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Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

The Galaxy express 999

2011-05-01 22:57:57 | 
 鳥沢駅から中央本線に乗ると席はそこそこ埋まっていた。試しに隣の車両を眺めるとボックス席が丸ごと一カ所だけ空いている。幸いと思い、いってみるて驚いた。なぜか大月・都留地域で使われている燃えるゴミのビニール袋に詰められた衣類が座席においてあった。近くの席の人々に心当たりを訊くも何の反応もない。何とも不思議ではあるが構わず座ることにした。



 座席に座りぼんやりとビールを飲みながら思い出したのはまた古い記憶である。

 小学3年のとき、電車では初めて上京した。そのころ、まだ東北新幹線は開通しておらず特急でも福島から上野までは記憶が正しければ3時間15分程度だったように思う。当時列車に乗る機会はあまりなく、何故か私は昼でも列車のなかは蛍光灯が点いているという事実を事前に母親に訊かされ乗って改めて驚いた記憶がある。

 ここのところ震災の影響で昼間はトンネルに入る前の駅以外では電車の中も蛍光灯が消えていることが多い。更にエアコンも切られ、気温が高いときは窓の上側が開けられていることが多く見受けられる。それでいて不便を感じることは全くない。昨日アップしたように扇山へ行った帰りの中央本線は車両がやや古めのこともあり、窓は上側ではなく下側が開いた。そのためちび共は風が当たり前のように入る事実に大喜びであった。私が幼い昭和40年代後半、祖父と母親に連れられ取引先のある高崎に行った際、とまった駅で列車の窓を開けて駅弁売りから弁当やお茶を購入した記憶を思い出していた。

 先に述べた小学3年の頃の特急は窓が2重になっていて開くことはおろか、見送りの外の人との会話さえままならぬほど密閉されていた記憶がある。それでも風を受けて喜んでいる二人の様相をみて思わず頭を回った曲がある。かの松本零士の代表作、『銀河鉄道999』の映画版の主題歌である。

♪ The Galaxy express 999 will take off journey never ending journey. Journey to the stars.



 ...バイクや車と違い行動範囲は大幅に制限されるが、大まかに旅という概念でとらえた場合、電車もなかなか好きなのかもしれない。そう考えた出来事であった。

結局乗り換えの八王子でチビどもにいつもの山行通りうどんをせがまれるのであった。

碓氷峠鉄道文化村

2010-04-25 19:14:19 | 
 18日に雪が降るという異常な状況である。今日の週間予報でも未だに『寒の戻り』という普通なら場違いな温度の変化が起きている。おかげで先週は私も風邪を引き高熱を発した。回復したと思ったら今度は嫁が発熱である。
 久々に天気が回復し気温も上昇する今日、家にいるのはもったいない。
 嫁を休ませようと思い、チビども3人連れで出かけた。
 
 車で90分。着いた先は信越本線終着駅。以前行った霧積温泉入口になる横川駅である。その横に『碓氷峠鉄道文化村』があるのだ。
 
 駐車場へ車を入れると双子は大パニックである。つられて三男も喜んでいた。
ガラガラの受付に先に行った双子は窓口で11時発のトロッコ列車にまだ間に合う旨を告げられ大はしゃぎであった。


 
 トロッコ列車は通称『あぷとくん』と呼ばれる3両編成であったが以前、軽井沢まで伸びていた信越線の路線の一部を20分かけて4km程上まで進むという物であった。途中、丸山駅(旧丸山峠変電所跡)に数分間止まり、終点となる峠の湯駅到着となった。駅名の通り天然温泉や芝の公園、レストランもあったが終点で下りると次の便までは2時間近くあり、それを待つか歩いて戻ることになる。さすがによちよち歩きの三男がいては無理なのですぐに戻ることにした。

