Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

扇山(1138m)

2011-04-30 19:28:04 | 登山・アウトドア
 4月23日の土曜日と29日祝日は公立小学校にもかかわらずなぜか学校公開という授業参観の要領で普通に授業があった。その代休がGWに当たりちび共はなんと9連休である。とはいえ私も嫁も仕事はカレンダー通り。しかも嫁に至っては5日からその後の土日も仕事になっている。これでは総出で出かける機会も連続しては2回しかない。どこかへ行こうかと目論んだが何と3男が先週末に次男が持ち込んだ風邪で木曜からダウン。元気にはなったが念のため自宅にて安静。これでは双子が可哀想なためハイキングに連れ出した。

 8時に家を出るも予定よりも乗り継ぎが良かったため中央本線内で地図を見て行程を変更することにした。当初、山梨県大月市の百蔵山をJR猿橋駅発同駅戻りで考えていたがあまりにもショートコースなため鳥沢駅発の扇山から百蔵山の縦走に変更した。

 鳥沢駅前で電車から携帯で連絡を入れておいたタクシーに揺られ登山口となる梨ノ木平まで行く。辺りは遅咲きの八重桜やハナミズキが満開である。遠くには霞がかった富士山がうっすらと見え、良い感じである。10:30、登山開始。緩い上り坂の連続であり、所々で景色が得られるのでちび共も登っていて飽きはこないようだ。途中水場もあり、12:10、頂上着となった。


【水場となるこの樽の中には沢ガニが数匹いた】

 頂上は結構な賑わいであり広く気持ちが良い。眼下には中央道の談合坂S.A近辺の景色が広がる。



昼食をとり2時間ほどかけて次の百蔵山へ行こうかと動き出すと長男が訴えた。
「俺、ちょっと喉が痛いんだけど...。」
曰く、昼食後突然喉が痛くなったようだ。
それを聞いた次男はすぐにこういった。
「じゃあ、残念だけどすぐに下山して帰ろう!」

とりあえず次男に口を開けさせ見比べてみると長男の喉は明らかに腫れている。次男の言うとおりすぐに下山となった。


【緊急下山】

1時間ほどで下山口まで戻るも安心したのか長男は一気にぐったりしてしまった。あわよくば40分ほどかかるらしいが駅まで歩こうと考えていたがこれでは無理である。タクシーを呼び、鳥沢駅まで送ってもらう。電車に乗ると中央本線は窓が開くため二人とも喜んでいたがやがて眠りこけた。

嫁に連絡をしたところ三男は本調子に戻ったとのことだったため駅まで迎えに出て貰い長男は駆け込みで医院で診察して貰えた。結果三男の風邪を貰ったのだろうということで大したことはないらしい。

しかし、双子は共に楽しかったらしくまた行きたいと語っていた。

余談だが帰りのタクシーの運ちゃんは長男の具合の悪いことには気づかず気さくに観光案内をしてくれた。中でも駅近くの何でもない家を指さし、
「ここが笑点で『小汚い』とか『泥棒』とか言われる(三遊亭)小遊三の家ですよ。」
という台詞に笑点好きのちび共は大喜びであった...。

サバ飯

2011-04-23 23:01:10 | 登山・アウトドア
 とはいっても鯖飯のことではなくサバイバル飯のことである。

 諸事情により、震災時の非常食講習に双子と参加することになった。とはいっても私の場合、昔取った杵柄でお手伝いである。子供達が空き缶・ビニール袋・ペットボトルにそれぞれ洗ったお米を準備し、それを煮るための火興しを私が担当した。

 空き缶は直火にかけビニール袋・ペットボトルにそれぞれお米と水をいれたものは鍋にそのまま放り込んだ。当然鍋の中の水はきれいなものだが最悪のばあいは汚水でもビニールはきつく縛りやペットボトルは栓を固くしているためお米は炊けるわけである。

