Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

コンバース・オールスター

2005-11-07 23:27:19 | Weblog
長く履き込んだスニーカーがやばくなって来たため靴屋へ行った。しかしどれもこれもパッとしない。店内をしばらくうろつくと一角にコンバースのオールスターが大量に全て半値で並んでいた。高校生が群がっている様子を見るとまた最近流行りだしたようである。

私の通った東北の高校は校則がべらぼうにうるさく、規定外の制服やワイシャツを着用しないと非常に厄介な指導を受けるといった進学校だった。しかし靴は派手な物でなければ何でも許されていた。とは言っても、悲しいかな田舎の男子高。生徒は競うようにブランド物の革靴を履いていた。また信じられないことに他人が履いてきた高額な革靴を盗んで履くという輩さえもいた。

そんな中で私は、『革靴=サラリーマン靴=オヤジ靴=臭い』、またアディダスやアシックス等の運動靴は『運動靴=体育会=臭い』というそれぞれのイメージがありその類の物は全く履かなかった。

どちらかといえば高額な靴を買うよりもお金を浮かし、当時としては高価だったハービーハンコックやライクーダー等の洋楽のCDを手に入れることが最優先事項だった。

※ この頃はまだレコードが主流で同じ洋楽のアルバムでもLP1枚2,800円に対しCD1枚3,800円の時代だった。

ではどんな靴を履いていたのか...。



このコンバースのオールスターである。履き込んで多少汚れてよれて来ると味が出てきた。当時の雑誌・宝島でニューヨークの黒人文化が時々特集され、それを見て好んでこのシリーズを履いていた。他にナイキも載ってはいたがあの当時はダサイの代名詞だったためナイキは履いたことが無かった。色は主にネイビー、たまにグレーを履いていた。ツートンや柄物も売ってはいたが、都会では似合ってもいかんせん東北の田舎の町である。また学校もうるさい。

こんな20年近く前の靴が今また流行りだしたのを見てふと懐かしく思うのであった。

ガイド付き集団登山とは?

2005-11-06 18:22:41 | 登山・アウトドア
甲武信岳山頂でのオバサン集団の話。

ガイドは連れてきたオバサン集団に15分休憩を告げると、目につかないように岩陰に身を隠し一服していた。

その間オバサン達は山頂を踏んだという証拠写真を撮りまくり落ち着くと山小屋で作ってもらった弁当を広げまた持参したお菓子を何故か居合わせた我々に配り凄い会話を始めた。

オバサンA「こっち側の雨は太平洋に流れて、こっち側は日本海よ。」
オバサンB「じゃあ、こっち側におしっこすると東京の飲み水だわ!」
オバサンC「じゃあ、私東京側にしてみようかしら。」
オバサン集団「ワハハハ!」

こんな会話で集団は独特の盛り上がりを見せていた。

【山頂からの眺め・中央左が奥多摩最高峰の北奥仙丈岳(2,601m)中央右が金峰山(2,531m)】

その後、疲れた様相のガイドが岩陰から現れ、
「一度しか説明しませんから2度も3度も同じ事を言わせないで下さいね。」
ともの凄い前置きをし、その場から見える山々の説明を始めた。

ここで思ったが、この軍団は日夜トレーニングをしているのだろうか?とてもじゃないがそうは思えなかった。前日早朝に関西をバスにて出発。毛木平から2時間程歩き、十文字小屋に一泊した後、4時間半かけてこの頂上。そして3時間半かけて西沢渓谷に下山して石和温泉に泊まるとのこと。結構なハードスケジュールである。

【毛木平近辺の紅葉】

その後、知人の健康運動指導士にきいてみたところ恐ろしい答えが返ってきた。

山岳会等の団体はしっかりトレーニングをしている人が集まっているらしいが、旅行会社主催のガイドを付けた中高年の集団はそうでもないらしい。この世代は当然のように筋肉痛を伴う疲れが出るのが早い人でも2~3日後、そのため山行がハードであってもそれ程疲れを感じない。だから下山後家に帰ってからぐったり来るらしい。5日~10日ほどぐったりした後、また翌月あたりに山行を行うのだそうだ。

集団で動くから勢いで登れるし、ガイドがついているため安心感もあり例え天気が悪くても本人達は楽しいらしい。これの繰り返しで健康のためとか言われると知人は仕事上、話にならないと呆れ顔で語っていた。

北アルプス、山小屋のヘルパーをやっていた別の知人が言っていたが、ガイド付きの団体は、自分が一体何という名前の山に登って何という小屋に泊まってどこへ下山するのかはっきり分からないという人が冗談抜きでいるそうだ。

中高年の登山ブームは結構だが全体の遭難事故の7割以上が40代以上というデータも出ている。

そら恐ろしい話である。

甲武信岳(こぶしがたけ)2,475m

2005-11-05 23:59:59 | 登山・アウトドア
紅葉の時期である。秋の低山を歩くには最高の時期であるが、今年は週末が天候に恵まれないため残念である。

昨年のこの時期どこへ行ったか思い起こしてみれば11/7の甲武信岳(2,475m)の山行記録が見つかった。

名前の由来から説明するとわかりやすい山であるが、頂上は甲州(山梨県)・武州(埼玉県)・信州(長野県)の3県にまたがる。この為位置は日本地図を広げれば探し出すのは容易であろう。またこの山は笛吹川(富士川)・信濃川(千曲川)・荒川の大分水嶺となる100名山である。