 出発点に戻ると丁度昼である。適当に店を探すも名物横川の釜飯の売店しか見あたらない。仕方がないのでそれを買い込み店横のテーブルを陣取り食うことにする。


 
 この釜飯、半世紀くらい前にテレビで釜飯作成のドラマがあったらしくその名残で全国的に知られるようになったそうだ。私が初めて知ったのは幼い頃、行商に出た祖父が土産に持ち帰った空になった素焼きの器を見てである。その後、母親と高崎まで付いて行き、高崎で購入した記憶がある。中身のことはあまり覚えていなかったが、列車の窓を開け、ホームにいる駅弁売りのおじさんから独特のプラ容器に入ったお茶と一緒に祖父が買い求めた映像が記憶に残っている。

 しかし、この発売元が群馬県の横川駅であると知ったのは大学の頃、夏休みに妙高高原でキャンプをした帰りの事であった。当時は長野まで延びていた信越本線に乗った際、わずかな待ち合わせ時間に走って釜飯を買いに行く列車の乗客を見て初めて知ったのだ。



 ともあれ、この後、SLを初めとする旧車両が展示されている園内をぶらつき帰途となった。他にもシミュレーター等のセクションもあるようだが、また次回嫁も同伴で来ることをちび共と約したのであった。

東北サファリパーク

2009-11-22 22:32:08 | 
 さて、田舎へ帰ったもののやはり暇である。天気は最高で朝から吾妻連邦もハッキリ見える。勿体ないからどこかへ出かけようと考え安達太良山を眺めながらふと思いついた。
 
 実家から30分、安達太良山の塩沢温泉方面へ車を走らせる。付いた場所の入口を見て長男は叫んだ、
「うわっ!ここ動物園じゃん!!」



 早速入場ゲートをくぐり、お金を払う。迂闊であった。ここは公営の施設ではないため大人2,600円、子供1,600円更にガイドラジオ使用料500円の合計8,900円を請求された...。代車だと更に1,000円。おまけに有料で動物の餌をやることも勧められたがあほらしいのでこれは断った。

 中に進むとまずライオンの放し飼いゾーン。しかしこの時期の安達太良山麓は流石に寒い。ライオン共は日当たりの良い一箇所に群れて団子になっているため全く面白味がなかった...。

 次にキリン・ゾウのエリア。この辺は馴染みの動物なのでチビ共は嬉しがってはいたが今ひとつであった。
 
 その次のゾーンは大喜びであった。窓を開けて餌をやって良いところなのであるため、ラクダやシマウマやバイソン等がそれを求めて車に近寄ってくる。餌は持っていないが窓を開けておくと車の中に首を突っ込んでくる。チビどもには堪らなく面白いらしく大興奮であった。このエリアを抜けると後はめぼしいモノもなかったので早々に退園となった。
 


 値ははったがそれなりに楽しめる場所だった。余談だが、気付けば車の窓の内外は動物が舐めた後があちこちに残り、後で洗うのが面倒になったのであった...。

アクアマリンふくしま

2009-11-21 22:55:16 | 
 世に言う『水族館』というモノに行ったのは小学1年の時に両親に連れられていった山形県鶴岡にある市立加茂水族館であった。非常に楽しかった記憶はあるモノの一体何を見たのかはさっぱり覚えていない。
 次に行ったそれは、小学校の修学旅行で行った宮城県松島にある松島水族館であった。当時『クプクプ』と名付けられたマンボウが有名だったらしいがピラニアを見て喜んだ記憶しか残っていない。帰った後、図工の時間の課題でこの『クプクプ』の版画をつくることを求められたがあまり感動がなかったのであろうか全く原型とは違った石鯛のようなマンボウの版画を作り笑われた記憶がある。
 
 今月初旬、長男はインフルエンザで保育園の秋の遠足である『多摩動物公園』へ行けなかった。気の毒であったため3連休、実家へ帰るついでにいわき市にある水族館『アクアマリンふくしま』へ行くことにした。ここは学術面では世界で初めてシーラカンスの稚魚を発見した施設として有名らしく、また水族館としては世界最大級のタッチプールが目玉らしい。