 炊きあがったお米はまずまずである。焦げ目がなければ100度以上には上がっていないという理屈なので問題なく食べられる。まずは空き缶飯。



 これは缶のコーティング溶け出すのが不安で思い切り煮炊きできなかったのが敗因であろう。芯が残って今ひとつ。でも非常には使える手段である。

次にビニール袋。


非常にうまくいき普通のご飯であった。ただし汚水に入れた場合ビニール袋は口を縛るだけなのでその辺りが不安である。

最後にペットボトル。



これも非常に良くできた。口もしっかりしているのでこの中では一番かもしれない。

 おまけであるが、ホットドッグ。アルミ箔に包んだものを洗った牛乳パックの中に入れパックを燃やして作った。蒸し焼きの効果もあり美味しかった。牛乳パックではなく焚き火に直だと。かなり高い確率で焼け焦げがつくので注意である。



 ビニールやペットボトルの成分が染み出ているのではという違和感もあるが、あくまでも非常時の調理法なのでご了承いただきたい。


 やった子供達も大喜びであったが、父兄の方々の関心も非常に高かった。興味深い実験的イベントであった。

武甲山

2011-04-02 22:06:39 | 登山・アウトドア
 夕べからどうも次男の元気がないらしい。特に体調不良という具合でもない。心配した嫁は気晴らしにどこかに連れ出すよう気遣った。

 今朝もやはり同様であった。どこか行きたいところがあるかどうか訊いてみると電車で山に行きたいとのこと。長男も異存がないため西武線を乗り継ぎ、秩父を目指した。電車に乗ると次男もそこそこ元気である。出るのが遅いのもあって秩父からタクシーを使用するも登り口となる東側の一の鳥居に着いたのは11時であった。今回の山は秩父のシンボル武甲山である。この山は一般的に我々がイメージする山とは全く違う。20年前、初めて私が目にしたときは唖然としたのを覚えている。石灰岩の固まりとなるこの山は明治時代より既に半分をセメントの原料として採掘がすすみ、頂上も削られたため既に標高が低くなっていて現在は記録の残る当初より32m低い1,304mという山である。登り出すと林道横には何故か仰向けに落ちた車がありおかしな雰囲気である。



 登山道には一丁・二丁・・・と所々に石柱が立っている。すれ違いの下山者に訊けば頂上の五二丁まであるらしい。それを目印にちび共をおだて登るも眺望は全くなくおまけに三十二丁を過ぎた大杉広場より上は残雪が解けたおかげでぬかるんでいた。これは頂上部まで続き全く持って歩きにくい。ちび共もスニーカーでは大変であった。

 それでも14時。頂上到着。眼前に広がる秩父盆地の絶景。また直下に見られる削り取られた山肌に我々は不思議な違和感を覚えずにはいられなかった。それでもおにぎりを食べカップ麺を啜りゆっくりしたのであった。




 今回も時間がおしたものの帰りはそれなりのペースで下山でき、秩父鉄道の浦山口17:13に乗れたのであった。その後いつも通り蕎麦屋での打ち上げを行ったが秩父の名所、仲見世通りは震災の影響で自粛で帰りのアルコールの自動販売機さえない状況であった。

 気になる次男はこの移動の間中非常に元気であったがやはり家に帰り落ち着くと元気がない。夕食後改めて熱を測ると微熱があった。結局は風邪であった...。

 しかし、体調不良にもかかわらず登頂成功をしたことに次男は不思議な自信を得たらしくそのことが誇らしいようだ...。

大野山

2011-03-05 21:13:17 | 登山・アウトドア
 99年の4月17日のこと。仲間達と伊豆でキャンプしようと後に嫁となる人物を車の助手席に乗せ東名道下りラインを走った。あいにくの雨であった。大井松田インターを過ぎしばらく走ると高速が一時的に二手に分かれる。右ラインへ入りしばらくするとどうもFFの右タイヤから妙な音が聞こえた。最初は水を跳ね上げる音かと思いあまり気にせず走行していたがとやはり音が強くなってきた。違和感に襲われながらも速度を落とさずしばらく進むと助手席でもそれに気付いたらしい。どうやらパンクらしいと思うもトンネルが迫り、路肩も難しい状況であった。速度さえ保てば大丈夫だろうとトンネルに入り1,660mの都夫良野トンネルも2/3程を過ぎたときのこと。一番恐れていたことが起こった。やはり流れに乗らずゆっくりと走行していた車が前を塞いでいた。やむなく減速。当然のように車は大きく縦に揺れ出した。しかしどうにか体勢を保ちながらトンネルをまさに脱出した。知人から譲り受けた車のためスペアタイヤがなく、JAFを呼んだところ1時間待たされ、あげく車に乗ったままレッカーという予想外の展開が続いたのを覚えている。

