Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

雪中キャンプ

2005-11-24 19:15:07 | 
白樺湖までもどり何となく霧ヶ峰方面へ行ってみた。さっきまで登っていた蓼科山が夕日に赤く燃えてきれいだった。その後Uターンし、白樺湖を抜ける。

【ビーナスラインからの蓼科山】

14年前の2月ここで初めて仲間のオイカワ・イタバシと3人で雪中耐寒キャンプをしたことを思い出した。
3人とも雪中キャンプは全くの初めてで翌日残りのメンバー12人が来るための先発隊だった。装備に至っては当然高額なものには手が出ず、目出し帽・Tシャツ・綿シャツ(薄)・綿シャツ(厚)・トレーナー・MA1で下はジーパンに長靴、雪が降ればカッパでどうにかした。どこからどう見ても怪しい格好であった。

3泊で最低が氷点下10度程度であったが、行った初日は体が慣れていないためかべらぼうに寒くてどうしようもなかった。夜8時に閉鎖されたキャンプ場に到着するも面倒だったため吹きっさらし駐車場にテントを設営した。温まるため酒盛りをするも持って行ったテントが7人用のドームテントだったためなかなか暖まらなかった。ようやく暖まりかけたので寝ようとするもシュラフは夏用のものを2枚重ね。着込んでいるためシュラフにもぐるのさえ大変であった。おまけに私の外側に使ったシュラフは兄貴のお下がりでなぜか足下が破れていて風が入ってきて寒い。しかも当然のことであるが温まるために酒盛りをしたため寝ているとトイレに起こさせる。深夜寒くなる一方の時間帯、寒いため寄り添って寝ている仲間が入れ替わり立ち替わりテントの外に出るわけである。初日はそれほど眠れなかった。

翌朝、目覚めるとテントの中はびっしりと霜で覆われていた。3人の人いきれがテントの内面で冷えて凍ってしまっていたのだ。「どうにか生き延びたな。」今となっては当たり前のことだが初めての3人にとってはこのオイカワの言葉は感激だった。日が差し始めたので外へ出て朝食を作り始めた。前の晩途中のコンビニで買ってきた冷凍食品は凍ったままであった。そればかりか私のコンタクトレンズの保存液も凍っていた。幸いにして硬化ケースに入れたレンズは無事だった。もはや笑うしかなかった。

昼過ぎに残る12名が合流した。その日からは雪中トレーニング&設営の合間の3食毎に鍋を作って食った。忘れられないのは雪と水で氷のテーブルを作ったときのことである。一息入れようとシェラカップをそこに置きコーヒーを注いだら見る見るうちに熱で氷が溶け、カップがテーブルに埋もれていった。全員分炒れて飲むときには既に先に注いだメンバーのカップはアイスコーヒーになっていた。

【2月の蓼科山】

このキャンプが元となり、雪の上での遊びにはまっていった。その後、嫁と行った北海道での耐寒キャンプツーリング・スノーシューイング・低山雪山登山等に発展していったのである。

今のところの最低気温の記録は2002.12.30屈斜路湖和琴半島での氷点下25.1度のテント泊である。その年の夏は沖縄波照間島へ行き37度を体感した。温度差62.1度。日本の国土の広さを実感したものだ。