 入場すると4階へ案内された。そこから徐々にスロープを使いながら1階まで下りることになるらしい。まずは県内阿武隈川に生息する魚のエリア。馴染みの岩魚・山女から始まり子供の頃釣って遊んだオイカワ等のゾーン。あまり珍しくもなかったが次のエリアに行って驚いた。何と黒潮と親潮が交わる太平洋を模したエリアである。黒潮エリアでは物凄い数の鰯の群れの中にカツオ・キハダ・マイワシ・ギンカガミ・グルクマ・オニカマス等が泳いでいる。更にその横の親潮サケ・タラバガニ・ギスカジカ・コマイ・チカ・クロソイ・エゾメバル等が見られた。これには圧倒され、5歳の双子は勿論、1歳のチビまでもが興奮していた。


【エイの背後にも映っているが鰯の群れが凄い・それにしてもエイひれとはどの部分までをさすのであろうか】

 しばらく眺めた後次の北の海の海獣・水鳥エリアに進む。ここではセイウチが巨体を揺らし水槽のギリギリを遊泳し、ときには「ブオッー!!」と巨大な声を発し喚いていた他にもゴマフアザラシ・タイヘイヨウセイウチ・エトピリカ・ウミガラス等がいて、チビどもは興奮しっぱなしであった。
 
 これ以外にも熱帯・サンゴ・オホーツクの海等が見れ大人にも非常に楽しめる場所であった。

幕川温泉水戸屋旅館

2009-08-19 20:54:05 | 
 この夏休み、ETC乗り放題1,000円を利用して遊び回ってはいるモノのこのハード業界、これだけの特需にもかかわらずETCの生産量を上げることはなく現行だそうだ。近日見られるであろう政権交代による公約は高速道路の無料化が掲げられているかららしい...。
 
 裏磐梯での水遊びの後、『ブナの原生林の中』を謳う吾妻の秘湯『幕川温泉』に向かう。
 外来入浴の時間は若干過ぎていたようだが、あっさり入浴させてくれた。ところが風呂はガラガラで誰もいない。先日の押立温泉に続き貸しきりである。お盆の時期にしては考えられなかったが、おかげでゆっくりと夏の高原の露天風呂を堪能できた。


 
 風呂から出た後、玄関口のソファーでしばらくくつろぐが何故か客が殆どいない。思えば駐車場もガラガラであった。受付の女性にこの時期にこの状態という疑問を投げてみると意外な答えが返ってきた。
「県内の温泉は困ったことにガラガラなようなんですよ。磐梯熱海も岳も飯坂も...。」
挙げられたのは全て福島県内の東北自動車道沿いの有名温泉場ばかりである。彼女が語るにはETC1,000円乗り放題になったのはいいがそのため折角ならもっと遠くへ行ってみようと考える首都圏の人々が圧倒的なようで300kmもない福島県は単なる通過ポイントに成り下がり、例年ではあり得ない程の減収になっており、思いもしなかったデメリットが発生しているようだ...。

 ...とはいえ翌日、この休みを最後にし、帰京する際はこれが良いヒントになった。午前中の早い時間帯に実家を出ればこの福島より先へ行った人々の引き起こす上京時のラッシュに巻き込まれる可能性は少ない。朝の8:30に実家を出たところ4時間程度で全く渋滞に巻き込まれることなく東京の自宅へと戻れたのであった。

裏磐梯 水遊び

2009-08-18 23:14:08 | 
 大学のときは夏に実家へ帰ったときは、家業の手伝いの合間に時間を見つけては裏磐梯を中心にバイクで走り回っていた。そのため、人の来ない景色の良い場所や水遊びに格好な砂防ダム等々、様々な夏の遊びのスポットを見つけ出したのだ。
 