 6:00、休みにしては早い時間であるが一旦起きてみる。予想通り窓から富士山が見える。毎度のこと、
「山行くぞ!」
の一言で普段は寝起きの悪い双子は飛び起きた。今回の目的の山は先ほどの都夫良野トンネルの上にそびえる大野山である。その後、一人でバイクで来たことはあったもののいつか徒歩で登ってみたいと思っていた山である。

 朝食を済ませ、家を出る。電車を乗り継ぎ新宿へ。8:15発、小田急線の急行に乗る。目指すは新松田乗り換えで御殿場線の谷峨。ところが、新松田での乗り換え時間が駅が離れているにも関わらず4分と短いため乗れなかった。あげく次の便までは1時間以上である。やむなくタクシーで山北側の大野山登山口まで利用となる。タクシーを降りるとやはり東名高速のトンネルからの音は凄まじく反響していた。しかし、山を登るに連れ所々で現れる富士山はやはり大きく見ていて飽きない。



 90分ほどで山頂着。車でも入ってこれる場所ではあるがやはり雪が残る季節、あまり人はいなかった。頂上部は牧場になっている。富士山、逆方向には太平洋も望め気持ちの良い場所である。下山は谷峨駅方面に下るが牧場の歩道を降りるため気持ちが良い。





 早春のハイキングであった。

高尾南陵(南高尾山稜)

2011-02-05 21:10:28 | 登山・アウトドア
 路線バスは何と1日3便のみ。さらに登山に使えそうなものは10:14分の便のみである。これが高尾山口から出るバスなのだから仕方がない。確かに電車で向かえばJRで1駅。わざわざ甲州街道をバスで相模湖方面へ向かうモノなど登山客くらいであろう。

 とはいえ、バスはほぼ満員であった。薄曇りの状況であまり展望は期待できなかったが大垂水峠で全員が下車し、それぞれが北の城山方面。また我々が進む高尾南陵方面に分かれて進んでいった。準備体操後登山者用に設けられた歩道橋を渡る。今回は高尾山の南側を走る高尾南陵縦走である。緩いアップダウンを繰り返しながら30分大洞山着。その後、中沢峠を過ぎたあたりから右側に津久井湖が見えそれなりに良い感じである。西山峠手前の広場で準備してきたインスタント味噌汁を作ろうとストーブを用意して気づく。家を急いで出てきたためうっかり持ってきたストーブは高地使用用のコンパクトなモノ。つまりオート着火機能が着いていなくライターが必要なモノであった。私にはそれを持ち歩く習慣はなくちび共の期待に添えない形となった...。とはいえそこでは先客の老夫婦がちび共に話しかけてくれ、彼らには楽しい昼食となったようだ。


【中沢峠手前の急坂】

 その後、泰光寺山、三沢峠、そして最後のポイントとなる城山湖を見下ろせる町田市最高峰の草戸山に着いた。小休止しようとするとベンチに目をやるとアマチュア無線と特定省電力無線を持つ方がいらっしゃった。話しかけるとかなり無線に詳しいOMさんで久々に私もやりたくなってしまったのであった。親切にも私の忘れた火を貸してくださって小休止が思わぬ大休止となりちび共も楽しみにしていた味噌汁にありつけたのであった。

 気を取り直して高尾山口を目指すもやはり時間がおしてしまったため日没を懸念しての急ピッチでの移動となった。辛くも日没直前に高尾山口に下山となった。ちび共との約束通りまたも1月に高尾山に来たときによった蕎麦屋さんで打ち上げとなり、帰宅となった。

