・・・。-これは、そんな父親の物語です。」「心で語り継がれる《奇跡の実話》」
時間を見ると丁度はじまるところだった。本年度アカデミー賞最有力との文字に惹かれながら館内に入る。



1930年代・世界恐慌時代のアメリカの実話という事だったが主人公ラッセル・クロウが演じるジム・ブラドックというボクサーに関する知識が全くなかったため最後まで展開が読めず非常に楽しめた。

ストーリーは単純明快。前途有望なボクサーが試合中に利き腕を骨折し引退。世は大恐慌時代。仕事は全くなく、家族5人をかかえ生活は成り行かず、国から生活保護を受ける始末。そんなおり、ヘビー級タイトルマッチの前座で1回のみの咬ませ犬役の試合が急遽回ってくる...。という話である。

映画の最後には館内のあちこちですすり泣きの音が聞こえた。
最後の対戦相手を極端に嫌なヤツに仕立てたのは問題があると思うが144分という時間を感じさせなかった。

アカデミー賞が取れるかどうかは疑問だが間違いなく1,800円の価値はあり充分に楽しめた。本当に久々にオススメ出来る満足行く作品であった。

※ 決してお涙ちょうだいのコテコテの物語ではなくそんなシーンもほとんどない

それにしても映画の宣伝コピーとは何とセンスがないものなのだろう...。この映画のタイトルとこのポスターとコピーではよほど暇じゃないと見ようとは思わないだろう。

もっとも今日の私はよっぽど暇だったのだが...。