 チビどもが水遊びをしたがっていたため久々にそれらのスポットに行ってみることにした。一箇所目、川を渡って行ってみた場所には既に先約がいた。チビどもは車で川を渡るということに興奮し何故かインディジョーンズのテーマを口ずさんで喜んでいた。



 時間も昼だったためとりあえず中津川渓谷へ向かい食事をする。ここも水量が多く遊ぶには適さない。食後秋本湖畔の林道を降りた場所へ行くがここはちょっと前まで誰もいなかった場所なのに評判が広まってしまったせいか遊漁券を販売するオヤジまで現れとても遊べる感はない。


 
 最後の望みと砂防ダムへ行ってみると嬉しいことにお気に入りの場所へと通じる道は荒れ放題。期待して行ってみると案の定ほとんど人がいなくチビどもは大喜びで川へ入った。



 水温も丁度良く、ヤツらは喜んで滝に打たれていた。しばらくすると魚道を上り初め砂防の上へ。



 子供が生まれる遙か昔、私が遊んだ場所が未だに人が少なく健在なのはとても嬉しいことであった。

車中泊アイテム

2009-08-16 23:54:04 | 
 愛車ジムニーで山行等に出た際、一番困るのは宿泊である。夜の遅い時間に登山口近くまで移動し、朝待ちで仮眠を取る際、サイドブレーキを解放し、無理矢理足を折り曲げて助手席に眠るのであるが、しばしばこの窮屈な空間から無事起き上がれるのかというふざけた恐怖に駆られる。またリクライニングが可能な場合でもどうにも満足感が得られない。仕方がないので時間があり、場所が確保できる場合はテントを張っているがこれからテント縦走となると朝露に濡れたテントはやたらと重い。

 新高湯温泉を出ると1台のジムニーが止まっていた。運転席の外に登山靴が置いてあっため西吾妻の状況を聞くと途中雨にあったがその後雲の上に出て山頂は晴れていたらしい。そんな話をしていると気づいたことがある。助手席が倒されその上に一枚のコンパネが渡され、登山用のリッジレスト(マット)が敷かれていた。どうやらベッドのようである。興味が引かれたため聞いてみると車内で眠れるように自作したとのことである。縦180cm、横40cmとのこと。車の型は違うが私のJA22でもどうにかその大きさで出来るはずとのこと。翌日早速作ってみることにした。

 13日午前中、家の物置を探す。父親が言うには古いコンパネが数枚あるはずである。しばらくして見つけ出したがそれは埃まみれの古い物であった。庭先に広げ水をかけて洗い始めるとチビどもが関心を示す。暑さにぴったりのお手伝いと称して道具を渡すと喜んで板を洗い始めた。


 
 洗い終え、天日で乾燥させる。その後そのまま車に入れてみるとちょうどいいサイズであった。それでもダッシュボード下の空間に突っ込めるように頭の部分に若干ノコギリを入れるとあっさり完成となった。




 試しに寝てみると丁度いい具合である。夏の時期の網戸等の問題もあるが車内で仮眠をとれるにはいいアイテムの作成となったのであった。

天元台高原

2009-08-15 23:26:45 | 
 12日、西吾妻の玄関口となる天元台高原へ向かう。天気が良ければチビどもをつれて西吾妻山頂までと考えていた。ロープウェイをおりると周りはよく晴れているが残念ながら山頂部分は雲に覆われていたため食事を取り辺りを散策することにする。
 


 夏の緑と雲が非常に気持ちがいい。遠くには飯豊連邦・蔵王連邦が見える。日陰でまったりしながらかなりの時間をのんびりと過ごすのであった...。

 西吾妻山は吾妻連邦の中で最高峰であり、百名山のため登山者は非常に多い。しかし地元民は吾妻山と言えばどちらかというと東に位置する簡単に登れる吾妻小富士、あるいはハイキングを目的とした場合は一切経山となる。これらは磐梯吾妻スカイラインからのアクセスが便利である。
 