 余談だが冬そばのスタンプラリーが開催されており、先ほどのOMさんがくれたポイントと併せて早速懸賞に応募したのであった。

棒ノ折山2

2011-01-23 21:31:42 | 登山・アウトドア
 頂上からの眺めを十分に楽しむ。天気は良いがやはり1月下旬、落ち着くと寒い。下山することにする。帰りは埼玉側へ降りて温泉に入ろうと考えた。整備された長い階段の斜面を下り、ゴンジリ峠から岩茸石の分岐まで行き、悩む。ここで道のりとしては短くなる沢沿いのルートを進むか、遠回りになる林道ルートを進むか...。そんなとき我々の後方から来た人があっさり白谷沢沿いに降りていった。まあ、こちらがメジャールートな上、頂上にいた大部分が登ってきているはずのルートである。多少不安が伴うモノの大丈夫だろうと判断し沢沿いに進む。



 道もしっかりしている上、気にする箇所もないため良いペースで下山となる。しかし白雀の滝に近辺まで来て焦る。大人なら何のことはない3m程度の崖であるがちび共には断崖である。一人を待たせ、もう一人を下までどうにか誘導する。その後私が崖上に戻りもう一人を誘導する。とりあえず山場を越えたと思いきやこれは単なる序章に過ぎず、ひたすらこのような崖や徒渉が続いていた。登り返して林道ルートに復帰することも考えたが日没を考えるとその気も失せた(実際には谷沿いに歩いていたため日差しがないだけで日没にはまだかなり余裕はあったが)。



 崖では誘導の繰り返し、徒渉では抱きかかえてを繰り返しながらどうにか川沿いを抜け、眼下に名栗湖を見たときには安堵がわき上がってきた。

 その後、さわらびの湯に浸かり路線バスを利用して飯能経由での帰宅となった。

 登りの展望のなさに不満があったちび共ではあったが、私が大変であった下りが楽しかったらしい確かに途中、凍った路面があったり巨大氷柱があったり断崖果ては徒渉があったりとこちらが苦労しているにも関わらずヤツらにはとても楽しいことであったようだ。

 余談であるがこの『さわらびの湯』温泉のある建物には食堂等はなく、弁当や自動販売機程度しかない共同浴場である。

棒ノ折山

2011-01-22 21:26:47 | 登山・アウトドア
 奥多摩の山々は標高が低い割には標高差が大きいため夏の暑い時期には向いていないと言われる山が多い。とはいえ、その分、展望が得られた場合、広がる関東平野への感激は一入である。

 双子のザックを新調したことだし、天気も快晴予報。こうなっては山に連れ出さないわけには行かない。とはいえ単独行のときと違い、ハイキングレベルの山である。朝、普通に家を出て夕方には帰れる電車を使ってアクセス出来るレベルの山が今のところ主流である。嬉しいことに当日、ヤツらを起こす際、平日ならなかなか起きてこないにも関わらず、山へ行くとの一言で二人とも飛び起きるから現金なモノだ...。

 嫁と三男にアクセスが楽な駅まで車で送って貰い出発。国分寺線・拝島線を乗り継ぎ奥多摩線へ。御嶽駅でホリデー快速から乗り換え川井駅で更にバスに乗り換える。終点、清東橋で降りたのは我々3人を含めた5人のみであった。

 今回の目的地は4年前の2月に登った奥多摩・奥武蔵、東京・埼玉の県境となる棒ノ折山である。バス停から10分、適当に準備体操を始め出発。当初氷が所々に見られるわさび田沿いに進むもその先は山頂直下までの全く展望が利かない杉林。ちび共はこの変化のなさに辟易したらしくかなり飽きが入ったようであった。

 とはいえ2時間ほどした正午、頂上に着くと雪を被った日光連山をはじめとする目の前の関東平野のパノラマに大喜びで新しいザックからそれぞれにおにぎり・スナック・チョコレートを取り出し、平らげたのであった。



 一段落して気づけば新宿の高層ビルの一角が光っている。どうやら太陽の反射が写り込んでいるらしい。こんな珍しい光景は初めてである。しかしすぐに消えるだろうと思っていたが意外にこの写り込みがどんどん大きくなりまるでビルの一点が燃えているように見える。どうにもSFチックな様相である。