以下、その記録。

11/6 夕方発で中央道をジムニーを走らせ山梨の増富ラジウムに浸かり夜を明かす。

翌11/7 5:00起床。ベラボーな寒さの中、未明の信州峠を越えて長野県川上村経由で北側の登山口である毛木平に車を置き、千曲(信濃)川沿いに登り始める(7:00)。足下は霜柱が立ち水溜まりには薄氷が張っていた。
登山道の紅葉は終わりに近かったが、カラ松の葉が落ちたオレンジ色の絨毯のような地面は感激モノだった。
また、苔や枯れ葉に霜が降りて陽に輝いている光景は寒いながらも嬉しかった。

【川を越えて続く霜に覆われた登山道】

何度も丸木橋を渡り穏やかな登りを3時間程進み、千曲川の源流にたどり着く。そこから急坂を20分程進み尾根に出る。日差しが一気に強くなり、気温が高くなる。尾根からの南側の眺望は大変良く、前方遙か高みに富士山がドカンと見えた。更に急坂を15分ほど進み10:50頂上に着いた。

【頂上直下の尾根筋から見た甲武信岳山頂】

頂上は周りを遮るモノが何もなく、富士山・アルプス全域・八ヶ岳・噴煙を上げる浅間山・谷川連峰等、360度展望が利きまさに絶景だった。

水を汲みに反対側に10分程降りた山小屋(甲武信小屋)でビールを飲んで日だまりで一服。ナナカマドがキレイだった。その後頂上に戻り昼食をとっていると山頂にガイド2名に引きずられて中高年の軍団が15人程上がってきた。この騒々しい集団と入れ違いに大部分の登山客は下山を始めた。

帰りは来た道を下山。15:40無事駐車場着となり。三国峠を越え中津川林道を抜けての秩父経由の帰宅となった。

登山道は尾根付きまでほとんど眺望は得られなかったが、晩秋の霜に覆われた川の遡上はとても思い出に残る山であった。

思い出横町

2005-11-03 23:27:03 | Weblog
友人の結婚式に招かれた。馴れ初めの説明を聞いて呆れてしまった。きっかけには私も若干荷担していたようだ。

忘れもしない2001年10月25日(木)の事である。前の週に屋久島関連の仲間の結婚が決まったためそれを肴に飲もうとこの日、私が新宿の思い出横町(通称:ションベン横町)で宴会を企画した。この横町の中に入り浸りの焼鳥屋があり、何かと適当な理由を作っては、そこの2階に集まって飲んだくれるのが当時の飲み会であった。ところが当日、応援するヤクルトスワローズの4年ぶりの日本シリーズ(対:近鉄バファローズ)の優勝がかかった試合のチケットが手に入ったため、宴会をすっぽかし私は神宮球場で叫びまくっていた。優勝が決定したとき興奮しきった状態で仲間に電話をかけた。

「おう!これから新宿に乗り込むから、待っててくれ!」
電話に出た友人Cは言った。
「悪いけど今日はお開きなんだ!今救急車が来たから!」



翌日聞いた話だが、仲間の一人Aが泥酔してしまった。それを見た同じく泥酔した仲間Bが酔った頭でAが急性アル中になったと思いこみ救急車を呼んでしまったとのこと。狭いションベン横町の中を救急隊員が走ってきて、Aは出口で待機した救急車に運び込まれた。

結局Aは急性アルコール中毒では無いにもかかわらず病院担ぎ込まれ、点滴処置となったらしい。

そのとき介護に居合わせた初対面の二人が目出度く今日に至ったわけである。

何はともあれおめでたい。

2005-11-02 18:42:22 | Weblog
「先生これで全員終了です。」
看護師のその台詞と共に私を囲んだ3人は、緊張から解き放たれた顔をした。

私のいる職場は特殊事情が無い限り、インフルエンザの予防接種は強制である。私は先週までの接種日をまんまと逃げ切り不覚にも安心しきっていた。昼前机の電話が鳴り「ちょっと会議室まで来て!」という同僚の声に騙されたのである。会議室の扉を開けると、私の顔を見てほくそ笑む医者・看護師・同僚がいた。予備日が設定されていたのだ。

3年前異動してきたときはまんまと逃げ切った。2年前は予防接種出来ない体と言って煙に巻いた。しかし、去年はその策は効かず、医者の問診まで持ち込まれ一発見舞われた。今年は接種最終日に急な出張を思い出したと言って社外へ逃げた。

どうしても受けられなかった人々は個々で指定された病院で接種となるのだが、私はわざわざ痛い思いをしに出向く程善人ではない。

しかし今日の午前、本当に業務で接種できなかった人々が多かったために予備日が設定されていたらしい。全く迷惑な話である。

接種後医者は言った。
「なんでそんなに嫌がるんだい?」
「注射は大嫌いなんです。」
追随して看護師が言った。
「でもインフルエンザに罹患するともっと苦しい思いをしますよ。」
「罹患は可能性の問題なんで、注射を打つなら薬を飲んで家で寝込むことを選びます。」
私の答えに周りは完全に呆れていた。

余談だが、接種を逃れた一昨年とその前もインフルエンザには罹からなかった。

何が嫌なのか。簡単である。子供染みているが注射が大嫌いなのだ(そもそもあれが好きな人はいるのだろうか)。加えて、医者と看護師に個室で囲まれる独特のあの雰囲気が苦手なのだ。



最近、蚊の吸血をヒントに開発されたという、全く痛みを伴わない注射針があると聞いた。しかし、痛みを伴わなくてもあの診察室の雰囲気がある限り今後も私は予防接種から逃げ回ることだろう。