 余談だが一切経山から望む五色沼は最高である。また登山途中から振り返る吾妻小富士は絶景である。
 
 車まで戻り、中腹にある新高湯温泉まで進む。硫黄泉の露天であるが木をくり抜いた湯船が非常に気持ちよかった。お盆休みの時期というのに不思議なほど混雑はなかった。



 その後、西吾妻スカイバレーを抜け、またもや裏磐梯経由で帰宅となった。


【西吾妻スカイバレーから望む裏磐梯】

追記:新高湯温泉の脱衣場に貼られた『裸族行為の禁止』を訴える貼り紙。ピンクの文字の下2行が凄い。



他人が見たくないものを見せる男、それって超・ヘ・ン・タ・イ

リメンバー・ザ・江頭2:50『トルコでの醜態』


更にこれを貼り出している団体および代表の名称も凄い

MRTA(山奥公衆衛生革命運動 代表ソロモン・セッハ)

一体この運動団体の全貌はどんなモノなのであろうか...。
堂々と貼り出している様子から判断すると秘密結社ではないようだ...。

押立温泉

2009-08-13 08:47:53 | 
 今まで、日本各地の秘湯・名湯と呼ばれるモノに多々行った。またそれらは度々このブログにも取り上げてきた。中には川の中に湧いていて湯船さえないモノ。海の中にあり引き潮のときにしか入れないモノというような特殊なモノもあったが大部分は鄙びた山奥の古い建物の中にあるモノであった。

 柳津の帰り、昨年磐梯山に登った際時間がなく寄れなかった直下の猪苗代町にある秘湯押立温泉へ寄ることにする。
 JR磐越西線翁島駅を北に十数分、舗装された細い道路を進むと『押立(おったて)温泉住吉館』へと到着。多くの秘湯と変わらず山奥の鄙びた温泉であった。森に囲まれているため展望も期待は出来ない。


 
 大人600円子供400円の料金を支払い入湯。脱衣場には誰の物もなくどうやら我
々の貸し切りのようである。内湯をそこそこに露天風呂に向かう。日本庭園を思わせる曲がりくねった敷石の路を抜けると露天があった。

 一瞬、言葉を失う。そこにあった露天は、まるで錦鯉が普通に泳いでいても全く違和感がないであろう庭園の池のような造りであった。
 とはいえ、貸し切りとは珍しいことである。他に迷惑もかからないのでチビどもは大喜びで遊びだした。硫黄泉ではなかったため潜って目を開けても平気であり、非常に楽しんでいた。ゆっくり入浴し、気づけばヒグラシ等の蝉の鳴き声も聞こえて趣深い。ゆったりと湯に浸かれたのであった。



 やはり展望は全くない日本庭園の中の温泉といった感じであったがこの温泉、秋の紅葉時に来てもかなり良い感じであろう。

柳津虚空蔵村

2009-08-11 23:50:05 | 
 実家に帰っては見たモノの全く予定がない。福島近辺の天気は曇りだが会津方面は快晴らしい。思い立ち、会津に向かうことにする。行く先は柳津虚空蔵村。ここは映画『男はつらいよ 36作・柴又より愛をこめて』のオープニングの舞台となり寅さんが縁日の準備をしたところであり、以前このブログで紹介した会津の『あかべこ』発祥の地である。
 
 隠居の我がオヤジを連れ出しチビどもと4人で出発。途中、私が生まれて初めて湖水浴を体験した猪苗代湖に寄る。



チビどもに多少水遊びさせた後、その先にある日本3大疏水に挙げられる安積疎水の猪苗代側にある十六橋水門に寄り道をした。我がオヤジのガイドに寄ればこの安積疎水が開拓されたことによって水が乏しいため牧草地でしかなかった郡山の地が県下一の都市に発展したそうだ。