 しばらくすると予想したとおり、光は消えたがこの珍しい現象にちび共は喜んでいたのであった。

登り初め

2011-01-08 22:17:24 | 登山・アウトドア
 3連休とはいえ特に予定はない。三男が若干体調不良気味であったため嫁に双子を連れ出すように言われる。家の窓からは真っ白な富士山が鮮やかに見える。こんな日は出かけるに限る。

 速攻でパッキングを済ませ、出かける。時間も10時を回っていたため無難な高尾山エリアである。ちび共は昨年秋、御嶽山から日の出山、つるつる温泉というコースを歩いたときの印象が強いらしく大喜びである。

 12時、高尾山口着。登山口で軽く食事を取らせ登山開始。結構な勾配ではあったがケーブル山頂駅まで歩く。ちび共は時折眼窩に広がる首都のパノラマに大喜びであった。その後、以前登った4号路を進む。このルートはマイナーな上、この日は登り一方通行だったためそれほど人と会うことがなく快適であった。

 14時、山頂着。富士山を初めとする南アルプス・丹沢の山々から湘南方面、太平洋まで見渡せ絶景であった。


【山頂からの南アルプス方面】


【山頂駅近辺からの首都圏】

その後、主要ルートとなる参道を下り、リフトにて下山。沿道の蕎麦屋にて登り初めの打ち上げを行い帰宅となった。

 快晴に恵まれた絶好のハイキングであった。

230m

2011-01-05 19:41:40 | 登山・アウトドア
 2日の凧揚げで気をよくし、3日は午前中に近所のホームセンターで更に80mの凧糸を2本購入し、張り切って堤防へ行ってみた。ところが、昼と言うこともあり、あまりにも穏やかで風がなく全くという程飛ばなかった。
 
 4日、年末年始休暇もこの日で終わりである。15時、そこそこに風が吹き始めたのを良いことに三度、堤防へと向かった。案の定、風は良好で各所で正月らしくゲイラが見られた。堤防下で吹き上がる風をとらえ、あっという間にゲイラは2日の70mの糸を使い切った。早速嫁の手を借り、80mの凧糸に結ぶとあっという間にその糸も凧に持って行かれ150mを記録した。こうなると当然もう一本と考える。更に結びつけるとこれまたあっという間に230mを記録した。もうゲイラは遙か上空の点である。しかし、堤防下は夕暮れが近づいてきて日陰で寒い。そのため糸を持ったまま堤防上へ移動。日差しがあるためそれでも少しは暖かい。凧の引っ張る力もそこそこなので堤防の策に糸を引っかけて、凧を眺めることにした。


【糸の延長線上、かろうじて中央やや上部に点が写っています】

 ちび共は230mもの糸を使い切ってことで大喜びである。驚いたことに堤防を散歩している人たちは高く舞い上がった凧をおもしろがり、色々話しかけてくる。凧糸の長さを知ると皆一様に驚き、またあがっている凧がコンビニで買ったアニメの図柄のゲイラと知ると更に驚いていた。皆が、特別な凧と特別な糸であると思い込んでいたようだ。また、凧の引く強さを聞く人もいて、試しに持たせると喜んでいた。

 ここまで上がると欲が出る。あと一巻きあれば300mを軽く越える。糸は思ったより強度もあるようだ。また、更に繋ぐことを真面目に考えるのである。しかし、一つ大きな問題も生じる。この伸びきった糸をまた絡めて凧をたぐり寄せる作業が待っている。実際にこの後、この230mをたぐり寄せるのは一苦労であった。


【たぐり寄せた凧と使い切った糸】

うたたね

2009-09-26 19:48:12 | 登山・アウトドア
 保育園の奥様方の集いで近くにある大手の会社が所有する厚生施設を借りてバーベキューを行う事になった。昼前に集合とのこと。特に用もないしたまには昼の酒も良いかと気軽に参加する...。
 行ってみて笑ってしまった。男性は私の他に一人しかいない。参加している子供の兄弟に風邪が流行っているらしく父親の殆どは家で看病、或いは仕事とのことであった。仕方ないがもう一人の男性と一緒に火を熾し炭火をつくった。
 初秋とはいえ汗だくである。料理は奥様方に頼み、男性と一緒にビールを飲み出す。昼間の酒は気持ちが良い。



 芝生の上でくつろいでいると参加している子供達が何故かちょっかいを出してくる。かまってやると大喜びだが傍目にはガキ大将である。そんなことをしながらひたすら食ってビールを飲むとやはり眠くなる。
 適当にその場を離れウロウロすると流石大手の厚生施設。芝のグラウンドを見つけた。サッカーも野球さえも行われていなかったため適当に入り込み寝ころぶ...。初秋の心地よさにいつの間にか寝入ってしまった。どのぐらい寝たであろう目が覚めかなり焦ってバーベキュー場に戻る。丁度片づけが終わったところであった。嫁が言うには1時間ほど失踪していたらしいがどこかで寝ているのだろうとあまり気にしなかったらしい。
 
 昼の酒はやはり効く。久々に日焼けして火照った体が夜になっても冷めないのであった。

バーベキュー

2009-08-17 23:20:41 | 登山・アウトドア
 私が初めて食ったバーベキューというのは何故かジンギスカンであった。理由は分からぬが幼い頃、野外で羊の肉を喰らうというこの不思議なバーベキューが全国的にあるいは地域的にかは知らぬが流行っていた。当時サッポロポテトバーベキュー味は既にスナック菓子として存在していたため何故ジンギスカンというマニアックな言葉が流行っていたのかはますます持って謎である。
 
 上京して友人たちとバーベキューを行った際、肉に牛や豚や鳥が使われていたのにある意味カルチャー・ショックを受け、また自分が幹事のとき、肉屋にこの羊肉を買いに行き、普通に置いていないのにはかなり驚いた。どうしても欲しい場合は市場へ行くかあるいは肉屋に前もって頼む、それでも最低5kg単位でしか頼めないと知りますます窮屈に思ったものだ。
 
 実家の庭でバーベキューをやろうと言うことになる。久々に近所の肉屋に行ってみると普通に羊肉しかもラム肉(子羊用)まで売っているのがかなり嬉しい。
 
 炭火を熾そうとすると私の母親が焚き付けの枯れ枝を持ってきてあっさり点火。あまりにも炭火が勢い強すぎるためコンロ2台で料理を行うことになった。
 一方のコンロで私が肉を、もう一方で父親がサンマやエビを焼いた。チビどもは従姉妹に世話を焼いて貰っていた。


 
 独特の雰囲気を醸し出す中、一族のパワーに不思議な物を感じて炭火で火照った体をビールで冷やすという理想的な状況を楽しんだのであった。

 余談だが、かのモンゴルの覇者チンギス=ハーン率いる騎馬軍団が頭に被っている兜を鍋にしてジンギスカン料理をしたという説があるが全く根も葉もないことらしい。自分に置き換えた場合でも独特臭いが漂う羊肉を焼いたヘルメットを良く洗ったとしても決して被ろうとは思わない。しかしそんなヘルメットを被る猛者に一度会ってみたいと思うのは私だけではないはずだ...。

靴底張り替え

2009-03-01 20:12:41 | 登山・アウトドア
昨夏、行きつけの登山用品屋で靴の中敷きを買った際、店員さんに靴底の張り替えを勧められた。その後も会津磐梯山・高妻山に行ったが特に滑ることもなかった...。とはいえ購入から4年、あまり使ってはいないと思いながらも既に大小30以上の山行に使ってきた。やはり滑落は怖いしこのオフシーズンが最も張り替えに適した時期である。1月最後の土曜日、思いついて靴を山道具屋へ持ち込んだ。

12,600円を前金で支払い申し込むと、この時期混んでいるため受け渡しは3月14日とのことであった。ちょうど春山にはいい時期なため出来上がりを楽しみにしていた。ところが2月21日、あっさり張り替えが済んだという連絡があり今日ようやく取りに行った。完成品を見て驚いた。自分でも笑ってしまうほど前の靴はすり減っていたことを思い知った。新しい靴底は山がしっかりしていて見るからに滑りにくそうであった。靴底の寿命は5年とは言われているが見るからに張り替えて正解である。受け取る際に驚いている私に店員さん笑いながら言った。