 
 ともあれ13:00、目的の柳津虚空蔵村に到着。ここは日本三大虚空蔵尊の一つであり、1,200年の歴史を誇っているそうだ。なんでも唐の国より霊木を授かった弘法大師が帰国を三つに分けて海へ投げ入れ、その一つがこの柳津に流れ着き開山となったそうだ。後の二つは千葉と茨城であるがそれは両方とも海沿いである。内陸部の柳津に流れ着くには日本海の新潟・阿賀野川から遡り只見川に入らなければならない。全く持ってよく分からない逸話である。


 
 境内をブラブラすると流石に歴史的な趣のある寺であった。あかべこの発祥の地らしく最近造られたであろう巨大あかべこが鎮座していた名前は寺から取ったのか『満子』。チビどもは乗りたがったが禁止されていたため適当に戯れていた。



 その後、昼飯がてら立ち寄った道の駅『会津柳津』には何とこの『満子』の旦那の『福太郎』と息子の『もうくん』もいた。絶対最後の方は考えるのが面倒になったと思われ、また命名した人物のセンスが伺われる...。

帰省

2009-08-10 22:54:10 | 
 嵐の中の高速道路というのはある程度覚悟がいる。いくらクロカンであるジムニーとはいえ高速道路はそれなりに気を遣う。

 山梨から戻った後、嫁は仕事であるが私はそれからまた1週間の夏休みである。一斉休暇がない職場、また部署的にも異動になる今年の初めまでは月半ばは休めない仕事であったためお盆の時期の休みはおそらく10年以上ぶりである。久々田舎へ帰ってみても良い気分になった。

 試しにチビどもに聞いたところ、母親が同行しなくても3人で一緒なら福島へ行きたいとの予想外の回答があった。10日、そのため赤ん坊と嫁を残しての帰省となったのであった。

 目覚めると土砂降りであった。さすがにABSはおろかエアバッグさえ装着されていないジムニーで出かけるには気も引けたが、今まで何度となく往復した東北自動車道。無理をしないことを決め出発となったのであった。

 思えば3人で出かけることはよくあるが、実家とはいえ泊まり込み、まして片道200km強というのは初めてである。終始雨ではあったがチビどもは予想とは裏腹に飽きもせず後部座席で2人で歌遊びや、しりとりをしたりくたびれるとひたすら眠ると行った時間つぶしを行っていた。
途中のS.Aで嫁の用意してくれたおにぎりを囓り、無事実家へと着いたのであった。


【帰京する際の東北道・行きとは打って変わって快晴であった】

 笑ってしまったのは今回の予定は4泊と告げると本人たちは昨年並みに(10週間)いれるものと思い込んでいたらしく、全然少ないと声をそろえて抗議して来たことである。仕方がないので焼け石に水ではあるが土曜の朝、渋滞前に帰京することにしたのであった。

ショートカットルート

2009-08-05 22:52:07 | 
 鳳凰三山地形図を眺めていて気づいたことがある。片道5時間20分かかる薬師岳への登山道の上部まで林道が延びている。地図上では登山道とは交わっていないが、わずか200mの位置まで林道は存在する。これはもしかしたら昨年の磐梯山の地形図を見ていて発見したようなショートカットルートではないかと当たりを付けた。しかし、ネットで検索してみてもそのような情報はなかなか見つからない。

 5日間の休みもあっという間の最終日となった。別荘からのこの登山道の入口となる青木鉱泉はそれほど離れてはいない。折角なので久々に川遊びを兼ねて行ってみることにする。
 嫁も私もこの鉱泉につながる林道は11年ぶりとなる。当時、11月初旬に白州で仲間とキャンプツーリングに行った際、御座石温泉で入浴し林道を抜けてこの青木鉱泉に行ってみたのであった。
 