「張り替えるだけで新品同様に見えませんか?最近靴底を張り替えるなら新しい靴を買っていく方も多いんですよ...。こちらとしてはありがたいんですが正直そこからまた自分の足に慣らしていくのは勿体ないんですよ...。お客さんの靴は軽登山靴としては最高ですのでまた早く(靴底を)減らして持ってきて下さい。」


【張り替え前・張り替え後】

山歩きが楽しくなるこれからのシーズン、早速山雑誌を購入してにやつくのであった。その前にトレーニングを開始しなくては...。

縦走ハイキング

2008-11-30 18:27:52 | 登山・アウトドア
22日(土)家の窓から真っ白な富士山が見え快晴である。ちび共は起きるやいなやそれに気づき、何処かへ遊びに行こうと張り切っている。

天気が良ければハイキングを考えていたため朝食後嫁の作ってくれた弁当を持って3人で出発。西武線を乗り継ぎ所沢に出ると丁度特急レッドアローが滑り込んできた。以前からちび共は乗りたがっていたため飯能まで乗ることにした。しかし自販機で買った切符はまとめ買いにもかかわらず全て別の車両の別の席。バラバラになるわけにもいかないので車両で空いている席を探し飯能までのわずか21分の旅を楽しんだ。

飯能でタクシーを拾う。800円支払って降りたのは天覧山入口。2年前の4月、2歳のちび共を連れて登った山である。ちび共はすっかり記憶はなかったようだが、あのときとは違いしっかりした足取りで坂を上り、また小さな岩場を越えて進んでいった。

11:50、山頂からは富士山がはっきりと見え、また奥多摩・奥武蔵の山々が冬晴れの様相に気持ちが良かった。しかし、ちび共の記憶はやはり思い浮かばなかった(笑)

今回のハイキングはこれが目的ではない。この頂上を後にして、次の目的地となる多峯主山(とおのすやま:271m)までの低山縦走である。



急な下りに設けられた斜面を10分ほど下り、飯能入りの湿原着。

そこから緩い尾根歩きになる。しばらく進むと左の高台の東屋の方から南米の民族楽器ケイナの音色が聞こえてきた。近づいてみるとやはり知人であった。



なんでも最近この楽器に興味を覚えたらしく週末、この山の中に趣味の山菜摘みがてら練習に来ているとのこと。折角なのでそこで弁当を広げることにした。知人はケイナを披露してくれちびどもは喜んで聞き入っていた。


【用意したストーブでアタリメを焼くチビ】

【多峯主山頂よりの富士山遠望】

食事を終えると知人もそろそろ帰るというので一緒に多峯主山頂まで移動。山頂は込み合っていたが新宿の高層ビル街。池袋・大宮の高層ビル街。奥多摩・富士山・奥武蔵の山々が見渡せ気持がよかった。


【西武秩父線高麗駅前】

その後高麗駅まで移動し、西武線を乗り継ぎ帰宅。歩行時間としては2時間程度の縦走。であったが、ちびどもは元気そのものであった。これからの季節、低山歩きも楽しいと思ったのであった。

私としては電車移動のため気兼ねなく下山後にビールが飲めたのがうれしい山行であった。

巣箱作り

2008-10-27 23:10:15 | 登山・アウトドア
26日(日)今年も千貫森の巣箱作りのイベントが行われた。

生憎の曇天模様であったが、毎年のことに楽しみにしていたちび共を連れて参加してみる。総勢30人程の参加者がNPOの指導員の方に教わり巣箱を作るが流石に3回目ともなると指導が無くてもどうにか作れるものである。



ちび共がやりたがったので板をおさえさせたりしながら釘打ちをやらせる。面白いらしくあっという間に3つ完成した。

周りの出来具合を待って森の案内人について森に入り適当な場所に設置することになる。ちび共は作り終えた巣箱に各自覚えたばかりの平仮名で自分の名前を書き巣箱を自分で持って森に入っていった。