 久々ではあったが当時と印象が変わることはなくそのままの佇まいであった。チビどもは後部座席で寝入っていたため同じく嫁に任せ1人で情報収集に出かける。
 
 入口で茶を買い、庭をブラブラする。10時前であったためか丁度朝の仕事を一段落した感じで宿のおじさんが庭に出てきた。早速林道のことを訊いてみた。
 
 結果、今現在この道はゲートで閉ざされ一般は入れないそうだ。試しにゲート横はバイクで抜けれるかどうかを訊くとそれは可能だという。しかし、この林道自体が林業用ではなく平行に流れる沢の砂防ダム建設のために造られた道であり、そのため今では諸所崩壊していてそれを整備する理由もないため終点まで入っていることはバイクでも不可能と言うことであった。一番訊きたかった登山道との接点はというと、残念ながら一切ないと言うことであった。
 
 バイクでの林道走行を楽しみ、そのまま登山というイベントに入れるかという目論見は敢えなく消えた...。


 
 車に戻るとチビどもが目を覚ましていたので適当に川で水遊びをして家路につくのであった...。

高山病

2009-08-03 19:52:44 | 
 バスが高度を上げはじめると時折耳がつまる。気圧の変化が著しい証拠である。赤ん坊が突然泣き始めた。自分でうまく耳抜きが出来ないため機嫌が悪い。嫁がカバンからボーロを取り出し口に入れてやると楽になるためすぐに機嫌が直った。

 黒四ダムの後、山梨の『山の家』と呼ばれる自由に使わせて貰える知人の別荘へ向かった。そこを拠点に遊びに行こうと計画し、この日、天気の良さに松本経由で乗鞍岳へ向かったのだ。

 2002年までは有料道路であった岐阜側の『乗鞍スカイライン』も翌年の無料開放に伴い、自然保護の観点から一般車両乗り入れ禁止となり、現在では観光バスとタクシーのみの運行となっている。長野側の乗鞍高原(標高1,590m)に車を置き往復2,400円の切符を2枚購入し乗車となる。チビども3人は就学前のため無料であった。50分の乗車時間であったがどんどん高度を上げる景色にはチビどもは飽きる様子はなかった。

 山頂のバス乗り場(標高2,705m)は曇ってはいたが時折晴れて気持ちが良い。そんな様相を楽しんでいるが何とも私は眠くて仕方がない...。確かに休みにはいるまでの忙しさ、また昨日までの移動を考えれば眠くてもおかしくはないはずである。食後、3,000m級の乗鞍岳まで往復する程の時間もなかったため適当にブラブラする。



 その後、バス乗り場に戻ってみると、タイミング悪く出たばかりで1時間待ちとなってしまった。これでは帰りに余裕がないためタクシーに交渉すると丁度下で客と待ち合わせしている運転手さんに出会い格安で降りれることとなった。バスの切符を払い戻すことになり窓口で説明を受ける。往復だと割引が適用されているがこの場合復路分の払い戻しとなるため割引適用なしの往路分の料金1,400円を引く。そして残った分から払い戻し手数料200円を引かれた800円×2名分が戻った。このように窓口で説明を受けお金を受け取ったのだが、なぜか全く頭の中で計算が出来なかった。タクシーを待たせているためすぐにその場を後にした。

 タクシーで高度を下げはじめると何となく眠気が抜けてきた。それに伴い先ほど出来なかった計算も理解できた。このような症状から脱し、ふと思ったことがあった。非常に眠い上、簡単な計算が出来ない...。これは典型的な高山病の初期症状であろう...。今までこの峠は来たこともあったし何度もそれ以上の標高差も体験している。しかし高山病にかかったことは一度もなかった。試しに運転手さんに訊いてみると私のような症状を下山時に訴える客が少なくないという。かくいう運転手さんもこの仕事で山頂を2往復もすれば気圧のせいで非常に疲れるそうだ...。



 登山時なら体を慣らしながらも可能であるが今回のような場合それも難しい。ある意味貴重な体験をしたのであった...。

 ちなみに嫁はともかくチビども2人は相変わらず元気にところかまわず走り回っていたのであった。

黒部第四ダム

2009-08-02 19:37:13 | 
 02年の大晦日、北海道佐呂間町の徒歩宿にいた。偶然にもその宿で再会した大阪の旅仲間と晩飯がてら酒を飲んでいたときのこと。
 突然、嫁を初めとするテレビで紅白を見ていた人たちが騒がしくなった。テレビの歌番組には登場しない中島みゆきが意外にも黒部第4ダムのトンネルの中で歌い出したのであった。
 何でこんないかにも寒そうな場所で中継を行うのか...。私には疑問であったが当時NHKの看板番組『プロジェクトX』での主題歌が中島のモノであり番組中で黒部ダムの逸話を放送した経緯があるからと言うことであった。
 
 マイナス気温であろうトンネルの中で大晦日に
 
風の中のすばる
砂の中の銀河
みんな何処へ行った 見送られることもなく

草原のペガサス
街角のヴィーナス
みんな何処へ行った 見守られることもなく

と歌っている姿に『歌姫』と呼ばれるだけのプロを感じたモノであった...。


余談だが、この曲の「草原のペガサス」の部分を『その辺のペガサス』と聞き違いしていたというネタで嫁も私もこの曲を聴くとどうにもその部分で苦笑してしまうのである。

 
 そんなことは全く忘れて雨降る中、黒部ダムへの入口となる扇沢に着いた。休日にもかかわらず目立った混雑はなく難なくトロリーバスへ乗れた。バスに付いたパンタグラフにチビどもは一種の電車と認識し、またトンネル内の様相に大喜びであった。
 
 黒部ダムへ到着となりダムへの長いトンネルの階段を登る。登り切ると展望レストハウスに出た。しかしチビどもはダムの様相よりも目の前で売られていたソフトクリームに関心を奪われていたのであった。
 
 ソフトを食い終えると雨も止んでいた。ダムの展望のため外へ出るとようやくチビどもにもダムの凄さが分かってきたらしく大興奮の様相で名物の観光放水を眺めだした。



やがてダムの上を歩きたいと言い始め散策をし出してふと気付いた。
 
 この場所へ来てからあちこちで中島みゆきの『地上の星』が流れている。...これには私も嫁も笑ってしまった。NHKに取り上げられた事により残念なことに典型的な国民的観光地と化してしまっていだのであった。

 売店を見ると更に呆れたことに『プロジェクトX 厳冬 黒四ダムに挑む』というタイトルのDVDまで販売されていた

ちなみに曲中の「みんな何処へ行った」の部分の回答はやはり定年退職と考えてしまうのは私だけではないはずだ...。

給付金

2009-08-01 19:23:17 | 
7月24日付で家のポストに2枚のハガキが配送されていた。
定額給付金の申請はお済です?
子育て応援特別手当の申請はお済ですか?



という見出し以外は全く内容が同じ2通は10月1日を過ぎると無効になるというニュアンスの内容であった。天性の物ぐささが悪く働いてか金が貰えるにもかかわらず未だに申請していなかったのだ。

今までの忙しさも落ち着きを見せ始め、休みの融通は利く見通しとなったため久々に旅に出ることにした。とは言っても子供はまだ就学前、3男に至ってはまだ10ヶ月である。予約していていけなくなるのもキャンセル料が馬鹿馬鹿しいためネットでの当日予約という荒技に出た。

朝、チビどもはいつものように元気である。前日までにいくつかの当たりを付けていたサイトを開くとやはり空き室が埋まっていなかったため早速予約。嫁が行ったことがないとのことで、長野県大町温泉の旅館をおさえた。

生憎の雨であったが久々にエクストレイルに荷物を満載し、圏央・関越・長野自動車道を乗り継ぎ大町温泉に向かったのであった。思い起こせば4年前の10月、黒部下ノ廊下行のとき以来の豊科・大町行である。