適当な樹を見つけ取り付けることになるが流石にちび共はまだ木登りは難しい。私が抱え上げ適当な又に巣箱をおかせ、私がその又の所に登って更に上へと巣箱を設置するという方法を行った。



私の身長を利用し出来るだけ高い場所に巣箱を結びつけるとちび共は喜んで巣箱を眺めていた。

参加者が一通り設置し終えると森の案内人が山を周遊する道を案内してくれて、蜂の避け方・植物の説明をしてくれた。

中でも興味深かったのは私が夏の平ヶ岳でパニックに陥ったウルシかぶれの民間療法である。

何と妙薬は栗であった。乾いたものでも生でも良いらしく、葉っぱをすりつぶして被れた場所に塗る。葉や毬(いが)を濃く煎じて一日数回洗うのも良いらしい。風呂に入れても良いらしい。但し栗の葉はタンニンを含んでいるため鉄鍋は避けた方が良いらしい。

森を一周して元の場所に戻ると定番の団子汁が振る舞われた。ちび共は小鳥が巣箱にはいるかどうかが気になることのようだ...。

高妻山2 弥勒尾根新道

2008-10-22 22:58:52 | 登山・アウトドア
五地蔵山手前の弥勒尾根新道下山口と思われる場所で先行していた福島からの団体が私を待っていた。私の国土地理院発行の1/25,000地形図を見せて欲しいという。彼らの昭文社の『山と高原』地図では縮尺が大きいため私のもので確認したかったらしい。

ちなみにどちらの地図にも今のところ弥勒尾根新道のルートは載っていない。ネット上の話では登ってきたルートを引き返すより40分程早く降りれるらしい。私も含め5人で地図を見た限りでは確かに尾根沿いに下って登山口の牧場まで降りれるようである。入口に登山道であることを示すテープ、また根を切った刃物の跡、更にいくつかの踏み跡があったため間違いないだろうとおじさん達は下っていった。時刻は13:00、この下山道に水場は全くないがまだ十分に水も残っているし、いざとなったらGPSも役に立つため私も追随する。



目の前には色づいた黒姫山が聳えていて気持ちが良い。また肝心の道であるが案内は全くないものの一本道であまり人が歩いていないせいか足下が堆肥の上を歩いているようでふかふかである。急な斜面を下っているにもかかわらず足への負担は少なく感じられる。

20分程下り樹林帯に入ると紅葉が午後の日差しに照らされてまさに秋真っ盛りである...。



どのくらい進んだろうか...。
バキバキバキッ!
突然向こうの薮が騒々しい。先行したおじさん方に何かあったのかと思い大声で呼んでみる。

「どうかしましたか!?」

数回呼んだが何の反応もない。もしかしたら熊では??
一応熊よけの鈴は鳴らしていたがかなり焦る。しかしどうにかせねばと思い大きく音を立てることをしなければと歌を歌うことにする。しかし、焦っているし咄嗟のことなので何をうたって良いか良くわからない。

♪ 俺が~死んだら、三途の川でよ~!!
♪ 鬼を集めてよ~、相撲取るよ~!!

ひたすらガナってみると、バキバキ音は遠ざかったので恐る恐る先へ進む。するとまたもや左手からバキバキ音がする。それもかなり広い範囲に渡ってである。恐怖に身の毛を逆立てながら音の方向を見ると何とサルの群れであった。



しかし、相手はサルと分かっていてもヤクザルのように人を襲うものなら厄介である。屋久島では一点突破で逃げるべしと教わったがこんな山の一本道、更に見通しはそれほど良くない。幸い威嚇して来る様子はなく普通に通り過ぎることが出来た。



一安心しながら進むと今度は右手下方から牛の鳴き声が、それは徐々に左手下方に変わりやがて沢の音が聞こえ始め程なく牧場着となり事なきを得た。

それにしても私が咄嗟に歌った歌は一体何なのか...。暫く悩むことになったがどうも幼い頃親父がよく口ずさんでいたダンチョネ節の替え歌らしい...。

ルートはこちら